【特集】 スリー・ブラインド・マイス
Wednesday, July 10th 2013
![]() 70年代、日本のジャズが熱かった頃、「スリー・ブラインド・マイス」というレーベルがあった。TBMの愛称で知られ「楽しいジャズ」「スイングするジャズ」「創造的なジャズ」「個性的なジャズ」を四本柱に、メインストリーム系のモダン・ジャズからビッグ・バンド、ヴォーカル、フリー・ジャズ、フュージョンまで、幅広いカテゴリーを網羅。今田勝、山本剛、鈴木勲、金井英人、中本マリなど、それまであまりレコーディングの機会に恵まれなかったライヴ・シーンの実力者たちを積極的に起用し、日本のジャズ界に新風を吹き込んだ。その功績は彼らの現在に至るまでの活躍ぶりを見れば明らかである。約150種の作品がリリースされているが、駄作の類はひとつもない。驚異的なレベルの高さがTBMの大きな特質にして魅力である。 これまでに一部CD化されたものもあるが、それらも現在はすべて廃盤状態。中古市場ではトンデモない価格で取引がなされているものもある。このたび、THINK! RECORDSが厳選したタイトルを全7期にわたり復刻。世界のジャズ史にも残る貴重な音源を再び世に問う!! 名エンジニアの誉れ高い神成芳彦が手がけたガッツのある音質は、「究極のジャズ・サウンド」と呼ばれ「ジャズ・オーディオ」という概念を確立した。今回はその魅力を余すところなくお伝えする為、全タイトルを紙ジャケット仕様のBlu-spec CD™でリリース! さらに当時のオリジナルブックレットも復刻!!
|
過去の関連記事から
【対談】 小川充 × 大塚広子 (2011年3月) 「Wax Poetics Japan」監修コンピ第2弾は、和ジャズの宝庫キングレコードとがっちりスクラムを組んだ ”JP JAZZ” スペシャル。その発売を記念した 小川充さん、大塚広子さんによる対談です。
塙耕記さんに訊く 「和ジャズ」 (2009年9月) 世界初の和ジャズ・ディスク・ガイド『和ジャズ・ディスク・ガイド Japanese Jazz 1950s-1980s』刊行を記念し、本書の著者にして「和ジャズ・ブームの仕掛け人」 塙耕記さんにお話を伺いました。
【インタビュー】 渡辺貞夫 新作『Outra Vez: ふたたび』 80歳を迎えた貞夫さんに、1988年以来となるブラジル録音新作『Otra Vez: ふたたび』についてや、ブラジル音楽との出会いなど、お聞きしました。
【インタビュー】 菊地雅章 (2012年7月) ウェルカム・バック、プーさん! ECM初録音のトリオ作『サンライズ』リリース後に行なわれた、去る6月の日本凱旋”復帰”公演に震える。プーさんこと菊地雅章さんの「現在」をお伺いしてきました。



TBM創設者の一人は藤井武で、彼が作品プロデュースを行った。幻のレーベルのロックウェル創設者で、ジャズ評論家としても高名な油井正一は、レーベル構想を抱く藤井に助言を送ったことがある。TBM設立前夜の1970年前後、油井はビクターで『日本のジャズ・シリーズ』の監修を務めたが、その頃に彼が目をかけた若手エンジニアの神成芳彦も紹介した。海外にも紹介できる、オリジナリティがある日本人ジャズのリリースを目指す『日本のジャズ・シリーズ』の精神は、こうしてTBMへ受け継がれたのである。ここに西沢勉がデザイナーとして加わり、ジャケットからライナー・ノート、帯まで拘ったデザインを見せたTBMは、さしずめブルーノートのアルフレッド・ライオン、ルディ・ヴァン・ゲルダー、リード・マイルス&フランシス・ウルフ体制の日本版とでも形容できるだろう。

