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菊地成孔 ロング・インタビュー【第5回】

Friday, June 20th 2008

菊地成孔



音楽家/文筆家/音楽講師。
スクエアという言葉からはあまりにもかけ離れた
驚異的な視点と感性。
弁舌逞しい軽妙な語り口で、
縦横広大なスペースを緩急自在に駆ける、
菊地成孔。

最新プロジェクト=ダブ・セクステットのアルバム。
そして、2冊の著作『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスV世研究』、
『服は何故音楽を必要とするのか?』。
3つの最近クリエイションをメインにしながら
テーマは、ざっくりと「音楽とファッション」。

メゾンとジャズメン、
ダンスフロアにおけるファッション、
コレクションとヒップホップ・・・

カジュアル・ダウンすることを
”ショーマンシップ”の怠惰と捉えるならば
そこに対して無知であることは
半ば罪であることを意味する?

音は服につれ
服は音につれ


第5回です。


   
今、ブラック・ミュージシャンが
こぞってスーツ回帰してるのは、
彼らが社会的に上がってきて、
お金持つようになったからで、
ビバップの時代と何にも変わらないんですよ。



菊地  パリコレがブラック・ミュージックを流すかどうかということと、この反対側にある、ブラック・ミュージックの人がパリ・モードを着るかっていうのが、今・・・今って言うか、本当に今期とかに焦点になるんじゃないかっていう。カニエ・ウエストは、去年から全部パリコレに来てるからね(笑)。


--- カニエの動向については、『服は何故〜』の中でも書かれていましたよね。


菊地  そう。全部来てて。まぁ、遊びに来てるわけないですよ。ビジネス視察ですよね。色々なカルチャー的な動きがあると。


   ヒップホップのウェアは、生まれた時からダボダボの服でしょ?もしくは、オールドスクーラーだったら、スポーツウェアだよね。そこにやがて、バカげたほどでっかいメダルとかが付き始めるんだけど(笑)。あれは、ちょっとイメージをずらせば分かるんだけど、バップのファッションと全く同じだよね。オーバーサイズに、バカげた服飾品っていう。ランDMCと、ビバップの人たちは全く同じ格好しているから。形が違いますけど。でっかいメガネ、変なメガネ(笑)。セロニアス・モンクの指輪なんか、でっかくて弾きづらいでしょっていう(笑)。かえって痛いだろっていうね(笑)。そういう無茶な、攻撃的な、派手なジュエリー、ビジュ(Bijoux=宝石)と、初期のヒップホップの異様にでかい服っていうのは、何にも変わらないですよね。


   服のでかさっていうのは結局、彼らがドラッグによって痩せたり太ったりするから、タイト・サイズだと、太った時に困るっていうさ。オーバーサイズにしておけば、どっちでも着れるっていうね(笑)。あとは、親のお下がりとかね。    逆に言うと、いつの時代でも、お金があって社会の上層にいる人の服は、タイトなんですよ。


--- そういう意味でも、マイルスはタイトだったんですね。


菊地  そう、タイト。で、下層にいる人の服は、全部ルーズなの。だから、ズート・スーツもそうだしね。ジャンプ系のビッグバンドの人も、分かりやすく言うとキャブ・キャロウェイとか。キャブ・キャロウェイのバンドにディジー・ガレスピーがいたんだけど、ガレスピーは多分、ファッションはそこから盗んでますよね。エリントン(デューク・エリントン)なんかは、もう金持っていたから、誂えの燕尾服を着てたでしょ?だから、もっと下の人ね。下っていうのは、もちろん音楽的にってことじゃなくて、所得的にって言ったらアレだけど(笑)、もっと下の娯楽の人たちは、ダボダボで変わった服着てっていう。


   ヒップホップ初期が、今のAPEの服が高いっていうところで繋がっているのと、ズート・スーツが、後のジャズのスーツが高価になっていくっていうのと、全く同じ意味なんですよね。そういう意味では、ブラック・カルチャーには、ずっと一貫した流れがあって。変わった服と、ダボダボの服で、攻撃的に社会の底辺から出て行って、上がっていくと洋服がタイトになっていくっていうね。


   ヒップホップは長らくフードで、デブ(笑)。要するに、いいもの食ってればやせてるんだから(笑)。ジャンク・フードばっかり食うから太るわけでしょ?こんなでっかい、相撲取りみたいなラッパーが着てもおかしくない服を着てきたんだけど(笑)。今じゃもう、ティンバランドもスーツだしね。それこそ、カニエはもうフードに戻らないし、ジェイ・Zだって、着たとしても高いフードだからさ(笑)。ていうか、もう自分たちで作ってるからね。


