『トーキョードリフター』 松江哲明×前野健太 対談
Thursday, January 24th 2013

松江監督監修・完全自主制作で2枚組のコレクターズ・エディション『トーキョードリフター』が前野さんのNEW アルバム「オレらは肉の歩く朝」と同日の1.23発売中!この「コレクターズ・エディション」に封入の112Pブックレット!(ボリュームがあり過ぎて、ケースがちょっと浮いてます☆)には、劇場公開時のお2人のこの対談がそのまま掲載されてます!ということで、あの日の対談プレイバック☆
2011年5月。東日本大震災後、ネオンが消えた東京の街。降りしきる雨の夜をミュージシャン・前野健太が歌い、叫び、さすらってゆく。『ライブテープ』タッグ、再び!第24回 東京国際映画祭 日本映画・ある視点部門 正式出品作品『トーキョードリフター』、待望の『ライブテープ』のDVD化!『トーキョードリフター』のテーマソングも収録のミニアルバム「トーキョードリフター」も緊急発売中!を記念して、松江哲明監督と前野健太さんがHMV ONLINEに2度目のご登場です!以前の対談とはまた違う、絶妙な関係性の中で生まれた対談をお楽しみ下さい。 INTERVIEW and TEXT and PHOTO: 長澤玲美
前野 僕はなかなか愛せないんですよ、人を。松江さんはたぶん愛せる人なんですよ。
松江 前野さんはね、そう、あんまり人を愛さない。それ、すっごい分かる!(笑)。
- --- 『ライブテープ』以来の対談になりますが、今日は『ライブテープ』のDVDのこと、新作の『トーキョードリフター』、さらに前野さんのCD「トーキョードリフター」の3つのことを伺いたいと思っています。まずは、『ライブテープ』のDVDですが、12月7日にリリースされますね。(現在リリース中!)
前野健太(以下、前野) おめでとうございます。
松江哲明(以下、松江) ありがとうございます(笑)。
- --- 劇場公開から結構時間が経っていると思いますが、「『ライブテープ』はDVDにしない」とおっしゃっていましたよね?その時と何が変わったんですか?
松江 前野さんのライブを撮った『DV』の後、「映像作家サバイバル入門 自分で作る/広める/回収するために」(以下、「映像作家サバイバル入門」)って本を書いたんですけど、本が1冊作れるくらい自分の中で新しい仕事だったんですね。音楽の人はライブをやってCDを作るってことをすごく自然というか普通に考えてやってることなのに、映画の人はDVDを出すことがすごくハードルが高いことというか、そこはちょっと全然別のことなんですよね。もっと言うと、作ることと配給することとDVDを出すことが全部別でプロデューサーを3回変えるみたいな感じというか。それくらい映画の人はそれを一緒にやるってことはしてこなかったし、僕も考えてこなかったんですけど、前野さんとか音楽の人とのいろんな出会いの中で自分で作品を出すのは自然なんだって思ったんですよね。だから、それを映画でやるとどうなんだろうって思ったのがDVDを出すことだったんですよね。
『DV』は映画を作ることとは全然別で、素材で作る過程がすごくおもしろかったんですよ。だから、「映像作家サバイバル入門」に書いたのは、どう撮ったかとかどう編集したかっていうテクニカルな部分じゃなくて、それよりも流通を通すこととかプレスをどうするかとかデザインをどうするかとか、それを決めることの方をメインに書いたんです。僕にとってはそれくらい初めてのことでおもしろくて。自分の家で段ボールに詰めて、シール貼って(笑)、送るっていう作業をしたりして『DV』を作った後に、「ああ、こういうやり方で自分でここまで出来るんだ」っていうのが分かったんですよね。メニュー画面作ったり、チャプター作ったりとか。で、とにかくびっくりしたのは値段が安かった。こだわればこだわるほどお金はかかるんですけど、例えば、TSUTAYAとかで3本3000円とかで売ってるハリウッド映画みたいな作りとは全然違うレベルでこだわって、ちゃんと自分で出来る次元なんだなって思ったから、「『ライブテープ』も出してもいいな」って思えたんですよね。映画を体験するっていうことだったら映画館で観るものには敵わないですけど、DVDで出すってことを考えた時に、オーディオコメンタリーを入れたり、メイキングを入れたり、ブックレットを作ったりとかね、そういう自分の中で敷居が高いと思ってたことが自分レベルで出来るって分かったのでそこまで詰め込んで。だって、本当に自分でオーディオコメンタリーを収録出来るなんて思わなかったですから(笑)。
あと、『ライブテープ』はカメラマイクの音声とかもそうなんですけど、あのDVDを観た人が映画を作りたくなる感じにしたかった。僕の中では「『ライブテープ』は誰でも作れますよ」というか。まあ、作れないんですけど(笑)・・・何というかそういう初期衝動を詰め込むような感じというか。例えば、自分が20歳くらいの時にこのDVDを観て、何度も繰り返し観れて火が着くようなそういう商品が作れるんだったら、映画を公開するのとはまた全然別の価値を与えられるかなって思ったし、今までのスタッフと一緒に作れるのであればやってみようっていう風に思ったんですよね。なので、1つはやっぱり、『DV』を作った成果というか。で、そこからさらにっていう。- --- 『DV』を自主制作して流通させるという流れを通っていなかったら、『ライブテープ』のDVD化はなかったんですね。
松江 そうですね。ないです、ないです。
- --- どこかへ委託しようという考えも元からなかったんですね。
松江 なかったです。話は来たんですけど、特典映像を誰か知らないディレクターにお願いして、「これだけお金がかかりますよ」みたいなこととかね、そういう方向じゃないというか。あのメイキングドキュメンタリー(「ライブテープ、二年後」)は岩淵(弘樹)くんだから聞ける距離感なんですよね。でも、どこかから委託がきたとしても中身は変わらなかったと思います。これと同じ物を作りたかった。でも、それだったら委託する意味がないし。そこで今の枚数より10倍売れるって言うんだったら委託する意味があると思うんですけど、それはたぶん無理だと思いますね、『ライブテープ』っていう作品で。で、自分でやって限界があるのはレンタルは出来ないですね。レンタルまではそれだけプレスを作らなきゃいけないし、在庫を置く場所がないし、その後、レンタルの期間が終わって家に戻って来たらどうするんだろう(笑)っていうのがあるので、レンタルはちょっとハードルが高いですね。あと、ビデオオンデマンドで放送するのもまだちょっと可能性が見えないというか。『海猿』とかと同じところに並んでても埋もれちゃうと思うので、そこにはまだちょっと挑戦出来なくて。でも、今までと同じで自分の中で出来ることしか出来ないというか。
- --- 自分が素材となっている『DV』、『ライブテープ』を松江さんが自主制作から流通するという流れを見ていて、前野さんはどう感じていますか?
前野 僕はCDを自分のレーベルで作って出してるので、CDを出す感じと同じだなって思うんですよね。映画監督が自分の作品をDVDにするっていうのはちょっと珍しいんじゃないかなと思いますけど(笑)。でも、自分の場合はずーっと音楽をやっててもどこからも声がかかんなくて、自分で出すしか道がなかったので自分でやって、だいたいこのくらいのお金がかかってっていうのも分かって、それで食っていくためにはもう「自分で出すしかない」っていう風に段々なっていったので。だから、松江さんがやってることに対してそんなに驚きがあるというわけではなく、ミュージシャンぽいことするなあっていう感じですよね。
あと「映像作家サバイバル入門」は『DV』のこともいろいろ書いてあったんですけど、読んでておもしろかったのは「前野健太映像集」だったら、僕の作品というか僕が主導権を握るはずなんですけど、『DV』っていうタイトルにして、松江さんが「松江哲明作品」にするっていう・・・どっちに転んでもおかしくないところというか、そこのせめぎ合いみたいなところが僕も『DV』に関わってすごいおもしろくて。僕が松江さんにお願いして、「自分のライブ映像集を作って下さい」って言ったら、松江さんもたぶん全然違う編集をすると思うし、作品がまた全然違うものになってると思うんですよね。そのやり取りがすごい生々しくて。これから自分が自分のライブとか音源とかをどう管理していって、どこを人に任せるのか、どこを自分の作品じゃなくして、どこを自分の作品にしていくのかっていうようなところがすごい勉強になって、そのやり取りが『ライブテープ』とは全然違うので、また違う関係性が松江さんと出来てすごく刺激になりました。それをさらに松江さんはまた一歩踏み込んで本にしてしまって、本当によくやるなあって(笑)。松江 (笑)。
前野 松江さんと友達だからやってるって感じじゃなくて、作品があって素材があって、物作りっていうことを通してどんどん関係が深まっていくというか、それがすごくおもしろいですね。でも、もちろんね、「なにクソ」って思う時はありますけど。でも、それぐらいじゃないとエッジが効いた作品は出て来ないんじゃないかなって思うから。僕は松江さんが『DV』を作ってくれて何回も言いますけど、すごく勉強になりました。
- --- 出会った当初と比べて、関係性も変わって来てるっていうことですよね?
