please enable JavaScript on this site.
Guest
Platinum Stage
Gold Stage
Bronze Stage
Regular Stage
Buy Books, CDs, DVDs, Blu-ray and Goods at HMV&BOOKS online
Advanced Search
TOP > My page > Review List of die idee
Showing 1 - 5 of 5 items
%%header%%
%%message%%
2 people agree with this review 2011/03/27
今回注文し初めて聴いたが相当な名演であることが想像される。ただしリマスターがいただけない。音の芯がボヤケ、全体に締まりのない音になっている。オリジナルテープにはもっと芯のある音が収められていたのではないだろうか。いたずらにワイドレンジを狙い、中域がぼやけてしまうリマスターが最近は散見される(最近CBSから安価で発売されグールドのベートーベンの後期の3つのソナタが一例)。本盤はそれに劣らぬ名演だけに残念。
2 people agree with this review
Agree with this review
5 people agree with this review 2010/10/03
このような演奏の前ではどんな言葉もあまりに無力です。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番がこのような深み、輝き、真実味をもって演奏された例を私は他に知りません。天才の解釈のもと、ベートーヴェンの世界の深奥がまさに生き生きと眼前に現出する様には、戦慄さえ覚えます。全くの奇跡としか言いようがありません。ヨウラ・ギューラーのようなピアニストはまさに存在自体がひとつの奇跡です。ギューラーの音が鳴り出したとたん、スピーカーの前に日常を超えた別次元の世界がぽっかりと現れ、聴く者を深く内省的な精神状態へと誘います。音質もリマスターが成功しており、現代の最新録音に比較しても遜色のない音質です。モーツァルトの方はべートーヴェンに比べると若干音質が劣るものの、他のピアニストでは決して到達できない高みに達しているこの天才ピアニストの音色、精神性をつぶさに伝えてくれます。本CDは、音楽に何か実存的な深みを求める人にお勧めです。
5 people agree with this review
6 people agree with this review 2009/10/16
トゥッティやスフォルツァンドのとき、以前は団子のように聞こえていたのが、今回の盤ではそれぞれの楽器がちゃんと分離し、残響を伴って聞こえます。NBC SO.の恐るべき合奏能力が手に取るように分かります。トスカニーニの全く妥協のない完璧主義、熱い情熱、歌心がこれほどまでにリアルに伝わるのはこの盤が初めてです。20世紀最大の名指揮者の実像にここまで迫ったリマスターの出現に胸を熱くしました。エンジニアの方に心から感謝いたします。ブラームスの1番で最後だなんて言わず、シューベルトの「グレイト」、サンサーンスの交響曲第3番、モーツァルトの「ジュピター」、「ディヴェルティメント15番」、ワーグナーの「ワルキューレ」第1幕第3場や「神々の黄昏」の「ブリュンヒルデの自己犠牲とフィナーレ」、シベリウスの交響曲第2番、スメタナの「モルダウ」なども、ぜひともXRCDで発売してください!
6 people agree with this review
2 people agree with this review 2009/10/04
この演奏を聴いていると、まるで堅牢な建造物を見ているような気分になる。どの瞬間も、どのパートがメインの線を担っていて、どのパートがサポートしているかが手に取るように分かる。他では見られないこのような完璧な構造把握は、この指揮者が、作曲者が曲に込めた理念を、十全に理解していたからこそ可能になったと思われる。チェリビダッケの恐るべき楽譜読解力、それを表現する術の完璧さに圧倒される。計算され尽くしているにもかかわらず、あざとい感じを受けないのは、その理念の把握があまりにも素晴らしいからだろう。流麗さや情念に依存しない、理念把握の勝利がここにはある。その意味では、カラヤンやフルトヴェングラーの上を行く演奏。
4 people agree with this review 2009/08/14
この盤に収録されている「悲愴」は、今まで聴いたどの「悲愴」よりも、のめり込んで聴くことができた。細心さと大胆さ、計画性と即興性が見事に両立している。いや、彼の中では、はじめから計画性などないのかもしれない。「荘子」の「包丁、文恵君のために牛を解く」のエピソードと同じで、天衣無縫さのゆえにそのように聴こえるだけかなのもしれない。これを聴くと、1960年のチェリビダッケ/RAIの超名演さえ人工的に聞こえる。人類が、頭とハートを分離させずに音楽を奏でていた最後の記録。1937年のアムステルダム・コセンルトヘボウ管弦楽団との演奏に比すれば、客演ということもあり、指揮者の意図は徹底されていないかもしれない。しかし、逆説的なことに、その故に指揮者の意図がよりいっそう浮かび上がる。音にならない余剰部分が、暗示的に押し寄せてくる。世紀の名演とはこのことだろう。音楽の本質を見失ってしまった現代に、本当に生々しい演奏とはどういうものなのかを突きつける演奏といえる。気になる音質だが、おそらくアセテート録音と思われる。変にいじくっていないという点で、今風の最新録音よりも生々しいと言える。特に、チェロ、コントラバスセクションの生々しさは特質もの。
4 people agree with this review
Back to Top