   今、ブラック・ミュージシャンがこぞってスーツ回帰してるのは、彼らが社会的に上がってきて、お金持つようになったから、高いスーツになっただけで、ビバップの時代と何にも変わらないんですよ。次にまた、ハウスみたいなパンキッシュなブラック・ミュージックが生まれた時に、彼らはまたダボダボな服を着てるはずだし、それがまた絞られていくっていうのは、変わらないと思うのね。


   ブラック・ミュージックの推移で言うと、今の状況っていうのは、R&Bが金になるってなって。でも、P・ファンクみたいな流れで、グラムっぽくなっていくっていうカタチじゃなくて、デューク・エリントンのスーツがよくなってきた時期だとか。まぁ、エリントンは、最初に金融都市であるニューヨークに来て、コットン・クラブで大儲けしたっていう、独り立ちしたみたいなところがあるから、シーンとは関係なかったけど。あるいは、西海岸ジャズなんかが羽振りがよかった頃と状況は似ていて、ブラック・ミュージシャンが自分たちのカルチャーのダボダボ服に、もう飽きたんだよね。


   宝石に関しては、肌が黒ければ黒いほど似合うんだからさ。宝石の台が白いはずないんだから。宝石の台は全部黒でしょ?肌が白い人と黒い人が宝石付けるのでは、全く意味が違いますよね?で、どれだけジュエルが似合うかって、黒人の方が似合うわけよ。今年のVUITTONのジュエル・ラインのモデルは、ファレル・ウィリアムスなんで。でも、ファレルも、N.E.R.Dの新譜はベックみたいで、ものすごくガキなんだよね。だから、大人かガキかっていう問題と、金があるかないかっていう問題と、ドレスがアップしてるのかダウンしてるのかっていう問題が、いったん白紙になったんだよね、21世紀で。


   20世紀までは、そのコンテキストがあったんだけど。子供はこういう服を着る、大人はこういう服を着る、金持ちはこういうスーツ、貧乏人はこうだっていうのが、また全部マッシュされて、何がどうなるのか分からない状況だけど、いちばん下の動きとしては、ブラック・ミュージシャンは地位が上がってきて、逆に、パリコレは下がってきてるんだよね。売れなくなってきてるから。で、市場としてのアジアも下がってきたと。もうこれ以上日本でVUITTONを増やしたって、売り上げは大して変わらないから。これからは、中国と韓国だからね。アジアの市場の中で日本は、もはや市場価値は失い、代わりにオタク・カルチャーを持ってるっていうことで、「トーキョー・クール」って言われて、世界中が大人であることをやめる役に買われててね。「マンガが面白い」とかいってさ。今年のMIUCCIA PRADAの服が、ガンダムみたいだったりとかってしてきたんですよ。


   ボクが見る限り、そういう意味でのカルチャーの動きは、ファッション・ショーと、ブラック・ミュージックとを見てるだけで分かることは、それなりにはありますけど、ロックがどうなってるとかは、全然分からないんで(笑)。エディ・スリマン(ディオール・オムやイヴ・サンローランのディレクターを務めたパリのファッション・デザイナー。)は、ロックだとかって言いますけど。まぁ、スリマンも今いないしね(2007年にディオール・オムの主任デザイナーを辞任)。


   ボクは、東コレ(東京コレクション)に期待しているんですけど。東コレは、音楽とすごく切れてるから。文服あがりの人が、音楽は何でもいいって思ってて、だけど、おしゃれっていうね。東コレが好きでドメスティック・ブランドを着るような人が、音楽と結び付けてくれたりすると、ありがたいなって思いますよね。だから、問いかけとしては、東コレでもいいですよっていうのはありますけどね。ジャズとは言ってるけど。


   東コレの中で「ジャズ度」を感じさせるブランドって、今ないから。でもまぁ、HMVのジャズ担当の人がドメスティックのスーツ着てるわけだから(笑)、行くよね、UNDERCOVERとか。UNDERCOVERのスーツでジャズ・クラブに行って、まぁ、問題ないっていうさ。ブルーノートで、ブランデーとか飲んでて「オッケー」な東コレの服って、ちょっとすぐには出てこないですよね・・・だけど、いくつか出てくるかもしれないって。それは期待してますよね。そのためには、東コレの関係者にボクの音楽を聴いてもらったりとか、そういう流れもなきゃいけないんだけど。


