ジム・オルーク インタビュー

2009年10月8日 (木)

interview

Jim O'Rourke

ジム・オルーク公開インタヴュー

2009年9月18日 HMV渋谷店にて 
聞き手:村尾泰郎


---  今回のアルバムですが、全体で約38分で一曲、そして、すべてジムさんが楽器をプレイしているということなんですが、どういったコンセプト、アイデアからスタートしたんですか?

「最初の考えは、3年前ですから覚えていないけれど、今回は状況が違いますから、昔、レコードを作った時、シカゴに住んでた時は自分のスタジオがあって、いろんなバンド友だちがいて、ほとんどなんでもできた。 でも、今回はそういうスタジオがなかったので、どうしようかと考えた。ほとんど8年間、自分の音楽を作らなかったので少し忘れちゃった。別の人とものを作るのは別の立場で作るので、自分のものを作るとなると、「この人は誰ですか?」と(笑)。半分はコンセプトで、半分は状況的に仕方がなかった。でも、一曲で自分ひとりでというのは最初から決めてました。でも多分、コンセプトじゃないと思う。チャレンジと思いました。できるかどうか分らなかったので」

---ちなみにこのアルバムは、『バッド・タイミング』と関連性があるとインフォメーションがあったんですけど、それは最初の方から考えていたことではなくて、作っているうちにそうなってきたんですか?

「昔、『バッド・タイミング』を作った時に、『バッド・タイミング』を批評するレコードを作ろうと思いました。でも、10、20年前のことです。今回、そういうところから始めたかどうかは覚えてないけど(笑)、もちろん、関係がある。でも、文脈としてもっと関係があるという考えを表したかった。音楽として関係があるかどうかは知らない。でも、このレコード(『ザ・ヴィジター』)は少し『バッド・タイミング』の文脈にあるという考えがありました。でも、同じ曲の再解釈じゃない。批評的に関係をずらしました」

---今、あらためて『バッド・タイミング』を見直して、自分の中で批評的に作ったということですか?

「そういう感じです。でも、いつも、自分のものはそういう感じです。わざとかどうか分らない。仕方がない。いつもそういう風に考えます(笑)」

--- 今回のアルバムの制作は、完成までにけっこう時間がかかったんですか? 作り始めたのは3年前なんですよね?

「はい。多分、最初は2年間ぐらい録音して、ミックスはほとんど1年間ぐらい。でも、ミックスのところで、“ああ、あの部分がダメ”ということで、もう一回、録音したりして。けど、譜面は全然書かなかった。記憶は少しスープみたいです(笑)」

--- 譜面は全然書かなかったんですか?

「ええ。ひとりでやったので要らなかった。昔のレコードは、例えばドラムのグレンさんとティムさんに譜面を書いて渡しました。それで“ヘイヘイ、これ!”(笑)って。でも、自分の考えはもちろん分かりますから、譜面にする必要がなった」

--- でも、日本のミュージシャンとかと一緒にやるんじゃなくて、全部、自分でやろうと思ったのはどうしてなんですか?

「私の昔のバンドは今、集められないですから、節目だと思いました。グレンさんは今、有名なドラマーになって、ティムさんは音楽を止めてしまって。ほとんど8年間ぐらい自分の音楽を作らなかったので、もう一回、始めようと思いました。子供の時に、最初に音楽を作ったのはひとりでやったので、そういうところに戻る方がいいと思いました」

--- ある意味、原点に戻るみたいな感じですね。

「はい。もう一回、始める」

--- 今回のレコーディングのプロセスですけど、どういった段階で作っていったんですか?

「最初の部分を録音し、アレンジメントを考えて……。アレンジメントの録音のあとは元の部分が要らないので捨てて、それで立場が変わって、やりながらいつも変わった」

--- 最初のだいたいのイメージというか、40分ぐらいの曲の流れみたいなのはあったんですか?

「でも、目的のイメージがない。答えを全然探さない。答えは次の問いでしょう。目的はそういうものじゃない。目的は知らない場所。あの場所は知ってる。そこには向かわない。あの場所は知らない。だから行こう」

---  あらかじめ頭にあるものを作るんじゃなくて、ないところに向かって手探りで作っていくと。

 「はい。そういう目的じゃない目的がいいと思う。イメージ通りのものを作りたいんじゃないんです。自分の中に“どうして?”という質問、問題があって、そういうところで続けてます。目的が分かっていてなぜ作るのかと思います。道のりが一番大事だと思う。レコードはその道のりのレポートのようなものでしょう」

『Jim O'Rourke』
---今回の道のりは大変でした?

