「驚異のシャフラン」

2007年10月12日 (金)

連載 許光俊の言いたい放題 第125回

「驚異のシャフラン」

 このコラムを見ればわかるように、私がもっぱら聴いているのは、オーケストラ、オペラ、ピアノである。それ以外のジャンルにはほとんど興味がない。そりゃ、一通りの曲目は聴いているけれど、曲にも演奏家にも特別の関心が持てないのである。
 そんな私に、チェロのダニール・シャフランを聴けとしつこく勧めた男がいた。かつてのN響のトップコントラバス奏者、池松宏だ。実は、彼と私は、小学校の同級生なのである。裕福な家庭の子供が多い私立とか、金はなくてもうるさい親が多い国立の学校だったわけではない。ただ家の近くにあったから通っただけという、冬でも半ズボンをはかせるのが特徴という以外は特にどうということもない公立の小学校だった。
 だからこそ、私はある日、池松宏が注目のコントラバス奏者として華々しく売り出されている広告を見て、仰天したのである。しかも、知人たちが「あれはいいですよ」と言う。今でも私は彼などとジャングルジムあたりで遊んだ記憶が残っているので、「あの子供にそんな才能があったのか?」と半信半疑になった。しかし、何と言っても私が嫌い抜いているのがN響である。そんなところで弾いている人間がまともなわけがないとあえて信じて(まあ、これは偏見に過ぎることは私自身わかっているけど)、ことさら連絡を取る気はおきなかった。
 もっとも池松が音楽家志望だったことは知っていた。18歳か19歳のときだったと思うが、久しぶりの同窓会で会った彼は、なんと「指揮者になりたいので桐朋めざして浪人中」だったのである。そして、小澤征爾のブラームスの第1番がいかにすごいかを力説するのだった。以来、当然のごとく私は彼が指揮者になろうとしていると思っていた。その意味でも、池松がコントラバス奏者として脚光を浴びるというのが意外だったのである。
 もう一年くらい前だろうか、そんな彼が、突然連絡してきて、「飲もうぜ」と言う。なんと池松は人もうらやむN響のポストを捨て、ニュージーランドに移住すると言うのだ。
 いよいよニュージーランドに出発するという少し前、20年ぶりに会った池松は、想像以上に落ち着いた大人になっていた。そして、「自分は幸いなことに世界中どこででも仕事を探せる音楽家をしている、だからいろいろな面ですばらしいニュージーランドに移り住むのだ」と言った。
 私は心底、彼がうらやましいと思った。なるほど収入は今より下がるかもしれない。だが、たった一度の人生だ。もっともっと幸せで充実した人生のために、がらりと環境を変えてみる。そんなことができる彼がうらやましいと思った。楽器が他人よりうまければ、ヨーロッパだろうが、北米だろうが、南米だろうが、なんとか仕事を見つけて、好きな町で生きられるはずだ。考えてみれば、これはとてつもないことではないか。すばらしい自由ではないか。それに比べれば、好き放題を言ったり書いたりしている私のほうが、根本においてよほど不自由ではないのか。
 そして、私同様、釣りとチェリビダッケのブルックナーを愛する池松が「絶対気に入るぜ」と言ってしつこく勧めてくれたのがシャフランだったのである。むろん私はそれ以前からこの名前を知らないわけではなかった。だが、チェロは好きな楽器でもないし、まったく聴いていなかったのだ。
 それ以後も、怠惰だったし多忙もあったし、聴かないですませてきた。しかし、今回、「ロシアの伝説」という100枚組の巨大セットの中に、シャフランがたくさん入っていたのだ。そして、初めて聴いたシャフランとは・・・
 すごい。他のチェリストがみんな吹っ飛んでしまうくらいの圧倒的な魅力がある。まさかこれほどまでとは想像だにしなかった。とにかく自由自在なこと。繊細にして大胆。雄大にして親密。熱いのに下品ではない。一見すると奔放なのだが、たとえばテンポは意外なほど動いていない。音色や強弱の幅が極度に広いために、テンポまで動いているように聞こえてしまうのだ。しかし、テンポが動かないからこそ、伴奏とのアンサンブルが崩れない。きわめて正直なところ、私はロストロポーヴィチだろうが、フルニエだろうが、カザルスだろうが、シュタルケルだろうが、聴くうちに退屈していた。が、シャフランだけはまったく退屈しない。それどころか夢中になって聴いてしまうのである。聴く者をわしづかみするような歌の力。鮮烈な強弱。すばらしく濃い音色。恍惚とした表情や情熱的な高揚は、デュ・プレも真っ青の陶酔美だ。その一方で、気味の悪い音色。動物的なリズム。変幻自在の呼吸。シュニトケ作品に見られるような驚くほどの遊び。チェロがヴァイオリンのように軽々と踊る。名人、達人というよりも、魔神と呼んだほうがよさそうだ。ラフマニノフだろうが、バッハだろうが、フランクだろうが、ハイドンだろうが、何を弾いても演奏家の個性はあまりにも明白。これを知ってしまうと、他のチェリストはすべて愚鈍に感じられるかもしれない。私は、シャフランの特徴を聞いて、おそらくイヴリー・ギトリスのような演奏家なのだろうと想像していたが、とんでもない、桁違いである。
 今頃シャフランがすごいと騒ぐのも、まったくおのれの無知がなせるわざとしかいいようがないし、このセットに含まれているのはすでに発売されたことがある音源ではあろう。だが、これを機会に記した次第なのである。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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