向井滋春とのダブル・トロンボーン体制でニッポン・ジャズの夜明けに翔ぶ。「トロンボーンの復権」をかけた福村博の『モーニング・フライト』、ハービー・ハンコック、ロン・カーターら数多巨匠をトリコにさせたベース奏者、世界の「Mr. GON」こと水橋孝の初リーダー作『男が女を愛する時』、森剣治、渡辺香津美、中本マリらサイドの遊撃手が彩を添える鈴木勲のTBM4作目『オランウータン』、当時はアイドル級の人気を誇った土岐英史のこれぞ原点にして武者震いのストレート・アヘッド傑作『トキ』、レーベル主宰・藤井武を骨抜きにした若き天才ピアニスト、山本剛によるブルージーなトリオ奥義『ガール・トーク』、その山本トリオをバックにスウィングしまくる70s男性ジャズ・ヴォーカルの都会派ロイヤル・ストレート・フラッシュ盤、森山浩二『スマイル』。[第2期]では、近年再CD化が切に待たれていた人気盤はもちろん、ボントロ、歌モノとヴァリエーション豊かな6タイトルを。

当時においては珍しい「ダブル・トロンボーン・クインテット」編成で吹き込まれた、今では泣く子も黙るボントロ大巨匠として君臨する、福村博と向井滋春による双頭リーダー作。スウィング・ジャズ全盛期には超が付くほどの花形楽器だったトロンボーンも、JJジョンソン、カイ・ウィンディング、カーティス・フラーの黙過然り、モダンジャズ以降のシーンではあまりスポットライトが当たらず、昼行灯なる存在とも揶揄されていたが、ここではそんな蔑ろにされつつあった風評を毅然とした態度で覆すような、主役2人の熱く表情豊かなプレイにトキメキをおぼえる。1973年のことだ。
福村博 (ふくむら ひろし)
比較的若いジャズ・ファンにとっては、「Samba De Negrito」のヒトでおなじみと言ってもよいのだろうか。ハービー・ハンコック(p,el-p)、ブルーノ・カー(ds)、中村照夫(b)らがサイド参加した77年ニューヨーク録音作『ワン・チューズデイ・イン・ニューヨーク』は、ベーシスト 水橋孝のインターナショナルな活動歴を語る上で欠かせない、また今も多くのジャズ・ファン〜クラブジャズDJたちに溺愛される一枚として知られている。「ジャズ・ネクスト・スタンダード」、「ブリザ・ブラジレイラ」といった近年のディスクガイド本の指南効果によるところも大きいのだろうが、それより何より主役のバリ太で歌心・ブルースフィーリング溢れた低音に触れてみれば、この作品の持つ最もフィジカルでマジカルなグルーヴの真味というものに迫りきることができるだろう。
水橋孝 (みずはし たかし)
先にも述べた『ブロー・アップ』、『ブルー・シティ』でニッポン・ジャズ・シーンの最前線に躍り出た鈴木勲のTBMでの4枚目のリーダー作は、「ジャズロック」と平たく称することさえも憚れる、完全ミュータント系の“オマスズ・グルーヴ”一大絵巻。ここではベースだけでなく、エレピもどしどし操るというのだから、もはやその姿は一団の総大将としてタクトを揮うマイルス、フェラ・クティ、JBのマナーにも肉薄。時は1975年、創造のトータリティに重きを置いた、鈴木の音楽的感性がひとつの頂点を見たと言ってもよいアルバムだろう。
鈴木勲 (すずき いさお)
鈴木勲グループ、宮間利之とニューハード、日野皓正グループでの活動、さらには二度にわたる自己コンボの解消を経て、1975年、満を持して吹き込まれた一枚岩のレギュラー・カルテットを率いたデビュー・アルバム。森剣治、大友義雄と並ぶ、当時の若手アルト三人衆のひとりでもあった土岐のイケイケぶりを捉えた本作は、1曲を除いて全てワン・テイクで録音され、結果TBMレコーディング史上最短所要時間の新記録を打ち立てたという。