 「大変だった(笑)。トロンボーンができない。それで練習した(笑)」

---トロンボーンも自分で吹いてるんですものね?

  「いや、ひどかった(笑)。隣のおばちゃんが買い物に出かけたら、“今、トロンボーンを録音する”って(笑)。ピアノだけ、別の場所で録音した」

--- 全部、家で? 隣のおばちゃんの目を盗みながら?

  「はい。それで、今回はうるさい演奏ができなかった」

--- そういうこともあって、アコースティックなセットになったんだ。

 「はい。トロンボーンだけはうるさい。ドラムももちろんうるさいけど、今回はすごく静かに演奏しました。でも、トロンボーンは仕方がない。うるさいです。トロンボーンは本当に下手で、練習が必要だった。すぐには録音できなかった。6ヶ月間、練習した。時々、練習スタジオに行ったけど、いつも朝にチェックしました。あ、おばちゃんまだいます。おばちゃんチェック。今でも癖になってます。今は録音してないけど、いつもチェック。おばちゃんチェック」

---「連合赤軍」のサントラの時には押入れに入ってギターを弾いてレコーディングしたとかって聞きましたが。

 「3年前ぐらいに録音しました。あの時は半分は練習スタジオで録音して、半分はニューヨークで録音したので、そういう問題がなかった」

--- 今回も、録音にいろいろ工夫したりしたんですか?

「もちろん、若松監督の映画の音楽は私が作ったけど、私の音楽じゃない。でも、私の音楽はいつ考えが浮かぶか全然分からない。もしスタジオのスケジュールがあると、録音のアイデアが浮かぶかどうか分からない。自分の部屋だといつでも録音ができる」

--- 部屋にはレコーディング機材がたくさん置いてあるんですか?

「少しだけ」

--- 今回のアルバムは80%か90%ぐらい家で録音したんですか?

「99.9%ぐらい。ピアノだけ、練習スタジオで録音しました」

--- 今回の曲はすごくシンプルに聞こえるんですけど、よく聞いたら、かなりトラックがいっぱい重なってて、境目が分からないくらいにたくさんの音がミックスされてますね。

「はい、はい。ドラムが20とかチェロが20とか、そういう感じを表したくない。有機的に、全部の楽器がひとつのものになる方がいいと思いました。それで1年間ぐらいかけてミックスをやった。ミックスは難しかった。“ああ、難しい音楽”という感じが嫌い。このレコードは多分、私の人生で一番難しかった。でも、それはこのレコードの考えじゃない。いろいろなものが入ってるけど、どうやって表現できるか、それもチャレンジと思いました」

--- パッと聞いたらすごくやさしいんだけど、中身はすごく濃いというか、そういうものを作りたいというか、そういうものになっちゃうんですかね?

「私はあまり作りたいという考えがない。作りたくない。それはもっと面白いと思う」

---今回、実際にはどのくらいのトラック数を使ったんですか?

「一分の間に4トラック、100トラック、8トラックと、どんどん変わってます。ほとんど休みなく。最初の一分のあとは10秒、20秒ごとに変わる。最後まで。でも、あまりそうは聞こえないと思う。それで1年間ミックスをやった(笑)。多分、ミックスの8ヶ月間はそういう問題に取り組んでいました。昔の音楽、例えば10CCとかは変わることが目立ってる。もちろん、私は大好き。けど、今回はそういうものを作りたくなかった。そういうことをやるけど、あまりそうは聞こえないものをどうやって作ろうかと思いました。チャレンジと思いました」

profile

1969年シカゴ生まれ。10代後半にデレク・ベイリーと出会い、ギターの即興演奏を本格的に始める。その後、実験的要素の強い自身の作品を発表、またジョン・フェイフィの作品をプロデュースする一方でガスター・デル・ソルやウィルコなど多数のプロジェクトに参加。99年にはフォークやミニマル音楽などをミックスしたソロ・アルバム『ユリイカ』を発表。近年ではソニック・ユースのメンバーとしても活動し、より広範な支持を得る。日本文化への造詣も深い。(CDジャーナル データベースより)