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マーラー(1860-1911)

Blu-spec CD 2 【中古:盤質AB】 交響曲第6番『悲劇的』 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ

【中古:盤質AB】 交響曲第6番『悲劇的』 テオドール・クルレンツィス&ムジカエテルナ

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  • ★★★★★ 

    saitaman  |  埼玉県  |  不明  |  2022年10月23日

    悲愴はだいぶ変わった演奏で、あれはあれで個人的にはだいぶ面白かった。それに比べれば、こちらは作品自体が元々幅のある演奏が行われる傾向があるのでそこまで変わっているわけではなく、普通に向かい合える範囲ではあるものの、やはり十分な個性を持っており、大げさで表現が起伏に富んでいて非常に面白い。今やマーラーもおびただしい数の録音があり、オーケストラの演奏水準の向上が加わって、素晴らしい演奏はいくつもあるが、この曲に関してはこの演奏は普通に推せる名演である。

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  • ★★★★★ 

    Ichirokagawa  |  香川県  |  不明  |  2022年01月17日

    いくら指揮者に才能があっても、演奏するオケが指揮者の考える音楽を具現化できなければ意味がない。そういう意味で、クルレンツィスはムジカエテルナというオケをつかって、クルレンツィス自身が考えるマーラーの6番を作り上げた。作品の解釈は勿論、サウンドの充実を含めて、理想的な演奏が出来上がった。その完成度は、メンゲルベルクのコンセルトヘボウが匹敵するのみであろう。ただし、メンゲルベルクのマーラーの6番は聴いたことがないので、演奏の完璧さという意味である。

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  • ★★★★★ 

    kam  |  大阪府  |  不明  |  2021年02月27日

    話題の指揮者ですが大好きです。6番は退屈な曲のような気がしていましたが、解釈によったんだなぁと感心しました。緩急がいいのでしょうか、聞いていて飽きないし、サウンドも大変クリアです。その辺はYoutubeの紹介動画で聞いてもらえば合う人は一発で合うと思います。

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  • ★★★★☆ 

    DI  |  東京都  |  不明  |  2020年07月19日

    随分新しい取り組みに満ちた演奏でいろいろ想像もしなかった響きにあふれた素晴らしい演奏でした。とっても良かった。 ところで。HMVで購入するとしばしは請求金額を間違えていて、クレームしても全く音沙汰ないということがおこります。こういう仕事はいかがなものかと思います。この会社の請求書はしっかりと見ないと危ないですよ。

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  • ★★★★★ 

    村井 翔  |  愛知県  |  不明  |  2019年02月26日

    ナマを聴いて、やっぱりこのコンビ「本物」だなという確信が持てた。コパチン姐ちゃんの爆演にも嬉々として付き合う彼らだが、一番凄味を感じたのは、彼ららしい極端なピアニッシモや対位声部の強調はあるものの、曲の造形としては全く崩れのないチャイ4。このマーラーも曲頭の低弦のスタッカートなど、目立つところにはしっかり「刻印」を付けてはいるが、全体としては至極まともな正攻法アプローチ。6番はある意味では「古典的」にがっちりと構成されてはいるとしても、やはり相当に「異形な」交響曲で60年代までの特にライヴでは形の崩れをはっきり示すような爆演が多かった。そこまでやらないスタジオ録音でもバーンスタイン/ニューヨーク・フィルやショルティ/シカゴなどは、きわめてテンションの高い名演だったが、その後はこの曲もオーケストラの通常レパートリーに組み込まれ、演奏もルーティン化していった。クルレンツィスがやろうとしたのは、もう一度スコアと向き合って、譜面の求めているところをちゃんと実行しようという、いわば王道の取り組み。終楽章の第1、第2ハンマー直後の弦楽器の激烈な動きなど、総譜に書いてある通りなのだが、こんなにしっかり弾かせようという指揮者は久しくいなかったのではないかな。その意味では、曲の形は少しも崩れていないのだが、演奏のスピリットとしては、やはり「爆演」だ。

