来日ライ・クーダー大特集

2009年10月7日 (水)


来日迫るライ・クーダー大特集です。
来日迫るライ・クーダー大特集です。






 11月4日(水)からの来日公演を前に、10月21日には、『The Long Riders』、『Paris Texas』、『Crossroads』といったライが手掛けた人気サントラ作品に、『Borderline』、『The Slide Area』、『Get Rhythm』と、80年代の作品計6タイトルが、最新リマスターを施された限定紙ジャケット仕様盤で登場。フォーク、ブルース、トラッドのみならず、テックス・メックス、ハワイアン、カリプソ、沖縄音楽等に積極的にアプローチしたライの音楽性がさらに熟してきた頃の作品群だけに、ファンならずとも注目したい。



Borderline    80年作品。R&B志向が色濃く反映されつつも、メキシコ、沖縄等様々な文化が交錯する雑多感たっぷりの音宇宙。
The Long Riders    80年作品。ライ独特の演奏が映画全編にフィーチャーされた、落日の西部を綴った青春の群像を彩るサウンドトラック。
The Slide Area    82年作品。ボトルネック・マスター、ライ・クーダー健在。熱いスライド・ギター・プレイが詰め込まれた力作。


Paris Texas    84年作品。ヴィム・ヴェンダース監督、サム・シェパード脚本のパルムドール受賞作。ライの映画仕事史上最も寡黙で饒舌。
Crossroads    86年作品。デルタ・ブルースの帝王ロバート・ジョンソンを題材にした映画のサントラ。ライのブルース色濃いスライドに舌鼓。
Jump Back The Best of The Rolling Stones    87年作品。ロカビリー、ブルース、テックス・メックス、沖縄・・・この時点でのライのキャリアを全て凝縮したかのような1枚。







Anthology: The UFO Has Landed    70年のソロ・デビュー作から、昨年リリースされた『I, Flathead』、さらには、完全未発表曲となる「Let's Work Together」までライのキャリアをほぼ網羅できる全34曲を収録。監修は息子ヨアキム・クーダー。
 
その他の編集盤
 ライの音楽遍歴を知れる編集盤としては、ヨーロッパ編集の『River Rescue』が、現在比較的容易に入手できるものの中では昔から有名。ソロ・デビューから『Get Rhythm』までの楽曲を網羅し、さらに、アルバム未収録の「River Come Down(Pka Bamboo)」を収録しているため人気が高い。また、80年代以降仕事量の多くなるライの映画用スコアに焦点をあてた『Music by Ry Cooder』も、2枚組50曲入りというヴォリュームで、ライの映画サイドの入門編として重宝されている。







 例えば、『Chicken Skin Music』や『Buena Vista Social Club』などを聴いてライ・クーダーのファンになり、その関連作品群を遡る作業に入った際にまず驚かされるのが、ライのセッション・マンとして参加した作品の量の多さ。元々、フォーク・ファンだった両親の影響でウディ・ガスリージョシュ・ホワイトなどのレコードを聴きながら、独学でギターを習得したライは、10代半ばの60年代にはすでに、LAのセッション・ギタリストとして、ジャッキー・デシャノンキャプテン・ビーフハートの作品のバックに参加していました。それと前後した60年代半ばには、ボストンのフォーク・シーンからやってきたタジ・マハール、オクラホマ出身のネイティヴ・アメリカンの血を引くジェシ・エド・デイヴィスと出会い、ライジング・サンズを結成。結局、CBSからのアルバムはお蔵入り(92年にめでたく蔵出し)にはなったものの、このバンド経験により、ブルース・ベースのロックの”いろは”をはじめ、様々なスタイルの音楽ノウハウを身に付けることができたと言ってもよいでしょう。その後もヴァン・ダイク・パークスデイル・ホーキンズ、そして、ジャック・ニッチェフィル・スペクター門下生)の手引きによるミック・ジャガー主演『Performance』等サントラ盤への参加、さらには、この当時のライの名前を一躍有名にしたローリング・ストーンズ『Let It Bleed』ニール・ヤング『Neil Young』といった著名作品への参加により、ソロ・デビュー前にも関わらず、”ボトルネック・ギター/マンドリンの名バイ・プレイヤー”といったような職人的な地位をミュージシャンズ・サークルの中で築き上げ、その名を確実に広め始めていきました。