   こういう本書いてると、まずは、褒められるか、貶されるかってことを気にして読んでくれるってこともあり(笑)・・・いくつか読んでくれるからね、コレクション関係の人が。


--- THEATRE PRODUCTSなどは、ジャズとシンクロしたラインをスタートしそうな感じも・・・。


菊地  うん。THEATRE PRODUCTSも可能性高いですよね。ジャズよりは、クラブ・ミュージックに興味がありそうですけど。


--- 毎回、すごいコンセプトがしっかりしていますよね。


菊地  ありますね。逆に言うと、コンセプト過多っていうかね。まず物語があって、服作ってるようなところがあるから。まぁでも、「THEATRE」って言うぐらいだからさ。それでいいと思いますよ。



菊地成孔


 

ファッション・ショーでは、
流れる限りどの音楽も全部、
ウォーキング・ミュージックになるわけで。
環境音楽も、クラシックも。
だけど、今だに主流はハウスですけど。




--- 『服は何故〜』のテーマ自体が、「ファッション・ショーで使われた音楽と、メゾンの服との関係性の考察」でした。ウォーキング・ミュージックというもの自体はそもそも存在せず、ファッション・ショーに使用され初めて、その「存在しない」ジャンルの形容を授かるという。


菊地  ファッション・ショーでは踊らないですからね、人は。ウォーキングするしかないんで。ウォーキングなんだから音楽は何でもいいかと思うと、ダンス・ミュージックが主にかかる場合が多くて。同じ曲がクラブでかかると、皆踊るわけじゃない?だけど、初めてかかったら誰も踊らない・・・それは、ファッション・ショーにおいては、ウォーキング・ミュージックなんだったていうね。


   ファッション・ショーでは、流れる限りどの音楽も全部、ウォーキング・ミュージックになるわけで。環境音楽も、クラシックもウォーキング・ミュージックになるし。だけど、今だに主流は、ハウスですけど。ヒップホップはないんですよ。


--- でもそこに、カニエなりファレルの曲が食い込んでくるのでは?という考察ですよね。


菊地  そうそう。ヒップホップは、第一に言葉が汚いんで。日本人はね、飲み屋でヒップホップ・チャンネルなんかがかかってて、相当ヤバいこと言ってるんだけど(笑)、フツーに酒飲んだりしてるんですよね。あれは、単に英語が解らないからで、パリコレでかかってたら解っちゃいますから。ヤバいじゃないですか。ひとつは、そういった理由でかけられないっていうのがあるんだけど。でも、それはさ、安全なものに書き換えればいいわけじゃない?カニエのリリックなんて、どんどん説教じみてるっていうか、「いい人生を前向きに生きよう」って感じに変わってきてるわけなんだし。


   で、上層部側は、ヒップホップの音楽が流れただけで、野球帽に、フードで、ギラギラって思っちゃうんで、何にしても、イメージ的にはマイナスですよね。だから、同じ黒人がやってる感じでも、ガラージは流れるわけよ。黒人特化じゃないけど、ハウスも流れるっていうね。


   でも、歌詞がキツいって言っても、ロックは流れるんだから。元々お国のものだからさ。ロックの退廃的な歌詞とか、別に平気で流れるんですよ。だから、何かが決壊しちゃえば、ヒップホップはアリになると思うんですよね。


--- ブラック・アイド・ピーズぐらいであれば、かかっていてもよさそうなものですけどね。


菊地  ですよね。ブラック・アイド・ピーズだと、いつかかったっておかしくないよね。ファーギーだったりね。でも、聴いたことないですね。ほんの一瞬、D&Gで、ティンバランドがかかったことがあったんだけど・・・少なくともここ4年間のパリコレでは聴いたことないですね。


   歌が主流じゃない、サウスとか西海岸ものみたいな、リリックやライム中心のものはかかったことないですね。ああいうミニマルなさ、ビート1発で、何人も何人も入れ替わり立ち替わりで、永遠と喋くるっていう(笑)、あれはないですね。言葉汚いし、訛ってるし。


   でも、ああいうのこそが、ボクは合うと思うんですよ。実際、家にあるファッション・ショーの映像と、ヒップホップの音楽で合わせてみて、「合うな」ってやってるんだけど。大学では、それを見せたりしてますからね。DJキャレドとかさ、ゴリゴリのやつ流して、全然合うじゃんって。言葉さえ解んなければ、完璧だよっていう。まぁ、そういう方向にはやがて行くんじゃないかっていうね。ただ、順序としては、やっぱり東海岸からかなっていうところですよね。