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  • ★★★☆☆ 

    フォアグラ  |  愛知県  |  不明  |  2019年02月26日

    ここのレビューでクルレンツィスの「悲愴」を絶賛した者だが、最近全く聴かなくなりクルレンツィスへの疑問が強くなってきていた。マーラーもレビューはスルーするつもりだったが、星1つはいくらなんでも辛すぎると思い拙文をしたためる。「悲愴」は誰とも似ていない演奏と感じたのだが、このマーラーはシノーポリ/シュトゥットガルトに似ている。その分驚きは随分減ったが面白いことは面白い。ただ、抜群に面白いところとそうでもないところが混在している。先のシノーポリと比べると、シノーポリは夢中で棒を振っており、アンサンブルも崩れる寸前までいく。一方クルレンツィスは徹底的に醒めた目線で作り込んでおり、完成度ははるかに高い。半面、シノーポリの迫真性はクルレンツィスにはない。シノーポリのデフォルメは彼の心の吐露として聴き手の琴線に触れるが、クルレンツィスは面白いからやってみた、という以上の印象は残さず心を揺さぶられることはない。否定ばかりのようだが、それでもここまでスコアを読み説く力は非凡としかいいようがないし、それを認めるのにやぶさかではないのだが、この路線ではいずれ行き詰まるのではないか。そしてゲルギエフのような指揮者になってしまうのでは、と危惧している。

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  • ★☆☆☆☆ 

    にゃん  |  東京都  |  不明  |  2019年01月23日

    だいたい聴く前から察しはついたものの、また退屈の殿堂入りCDが増えただけ。 この曲の最初ってゆっくりめのテンポでやられるとマヌケというかダサく聴こえる のは俺だけだろうか(笑) 近年は誰の演奏も比較的ゆったりめで始まるので辟易するばかり。 このCDもそうだけど、上っ面だけなんだよね表現力が。 宴会のテーブルに残ったビールの泡とでも例えておこうか・・・。 月並みなんだけど、シェルヘンを一回だけでも聴いた耳にはどれもこれも つまらん!! 唯一、テンシュテットのライヴは人を寒からしめる力を録音からも伝えてくる。 音楽に限らず、最近の漫才やコントなんかも「共通項」「規格」にどうやって あてはまろうか?ってところに労力が割かれているように思えるのだ。 くだらん

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  • ★★★★★ 

    OTTO  |  東京都  |  不明  |  2018年12月27日

    実に細部までよく浮きだたせてくれる演奏で、ここでこんな音がなっていたのか!?と驚かせてくれる箇所が随所にあり、それがまたツボをとらえた効果を上げている。目からウロコの一枚である。

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  • ★☆☆☆☆ 

    すーさん  |  新潟県  |  不明  |  2018年12月21日

    おお、やってるねえテオ君。 自分の思ったとおりの音楽をオケにやらせる力は確かに凄い。 しかし、そのやらせる音楽はどうか? 俺には、浅ーく聞こえるね。 なんだか水戸黄門的予定調和と言うのか、大体想像がつく。 普通の流れとちょっと違うことする程度の事してるとしか思えんのだよ。 テオ君は自分がやる事の効果が分かり過ぎてるんだ。 あざとい。 まあ、あらゆる悲愴を聴き尽くしたような高尚なお方から、またお叱り受けるか。 え、お前の悲劇的は何かって? ハイティンク、BPOだよ

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  • ★★☆☆☆ 

    missy  |  千葉県  |  不明  |  2018年12月18日

    前作「悲愴」をこき下ろしたものの、この「悲劇的」は非常に好きな作品で、わずかな期待をかけて購入した。前作ほどのあざとさは感じられないので、それに比べればまだ印象は良い。オケも良く演奏している(良く弾けているアピールがしやすいところをバランス操作している、というのは意地の悪い見方すぎるか)。しかし、この作品の魅力に深く切り込んだ演奏とは言いがたい。 まず、音色のアヤがこの演奏にはあまりない。弦は良いほうだが、木管は割と直線的で、場所ごとの表情を吹き分けられているようには思えないし、金管は安定感はあるがよくよく聞けば凡庸な音色。 また、中でもアゴーギグのつけ方が気になる。後期ロマン派の最たる作品、譜面に書いていないテンポ操作をするなというつもりは全くない。ただこの演奏、アゴーギグそれ自体が目的のようになってしまっていて、ただタイムの伸縮があるだけで、そこには音楽的なエネルギーの推移がいまいち見られない。そのため、歌わせ方なんかも間延びして、チープに聴こえてしまう。 あと、マーラーの管弦楽法としてはもっと管楽器は浮きたっても良いはずなのだが、いまいち不明瞭な箇所が多い。弦楽器のタテも、あえてなのかぼやかしている箇所があるように思う(特に両端楽章)が、この曲の場合は逆効果であろう。リズムの処理の甘さ、ソリッドな厳格さに欠けるのも気になる。意外とあちこち滑っていたりとか、音符の長さの不統一とかがあって、和音及び和声の鮮やかな運び、緊張感が伝わってこないのだ。 バランスとかは面白いと思う個所もないわけではなかったが、やはりそこも理想的に操作できるという点も含めての「録音芸術」を目指したものと思える。不思議とBGMのように聴けてしまうマーラーといった印象だ。このレビューを書くために再聴しているが、もう聴かないかな……。 この曲もライヴが一番、なんて言い方をしては元も子もないのだが、少しでも本番のような緊張感が感じられる演奏を求める方は、少し技術的に足りなくてもライブ録音を買うほうが良いかと思う。スタジオ録音でも、この盤よりも印象の良いものはまだまだあるけれど……。 ちなみに、前のレビュアーの方がおっしゃっている、この作品の三大名盤ってなんだ?一般に広く知られた説ではないと思うが、自分の好みをあたかも有名で多くの支持を得ているかのように断言する姿勢はちょっといただけないかな。惑わされる方がかわいそう。個人の好みでは、とか、評論家の〇〇が言うところでは、と言えば良かろう。