松江 分かんない(笑)・・・どうなんだろう。僕、最初の頃は骨折してたし。
前野 それは関係性っていうか・・・(笑)。
松江 僕が骨折した時、前野さんをすごい聴き始めた時期で「天気予報」を何回も再生してたんですよね。で、そこに前野さんがお見舞いに来てくれてっていうそういう関係性だったんですよ。たぶんね、それは前のインタビューでも言ったと思うんですけど。この間、あのインタビューを改めて読んですっごい懐かしくて。僕が遅れて行ったとか(笑)。
前野 まあ、僕は最初、松江さんのこと怖かったですからね。松江さんがその日、誕生日が近かったのかな?
松江 近かった、近かった。
前野 で、SPOTTED PRODUCTIONSの直井さんが「松江さん、今骨折してて、前野くんの歌いっぱい聴いてるみたいだから、サプライズで行ったら喜ぶと思うよ」って連絡があって。
松江 そうそうそうそう(笑)。
前野 「えー」って思って。家なんて怖いし(笑)、「行きたくないっすよ」って言ったんだけど、「全然、行くだけでいいから」って言われて。で、何かね、骨がくっ付くカルシウムお菓子みたいなの持って(笑)。
松江 そうそうそうそう!(笑)。
前野 骨折してるから(笑)。
松江 カルボーンだ!(笑)。
前野 そうそう、カルボーン(笑)。
- --- カルボーン・・・(笑)。
前野 で、それ買って、家にお邪魔して、ああだこうだしゃべって。結局、すごいおもしろかったんですけどね。
松江 そういう関係性ですよ。
前野 でも、ちょっとイメージ変わりましたよ、その頃に比べたら。当時は松江さんは本当にやっぱりね、サブカルのすごくおもしろい人っていう何となくのイメージがあったんですよね。映画の3本立てでオールナイトにして、『童貞。をプロデュース』とかの超インディーズ映画に超メジャーな映画を組み合わせて一緒にやるとかね、そういうちょっと変わったことをする、おもしろいことをしていく人っていうイメージがすごくあったんですけど、今はちょっとね、自主経営者というか、ちょっと事業者みたいな感じというか。
松江 全然そんなことないよ!(笑)。
前野 いや、何かちょっとね、お金に対してすごくちゃんと見るようになったというか。前はもっと作品至上主義者だったというか。
松江 ああああー。
前野 もちろん今もそうですけど、それを通すのも松江さんの生活とかTip Topっていうものに対してとかね、ちゃんと経営していくというか、回収していくっていうのがその頃とはちょっと違う感じがあって。
松江 Tip Topは『童貞。をプロデュース』から使っている屋号で、僕が大好きな『悪魔のいけにえ 2』に登場するチョップトップから付けたかったんですけど・・・予告編を作ったり、デザインを決めている段階であれこれ間違いがあって「チョップトップ」が「チップトップ」になってたんですよね。でも、チップトップっていう単語にはてっぺんって意味があって、てっぺんなんかに興味はないですけど、間違ってそういう名前が付いたのは面白いなって思って、修正せずに「Tip Top」にしました。でも、『童貞。をプロデュース』以後、全く浸透しないので『ライブテープ』DVD制作を機にタイトルアニメーションを岩井澤健治さんに作ってもらいました。でも、最初に使ったのは『トーキョードリフター』になっちゃいましたけど。
でも、あの頃とは違うね、確かに。当時はまだそういうことをそこまで考えなくてよかった時期だったんですよ。とにかくおもしろいことをやれば人は来るとか、インディーズだからメジャーに出来ないことをやるんだみたいなことはあったんですけど、もうそういうことを言ってられなくなって来たというか。たぶんそれは時代が変わったんですよね。3年くらい前かな?前野 3年前かな。2008年?
松江 『ライブテープ』を撮る前だから・・・うん、その頃ですね。その時と今とは僕の予想を超えて状況が変わった。それで言うと、HMVの渋谷店がなくなっちゃったじゃないですか?
- --- そうですね。
松江 それってやっぱり、ものすごい勢いで音楽が先に変わって、これから映画が変わる過渡期に今来てるんだと思うんですよね。でも、僕がお金のことを考えるようになったっていうのも前野さんはもっと先に考えてたし、僕からすると音楽の人はみんなそういうことを考えてるんですよね。むしろ、映画の人が全然気付いてなくて。
- --- 確かにそれはそうだと思います。
松江 うん。だから、映画の人の方が不思議。何でみんなそんなに気付いてなくて、未だにスタッフ募集とかボランティア募集とかしてて、よく分かんない飲み会に参加させられて(笑)、「チラシ配って」みたいなことをやってるんだろうって。
- --- 生活がありますからね。「ボランティアって・・・」ってすごく思います。
松江 そうそうそうそう。生活を考えなくてもいい人はそういうことをやっててもいいのかもしれないけど、現実的に3年前と比べて映画館の数も激減してますからね。それで例えば今年の日本映画なんてむしろ、メジャー公開されてる映画の方がインディーズ魂があるというか。例えば、『監督失格』みたいな映画をTOHOで上映したりとか、『モテキ』みたいな映画が大ヒットっていうそういう状況になって来てるのに、「まだインディーズとメジャーとかって言ってるの?」っていう。そういうことだと思いますね。むしろ、考えない方が分からない。
- --- 今のこの時代の状況の中で松江さんのやっていることは、自分で作って回収するということも含めて、全部考え直さなきゃいけない時代というところにちょうどぴったり合っているような感じがして。(『DV』から『ライブテープ』のDVD化、「映像作家サバイバル入門」という流れ)そこはすごく伺ってみたかったんです。
前野 「映像作家サバイバル入門」は本当におもしろいですよ。
松江 映像に出来ないからね、これは。本でしか書けないことだから書いたというか。映像って、どう撮るかとかどういう風に使うかっていうことを考えて僕は編集するので、例えば、デザインを長尾謙一郎(漫画家「ギャラクシー銀座」、「PUNK」)さんに依頼してるところとかのメールを撮るわけにもいかないし(笑)、本じゃないと成立しないことですからね。でも、これを誰かがフィクションにしてくれたらおもしろいなって思いますね。原作にして欲しい、この本を。城定(秀夫)さんとかにエロVシネとかでやって欲しい(笑)。何かね、もっとセックスを入れ込んで。
前野 映像に撮られる側と撮る側のどっちが主導権を握るかっていう話なんですよ、これは言ってみれば(笑)。
松江 ふふふ(笑)。
前野 だから、ミュージシャンのPVとかYoutubeとかを撮るのって、だいたいミュージシャン側、レーベル側から発注して、受けて作るっていう人が多いと思うんですけど、「受けていいの?」っていう本でもあるんですよ、すごく。そういうメッセージもあるんですよ。
松江 うんうん。そうそうそうそう。
前野 だから、どっちが主導権を握るのか・・・「お前が主導権握ってもいいんじゃないか?」っていう本だと僕はみたんですけど。だから、被写体があるものなら何でも一緒でAVもたぶんそうだし。AVでも普通は監督が主導権だけど、女優が握ってもいい。監督雇って撮らせて自分で出す。だから、「主導権、誰が握るの?」っていうすごい新しい本だと思って、それはすごいおもしろいですよね。で、それを自分の体験からやって客観的に見れてるって本当にね、あったまいいなあって。
松江 何その、あったまいいなあって(笑)。今、頭じゃなくて、あったまですよね?(笑)。
- --- ちっちゃい「っ」が入ってましたね(笑)。前野さん、絶賛ですね。
前野 絶賛っていうかね、危ない。
松江 危ないですよ、この本。ぎりぎりのことですから。読んだ人によっては不愉快に思うような人もいるかもしれない。
前野 いると思いますよ。
松江 特に上の世代の人とかね、「何でこういうこと書くの?」って言う人もいると思いますよ。でも、これに書いてる通り一例だから、別に正解じゃないんですよ、この本は。だから今、前野さんが言ったことも他のアーティストによっては「いや、歌ってる方が主導だろ」とか「映像を撮る側が上だ、下だ」っていう話にする人もいるかもしれないし、人によっては全然違う読み方にもなるのかなあと。だから、それは感想を聞きたいですね。ただ、僕はそこをなあなあにしてる感じは嫌だったんですよ。さっきも言ったように映画でね、何で未だにそんなことやってんだかよく分からないって人があまりにも多かったから。でも実際、僕も『童貞。をプロデュース』とかを上映した時とかは自分の生徒にチラシを配ってもらったりとか、ボランティアでやって来てもらえたから出来ることもあったし。でも、4年も経つと「これでいいのか?」って考えることもあるし。だから、ここに書いたのは本当にあくまでも一例なので、例は壊してもいいし、例外にしてもよくて。スリリングっていうのはたぶんそこだと思うんですよね。参考書ではないですから、この本は。だから、そういう意味で言うと物語とかエッセイとかね、経験談でしかないと思うんですよね。
前野 「入門」ですよね。だから、この後もきっと何冊か出るんじゃないですか?
