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ウィンナ・ワルツで茫然自失

Monday, September 10th 2018

連載 許光俊の言いたい放題 第264回


 私はウィンナ・ワルツが嫌いだ。そりゃ、子供のときには人並みに「美しく青きドナウ」を聴いてうっとりしたこともあるけれど、もう三十年以上、真剣に聴く気がしない。たとえカルロス・クライバーが振ったところで、つまらない作品だ。もちろん人の好みはいろいろだけれど、あんなものを聴きに正月にウィーンに行く人の気が知れない。だから、マタチッチが指揮するアルバムが発売されると聞いても、まったく期待しなかったのだが・・・。
 これはすごい。最初の「オーストリアの村つばめ」から文字通り目を瞠った。冒頭、なんだ、この異様に陰影があるリズムの出し方は。それに乗っかって登場する木管楽器の意味ありげな表情。そして、再び鮮烈なリズム、響き。ブルックナーのような総休止。この序奏が終わってからワルツ本体に移るが、とんでもなく遅い。ものものしい。そして、あっという間に超濃厚な歌いまわしに化ける。これは、踊るための音楽じゃないぞ。娯楽音楽じゃないぞ。精一杯注意深く聴くべき音楽だ。
 その一方で、軽やかな部分が実に粋だ。こんな類のまさにクラシックな粋を表現できる指揮者は、今は誰もいないだろう。さすがはオーストリア・ハンガリー帝国で生まれ育った指揮者だけのことはある。マタチッチが青年になるまでハプスブルク帝国は続いていたのだ。ユーゴスラヴィアの指揮者とずっと言われてきたけれど、それは第一次世界大戦よりあとの発想。ウィーンを首都とする大帝国の生まれ育ちと考えたほうがいい。
 マタチッチは不器用で素朴というイメージが流布しているが、私は違うと思う。この演奏での微妙な音楽の進め方は、でくの坊には絶対にできない。きわめて細やかな神経と、それを実現する技術の裏付けがある。
 ところどころで、おおと思うほど壮大になる。が、別に、ブルックナー風にしているわけではない。柔和で、「みんなでなかよく」の現代の演奏以上に親密な感じもたっぷりある。
 2つめのトラックの「ペルシア行進曲」。普段なら、飛ばしたくなるほどどうでもいい曲だ、私にとっては。だが、マタチッチの演奏は、打楽器のリアリティがすごい。表現主義的な鋭さとでも言おうか。おもしろいことに、クシェネクの「ジョニーは演奏する」あたりを思い出させる、20世紀のモダニズムの匂いがする。ベルリンの楽団だからなのか。
 「芸術家の生涯」。ワルツの主旋律はたっぷりと濃厚に甘く歌う。が、のんべんだらりと始終甘いのではない。伸縮や崩しがある。リズムの尖りも維持される。ところどころではさまる金管楽器、打楽器が何とも効果的だ。ウィンナ・ワルツにこれくらい強い表現性を与えた例はそうはないだろう。徐々に、何かとてつもないものを聴いているのではないかという気がしてくる。そして、最後は、まさにブルックナーのコラール、交響曲第3番みたい! 口をあんぐり。
 「常動曲」は、すばらしく軽やかで、おしゃれで、生き生きとしていて、ユーモラス。各楽器の性格の違い、描きわけがすばらしい。サーカスでテンポよくいろいろな人たちが出てきては下がる、みたいなわくわく感。しかも、絶対に下品にならない。マタチッチはださい田舎者? 誰、そんなことを言うのは。すばらしく巧みな話術みたいなこの演奏を聴いたら、もはやそんなことは絶対に言えない、言わせない、許さない。
 ああ、こういう曲だったわけ? だから、ブラームスみたいなうるさ型もヨハン・シュトラウスを買っていたのか。ようやく納得。まさか「常動曲」に感動する日が来ようとは、予想もしていなかった。かつて目にも留めなかったクラスメイトが、いきなりものすごい美少女になって同窓会に現れたような衝撃。四度も立て続けに聴いてしまった。
 「天体の音楽」は、あたかもリヒャルト・シュトラウスのようなけだるい官能美で始まる。ものすごい幻想性。シュトラウス一家と言えば、やはり兄のヨハン二世がメインで、弟のヨーゼフはその影に隠れるが、実はよりよい作品を書いたのはヨーゼフのほうという説がある。このアルバムを聴くと、しかり!と思う。
 「南国のばら」は、極大スケールで開始される。ちょっとワーグナーの「神々の黄昏」、ライン川の夜明けみたい。超のろのろとスピード感の対比。そして、最後のほうはラヴェル「ラ・ヴァルス」のような、膨張を続けたあげく、ついにはぱんぱんになって割れてしまうという崩壊感がある。これには唖然とさせられる。
 ウィンナ・ワルツを聴いて、どきどきしてしまった。次の演奏はどんなかとわくわくしながら聴き進めた。ゴージャスだなあと思いつつ、悲しくなった。こんな経験はかつてない。単純で退屈な音楽と思っていたのに、これほどニュアンスがあるのか。演奏の可能性があるのか。御見それしやした。
 モノラル録音だが、音質はきわめて鮮明、克明。これなら何も問題はない。データを見ると、3日かけて放送局のスタジオで録音されたようだ。1958年、フルトヴェングラーが死んで4年後のベルリン。もちろんカラヤンの活躍は始まっていた・・・。なんてことはどうでもいい。ただひとこと、
 圧巻。
 もうひとこと、
 この音源を発掘した人、どうもありがとう。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)


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