フラーコ・ヒメネス(左)とライ・クーダー(右)
 70年にセルフ・タイトル・アルバムでソロ・デビューを果たしたライは、その後もペースを落とすことなく、より積極的にセッションの場に参加することとなります。先述のヴァン・ダイク、アーロ・ガスリーランディ・ニューマンといったバーバンク・ファミリーの作品をはじめ、クレイジー・ホースリトル・フィートリタ・クーリッジドゥービー・ブラザーズフィル・オクスデヴィッド・ブルーノーマン・グリーンバウムジョン・セバスチャン、盟友タジ・マハール等々・・・枚挙に暇はありませんが、「ルーツに根差したアメリカン・ロックの名盤の影にライ・クーダーあり」といったような声も上がるほど、70年代半ばまでは、ロック・シーンを中心に数え切れないほどのセッションに参加し、スライド・ギター、マンドリンでシュアなプレイを披露。ブルース、トラディショナルを多く取り上げた自身のアルバム制作と、並行して参加したこうした一連のセッションで、ライは多くのミュージシャンたちと「アメリカのルーツを紐解く旅」の面白さを共有したに違いありません。70年代半ばに差し掛かると、ライの音楽性は、1枚のレコードとの出逢いにより劇的な広がりを迎えることとなります。夫人のスーザン・タイトルマンがハワイ旅行のお土産に買ってきた、アタ・アイザックギャビー・パヒヌイのレコード『Tow Slack Key Guitars』です。このレコードに針を落としたライは大きなショックを受け、早急にギャビーに連絡を取り、74年の夏にハワイはオアフ島に渡り『Gabby Pahinui Hawaiian Band』というレコードを一緒に吹き込んだのでした。ハワイの伝統音楽を再演したこの好セッションで、ライは、ギターとマンドリンの他に南米コロンビアの弦楽器(形はウクレレに酷似)ティプレを演奏しています。現在のライの音楽スタイルに繋がる出発点をこのアルバムに見る向きは非常に多く、この1枚がなければ『Paradise And Lunch』も『Chicken Skin Music』も生まれなかったと言っても決っして大袈裟ではないでしょう。またライは、ギャビーとの交流と前後して、メキシコのボーダー・ミュージック(国と国との国境周辺で生まれた、複数文化が混ざり合う音楽)、テックス・メックスにも興味を示し、このスタイルを代表するアコーディオン奏者フラーコ・ヒメネスとの親交もこの頃から始まりました。80年には、フラーコの『Flaco's Amigos』に4曲で参加。88年には、そのフラーコ、さらには、ヴァン・ダイク、ジム・ケルトナーと共に来日公演を行い、92年、フラーコの初メジャー・アルバム『Partners』では、その祝福と言わんばかりにギター&ヴォーカルで素晴らしいサポート役を務め上げました。

 ヴァン・モリソンエリック・クラプトンTボーン・バーネット等の作品で相変わらず巧みなギター・プレイを聴かせる一方で、70年代後半から80年代にかけては、”垣根のない”音楽性の裾野をさらに広げていきます。ちょうどその頃、旧友デヴィッド・リンドレー(79年には共に来日)が沖縄音楽に惹かれていたこともあり、沖縄音階のみならず、沖縄独特の”チャンプルー”という文化概念そのものにも興味を示したライは、喜納昌吉&チャンプルーズ『Blood Line』に参加。その後も『Get Rhythm』では「Goin' Back To Okinawa」という楽曲を発表したり、94年には、チャンプルーズと北米ツアーに回ったりと現在に至るまで深い親交を続けています。それら異文化圏コミュニティとの交流で熟成されていった音楽性は、80年から始まった映画音楽制作にも違和感なく反映されることとなります。78年の『Jazz』にいたく感銘を受けた映画監督のウォルター・ヒルの強引な説得により当初しぶしぶ引き受けた(?)という『The Long Riders』では、自らのギターに松居和(Kazu Matsui Project)の尺八を絡ませたり、2年後の『Border』では、フラーコ・ヒメネスのアコーディオンやフレディ・フェンダーのヴォーカルを効果的に導入したりと、ライでしかなし得なかった”異文化交流音”の登用が見事に功を奏した結果を招き、自らも映画音楽家としての(一部顔としての)キャリアを軌道に乗せていくことになります。