松江 出ないよ!(笑)。
- --- 少しお話を戻して、『ライブテープ』のメイキングドキュメンタリーがすごくおもしろかったです。岩淵(弘樹)くんとは『遭難フリーター』からですよね?
松江 『トーキョードリフター』の宣伝をお願いしている東風さんが『遭難フリーター』を配給してたんですけど、僕は『遭難フリーター』の上映が始まって2日後とかに劇場で観て、すごい頭にきて怒ったんですよ。で、感想を言ったらトークショーに呼ばれたので、「そういう内容のトークになりますけどいいですか?」って言ったら、「いいです。むしろそれでお願いします」って言われたので(笑)。
東風 ブログに松江監督が感想を書いてくれていて、それを読んでゲストに来てもらおうと思ってお呼びしたんですよね(笑)。
松江 「絶賛は出来ないです、この映画は」って。でも、岩淵くんには会いたいなってもちろん思ってましたけどね。結構そのトークショーはこっぴどくやりましたよね?(笑)。「あのラストはないよ!」とまで言って(笑)。そしたら、東風の方が「ここまで言われてますけどどうですか?」って岩淵くんに言ったら、「いやー、もうそれは・・・」みたいな感じで恐縮してるから、「何だよ!もっと来いよ!悪役じゃねえか、俺」って思って(笑)。
でも、そういうことがあってその場で別れたらただの嫌な感じですけど、共通の友人も結構いたりするので、「松江くんのことこう言ってたよ」とかって聞いたりしてるうちに会うようになって。岩淵くんってね、取材力とか構成力とかあるんですよ。それは彼の文章とか『遭難フリーター』の本を読むと分かるんですけど、人をちゃんと見てるのが描写から伝わってくるんですよね。で、そういう力があるのに彼は現場主義というか、現場の雰囲気に負けるんです。もっともっと粘って人の話を聞くとか、構成するってことをして欲しかった。でもそれは本人から出来ることじゃなくて、やっぱり依頼されないと出来ない。だから、僕が必然的に最初に彼に「スタッフ全員に話を聞いて」って言ったんです。話を聞いて欲しいリストを挙げて全員に連絡してもらったり、構成書を書いてもらったりして。普段彼がやってないことをして欲しくて。僕自身でも自分で撮る物には限界があって、人から来た仕事だから出来ることってあるじゃないですか?で、そういうことをやるとちゃんと返ってくるから、「良い/悪い」をちゃんと伝えて。でも、1回目に編集で上がって来た時点でみんなに聞いてる感じとかすごいよかったですね。インタビューの話を聞いてるだけだけど構成がおもしろいし、謎を解いていくみたいな感じにしてくれたから。この間も劇場で上映したら、お客さんがゲラゲラ笑って観てたし。Youtubeでライブをアップするのと映画館で観てもらうのはやっぱり全然違いますよね。彼は『遭難フリーター』以来にそういう体験をしたと思います。それで岩淵くんの中で何かの火が点いて、「次の作品、劇場でやるぞ」みたいな感じになってくれるとうれしいですね。あのメイキングに関してはすごいいい物を作ってくれたし、岩淵くんの今までやって来たこととは違う面が出て来たから、それが人に届いて岩淵くんにそういう依頼が来ればいいなとは思いますね。- --- 彼にお任せしていた感じなんですね。
松江 お任せです、もう完全に。最初に上がってきたラストは弱かったから、ラストだけは言いましたね。そこだけは撮り直しを言ったかな。前野さんにインタビューするって、最初は言わなかったんじゃなかったっけ?
前野 僕もラスト観て、「これ、飲み屋で酔っ払って言ってる話だし、ちょっと嫌だから撮り直して欲しい」って言って、その後、2人で中野のあるマンションの屋上に行って。
- --- あの屋上は全然関係ないところだったんですか?(笑)。
前野 「ここ、僕がよく女の子連れ込みます」って言ってて(笑)。そこで夕日を眺めつつ。
松江 僕にはね、「いつか撮影で使いたいなって思ってました」っていいこと言ってたよ(笑)。「ここからは新宿見えるんですよ」とかって。
前野 じゃあ、そういうことにしておきましょう(笑)。
松江 あのインタビュー、すごいよかったよ。
- --- ジョン・レノンTシャツ着てましたね。
前野 ディランの印象ばっかりなんでね(笑)。
- --- (ネタバレになるので詳しくは載せませんが・・・)最後は『トーキョードリフター』につながってますよね。
松江 そうですね。あの流れでは岩淵くんが「そういうのがいい」って言って。岩淵くんから見ると、『トーキョードリフター』のパンフレットにも書いてあるんですけど、僕とか前野さんとか(山本)タカアキさんとか近藤(龍人)くんに対して、「え?そんな関係なんですか?冷たくないですか?」って感じらしいんですよね。「ああいう映画作ったのに・・・」って。
前野 でも、何かね、岩淵くんっておもしろいですよね。僕、「ファックミー」のPVを雪山で岩淵くんに撮ってもらったんですけど。
松江 あれは上手くいったよね、岩淵くんのアイデア系が。
前野 何か変なんだよ、あの人やっぱり。
- --- 前野さんとは違う変ですか?(笑)。
前野 僕?(笑)。僕なんかより全然変ですよ!(笑)。朝6時ちょいの新幹線で青森行ったんですけど、僕は当然ね、一泊して温泉とか入ると思ってたら日帰りですよ?青森滞在時間3時間くらいですよ。撮って、飯食って帰るっていう(笑)。「ええええー」って思って。でも何かね、一生懸命なんですよね、すごく。空回りしてる感じがあって。
松江 そうそうそう。
前野 それがいいんですよね。
松江 でも、彼のよくないところはその一生懸命とか空回りしてるところを撮っちゃうところなんですよね。自分のそういうのを撮るんじゃなくて、岩淵くんがそうしたら人が応えてくれるからそこを撮ればいいんですよ。『ライブテープ』のメイキングでみんながああいう風に答えてるのは岩淵くんからなんですよ。彼のしつこい感じというか、話聞いても「しょうがねえな」ってなってるのが映像になってるから、ちゃんと彼らしさも映ってるんですよね。あのPVもその道中とか一切なくて、前野さんがいきなり歌ってるからおもしろいんですよ(笑)、あれに応えてるのが。でも、前野さんにとってはそれまでの時間があるわけじゃん。でも、そんなのは関係ないんですよ。あの歌の間に歌ってればそれが観る人にも伝わるから。あと、岩淵くんが撮る人をちゃんと尊敬してる感じが伝わってくるのがいいですよね。タカアキさんの音のパートとかね、岩淵くんが興味がある視点で尊敬して「どうなんですか?」って聞いてるのが分かる。
前野 でも、POP(鈴木・DAVID BOWIEたちのドラム)さん、ヒドいね(笑)。
松江 あのPOPさんね!(笑)。でも、劇場で流した時、あれが一番大ウケ(笑)。
前野 あれはウケるでしょ(笑)。でも、「DAVID BOWIEたちって何なの?」って思われちゃう(笑)。
松江 泣き出したりとかね(笑)。「子供がいいこと言っててさあ」とかって(笑)。
前野 引き出しましたね(笑)。
松江 引き出したね(笑)。
前野 『ライブテープ』のドラムもこっちも全部合わせても、POPさんが一番目立ってた(笑)。
松江 持ってく人だね(笑)。
前野 ぜひ、コレクターズ・エディションを。
松江 買って下さい!やっぱり、DVDは繰り返し見るメディアっていうのがもう自分の中でありますね。『DV』を撮った時もそういう構成にしたし。
前野 『ライブテープ』はチャプターに分かれてるんですか?
