第1位

2005年9月11日 (日)

Kinks

栄えある(?)第1位は...

hmv.co.jpの名物であるカウントダウン企画、今回のお題は”過小評価されているアーティスト”。過小評価というだけあり、どちらかといえば地味なアーティストが続きましたが、いよいよ第1位の発表です。栄えある(?)第1位は、”ユー・リアリー・ガット・ミー”で御馴染みのキンクスです!

60年代半ばから活動を開始し、ビートルズローリング・ストーンズらと並ぶイギリスを代表するグループでありながら、日本ではいまひとつ地味な存在で終わっている彼らこそ、もっとも評価されてしかるべきバンドなのです!

キンクス誕生

8人兄弟(しかも上6人は全て姉)の7番目のレイ(vo,g)と末っ子で3つ下のデイヴ(g)のデイヴィス兄弟にピート・クワイフ(b)、ミック・エイヴォリー(ds)によりキンクスは’64年チャック・ベリーのカヴァー”ロング・トール・サリー”でパイ・レコードよりレコード・デビューする。しかしこの曲は全くヒットせず、初のビッグ・ヒットとなったのが前述したサード・シングルの”ユー・リアリー・ガット・ミー”だった。全英1位、全米7位を記録したこの曲は、その後ヴァン・ヘイレンなど多くのアーティスト達にカヴァーされ、現在もロック史における名曲として高い評価を得ている。こうして一躍スターダムにのし上がったキンクスはさらに”オール・デイズ・オール・オブ・ザ・ナイト”、”ウェイティング・フォー・ユー”などヒット曲を連発、アルバムも’64年 『ザ・キンクス』、’65年 『カインダ・キンクス』といずれもベスト3に入るヒットを記録し、UKのビート・バンドとしての人気を確立した。

’66年4月リリースの 『ザ・キンク・コントラヴァーシー』ではカヴァー曲1曲を除いて全てレイ・デイヴィスのオリジナル曲となり、早くもビート・バンドからの脱皮への意識を感じさせた。よりそのことが明確となったのは、社会的風刺を盛り込んだ”サニー・アフタヌーン”(全英1位)で、この曲を含む’66年11月リリースの フェイス・トゥ・フェイス は全曲レイのオリジナルとなり、初のコンセプト・アルバムとして高い評価を受け、その後の方向性を決定づけた。

まるでブートレッグのような’67年3月リリースの 『ライヴ・アット・ケルヴィン・ホール』をはさんで、’67年6月の 『サムシング・エルス』、’68年の 『ビレッジ・グリーン』、’69年の 『アーサー〜』(作よりベーシストがピート・クワイフからジョン・ドルトンに交代)、’70年の『ローラ対パワーマン、〜』(本作よりジョン・ゴスリング(key)加入)と今日でもコンセプト・アルバムとして高い評価を受けているアルバムがリリースされるが、”ウォータールー・サンセット”、”ローラ”、”エイプマン”などのヒット曲は生まれるものの、アルバムのセールスは低調だった。そうした不満もあってか、映画 『パーシー』のサウンドトラックを最後にキンクスはパイ・レコードを離れRCAへと移籍する。

RCAへ移籍〜アメリカを意識したサウンドへ

RCA移籍を契機に、マーケットをアメリカへと移したキンクスは’71年に 『マスウェル・ヒルビリーズ』をリリースするが、全米100位と状況はあまり変化しなかった。続くアナログAB面がスタジオ録音、CD面がライヴ録音のRCA時代の最高傑作と評価の高い 『この世はすべてショー・ビジネス』も全米70位に終わり、新たにホーン・セクションや女性コーラスを加えた構成でロック・ミュージカルを前面に出した’73年の 『プリザベーション〈第1章〉』、’74年の 『プリザベーション〈第2章〉』、’75年の 『石鹸歌劇』、’76年の 『不良少年のメロディ』といった作品をリリース。 『不良少年のメロディ』が全米45位と多少順位を上げたものの結局RCA時代のキンクスはセールス面ではまったく成功しないまま終わってしまった。

復活〜そして現在

キンクス第3のレーベルとなったのはクライヴ・デイヴィィスが社長のアリスタだった。’77年にリリースされた 『スリープウォーカー』はシンプルでソリッドなロックンロールに戻り、アリスタからの確かなサポートもあり、全米21位のヒットを記録。続く’78年 『ミスフィッツ』からは”ロックンロール・ファンタジー”が”ローラ”以来の全米トップ40ヒットとなり、’79年の ロウ・バジェット は全米11位を記録して見事ゴールド・ディスクを獲得した。 『ロウ・バジェット』の大ヒットの背景には’78年にヴァン・ヘイレンがデビュー・アルバムで”ユー・リアリー・ガット・ミー”をカヴァー・ヒットさせたという追い風もあったが、’80年にリリースされたライヴ・アルバム 『ワン・フォー・ザ・ロード』ヴァン・ヘイレンよりもハードな”ユー・リアリー・ガット・ミー”が聴けるという評判もあって若い世代を巻き込み、キンクスは第2期黄金期を迎えた。

’81年の 『ギヴ・ザ・ピープル』 もゴールド・ディスクを獲得、’83年の 『ステイト・オブ・コンフュージョン』からは全米6位、全英12位の”カム・ダンシング”のヒットが生まれ、相変わらず絶好調のキンクスだったが、この頃からメンバー・チェンジが激しくなり、’84年の 『ワード・オブ・マウス』を最後にデイヴィス兄弟以外の唯一のオリジナル・メンバーだったミック・エイヴォリーが脱退、今作は全米57位と低調に終わり、アリスタ時代にも幕を下ろす。

どことなく元気のなかった『ワード・オブ・マウス』を最後にアリスタを離れたキンクスだったが、’80年ロンドン(米はMCA)に移籍し シンク・ヴィジュアル をリリース。ストレートなロックンロール・サウンドで見事復活を遂げる。’88年にはライヴ・アルバム ザ・ロード 、デビュー・25周年を迎えた’89年には UKジャイヴ をリリース。また’91年SONYに移籍しミニアルバム ディドゥ・ヤ 、’93年には 『フォビア』 をリリースと’80年代に続き’90年代をも乗り切るかに思われたキンクスだったが、’94年KONKレーベルよりスタジオ・ライヴの 『To The Bone』(同作は日米では’96年に新曲2曲を含む2枚組拡大版としてリリース)、’98年にレイ・デイヴィスの自叙伝的ソロ・ライヴ 『ストーリーテラー:X-Ray』がリリースされたものの、’93年の 『フォビア』 以来新作から遠ざかっているのは寂しい限りだ。’01年BBC音源をまとめた 『BBCセッションズ1964-1977』が発掘され、再評価されているだけに復活への期待は高まるばかりだ。

名曲”ユー・リアリー・ガット・ミー”

ディストーションを効かせて”ユー・リアリー・ガット・ミー”のイントロ部分のリフを弾いた時の気持ち良さといったらどうだろう。単なるFとGの繰り返しに過ぎないのだが、この実にシンプルなリフこそがキンクスの、そしてロックンロールの魅力なのではないだろうか。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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