マヌエル・ガルバン(左)とライ・クーダー(右)
 90年代に入り、インド、アフリカへの旅路の成果が、本来ライのキャリアとは縁遠い”グラミー賞受賞”というカタチで何とか結実したものの、どことなく散漫な印象を持たせるこの頃の映画音楽の仕事、さらには、79年『Bop Till You Drop』以来自己のソロ・アルバムが長らく制作されない(共演作品はあり)というこもあって、往年のファンにとって、ライ・クーダーという名前は、一部セッションのクレジットを除き、もはや過去のものとなってしまいそうなほどその輝きを失いつつありました。ところが、現在に至る、ワールド・ミュージック(ナショナル・フォーク・ミュージック)の現役伝道師としての形容、そしてその健在ぶりを決定付ける1枚のアルバムが97年にリリースされました。『Buena Vista Social Club』がそれです。エリアデス・オチョアコンパイ・セグンドといったキューバの老快ミュージシャンを中心とした現地でのジャム・セッションは、マンネリ化していたところへの一発奮起というよりは、ライ自身が本当に生活に密着した”生きた”音楽に出会えたことへの喜びを純粋に爆発させているものとして感動を呼び、「私がこれまでに体験したセッションの中で最高のもの」と振り返る、本人にとってもファンにとっても唯一無二の作品となったことはご存知のとおり。95年に、ライがたまたまキューバを旅行で訪れた際に出会った、この”絶景”。スペインの旋律、アフリカのリズム、アメリカのジャズ・・・異文化圏の様々な音楽要素が絡まり合ったところで生成されたキューバ音楽にライが惹かれるのはむしろ自然。出会うべくして出会ったライとキューバの至宝たちとの密月は、その後のイブラヒム・フェレールのアルバムや自身の2003年のソロ作『Mambo Sinuendo』(マヌエル・ガルバンとの共作)等でも交わされ、魅惑のハバナ・エキゾチカを振り撒きます。00年代は、ライにとって、これまでの異文化交遊録をさらに飛躍させた年になる・・・と思いきや、逆に、その交遊録を生かしつつも、ソロ・キャリア初期のような純粋なアメリカン・ルーツへの探訪を再度試みる、そんな10年になったと捉えることもできそうです。所謂カリフォルニア3部作となる『Chavez Ravine』、『My Name Is Buddy』、『I, Flathead』では、フラーコ・ヒメネスチューチョ・バルデス、ジェイムス・ブラ・パヒヌイ(ギャビー・パヒヌイの息子)、デヴィッド・ヒダルゴらによるエキゾチックなエキスが注入されながらも、しっかりと自己のルーツと対峙するライの姿が聴いてとれるでしょう。

 キャリア40年で大きなシングル・ヒットはなく、商業的成功とはほぼ無縁と言えそうなライですが、同時に、カテゴライズやそこに派生するチャート至上という半ば下世話な音楽ジャーナリズムとも無縁なところで、純粋無垢に様々な国の音楽を心から楽しむライの屈託のない笑顔。一方でアメリカン・ミュージックの求道者と崇め奉られるいかめしいパブリック・イメージとはよそに、その笑顔や、”音楽バカ一代”ぶりがひしひしと伝わってくる彼のギター・プレイに多くの音楽ファンは惹かれ、救われているのではないでしょうか。11月にはここ日本の地で、その子供のようなライの笑顔からたくさんの多幸感を味わいたいものです。









 ライジング・サンズでの活動、砂の数ほどのセッション参加等で、デビュー前の時点で、ミュージシャン界隈ではすでに職人肌のギタリストとして名の通っていたライ・クーダー。1970年のソロ・デビュー・アルバムでは、この当時他の追随を許さない「アメリカ民謡、そのルーツ探求」の真摯で情熱的な姿勢を早くも伺わせている。2008年の最新アルバム『I, Flathead』までその姿勢は、完全脱帽に値するほど一貫し変わらず。シングル・ヒットこそないものの、40年にも渡り一流の音楽人として人々の記憶にインプットされ続けるライ・クーダー。その理由が、ここに挙げられた作品のそこかしこに潜んでいる。