土岐英史 (とき ひでふみ)
疲れきった体をやさしく包み込む。「追憶」のピアノはまるで、母がわが子に向ける、とっぷりとした愛の抱擁のようだ。録音の素晴らしさをも物語る、山本剛の凛としたハイトーンに涙がこぼれる。僕にとっては、四方山バーブラ・ストライサンドの歌唱云々を凌駕した、オリジナリティに満ちた最高の子守唄なのである。
山本剛 (やまもと つよし)
こんなにステキな男性ジャズ・シンガーがこの世にいたのか・・・と思わず天を仰ぐ、それほどまでに美しく艶のある森山浩二の声。ハスキーなれどちょっぴり中性的なトーンで、高速スキャットにフェイクに、愛の物語を切れ目なく紡いでゆく。時代が欲しているのかいないのか、一部で男性ジャズ・ヴォーカル氷河期ともいわれている昨今、はたして森山の歌声は市井にどのように響くのか。見ものである。
森山浩二 (もりやま こうじ)

スリー・ブラインド・マイス第1号作品としてその歴史に燦然と輝く峰厚介クインテットの『ミネ』、TRIO盤『ストレイト・アヘッド』リイシューなどで一気に若いジャズ・リスナーからのプロップスを得ることとなった植松孝夫の初リーダー作『デビュー』、高柳昌行、金井英人を中心に、若き日の富樫雅彦、菊地雅章、日野皓正、山下洋輔らで結成された「新世紀音楽研究所」が、1963年6月26日東京銀座のシャンソン喫茶・銀巴里で夜毎行なっていたセッションの記録『銀巴里セッション』、ロンドンで興隆したアシッド・ジャズ・ムーヴメント以降、海外のジャズ・コレクター、DJらにも抜群の人気を博した中村照夫の”和ジャズ”を超えた快作『ユニコーン』、TBMの看板プレーヤーともいえる名ベーシスト、鈴木勲が傑作デビュー盤『ブロー・アップ』に続いて吹き込んだ、こちらも本丸『ブルー・シティ』、頼もしきクインテットを乗せた芋虫が厭世をブッタ切る今田勝の痛快アーバン・ファンク盤『グリーン・キャタピラー』、かの名盤『海の誘い』制作前夜、三木敏悟が作・編曲家/サックス奏者としてその鬼才ぶりを見せつけた高橋達也と東京ユニオン『北欧組曲』。記念すべき[第1期]は、TBMレーベルを代表する作品を中心に7タイトル!
記念すべきスリー・ブラインド・マイス(TBM)第1号作品。こういうのは出だしが肝心、景気よく。「なめられちゃいけねぇ」ってもんで、オープニングから主役のアルトがブリブリと雄叫びを上げる。峰厚介の前リーダー作にも収められた「モーニング・タイド」の再演。朝日がのぼり、潮が満ち、いよいよ生命が躍動し始める・・・これ以上なく相応しい幕開きじゃないか。今井尚がもっちりとしたトロンボーン・ソロで応戦。手綱を緩めることなく、村上寛のドラムが連続猛プッシュ。水谷孝のベースがブンブンうなる。じき、市川秀男のエレピも箍が外れ出す。当時レコードに針を落とし、やおらこの熱風を体いっぱいに受けとめた者誰もが、薄れゆく意識の中、「遂にこの国にもホンマモンのジャズ・レーベルが現れよったか!」と、心の中でガッツポーズを禁じえなかったはずだ。
峰厚介 (みね こうすけ)
「コルトレーン、ジョー・ヘンダーソンばりの太く逞しいドス黒いブロウで」と評されることの多いテナー・サックス奏者・植松孝夫。“ドス黒い”という形容はともかく、その音にまずズッシリとした重量感があることは、この初リーダー作、またはサイドメンとして参加し“主役喰い”レベルの好演を残しているジョージ大塚『シー・ブリーズ』、猪俣猛『サウンド・オブ・サウンドリミテッド』、杉本喜代志『バビロニア・ウインド』、日野皓正『ベルリン・ジャズ・フェスティバル‘71』といった諸作品を聴いていただければ明らかだろう。