松江 曲ごとに分かれてます。
前野 おおおおおおー。じゃあ、いきなり「マンション」とかっていけるんですね。
松江 そうそうそうそう。
前野 じゃあ、ワンカットっていうのと全然違いますね。
松江 でも、最初は『ライブテープ』はチャプター切るのやめようと思ったんですよ。昔ね、大島渚さんがそういう作り方をしてたんですよ。
- --- それはいつ頃の作品ですか?
松江 最初に出たDVDの時ですね。昔のCDケースサイズの真っ黒に白抜きタイトルの手書きの書体で裏に「監督 大島渚」って書いてあるだけのシンプルなDVDがあって、その作りが「チャプターは制作者の意図によりありません」って書いてあって。そういうのもあったからやろうと思ったんですけど、DVDという何度も見るメディアとしては不親切だな、と。だから、DVDはもう覚悟しないとダメですね。観る人の主導権に委ねるというか。それをするためにはサービスは惜しんじゃいけないと思って。そうするとタイトルがダサいのとか嫌だし、チャプターに変な音楽付いたりとか早送り出来ないロゴとか出るのが嫌だから、僕は頭にロゴも注意書きも入れないんですよね。DVD入れたらすぐ本編っていう作りにして。自分が観てて早送りしてる部分は全部カットしてます。あとはオーディオコメンタリーもぜひ聞いてもらいたいですね。あんなにしゃべってる近藤くんは珍しいし(笑)。
前野 僕は近藤さんとタカアキさんの話が聞きたかったから、あえて聞き側に回って。そしたら、すごい話してくれて。近藤さんがどこでアガったか、みたいなのを聞いたりとか(笑)。
松江 「僕の気持ちになって観て下さいよ、これ」って(笑)。ずーっと回してて、さあ、どうするっていう。あのラストシーンの時。
前野 それを聞きながら観れるのはおもしろいですね。
- --- 『トーキョードリフター』のお話ですけど、「またこのコンビでやるのか」って思いました(笑)。
前野 もううんざりですよね(笑)。
松江 どうなんだよっていうね(笑)。
- --- そんなに松江さん、前野さんのこと好きなのかなって(笑)。
前野 もうセックスしてますからね(笑)。
松江 (笑)。
前野 『ライブテープ』の舞台挨拶で佐賀に行ったんですけど、同じ部屋に泊まって一晩過ごしてますからね、AVを観ながら。
松江 あんなに一緒に旅とかしてるのに、一晩一緒に過ごすのが初めてって珍しいですよね。
前野 まあ、セックスしちゃってますからねえ。
松江 そういうことでいいですよね?(笑)。
- --- そういうことにしておきましょう(笑)。『ライブテープ』の時からずいぶん時間が経って、先ほどそれぞれの関係性や作品に対しての姿勢なども伺いましたが、『ライブテープ』を作った時の心境と『トーキョードリフター』とはもう全然違いますよね?
松江 はい、もう全然違いますね。
- --- 「東京に暮らしててこんなに暗い東京を見たのは初めてだったから、この暗いうちに映像にしたい」というようなことをお話されていましたよね?そういう状況で松江さんはやっぱり前野さんだったんだなあと。あの暗い街で歌う前野さんが見たかったという?
松江 もちろんそうですね。僕は地震の時は韓国にいて、ソウルでもずっと前野さんの「ファックミー」ばっかり聴いてたんですよ。だから、自分の中で動揺するというか大きい出来事があった時に映画って気軽に観れないというか、1つ覚悟がいるんですよ。でも、音楽ってボタンを押せば聴ける時代じゃないですか?そういう時にふっと聴きたくなるのが僕にとっては前野さんだったし。東京に戻って来た次の日に前野さんがおとぎ話さんと高円寺のUFOクラブでやったライブに行ったんですけど、ライブを聞くお客さんの雰囲気が「ライブが好きで来ました」っていう感じじゃなくて、暗い時にニュースを見て、みんな放射能のこととかすごい考えてる時に「集いたい」っていうか、すごく独特の感じがあった気がしたんです。人によって違うと思うんですけど、僕はその感覚を何かいいなって思ったんですよね。あと、東京が暗いのもいいと思ったし、それとすごい近い感覚で。4月10日に高円寺のデモがあったのを見て、石原慎太郎さんが都知事に決まった時に、「あ、明るくなるな」って思ったんですよね。
でも、その1ヶ月くらいは映画を撮るって気は全くなかったんですよ。映画に出来ることはないというか、今は撮るべきじゃないというか。だって、過去の映画を観ても、「あ、やらなきゃ!」って気持ちになる人はいるかもしれないし。それだったら新作を撮るんじゃなくて、過去の映画で力になって欲しいとかそういう映画を紹介したいとかっていうことかなって思ってたんですけど、ドキュメンタリーが出来ることはやっぱり現実を留めることだから、明るくなるのを止めるには今撮るしかないって思ったんですよ。で、それを撮る時にやっぱり前野さんももちろんそうなんですけど、タカアキさんと近藤くんも含めた4人、1人でも欠けたら映画を撮らないっていう方が正しいかもしれないですね。やっぱり、『ライブテープ』をやったチームじゃないと、今こういう風な企画をちゃんと理解して撮れるっていう人はいないと思ったから。でも、前より良い物を作るとかそういうつもりは全くなかったです。良いか悪いかっていうので作りたくなかった。ただ、暗い東京を撮るっていう。それに帰国してからの前野さんのライブを見て、別に新曲を歌って欲しいっていうことではなくて、今までの歌がより普遍性が高まった気がしたし、前野さんの歌がどう響くのかっていうのを見てみたかった。- --- 「また映画を撮りたい」というお話があって、前野さんの心境というのは?