Ry Cooder    70年作品。ライの堂々たるデビュー・アルバム。アメリカン・ミュージックのルーツ探求への長い旅がこの1枚から始まる。
Into The Purple Valley: 紫の峡谷    71年作品。ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズの作品を下敷きに、米国フォークの伝統に根差し、新しい光を当てた名作。
Boomer's Story: 流れ者の物語    71年作品。米南部音楽の最深部を求めて、シンプルでダウン・トゥ・アースな感覚を”放浪男の旅物語”と題して描く。


Paradise And Lunch    74年作品。ボーダー・ミュージック接触前夜の興奮を凝縮。軽快なスウィング感とゴスペル色を交えた1枚。
Chicken Skin Music    76年作品。ハワイアンのギャビー・パヒヌイ、テックス・メックスのフラーコ・ヒメネスらとの出会いが生んだ傑作。
Show Time    77年作品。76年12月、シスコのグレイト・アメリカン・ミュージック・ホールでの演奏を収めた、初のライヴ盤。


Jazz 
Jazz    78年作品。ジャズとその誕生に関わる文化背景、周辺音楽の豊潤さ、全てを凝縮させたライ式のジャズ解剖・考察学。
Bop Till You Drop    79年作品。R&B/ソウルに接近した、ライにとって初の全米チャート制覇作。チャカ・カーンがゲスト参加。
Meeting by the River    93年作品。インドのモウハン・ビーナ奏者V・H・ブハットとの即興ブルース・セッション。ライのボトルネックも人懐っこく絡む。


Talking Timbuktu    94年作品。マリのアリ・ファルカ・トゥーレとのコラボ作。ゲイトマウス・ブラウンらが参加しリラックスしたセッションを展開。
Buena Vista Social Club    97年作品。ライとキューバのベテラン・ミュージシャンとの出会い。ヴィム・ヴェンダースによる映像版も日本で公開され大ブームに。
Mambo Sinuendo    03年作品。ブエナ・ビスタの親朋マヌエル・ガルバン、カチャイート・ロペスらが参加した歓びのラテン・スウィング集。


Chavez Ravine    05年作品。LAのチカーノ・コミュニティに捧げられた15のオマージュ。ライは4曲で久々にリード・ヴォーカルをとっている。
My Name Is Buddy    07年作品。放浪の赤猫バディの物語。音楽で記された17章の人生の物語。伝説のバンジョー・プレイヤー、マイク&ピート・シーガー兄弟参加。
I, Flathead    08年作品。カリフォルニア3部作最終章。ライ書き下ろしの中編小説の架空のミュージシャンとそのバンドの物語。









Streets Of Fire    84年作品。ウォルター・ヒル監督の代表作映画。劇中のスコア以外は「Hold That Snake」のみを制作。
Border / Alamo Bay    82/85年作品。『Border』と『Alamo bay』の2in1盤。後者では、松居和の尺八、喜多嶋修の琴を使用し東洋的に迫る。
Blue City    86年作品。冒頭から、パワー・ポップ全盛期だったこの時代ならではのワイルドなライの歌唱を楽しめる。


Trespass    92年作品。ライとジム・ケルトナーと共に作り上げたスリリングな世界。旧知のヴァン・ダイク、リンドレーも参加。
Last Man Standing    96年作品。本来はエルマー・バーンスタインによるオーケストラ・スコアが採用されるはずだったが、急遽ライのスコアに差し替えられた。
The End Of Violence    97年作品。ジョン・ハッセル(tp)、ジャッキー・テラソン(p)、さらにはクラブ系のハウィ・Bといった気鋭を躊躇なく登用。


Primary Colors    98年作品。当時全米で話題となったビル・クリントンの不倫騒動を題材としたコメディのサントラ。
My Blueberry Nights    07年作品。ノラ・ジョーンズ主演のウォン・カーワイ監督初の英語作品。ライは映画全編のスコア以外に3曲のインストを提供。