植松孝夫 (うえまつ たかお)
いわゆるひとつのトキワ荘的青春群像物語。野心溢れる若いクリエイターたちが切磋琢磨しながら未来を切り拓く。なろう、なろう、あすなろう、明日は檜になろう、の精神である。舞台は1963年6月26日の東京銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」。高柳昌行、金井英人、富樫雅彦、菊地雅章、日野皓正、山下洋輔らを中心に、当時まだ無名に近かった若きジャズメンによって50年代末に結成された「新世紀音楽研究所」は、あらゆる意味において “現状を突破”するためのラボであり寺子屋でもあった。
高柳昌行 (たかやなぎ まさゆき)
ゼロ年代以降、パンデミック的に巻き起こったとされる未曾有の「和ジャズ・ムーヴメント」。ただ、それ以前から国内のみならず海外のジャズ・コレクターたちからも絶えず注目されてきた日本のジャズ・レコードというのがある。80年代後期のロンドンで興隆したアシッド・ジャズ・ムーヴメントに呼応して特に高い人気を誇ったのが、山本邦山の尺八オリエンタル横溢盤『銀界』であり、日野皓正の『スネイク・ヒップ』であり、そして中村照夫の初リーダー作となる、この『ユニコーン』である。
中村照夫 (なかむら てるお)
アート・ブレイキー楽団での演奏を経て、ニューヨークから帰国した鈴木勲が、1973年にジョージ大塚(ds)、菅野邦彦(p,el-p)、水橋孝(b)とのカルテット(一部トリオ)で吹き込んだリーダー・デビュー作『ブロー・アップ』が、「天才ベーシスト/コンポーザー現る!」とその名を一躍全国に知らしめるものとなったのは有名な話。30年後には続編まで作られている、まさに自他共に認める日本ジャズの金字塔作品だ。
これはもう、のっけから今田勝流のアーバン・ファンクが炸裂する表題曲に全てが集約されている感じだろうか。1975年という時代の空気や特性をこれでもかと吸い込んだこの曲の音のつくりには、「和製ヘッドハンターズ」「日本版ラリー・ヤングズ・フューエル」と呼んで差し支えないほどのものがある。モーダルな「ストレート・フラッシュ」にしてもそう。
今田勝 (いまだ まさる)
抱腹絶倒の一言に尽きる。ズッコケ大爆笑というニュアンスではなく、この、あまりにもダイナミックで、且つ稀有な空気をたずさえるビッグバンド・サウンドに、ひとつもんどり打って悦に入る、という感覚だ。戦後日本のビッグバンド・ジャズの銘家、高橋達也と東京ユニオンの1977年スリー・ブラインド・マイスでの3作目に、作・編曲家/サックス奏者としてクレジットされているのが、何を隠そうあの三木敏悟。あの、と言われてもピンと来ないヤングには少々説明が必要だろうか。「みき・びんご」。その名前からしてすでにやらかしそうなムードが漂っているが、ジャズのみならず昭和〜平成の音楽界、特に映画音楽、舞台音楽の世界においては大変な宗匠で知られているお人なのだ。1988年には、「釣りバカ日誌」の記念すべき第1作目の音楽を手掛け、その名をお茶の間に広く浸透させた、いわば「釣りバカ音楽の人」と呼んでも概ねバチは当たらないだろうか。ともかく、6年間の米国武者修行を終え帰国した三木にとってTBMというレーベルは、己のポテンシャルを最大限に引き出すために、これ以上なくふさわしいレーベルだったに違いない。
三木敏悟 (みき びんご)