前野 松江さんは本心を言わないので、こっちもうれしいとかそういう感覚ではなくて、最終的に映画になった時に炙り出てくるような曖昧な何か、そこを感じたくてっていうのがたぶん松江さんの中にあるので、それを僕もちょっと見てみたかったですね、炙り出てくる何かを。物を作ってたらそういうものにそそられますよね、特にこういう状況で。あとはやっぱり、僕も松江さんとそんなに感覚がズレてなかったというか。震災があって、原発の問題がいろいろなっちゃってっていう時に「この人はこういう人なんだ」っていうのが結構見えちゃったんですよね。いろんな人と話したり、ブログとかTwitter見たりした時に「あ、この人こんなこと考えてたんだ」とかいろいろ、そういうのがちょっと怖いなと思ったりもしました。でもその時に松江さんと話してたらすごく感覚が近かったんですよね。
松江 韓国から電話してたんですよ、スカイプで。
前野 うん。それがそんなにズレてなかったし、何かとんでもないことになるとは思わなかったから、やってみたいなって。でも、松江さんがね、「福島に行って、原発を入れつつ、そこで前野さんが歌って・・・」みたいなことを言う可能性もゼロではなかったと思うんですよ、本当に。
松江 ゼロではない。僕も考えなかったわけではないよ(笑)。だけど、そんなことはしたくない。
前野 だから、もしかしたら誰かが作業するって考えた時に、バンドで一緒にアルバムを作るっていうことよりも、松江さんに声かけてもらって映画を作るっていうことの方が自分が今思ってることとかよりは何かが炙り出てくるのかなっていうのはちょっとありましたよね。でも、最終的には松江さんの作品になるって分かってたし。まあ、複雑ですよ。いろんな気持ちはありましたけど、『ライブテープ』と一緒になっちゃうんですけど、やるかやらないかだったらやる方が楽しいっていうそこだけになっちゃうんですけどね、最終的には。でも、また全然違ったアドベンチャーな感じはしましたよね。夜、暗い東京を彷徨うみたいなそういう感覚は、子供の頃に戻った感じもありましたし。探検するっていうか。それはもちろんちょっとわくわくするって感じもあったし、すげえしんどいっていうのもあったなあ、思い出してみると。ロケハンもキツかったんですよ・・・。よく考えたら、あの時はすっごい疲れてて。「ファックミー」が2月に出て、3、4、5月ってレコ発で地方をいろいろ回ってて、もうすっごい疲れてるのに、夜銀座とか行って。「真っ暗じゃん!もう寝ようよ!じゃあ、もういいよ。車で寝るよ!」みたいな(笑)。
松江 そうそうそうそう(笑)。車で寝てた時あったよね?
前野 寝てましたよ!だってもうね、どっか地方行って戻って来て、毎週だったから。
松江 すっごいロケハンしたんですよ。
前野 僕が名古屋、大阪行ったりして戻って来たら、ロケハンとかで。5月20日のレコ発東京大ワンマンがあって、準備、リハ、スタジオって時もまたロケハンみたいなね。「スタジオ終わってからじゃないと行けない」とかそういう忙しい時期だったから。で、朝起きたら、すごい早朝で朝日がふわーってね、土手から昇ってきて、「ああ、何かいい映画になるかもなあ」なんてね(笑)。「ああ、こんな感じの「あたらしい朝」かあ」とかって思って。
松江 ふふふ(笑)。
前野 鳥がぴよぴよぴよぴよ鳴いててね。「ああ、いいじゃん、いいじゃん!これ、いい映画になるよ」みたいな話をしてて。で、当日はあんなどしゃ降りですからね。雨だったら中止って言ってるのに。中止のレベルより降ってたからね(笑)。
松江 そうそうそうそうそうそう(笑)。「止むから」って言って。
前野 おかしいですよ、あれは(笑)。
松江 いや、ロケハンも普通ないですよ、主演の人が一緒に来るって(笑)。普通の劇映画だったら、スタッフでやっとけよって話だし。でも、こういうインディペンデントな映画作りにはやっぱり大事なんですよ。それぞれがそこでどう感じるのかっていうことですから。近藤くんが先日受けた別の取材の時に「この映画は足で稼いだのがよかった」って言ってて。「行かなかった場所もあるけど、足で稼げた強みというか、いっぱい見て実際に歩いて感じてどこで歌うかっていうことも決められたから、そういうところがこの映画はすごく上手くいった」って。普通の映画だったら、撮影部とか演出部とか制作部レベルで行くんだけど、僕の映画作りはそれに対して録音も来るし、前野さんも来なきゃいけないし・・・ただ「こう撮りました」っていうことじゃなくて、それぞれがそこで何を感じるかとか撮影の現場で何しようってことのインスピレーションを湧かすには、一緒に動かないとダメだと思うんですよね。だから、別に車で寝ててもいいんですよ。でも、そこを絶対的にみんなが共有してないと撮影の時にそれは上手くいかない。ただ段取りでやってるんじゃないから、僕の映画作りは。そこですよね。
- --- 『ライブテープ』の時は見終わった後にすっきりするような感覚があったんですけど、『トーキョードリフター』はずーっともやもやもやもやしてました。「このコンビで」ってなった場合に『ライブテープ』とはまた違うところで観たい欲求や期待もあったんですけど、暗い東京で自分もあの当時すごく不安だったのをもう1回思い出しちゃって。さらに雨はあんなに降ってるし、前野さんの歌もすごく明るいわけじゃないじゃないですか(笑)。
前野 ね、かわいそうだよね(笑)。
- --- 夜から朝までさらに街が真っ暗になる中、あの状況で歌ってるのを観てると、すごく切ない気持ちになってきて。でも、あの予告編で松江さんと前野さんのそれぞれのコメントが入ったりしているからなのか、ちょっと救われる感じがありましたね。
松江 僕はあの予告は「説明しすぎだろう」って思いましたよ。でも、よかったと思ってます。あれは東風さんが作って下さったんですけど、自分からは絶対出て来ないし。
前野 いいですよね、あれ。
- --- 『トーキョードリフター』は映像もざらざらで画面が揺れてる感じでしたし、余計に切ない感じになって。でも、あの予告編を観て、寒い外からあったかい家に帰って来た感じというか(笑)、ちょっと距離が近付いた感じがしましたね。でも、あの時の東京は今はもう撮れないわけですし、時間が経てば経つほど『トーキョードリフター』はまた違う見え方をするのかなって思うんですけど。
松江 そうだと思いますね。でも、そういう風に感想を聞くと、長澤さんが今生活してて・・・というか、あの時、もやもやしてたんだと思いますよ。この映画って本当に観た人の感想が地震に対してどう思うかというか、今どう思ってるかっていうのが分かっちゃうんですよ。だから、「あのラストは明るい」っていう人もいるし、「暗い」っていう人もいるし、「元気が出た」って言う人もいるし、「もやもやする」って言う人もいるし。そこの話を聞いていくと今生活しててどう思ってるかっていうのが何となく伝わってくる感じがして。それは僕の今までの映画と全然違う感想だし、それはうれしいというか、対話が出来る映画なのかなって思いますね。
前野 僕の印象はね、『トーキョードリフター』の撮影は1日というか半日?それは『ライブテープ』と一緒でライブをやったっていう感じでしかないんですよね。決定的に違うのは『ライブテープ』の時は歌って、あれ以上何もすることが出来ないって感じだったんですけど、『トーキョードリフター』はずーっと続いてるんですよ。あれを5月に撮って、8月の韓国に行くぎりぎりまでずーっとエンディングを作る作業をしてて。だから、制作期間が一緒っていうか、長いんですよね。だから、ライブをしただけというよりも僕も映画に参加させてもらったって感じがするんですよ。それが『ライブテープ』とはまた全然違う感じで。あの時は「俺、歌っただけなのに・・・」みたいな。
松江 タカアキさんにお任せというかね。
前野 うん。「俺、何にもしてないのにこんなんでいいのかな」って(笑)。でも、今回は一緒に制作チームに入ったって感じがして、「良い映画にしたいな」っていう(笑)、そういう気持ちが強いので今回はそのへんが全然違いますね。それでさらに松江さんから最初に誘ってもらったのが「東京の暗い夜を遊びませんか?」だったんですけど、その遊びがずっと僕の中で続いたというか、続けさせたかったというか。映画で遊んで、「音楽もっと遊べるよ」っていうのをみんなに見せたかったから、サントラじゃなくて、「こりゃあもう、ドリフトさせちゃおう」みたいな感じになって、どんどんどんどん壊していったっていうのがありますね。で、それがまたさらに続いてるから(笑)、ずーっとドリフトし続けてて、「まだ終わってないの?」って。それが全然違う経験なので、またおもしろい経験が出来たなって。
- --- そういう遊びから、「主題歌を作ってみよう」とか「松江さんに作詞をお願いしよう」、「他のミュージシャンとコラボしてみよう」って気持ちが生まれて来たんですか?
