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HMVインタビュー:Mr.Capone-E

Friday, November 2nd 2007

  インタビュー
  Mr.Capone-e
向かうところ敵無し!チカーノ・ラップ界の人気No.1男、Mr Capone-Eがクラシック・アルバム『Dedicated 2 The Oldies』に続く第2弾をリリース! 今回は現行ウェッサイ&Gスタ・ヒップホップを収録したディスク1と、クラシック・ソウルをふんだんに使ったディスク2の強力2枚組となっており、早くも07年のチカーノ・ラップを代表する1枚との呼び声も高し! そんな『Dedicated 2 The Oldies: Pt.2』の国内盤リリースに伴い、大物Mr Capone-Eへのインタビューが実現しました。 ラッパーになったきっかけや、ニューアルバム制作のエピソードなど伺うことができました。OG魂炸裂のリアルな発言に注目!

Capone-E
  メーン、何だこのシットな曲は!って衝撃を受けた
■俺がずっとやりたかったのはギャングスタラッパーとして最高にシットなラップをしていくことだった


―― 幼い頃はどのような環境で育ったのですか?


たくさんの不良やギャングの中で育ったよ。周りには常にそういう奴らがいて、知らぬ間に自分もそういう環境に促されていったんだ。ストリートに出た11、2歳くらいにはすでに地元のギャングとつるんで、ガンを持ったり、ドラッグを売ったり、クレイジーな問題ばかりを起こしていたね。ドラッグの所持や他の事件で何度も刑務所にも入ったし、とにかくここからが俺のギャングスタライフの始まりだった。


―― 初めて聴いた、もしくは好きになったヒップホップの曲、アーティストを教えてください。


N.W.A.「Fuck Tha Police」、「100 Miles and Runnin」だったね。この曲を聴いた時に「メーン、何だこのシット(最高)な曲は!!」って衝撃を受けて、それからどんどんヒップホップにのめり込んでいったんだ。


―― ラッパーを目指そうとしてはいつ頃のことで、またなぜラッパーになろうと思ったのですか?


若い時はよく仲間達とパーティーをしていたんだけど、俺らはいつも酒で酔っ払って、ドラッグでハイになって、爆音で音楽を楽しんでいたんだ。 俺の昔からのホーミーでラッパーの奴がいて、そいつがある時「お前もやってみろよ!」って俺にマイクを渡したんだ。その時はふざけて適当にライミングして、フロウに乗せただけだった。そのうちに周りの奴らがDJ用に機材を買ったりして、どんどん本格的にヒップホップをやれる環境ができて、俺と他の何人かが次第にラップをやり始めたんだ。 それからはパーティーに行ってラップをするようになって、いろんな奴等に「お前スゲーいいよ。」って言われるようになった。 それでも当時はまだ遊び半分だったけどね。 でもそんな時、俺は有罪になって、1998年から1999年の一年間を刑務所で過ごすことになっちまった。

そこで俺は自分の将来について真剣に考え始めたんだ。俺はこの先どうして行きたいのかって。俺は着実にこれから歳をとっていくが、その中でもっと賢く生きていかないといけないじゃないかって。そして出した答えが「俺がずっとやりたかったのはギャングスタラッパーとして最高にシットなラップをしていくこと」だったって。 それから昔、ホーミーのラッパーが語っていたことを思い出してね。ヤツはラップがどれだけヤツの人生を大きく変え、しかもビジネスにも繋がっていくって事を教えてくれた。 俺は刑務所の狭い部屋でノートにライムを書き始めるようになって、それからはこんな無駄な時間は早く終えて、独り立ちしねーとって必死に考えてたね。 今となっては俺はあのムショでの時間と貴重な言葉をくれたブロに出会えた事はラッキーだったって思ってる。釈放後俺は仲間達とスタジオに行き、そこで「What’s My Name」をレコーディングしたんだ。それが全ての始まりで、俺はMr. Capone-Eとして成功する新しい人生の扉を開けたんだ。一新した俺の人生は素晴らしかったよ。俺のラップを男女問わず最高だと言ってくれ、めちゃくちゃ評判がよかったぜ。考えられるかい?ムショから出た時、俺は仕事もなく、ラップ以外何もなかったんだ。その何もない状態から成功を掴み取ったんだ。アルバムをリリースしてからは金がガッポリ入ってきて、毎日100ドル札がたっぷりポケットに入っている生活だったよ。もう最高だね!