   今、Youtubeで見れますけど、N.E.R.Dが、ザック・ポーゼンっていうニューヨーク・コレクションのデザイナーのメゾンのファッション・ショーに出ましたけどね。しかも、新しいアルバム(『Seeing Sounds』)のシングル曲で、VUITTONの宝石のテレビ・コマーシャルに使われていたものが、やっていいのかなって思うんだけど、使われてるの。で、着てるのがAPEなの(笑)。APE着て、ザック・ポーゼンのショーに出てんの。


--- (笑)アリなのでしょうね。


菊地  そこら辺が、どうアリになってるのか、実に興味あるんですけど、調べようがないんで、今はただ映像を見てるだけなんですけど。


   そのショーは、最後のモデル以外全員ウォーキングするんだけど、最後のモデルだけ踊るのよ。黒人で。だから、ファッション・ショーなんだけど、最後ディスコになっちゃうんですよね。それは、すごく面白かった。









In Tokyo

 
4 NARUYOSHI KIKUCHI DUB SEXTET
    『In Tokyo』
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20008年7月の渋谷DUOと、9月の赤坂BLITZのライブから選りすぐりのテイクを収録。菊地成孔、類家心平の火の出るようなアドリブ・ソロの応酬や、ますます冴えわたるパードン木村によるライブ・エフェクト。坪口昌恭、鈴木正人、本田珠也からなるリズム・セクションの強烈なドライブ感など、ライブならではの臨場感を完全パッケージ。スタジオ収録+事後編集というコンピューター内で、クール且つ精緻に制作されたオリジナル盤2作品(『Revolution Will Not Be Computerized』、『Dub Orbits』)を見事に再現した衝撃のライブ・アルバム。



 




記憶喪失学
4 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール 『記憶喪失学』


何名かのメンバー・チェンジを終え、第二期ペペ・トルメント・アスカラールの音楽は、新しいサウンドを響かせ始めた。これまでのジャズ〜ラテン的なラウンジ感は残しつつ、さらに映画音楽、ブラジリアン・ミュージックの隠れた名曲を取り上げるなど、ペペから聴こえてくる音楽は、ポピュラー・ミュージックのあらゆる領域に拡がりをみせる。本作のために委嘱された菊地本人の作品(M-9)、中島ノブユキ(“エテ・パルマアンサンブル”を主催)の作品(M-8)、両者の共作(M-6)では、このアンサンブルが持つ底知れない可能性が楽しめるだろう。ポピュラー・ミュージックという音楽ジャンルが、映画、BGMなどに溜め込んできた名曲を、菊地はこのアンサンブルで、現代音楽を披露するかのように、慎重に取り上げ、古典/ロマン派を取り上げるように意匠を凝らした解釈を施す。



 




Dub Orbits

 
4 NARUYOSHI KIKUCHI DUB SEXTET
    『Dub Orbits』


菊地成孔が初めて挑んだ、2管ハード・バップ+ダブ・エンジニアという編成のグループ=Dub Sextet。60年代マイルス第二期クインテット・サウンドを踏襲し大きな話題を呼んだ、1stアルバム『The Revolution Will Not Be Computerized』に続く、2ndアルバム。ウェイン・ショーターによる名曲「Orbits」のカヴァーをはじめ、よりファンキーでアッパーな楽曲が並ぶ。ダブ・マスター、パードン木村・主動によるブレイクビーツ・チューンもグループ新境地。アートワークには、美術家、グラフィックデザイナー、映像作家、VJ、文筆家等多彩な才能を持つ宇川直宏氏を迎えた大注目の1枚。



 




Revolution Will Not Be Computerized
4 NARUYOSHI KIKUCHI DUB SEXTET
    『The Revolution Will Not Be Computerized』


自身に、新人トランペッター、類家心平を起用した2管に加え、リズムセクションを、クインテット・ライヴ・ダブからのメンバーである坪口昌恭(p)を中心に鈴木正人(b)、本田珠也(ds)で固めた、菊地成孔の新プロジェクト=Dub Sextet。『ESP』、『Miles Smiles』、『Sorceres』、『Nefertiti』というマイルス第二期クインテットのスタジオ4部作を母体としたサウンドにダブの抽象性を垂らし込んだ、アブストラクト且つスタイリッシュで、クールな緊張感も漂う快作。



 




M / D マイルス・デューイ・デイヴィスV世研究

4 『M / D マイルス・デューイ・デイヴィスV世研究』


『東京大学のアルバート・アイラー』でジャズ史を根底から覆した最強タッグ、菊地成孔×大谷能生・両氏のライフワークとも言える、帝王マイルス・デイヴィス論。2004年4月から通算3期に及んだ、東京大学教養学部における講義を書籍化。「モード・ジャズという概念が、服飾や流行現象としてのモードと同じであり、マイルスがそれを端的に体現している」という眼目において、マイルスの全貌を浮き彫りにする、大部800ページのガチンコ帝王論。講義録本編に加え、高村是州氏との鼎談、ケイ赤城氏へのインタビューなど圧倒の内容。







服は何故音楽を必要とするのか?