前野 そうそうそうそう。
松江 いや、「してみよう」じゃなくて・・・前野さんからがさっき言ったようにね、「本心聞かせてよ」ってことなんですよ(笑)。
前野 そうそうそうそう!松江さん、言わないんだもん、本心。
松江 ロケハンの時に前野さんが寝起きで、朝日を見た時に「ここで「あたらしい朝」を歌って、その後、どうしよっか?」みたいに言ってる時に「これ、主題歌が必要だね」って話になって、「松江さん、歌詞書いてください」って言われたんですよ。
前野 本当にね、松江さんは本心言わないですから。あんなに引きずり回して、いきなり「飯食べよっか」みたいな。「いやいやいやー」ってなるでしょ、それは(笑)。
松江 僕は絶対言わないですよ、撮影してる時も。本心なんて言っちゃいけない!
前野 だってね、最初の「鴨川」を歌う時にバイクで移動してますよね?あれ、何回も撮り直してるんですよ。
松江 何回もって3回くらいだよ!
前野 松江さん、何か怒ってて。
松江 いや、それは岩淵くんにね。
前野 いや、僕にも電話がかかって来て、バイクの出るタイミングがすっげえ難しいのに(笑)、すっごい怒られて。こっちはバイクが濡れちゃいけないと思って、防水スプレーとかでめちゃくちゃ気遣ってるのに。駅のところね、1回止まんないと絶対無理だよ、あれは!(笑)。
松江 だって、点でしか見えてないから(笑)。
前野 とあるビルの10何階から撮ったんですけど。
松江 「見えねえよ!」って話だよね(笑)。
前野 先頭走んなきゃいけないんだけど、車速いし、信号のタイミング難しいし・・・みたいなので何回もやりましたね。
松江 僕、映画撮ってる時は怖い(笑)。
前野 だから、何かこっちもピリピリして来て。でも、本心言わないし・・・みたいな。その本心言わない感じはロケハンの時からずっとあったから「俺、これはさすがに出来ないかも・・・」って思ったんですよね。このまま委ねられて歌うのは出来ないかなって。あの時期は結構キツかったし、「もうちょっと松江さんの気持ち聞かないと」って。でも、直接聞くのは野暮だし、松江さんは歌詞とか絶対書けそうだなあって思って。しかも、いいの書いてきそうだなって思って。「ちょっと書いてくれませんか?」って(笑)。
松江 そういう風に言われたら、僕はもう全然OKですよ。例えばね、前野さんに「この作品の狙いは何ですか?」って聞かれたら・・・僕のスタッフとかも聞かないんですよ。場合によりけりですけど、そういうことを聞いてくる人がいたら、僕はその人と次はやらないかもしれないですね。そこを探すためにやってるのに、「僕の指示が必要なの?」っていう。ちょっとそういう指示待ちみたいなスタッフとは合わないですね。「このカメラで撮るとか暗い東京を撮るって言ったらそこで分からない?」っていう。ただそれに対しての狙いうんぬんは言いたくないです、僕は絶対。でも、前野さんから「作詞して」って言われた時はもう全然素直に「すぐやりますよ」って1週間でばーっと書いて。そういう準備はすぐ出来ます。それは僕がスタッフに対して要求してることだから、スタッフから「こういうことして」って言われた時に「出来ない」って言ったら、それは失礼だと思うから。
- --- 初めてですか、作詞は?
前野 いや、たぶん書いてますよ。結構書いてると思いますよ。
松江 いや、書いてない、書いてない。
前野 昔はノートとかに書いてたと思いますよ。
松江 いや、ないないないない!(笑)。そういうのはない、本当にない。
前野 何かね、書き慣れてる感じがする。
松江 本当にお遊びで書いたことはあったけど、歌詞に対して前野さんが「あ、これはダメだ」とかね、何を言われても僕は音楽の人ではないから、前野さんがどういう風に判断してもいいなって思ったから。ただ一応ね、自分の本心っていうか、自分が「この作品の最後にこういう風に流れて欲しいな」、「今、こう思ってるな」ってことは書きましたよ。それでいいか悪いかは分かんなかったけど。
- --- 誰かの歌詞を前野さんが歌うっていうのも新しい試みですよね?
前野 そうですね。それは「遊ぶ」っていうキーワードがすごく大きくて。自分が歌詞を書いて歌うっていうことはオリジナルアルバムを3枚作ってもうずっとやって来てることだし、最初から3部作っていうのがあったので、そこで一区切りして「もっと新しいことをしたい」っていう時にこれはちょうどおもしろいかもなって思って。「トーキョードリフター トーキョードリフター トーキョードリフター」って歌詞が続いた時に、「あ、これは歌える。上手いな、松江さん」って思いましたね。だから、僕の「トーキョードリフター」って気持ちはメロディーにすごく乗ったし、僕の「トーキョードリフター」はこれかなっていうのを歌で出来た気がするから。で、あとは「ジョンとヨーコみたいな笑い者になりたい」って歌詞は絶対ね、自分からは出て来ないし。
- --- 松江さんっぽいなって思いました。
前野 ぽい、ぽい。でもね、「あそこがすごいいい」ってよく言われるんですよ。
- --- 前野さんはこう書かないなって気がしました。でもそれは、作詞:松江哲明ってクレジットを見て改めてそう思ったんですけど。
松江 でも、映画ではクレジット出したくなかったんですよ、「作詞:松江哲明」なんて。だから、別にそれは前野さんの曲だって思ってくれてもいいんですよ。でも、言ってないのに気付く人はいた。「最後の歌、前野くんの歌じゃないでしょ?」って。
前野 僕は今まで言葉にすごく重点を置いて作業してきてるので、人の詞を歌うっていうのはすごく勇気がいることで本当になかなかレコーディングが進まなくて、1回ね、歌詞をもう全部変えちゃおうかって思った時もあったんですよ。で、松江さんに相談というか聞いてみたりしたら、「この映画を観てみるといいですよ」って、その時に教えてもらった映画を観たりして。
松江 あ、そうだ!
前野 『セプテンバー11』(2001年9月11日、ニューヨークとワシントンD.C.を震撼させた同時多発テロ事件。この事件と教訓を風化させないため、各国から11人の有名監督が各々の視点による「11分9秒1フレーム」の短編映画を創り上げ、平和へのメッセージと共に描いた感動作)とかね。で、全然違う歌詞で1回歌録りしたりもしたんですけど、やっぱり何か違くて。で、もう1回歌ってみよう、松江さんを愛してみようと思って。
松江 (笑)。
- --- 愛す?