『Last Man Standing』
  01年発表の2nd『Last Man Standing』
■俺らは常に自分達の生まれてきた境遇と戦い続けないといけないんだ


―― 実際にラップを始めたのはいくつの時なんですか?


俺の中で適当にやっていたラップと、真剣に取り組んだラップでは意味が全く違うんだ。たぶんラップを始めたのは15、6歳だけど、でもそれはふざけてやっていたお遊びのラップだよ。俺はそれをラップとは呼びたくねぇ。だから俺が本当の意味でのラップを始めたのは22歳くらいだね。


―― その時に影響を受けたラッパーが居たら教えてください。


これはマジで難しい質問だ。俺は誰か一人に影響されたわけじゃなく、たくさんのラッパーやヒップホップを俺に教えてくれた奴、そしていろいろな環境や出来事に影響されてきたんだ。それぞれが俺と似た境遇にはいたけれど、でもやはり少し違っていて、その中の誰か一人に自分を映し出すことはできない。ただ、例えばN.W.A.のライフスタイルや境遇は俺が生きてきた環境に似ていたから、彼らのスタイルやリリックに共感しやすかった。彼らやその他のギャングスタなハードコア・ラップには自分の感情を移入しやすいんだ。彼らがリリックで表現するリアルなライフは常に自分と重なるんだよ。彼らの語るギャングスタ・ライフは自分自身であり、また敵でもあるんだ。わかるか?俺らは常に自分達の生まれてきた境遇と戦い続けないといけないんだ。そこからいろいろなラップのフレーズを自分の観点から変えて歌ってみたりしたんだ。


―― Hi-Powerというレーベルについて教えてください。


これは俺を筆頭にストリートの仲間達で立ち上げたレーベルだよ。俺らは過酷な人生を共に生きてきた仲間なんだ。例えば、メンバーの一人はムショ生活まで一緒だった。出所後は2人でギャングスタ・ゲームを続けていたが、その過程で出会った沢山のストリートのギャングスタ達が徐々に俺のレーベルに加わり始めた。最初はクレイジーな事ばかりしていたが、みんな真剣にラップをやり始め、そして最終的にビジネスとしてラップをやるという意思の下、活動をする事になったんだ。俺らは常に次のレベルにステップ・アップすることを考えて活動している。トップを狙っているよ。さっきも言ったように俺にとってはラップが全てなんだ。だからいつだって志は高く、プライドを高く持って俺のレーベルを維持しているんだ。


―― 今回USでの配給をKochに移したのはなぜですか?


Kochは良いディストリビューターだったからさ。彼らのビジネススタイルは納得のいくもんだ。ディストリビューターを探す時に、俺はいろいろリサーチしたんだ。Universalに居た時は最悪だった。あいつらは仕事のやり方も知らねー。俺が言う事をまともに聞き入れもしねーで、Hi-Powerに対して何もしてくれやしなかった。奴らは完全に俺らを見くびっていたんだ。ふざけんな、俺はHi-Powerというレーベルを持って、全ての仕事は自分でしてきたんだぜ。仕事の仕方なんてヤツらより知ってんだ!俺がヤツらの仕事ぶりに呆れて、独自で契約を取りにいくって言った時もこんなギャングスタに契約なんてできっこないって目で俺を見ていやがった。その点、Kochは俺とHi-Powerを受け入れる、というよりはむしろ契約を懇願してくれたんだ。それでKochに決めた。Kochと契約が決まった後、急に「もう一度こちらと契約し直してくれ」とか「もっと良い条件を・・・」なんてファックな電話が奴らから来たがもう手遅れだぜ!もったいなかったな、もっとしっかりしてりゃー金儲けさせてやったのに。今の俺にとってKochはベストなディストリビューターだ。




―続く―
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