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  • ★★★★★ 

    宗人  |  栃木県  |  不明  |  2018年12月02日

    マーラー交響曲第6番に関して半世紀近く熱心に聴き続けているが、クルレンツェス盤が登場し、本年度の日本レコードアカデミー賞大賞を受賞したが、あまり大袈裟に捉える事もなく当然の成り行きだと想う。この曲を聴く場合、三大名演奏があり、ジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニアO演奏 1986年9月独グモフォン原盤スタジオ録音 93分13秒、ジョン・バルビローリ指揮フィルハーモニアO演奏 1967年8月英EMI原盤スタジオ録音 83分26秒、井上道義指揮 新日本フィルハーモニア管演奏 2000年3月9日オクタビアレコード原盤 86分15秒である。ここに誰の亜流でもない全く新しい主張を持ったクルレンツェス盤が加わり、四天王の一角を形勢するに及んだ事は言を待たないのではないか、クルレンツェスの演奏はそれ程良く考え抜かれている。この4つの演奏に共通している事は、第一楽章の演奏のテンポが非常に遅い事、そして第三楽章にアンダンテ・モデラートを置いている事だ。シノーポリなどはいつ音楽が止まってもおかしくない程極端なほど遅いテンポで4人の中でも1番遅く25分08秒かかっている。トータルでもこの曲最長の93分11秒をかけてあらゆる細部に分析的な拘りを持ち、徹底的に考え抜かれ、シノーポリ盤を聴くに及んでこの曲の新しい発見をする事になる。この曲の極多の情報量とむせび泣かせる圧倒的感動が待ち受けている。この王位を覆させる事は不可能と言ってよい。ところがとても残念な事に長い間、単品としてのリリースは2001年を最後に行われていない、とても褒められない音質の輸入盤の全集としてしかリリースされていない、ユニバーサルに何度、最新最高規格の高音質盤のリイシューの要請電話をかけた事か!カラヤン、バーンスタイン、のリイシューは、毎年恒例の様に行われているのに、もういい加減あきあきした。もう頼みの綱はEsotericの高音質SACDで登場するのを待つ以外ない。ユニバーサルには怒髪天を突く思いである。バルビローリ盤はこの曲の原点として立派すぎるほど規範になる演奏である。テンポはやはり遅く、丹念にバルビローリの情念を音楽化して感銘ぶかさこの上ないほどである。このレコードに関しては、EMI末期にシングルレイヤーのSACD出ており、Amazonやヤフーでは10万円以上のプレミア価格で取引されているが、ワナーがそろそろ重い腰を上げて2019年最新リマスターでシングルレイヤーのSACDの新企画を強く希望している。そうでなくともEsotericが5番に続いて第6番をリリースしてもおかしくない。井上道義盤はこれの一つ前に英国ロイヤルフィルとの録音もあるが、この2000年のライブはライブ特有のノイズも殆どなく、井上道義の更に熟成した音楽性が横溢し、カラヤン盤、アバド 盤を凌ぐ結果をもたらしている。じっくりしたテンポの中活き活きと生き物のように音楽が躍動し、圧倒的感動と爽快感が待ち受けている。同じ日本人として鼻が高い。井上道義氏にはもう一度、BPOかVPOを楽器にしてスタジオ録音を遺して欲しい。切なる望みを抱いているオーディエンスはわたし一人ではあるまい。それがもし無理なら、オクタビアレコードの江崎友淑さんにお願いして、SACD化してもらおう、SACDは従来のCDの6〜7倍の情報量が記録できるのだから。最後にクルレンツェス盤の話になるが、余程優れて合理的な情報処理能力を備えていないと、これほど美事な音楽は構築できない。去年のチャイコフスキーの悲愴は最初から最後まで暗い悲愴感に満たされ、起承転結ができておらずがっかりした。第三楽章は諧謔の筈であるに暗い音楽になってしまっていた。2度と聴きたくないな、そう言う感想であった。この曲が1枚に収録されているところからすれば、バーンスタインのような落ち着きのないぎこちなさが支配的なのではないかと考えていたが、結局期待を良い意味で大きく裏切った歴史に遺る名演奏であった。バルビローリよりも収録時間が1分30秒長いのである。音質も良く第一楽章、第三楽章、第四楽章共、シノーポリ盤の含蓄深さには及ばないが、この曲の絶対と言えるシノーポリ盤と比べるのは酷だろう。音が良く、演奏が良く、お値段も手頃で入手しやすい。ファーストチョイスでいきなり買うのは贅沢過ぎる、そう想わせるほど、一家言ある完成度の高い演奏である。アンダンテ・モデラートが第二楽章にくるサイモン・ラトル創始による盤では、ラトルよりもヤンソンス 指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団2005年8月22日演奏ライブのSACDが1番のお薦めである。これも300種類以上の病的な同曲の収集の上に聴き比べての話である。マーラー中毒者は80年代90年代たくさんいたが、現在になってようやく落ち着いた感がある。クルレンツェス今度はブラームス交響曲第4番、ブルックナー交響曲第8番あたりをいきなり入れてもかなり期待できる気がする。指揮者としての能力は当代随一である。キリル・ペトレンコはいつまで持つか?BPOをクルレンツェスが楽器に使う日もそう遠くない!