前野 うん。やっぱりこう・・・何かね、ぶつかる関係みたいなのがおもしろいって何となく思ってたんですけど、これはもうどっぷり、むしろ愛し切っちゃった方が、振り切っちゃった方がいいんじゃないかなって思って。で、どっぷり行ったんですよね。入っていった、ぐーって。ぐーって入っていった。
- --- ぐーって(笑)。2回言いましたね。
前野 (笑)。で、ぐーって入ったら、松江さんの歌詞がふわーって立ち上がって来て、「これはイケる」って思って。松江さんを愛そうって思ったら上手くいきましたね。だから、「トーキョードリフター」は今歌ってても楽しいし。でも、5年後は分からない、2年後は分からない。すげえ嫌いになってるかもしれないし。でも、1回愛してCDにしたから、それはすごくよかったと思うし。その作業って今まで全くやったことなかったから。あと、松江さんは強いですからね、言葉が。松江さんは言葉の人っていうところもあるし、僕の中では。で、やっぱりね、僕はなかなか愛せないんですよ、人を。松江さんはたぶん愛せる人なんですよ。僕はね、どちらかと言うとこう・・・。
松江 分かる、分かる(笑)。前野さんはね、そう、あんまり人を愛さない。それ、すっごい分かる!(笑)。歌もそうじゃないですか。
前野 いや、歌は愛してますよ。
松江 いや・・・「あたらしい朝」とかさ、こっちの言うことに「ああ・・・」って言っちゃう人じゃん!(笑)。そこ言おうよ!(笑)。そこを言うのが愛だよ。
前野 いや、あれは歌ですから(笑)。まあね、そういう意味では僕も自分の今までの中では思い切ったことが出来たなって思うし。だから、それでまたサウンドを壊したいと思って、アナログフィッシュに頼んだらおもしろいかなって思ったんですよね。
- --- かっこいいアレンジでしたね。弾き語りVer.と同じ曲に全く感じないですよね。
松江 ね!全然違った。
前野 それはね、「遊びませんか?」がずっと続いてて(笑)、「もっと音楽遊べるぜ」っていうのを松江さんにも見てもらいたかったし。「遊ぶってこれだぜ」っていうか。
松江 スタジオ行って泣きましたもん、僕。
前野 レコーディングに来てもらったんですよ。
松江 そう。「はじめまして」って挨拶する前にアナログフィッシュのみなさんはもうスタジオに入ってて。僕が座った時にちょうど一発目の歌録りで。「前野くん、歌ちょっと入り過ぎてるから、もっと力抜いていいよ」みたいなことを言ってる最初に歌入れしてた時で。すっごい感動した!全然違うって思って。
- --- こんな感じでいろんなコラボレーションをしていったら、本当にいろんな前野さんが聴けそうですよね。
前野 うん。それはね、松江さんの仕事を間近で見てて、どんどん転がしてく感じっていうのがすっごい勉強になってるので、もうこれ、やり切っちゃおうっていうのがありますね。で、アナログフィッシュもね、すごいかっこいいアレンジをぶつけて来てくれたから。僕、全く何にも言ってないんですよ。映画も見せてないし、あえて。
松江 そうそうそう。
前野 宅録バージョンも聴かせない状態で弾き語って音を送って。で、あれにしてもらったんですよ。スタジオに持って来た時いきなり何か・・・もう「えー」って感じになって(笑)。僕は何にもやってないのにすげえなって思って。で、このアレンジに合わせて歌が乗るように歌い方も変えて。そういうこともおもしろかったですね。
松江 歌がセクシーでしたね。「セクシーだなあ、色気あるなあ」って思って。今までの前野さんの歌でそういうのを聴いたことがなかったんですよ。「ファックミー」かも、歌詞がセクシーはあるけど、歌い方がセクシーなのはなかったから、すげえなって思って。
- --- それは何でしょうね?
前野 それはエンジニアの吉田仁さんの影響が結構大きいと思いますね。僕のライブを見て、「声が甘いから、色気みたいなのを出したい」って言ってくれてたみたいで。そこを結構ついて音を作ってくれたと思うんですよね。その吉田さんはフリッパーズギターとかをずっとやってた人だったんで、音の作り方とかもおもしろくて。そういうのをfelicityっていうレーベルで出来たのもおもしろかったし。でも、声がそっか・・・セクシー・・・まあ、ずーっとセクシーですけどね。
松江 (笑)。
- --- 石橋英子さんとの「ファックミー」もいいですね。
前野 石橋さんもね、本当に素晴らしいですよ。
- --- 最後に「んー♪」って一緒に歌うところとかきゅんとします(笑)。今後もまだどんどんドリフトしていく感じは続きそうですか?
前野 そうですねえ。音楽は本当に遊ばせてもらいました。大変でしたけどね。『トーキョードリフター』って僕にとってそういう映画というか言葉というかでしたね。元々東京で何かやるために集まって来てる人がいて、そういう人達と何かやれたって方がすごく大きかった。東京にいる意味というか。アナログフィッシュも東京に出て来たバンドだし。松江さんは東京人なんですけどね。
松江 僕は全くそういう感覚はない。だから、今の話を聞いても全然そこには感動しない。そういう人が集まるってことはそこにすごく意味があるのかもしれないけど、僕はそういう人達から出来た物にすごく意味があると思ってるので。東京で何かするってことには僕は全くどうでもいい感じですね。そこが違うよね。
前野 それは「東京2011」っていうまだ音源化してない劇中で歌ってる歌を映画で聴いて欲しいですね。僕と松江さんの東京観の違いがすごく出てると思うので。
松江 そうだね、全然違うからね。
前野 僕の東京でのあの5月くらいの時の気持ちを歌ってます。
松江 僕はそれよりもコンビニの前で歌ってる「だれかの」の方が近いかな。「だれかの営み 僕は知りたい」とか、そういうことの方が。で、後から聞いたけど、あれは秋葉原の事件のことなんでしょ?
前野 そうですね。
松江 そういう方が自分にとっては東京っぽい。
前野 直接的ではないですけど、「さみしいだけ」ってアルバムに入れる時の歌入れの時に「だれかの歌 僕は知らない だれかの歌 僕は聞きたい」って、「だれかの」っていうのは何となくそういう犯人・・・まあ、犯罪者の気持ちというかは分かるわけないんだけど、歌は聞きたいっていう。話したらたぶん、おもしろいと思うんですけどね。
松江 でも、そっちの方が僕は近いし、あのシーンの方がすごく自分の東京が撮れたなっていう感じがしたんですよね。「東京2011」はむしろ、前野さん。歌としては大好きですけど、自分の東京観ではない。
前野 まずは『トーキョードリフター』を観て頂いて、CDも聴いてもらって。
松江 よろしくお願いします。
前野 じゃあ、次のスケジュールが詰まってるのでそろそろ・・・(笑)。
- --- このあたりで(笑)。今日はありがとうございました。
松江&前野 ありがとうございました。
※岩淵弘樹 1983年、宮城県生まれ。東北芸術工科大学映像コース在学中に制作した『いのちについて』が「ショートショートフィルムフェスティバルアジア2004」に入選。05年の卒業後、埼玉県の工場で派遣社員としての生活を記録した『遭難フリーター』が2007年山形国際ドキュメンタリー映画祭「ニュードックスジャパン」に招待され、09年一般公開された。現在は介護福祉の職につきながら、豊田道倫や前野健太などのPVの撮影を行い、自作を準備中。
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※山本タカアキ(録音) 1977年、静岡県生まれ。日本大学芸術学部映画学科録音コース卒業。冨永昌敬、沖田修一、入江悠をはじめ、多くの若手映像作家の作品に録音/整音で参加。映像以外にも万博パビリオンから研究用音声に至るまで多種多様の音声を扱う。冨永監督との『亀虫』、『パビリオン山椒魚』、『乱暴と待機』や『SR サイタマノラッパー』シリーズ、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(入江監督)、『婚前特急』(前田弘二監督)等がある。
※近藤龍人(撮影) 1976年、愛知県生まれ。95年大阪芸術大学映像学科に進み、山下敦弘監督ら同期のメンバーと多くの作品を制作。『ばかのハコ船』、『天然コケッコー』、『マイ・バック・ページ』等で撮影監督をつとめ、山下監督作品には欠かせない存在となる。2010年『パーマネント野ばら』(吉田大八監督)で三浦賞(日本映画撮影監督協会新人賞)を受賞。その他の作品に『ウルトラミラクルラブストーリー』(横浜聡子監督)、『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)、『さや侍』(松本人志監督)等がある。熊切監督『莫逆家族―バクギャクファミーリア―』が2012年春公開予定。
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※アナログフィッシュ ボーカリスト2人を擁するロックバンド。1999年に佐々木健太郎(Vo,B)と下岡晃(Vo,G)がデモテープ作りを始めたのをきっかけに結成される。2001年からはサポートドラマーを迎えて都内でライブ活動開始。2002年に斉藤州一郎(Dr,Vo)が加入し、現在の編成となる。2003年にアルバム「世界は幻」とミニアルバム「日曜日の夜みたいだ」を発表。これが好評を得て、2004年6月に2作を1枚にまとめたアルバム「アナログフィッシュ」でメジャーデビューを果たす。その後もクオリティの高い作品を連発。「FUJI ROCK FESTIVAL」をはじめとする夏フェスにも多数出演してきたが、2008年3月にドラムの斉藤が病気を理由にバンドを脱退。現在は佐々木と下岡の2人にサポートドラマーを迎えて、精力的な活動を続けている。
※石橋英子 茂原市出身の音楽家。大学時代よりドラマーとして活動を開始し、いくつかのバンドで活動。映画音楽の制作をきっかけとして数年前よりソロとしての作品を作り始める。その後、2枚のソロアルバムをリリース。ピアノをメインとしながらドラム、フルート、ヴィブラフォン等も演奏するマルチ・プレイヤー。シンガー・ソングライターであり、セッション・プレイヤー、プロデューサーと、石橋英子の肩書きでジャンルやフィールドを越え、漂いながら活動中。最近では七尾旅人、Phew、タテタカコ、長谷川健一の作品に参加。
© 2011 Tip Top
『トーキョードリフター』 松江哲明監督監修・完全自主制作!2枚組のコレクターズエディションでDVD化!
