坂の上の雲 4

司馬遼太郎

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784163229102
ISBN 10 : 4163229108
フォーマット
出版社
発行年月
2004年05月
日本
追加情報
:
20cm,509p

内容詳細

旅順の要塞との死闘はつづいていた。要害に対し正面攻撃に固執する乃木軍は、兵士たちを死地へと追いやりつづけた。兵力が衰えるなか、攻撃の主目標を二〇三高地に限定せよとの声が高まる。

【著者紹介】
司馬遼太郎 : 大正12(1923)年、大阪市生れ。大阪外国語学校(現・大阪外語大)蒙古語科卒業。昭和35年、「梟の城」で直木賞受賞。41年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞。47年、吉川英治文学賞受賞。51年、日本芸術院恩賜賞受賞。56年、日本芸術院会員。57年、「ひとびとの跫音」で読売文学賞受賞。59年、新潮日本文学大賞学芸部門賞受賞。62年、「ロシアについて」で読売文学賞受賞。63年、「韃靼疾風録」で大仏次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。5年、文化勲章受章。8(1996)年2月12日逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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読書メーターレビュー

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  • mitei さん

    旅順攻略がいよいよ本格化してきた。坂の上の雲で乃木大将のイメージが悪かったのが可哀想だった。乃木大将はその後あの昭和天皇の養育者としても立派に努めを果たされ、明治天皇の後を追われて殉死と日露戦争の戦死者を弔われてやはり立派な人であることには変わりないと思った。

  • 旅するランナー さん

    日露戦争真っ只中。旅順は単に地名や言葉というものを超えて明治日本の存亡にかかわる運命的な語感と内容を持つようになった。旅順攻略が遅々として進まず、ズルズル長期戦になる。陸軍乃木司令官・伊地知参謀長の無能無策が幾多の兵士を無駄死にさせる。特に伊地知に対する司馬先生のこき下ろしぶりは容赦ない。そして、いよいよバルチック艦隊が出陣する 。だが、彼らもまだ見ぬ日本軍艦隊への脅威・不安・妄想に支配されていた。児玉源太郎、クロパトキン、ロジェストウェンスキーら、日露両軍幹部たちの心理が細かく描写され、臨場感がすごい。

  • けろりん さん

    新興国家時代の日本人のある種の能力もしくは精神の状態について考察してゆくのが、本槁の主題であり、戦闘描写をするのが目的ではない。としつつも、歴史を綴る上で、著者の筆は、凄絶な闘いの推移と、斃れゆく兵士たちの姿を克明に描き出す。明治の庶民が、身命を国家に捧げる意志を如何にして持ち得たか。近代の国家間紛争を、手探りする政府首脳の舵取り。采配が甚大な被害をもたらす現地指揮官の功罪。 凄まじい犠牲を払う戦争を通して、当時の人は何を見たのか、また、現代の我々は何を学ぶのか。火を噴き、血涙滴るような筆致に時を忘れる。

  • しーふぉ さん

    ついに旅順も落ち。黒溝台の戦いでは旧桑名藩の立見尚文が第8師団を率いて戦場へ。露の内部抗争が日本にとっては勝因か。

  • geshi さん

    二〇三高地の戦いから黒溝台の戦いまでを描いた四巻目。参謀が愚かで一つの考えに固執すると、兵達が無駄に血を流すことになるということを痛烈に批判している。近代要塞にただ正面から突っ込む作戦を繰り返し無為な犠牲者を出した伊地知幸介と、それを許してしまった乃木希典。そして、その遠因を作った陸軍大本営の精神論の愚。不作為の積み重ねが膨大な死者という結果を生む、あんまりにもあんまりな戦争の真実。

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人物・団体紹介

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司馬遼太郎

1923(大正12)年、大阪に生まれ、大阪外語大学蒙古語学科を卒業。1959(昭和34)年『梟の城』により第42回直木賞を受賞。67年『殉死』により第9回毎日芸術賞、76年『空海の風景』など一連の歴史小説により第32回芸術院恩賜賞、82年『ひとびとの跫音』により第33回読売文学賞、83年「歴史小説の

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