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  • ★★★★★ 

    ぴたすみん  |  大阪府  |  不明  |  2018年12月01日

     堂々とした立派な演奏です。知情意バランスのとれた計算された演奏だと思います。この曲に初めて出会う人にもお薦めだと思います。作曲家の七転八倒に寄りすぎるわけでもなく、楽曲の分析に走りすぎるわけでもなく、民謡っぽい歌謡性に流され過ぎるわけでもなく、それでいて全ての要素をかなり高いレベルで統一しています。けれども、今までのオンリーワン感いっぱいのショスタコの14番などに比べると…という感じです。ここまで「衝撃作」ばかりの録音ですが、どんどん競合盤の多い作品に差し掛かり「これでなくては!」というモノではなくなってきています。前のチャイコの6番であれば、「ムラヴィンとかフリッチャイとかオブチニコフとか他にも色々あるよな…」というレベルでしたが、マラ6ともなると優れた競合盤が多すぎて、「別にこれでなくちゃダメだよな…」というところまではいってないと思います。とはいえ、このまま衝撃作狙いで進んでもらって、A・ペッテションの中期以降のシンフォニーをやってくれたらな…なんて思ってしまいます。なんといっても今一番注目されてるクルレンティスですから、もっと注目されるべき有名じゃない人の「衝撃作」をやってほしいな…と思います。

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  • ★★★★★ 

    みのる  |  埼玉県  |  不明  |  2018年11月24日

    出だしのアルマの主題がこれほど切なく魅惑的に奏でられているとは、前年の悲愴とは、また違った衝撃をうけた。

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  • ★★★★★ 

    風信子  |  茨城県  |  不明  |  2018年11月08日

    サウンドはコンドラシン テンポはギーレン 中間楽章の順は旧来のスケルツォが先 ハンマーは二回と曲作りに先進性や革新性はない 取り上げる楽曲によって編成も奏法も千変万化するムジカエテルナとクルレンツィスのマーラーとあって興味津々だった だが王道を往くその生き様に大家への野望が見えている それはある意味平凡でもある わたしはヘルビヒやネーメ・ヤルヴィの第6番にシンパシーを持っている と言ってもこの二人がアンダンテを先にしハンマーを三回打っているわけではない わたしならそうするが一番大切なのはテンポだ これが楽曲のテーマを左右し 延いてはマーラーが抱いていた心象風景すら別ものにしてしまう 期待したのはバロックの精神と奏法でマーラーを鳴らし出すこと マーラーが隠そうとした真影をあぶり出すこと それは時に目を背けたくなるほど辛く悲しい貌かも知れない それを為すクルレンティスを待っても もともと無い物ねだりだったのかも知れない これは本当に美しい演奏だ だがそれでいいのか  

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  • ★★★★★ 

    てつ  |  東京都  |  不明  |  2018年10月28日

    冒頭1小節でノックアウトされた。

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