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マーラー(1860-1911)

CD 【中古:盤質A】 交響曲全集(第1番〜第9番、第10番アダージョ、大地の歌) レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィル、ロンドン響、イスラエル・フィル(12CD)

【中古:盤質A】 交響曲全集(第1番〜第9番、第10番アダージョ、大地の歌) レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィル、ロンドン響、イスラエル・フィル(12CD)

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    yk  |  京都府  |  不明  |  2020年04月27日

    バーンスタインの最初の全集である。録音順で1960年の4番から67年の6番まで、マーラーの初の交響曲全集でもあった。久しぶりに順に聴いてみると、改めてマーラー・ルネッサンスにおいてこの全集が果した役割の大きさを考えさせられる。 私が初めてマーラーに接したのもバーンスタインの第4番だった。現在ならもっと手の込んだ精緻な演奏も可能だと思うが、バーンスタインの演奏はマーラーへの外連味の無い率直な共感に満ちていて、ソレは今聴いても極めて新鮮である。当時、クラシック音楽は曰く言い難いものを”感じる”モノ・・・とでもいう風潮が強く、バーンスタインの演奏は説明的で”感じる”と言う精妙な精神作用から見ると浅薄なものではないか?・・・といった批判的な見方もあった。指揮台で飛び上がることも厭わなかったバーンスタインの指揮は確かに”説明的”な要素があるが、それは音楽の捉え方の問題であって指揮者の(優れた)個性の発露と言うべきもので、決して表現の浅薄・深淵の問題では無いことは明らかである。 この録音が行われたのが初期STEREO録音の定着期であったこともとても興味深い。特に米国での当時のSTEREO録音は、マルチマイク、マルチトラック録音、テープ編集の手法が追求された時代であった。マルチチャンネル録音のミキシング、テープ編集は当然の技術的挑戦(利点)として行われたが、ソレはマーラーの音楽的特徴とも関連して極めて興味深い時代でもあった。 マーラーの伝記に  「マーラー 未来の同時代者」 (K. ブラウコプフ著、酒田健一訳、白水社 1974) という本がある。ドイツ語原書は1969年の刊行なので、年代的にはちょうどバーンスタインが最初のマーラー全集(10番を除く)を完成させた時期であり、続々とマーラー全集が企画・録音されるようになった時期の本である。そういうこともあってか、本書には補遺として「エレクトロニクス時代の音響監督」という一文が添えられている。 その中で、著者はマーラーが如何に演奏会場の空間的・音響的特長にこだわり、明瞭さを求め各演奏会場の特性に合わせて自作の楽譜を煩雑に書き換えていたか・・・について述べた後に、次のように記している。 <スタジオでのレコーディングは、マーラーの音楽をコンサートホールの特殊な音響条件のもたらすさまざまな危険から大幅に開放した。・・・・・・滅亡の危機に瀕する弦と支配権を独占する金管とのあいだのまさに崩れようとするかに見えるバランスは、綿密に計算されたマイクロフォンの配置とミキサーの鋭敏な操作によって支えなおすことができる・・・・・反響する遠い音と明確な近い音とのコントラストをはばむいかなる障害もここにはない・・・・・マーラーの原典版演奏の時代は到来した・・・・・マーラーの音楽が必要とするあの操作された音響空間、すなわちコンサートホールではつねにただ部分的に、しかも多大の犠牲を払ってからくも達成されるあの人工的な明確さを、難なく作り出すからである・・・> この見解は、マーラーのワンポイント・マイク録音が現れ、録音自体がlive録音にシフトしてきた現代から見れば少々楽観的に過ぎる嫌いはあるが、最初の”マーラー全集”の録音が1960年代のSTEREO録音によって行われたことは、マーラーの啓蒙にとっては非常な幸運(且つ必然)であったように私には思われる。バーンスタインのこの”説明的”な録音にはマーラーが苦心惨憺して追求した音響と音楽の心理作用の間にある相互作用が確かに聞き取れるのであって、それは寧ろ現代のコンサートlive一発録音(の安易さ?)では失われ勝ちなものでもある。勿論live録音の利点は認められてしかるべきものだが、そこにある<あるがまま>・<自然さ>を無条件で最善とし、手を加えないことを良しとする方法論が”人工的”で”作為的”なマーラーの近代的意識に対しても最適なものなのかどうかはなお考える余地が大いにある。 その意味でも、このバーンスタインによる最初のマーラー全集は、当時の「マーラー・・・そは何者ぞ?」と言った問いが熱く語られた時代の最も雄弁な証言であり、その意味・意義は今なお全く色あせていないと思う。

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    古き良き時代  |  大阪府  |  不明  |  2020年02月14日

    DG盤を採るのかSONY盤を採るのかは趣味の問題です。 素人の私は月並みなようですが、録音などの総合点で前者を採りたいですが、若々しいSONY盤も捨てたものではありません。 SONY時代の。いい意味での「スタンドプレー」「いいかっこ」丸出しのバーンスタインの熱演はある意味で聴いていて爽快です。

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