『影のない女』全曲 ロイ演出、ティーレマン&ウィーン・フィル、S.グールド、シュヴァネヴィルムス、他(2011 ステレオ)
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村井 翔 | 愛知県 | 不明 | 2012年06月11日
オペラの読み替え演出は可能な限り、その意図を汲んで肯定的に評価しようと考えている人間だが、結論から言えば、このクリストフ・ロイの読み替えだけは全く評価できない。ホフマンスタールの台本には、他ならぬシュトラウス自身が言い出したことだが、冷たく、頭でっかちで、概念の化身のような人物たちに血が通っていないという批判が昔からある。この批判についての当否はひとまずおくとしても、問題は1955年のゾフィエンザールに舞台を移すことによって、演出家の望んだような「血肉の通ったリアルな人間」を出現させることができたかどうかだ。シュヴァネヴィルムスが皇后役を演じるだけでなく、「皇后役を演じようとしている新人歌手レオニー・リザネック」の役も演じるという劇中劇化、メタオペラ化はかえって聴衆と舞台との距離を遠ざけることにならないか。演出家がストーリーの持つイデオロギー(子供を産まないことが倫理的に罪だというようなイデオロギーには、私も賛成しかねる)に問題ありとして、批判的な距離をとろうとしているのなら分かるが、ご本人の公式見解を聞く限りでは、そうではないようだ。第2幕第4場で皇后役の歌手以外、舞台上の録音スタッフが全員子供になるという仕掛けも空回り気味だし、最後をめでたしめでたしの大団円にしたくないという演出家の気持ちは分かるが(この舞台では乳母役がまだ舞台上にいるので、それが可能になる)、そのために払った犠牲が大きすぎる。ゾフィエンザール内部の再現にはそれなりに金がかかっているようで、経費節減のためという批判はあたらないかもしれないが、最後まで腑に落ちない舞台だった。歌手陣とティーレマン指揮のウィーン・フィルは上々の出来だったから、絵のないCDで出せば良かったのに。7人の方が、このレビューに「共感」しています。
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