4 『服は何故音楽を必要とするのか?』


「ウォーキング・ミュージックという存在しないジャンルに召還された音楽達についての考察」。雑誌『Fashion News』の人気連載が、初のパリ・コレクション取材や、ショー音楽監督との対談を加えて書籍化。Kanye Westといったセレブリティ・ヒップホップ・アイコンを引き合いに出しながら、「ウォーキング・ミュージック」という名のもと、メゾン・ショーと音楽の融合乖離に、氏独自の鋭い考察力をすべりこませた注目著作。







サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍

4 『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍』


「僕は生まれてから5年間だけ格闘技を見なかった」。「スペインの宇宙食」、「歌舞伎町のフットボール」に続く第3弾エッセイ集。自ら「聖域」と語る格闘技をテーマに据えた入魂の1冊。5年間の「凍結」を解き、自らの聖域と遂に対峙。「闘う人/闘ってみせる人」という存在に対する信仰の告白。2005年に発刊された著作の待望の文庫化。









ペペ トルメント アスカラール
4 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール 『野生の思考』

 『南米のエリザベス・テイラー』のステージ・アクト用に結成された、バンドネオン、ハープ、弦楽四重楽団にツイン・パーカッションという12人編成のストレンジ・オーケストラ「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」。コンサートのレパートリーを中心に、エキゾチックかつ、過剰にロマンティークな世界感を表現。




Cure Jazz
4 UA × 菊地成孔 『Cure Jazz』

 UA『Sun』に、菊地成孔はSax奏者/ホーン・アレンジとして参加。UAは、菊地成孔『Degustation A Jazz』にヴォーカルで参加。2年の歳月を経てリリースされた2人によるコラボ・アルバム。誰もが知るスタンダード楽曲に加え、両者のケミストリーにより生み出されたオリジナル楽曲をもって、新たなジャズの世界が展開されている。




南米のエリザベス・テーラー
4 菊地成孔 『南米のエリザベス・テーラー』

 危険なまでの官能作品。菊地成孔が、アルゼンチンはブエノスアイレスの土を踏み、抗う事もできずに叩き込まれたであろう、様々な別世界の混沌を「官能」として捉え、氏の言語で放出した魅惑の逸品。カヒミ・カリィ、内田也哉子らをゲストに配し、妄想のタンゴ、ラテン・ジャズ、ポスト・モダンを濃密に搾り出す。

  



Degustation A Jazz Authentique / Bleue
4 菊地成孔 『Degustation A Jazz Authentique / Bleue』

 2004年に発表された、菊地成孔・初のジャズ・リーダー・アルバム『Degustation A Jazz』。本盤は、元々の41曲を30曲にダウンサイジングし、曲間にブランクを多めに設け、さらに曲順を入れ替えたディレクターズ・カット完全版。クインテット・ライブ・ダブによる最新実況録音 (intoxicate vol.11) 部分を追加収録。

 



Franz Kafka's America
4 Date Course Pentagon Royal Garden
    『Franz Kafka's America』


 2007年その8年間の活動に終止符。惜しくもラスト・アルバムとなってしまった、菊地成孔率いるDate Course Pentagon Royal Gardenの3rdアルバム。ジャズ、ファンク、ソウル、アフロ、現代音楽などを融合させた、マッシヴでカオティックな複合ビート。ハードコアでフロア・フィラーな「ダンス初期衝動空間」は唯一無二。




Musical From Chaos 3
4 Date Course Pentagon Royal Garden
    『Musical From Chaos 3 "HOA-KY"』


 クラブ・シーンはもとより、日本の音楽史に輝かしい名前を残したであろうユニット=DCPRGへのレクイエム。DCPRG勃興期から活動を共にする鬼才・映画監督、夏目元による、菊地成孔の内面からDCPRG現象を再構築する迫真の映像作品。もう生で体感することが出来ないであろう新曲を中心に、ライブ映像もたっぷりセレクト。