本編72分+特典94分+112Pブックレット
◇DISC1 本編ディスク
『トーキョードリフター』本編(72min)
音声特典 前野健太(主演・音楽)、松江哲明(監督)によるオーディオコメンタリー
◇DISC2 特典ディスク
*メイキング『ロードムービー』演出・構成:松江哲明(68min)
2011年3月11日15時32分、地震直後の新宿アルタ前の映像から始まり、前野健太が初めて歌った「トーキョードリフター(未発表ver.)」で終わるもう一つの『トーキョードリフター』。劇場公開時に行われたトークイベントの音声を軸に節電中の東京のロケハン、本編では使用されなかった未発表映像、韓国のサウナといった映像がインサートされる。「暗い東京を撮りたい」と言った松江に対し、前野健太が「一人で撮ればいいじゃないですか」と返した言葉に対する返答とも言える68分のドキュメンタリー。
声の出演:九龍ジョー、坂口恭平(建築家)、卯城竜太(Chim↑Pom)、磯部涼(音楽ライター)、安岡卓治(プロデューサー)、山本寛(アニメーション監督)
歌:前野健太 「あたらしい朝」「こどもの日」「せなか」「トーキョードリフター(未発表ver.)」
*インタビュー集『interview with TOKYO DRIETR』撮影・編集:遠山慎二(17min)
一切、歌とバイク以外描かれない本編に対し、松江と前野が想いを語ったことで話題となった予告編を制作した遠山慎二によるインタビュー集。予告編のベースとなった松江×前野のインタビューと深夜の渋谷スクランブル交差点で行われたポスター撮影の様子が描かれる。
*前野健太×アナログフィッシュ『トーキョードリフター(CDバージョン)』
MV 監督・編集:GROUNDRIDDM(5min)
*予告編(2min)
◇ブックレット(112P)
劇場公開時に巻き起こった賛否両論のレビューをまとめ、本DVD制作で最も手間と時間と協力を注いだ前代未聞のブックレット。映画祭パンフレット、雑誌、週刊誌、新聞、ネットレビューに至るまで強度ある記事をそのまま縮小し、なんと112ページのボリュームで掲載!
前野健太、4枚目のNEWアルバム「オレらは肉の歩く朝」はジム・オルークがプロデュース・録音・ミックス!
【HMVオリジナル特典】 ステッカー
【参加ミュージシャン】
石橋英子、ジム・オルーク、須藤俊明、pop 鈴木、大久保日向、吉田悠樹、波多野敦子、山本達久
「オレらは肉の歩く朝」 収録楽曲
01. 国歌コーラン節
02. 伊豆の踊り子
03. 興味があるの
04. 看護婦たちは
05. オレらは肉の歩く朝
06. 海が見た夢
07. 東京の空
08. ジョギングしたり、タバコやめたり
09. 街の灯り
10. 東京2011
11. あんな夏
12. 女を買いに行こう
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- トーキョードリフター: コレクターズ・エディション
- 2013年1月23日
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- 前野健太: オレらは肉の歩く朝
- 2013年1月23日
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- 前野健太: トーキョードリフター
- 2011年12月14日
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- ライブテープ: コレクターズ・エディション
- 2011年12月07日
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- ライブテープ オリジナル・サウンド・トラック
- 2010年01月01日
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- DV
- 2011年02月13日
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- 前野健太: ファックミー
- 2011年02月06日
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- 前野健太: さみしいだけ
- 2009年01月23日
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- 前野健太: ロマンスカー
- 2007年09月05日
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- 梅田優子の告白
- 2009年03月27日
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- デトロイト・メタル・シティ: スペシャル・エディション
- 2009年02月13日
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- あんにょん由美香
- 2010年02月27日
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- あんにょん由美香 オリジナル・サウンド・トラック
- 2009年06月27日
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- セキ☆ララ
- 2007年08月03日
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- 松江哲明: 質疑応答のプロになる!「映画に参加するために」
- 2010年10月
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- 松江哲明: セルフ・ドキュメンタリー 映画監督・松江哲明ができるまで
- 2010年09月
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- 松江哲明: 童貞。をプロファイル
- 2008年06月
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- 手錠
- 2004年11月26日
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- 花井さちこの華麗な生涯
- 2006年04月28日
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- 矢野顕子: HMV・ローソン限定販売: 『監督失格』サントラ
- 2011年10月12日
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- 女優 林由美香
- 2006年10月
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前野健太
1979年、埼玉県生まれ。ミュージシャン。2000年頃より作詞・作曲を始め、07年、アルバム「ロマンスカー」でデビュー。同作収録の曲「天気予報」が映画『デトロイト・メタル・シティ』(李闘士男監督)のメイキング映像の挿入歌として使用される。09年、アルバム「さみしいだけ」を発表。09年元旦に吉祥寺の街中で撮影された前野健太主演のドキュメンタリー映画『ライブテープ』が第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」で作品賞を受賞、全国で公開され日本のみならずドイツ、ニューヨーク、ロンドンなどでもライブを繰り広げた。2011年2月、アルバム「ファックミー」を発表。松江哲明監督によるライブドキュメンタリーDVD『DV』が発売された。「前野健太とDAVID BOWIEたち」、「前野健太とおとぎ話」などバンド形態でも活動。今年は、「ARABAKI ROCK FES’11」などのロックフェスにも多数出演し、映画『モテキ』(大根仁監督)で「友達じゃがまんできない」が挿入歌として使われる。
松江哲明
1977年、東京都生まれ。99年、日本映画学校(現・日本映画大学)卒業制作として監督した『あんにょんキムチ』が99年山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波特別賞」、「NETPAC特別賞」、平成12年度「文化庁優秀映画賞」などを受賞。その後、『カレーライスの女たち』、『童貞。をプロデュース』など刺激的な作品をコンスタントに発表。2009年、女優・林由美香を追った『あんにょん由美香』で第64回毎日映画コンクール「ドキュメンタリー賞」、前野健太が吉祥寺を歌い歩く74分ワンシーンワンカットの『ライブテープ』で第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」作品賞、第10回ニッポン・コネクション「ニッポンデジタルアワード」を受賞。著書に「童貞。をプロファイル」、「セルフ・ドキュメンタリー―映画監督・松江哲明ができるまで」など。11月下旬フィルムアート社より「映像作家サバイバル入門 自分で作る / 広める / 回収するために」が刊行された。

