「予想を超えた大演奏〜スヴェトラーノフのガーシュイン」
Friday, July 15th 2011
連載 許光俊の言いたい放題 第195回「予想を超えた大演奏〜スヴェトラーノフのガーシュイン」
暑い、猛烈に暑い。毎年、この時期のコラムはこうやって書き出している気がする。実は夏は百円アイスの食べ比べが私のひそかな楽しみなのだが、これほど暑いとついつい毎日何度も冷凍庫を開けたくなってしまう。ところが、この暑さを完全に忘れさせてしまう強烈なCDが登場した。スヴェトラーノフがスウェーデン放送交響楽団を指揮したガーシュイン集だ。1996年、晩年のコンサートの記録である。
最初の「パリのアメリカ人」の再生を始めるやいなや、いきなり非日常的な空間が広がるので驚いてしまう。常識では考えられないゆっくりしたテンポなのだが、物理的な速度云々ではなく、明らかにそこだけ異次元の風が吹いているのだ。
そもそもガーシュイン最大の個性とは、他に例がない強烈な生命力の燃焼。熱く、激しいのである(悪く言うと、騒がしくて落ち着きがない)。だが、スヴェトラーノフのこの演奏の場合、まったく熱くない。激しくもない。淡々と静かな音楽が流れていくのだ。聴いていて、誰の作品の音楽を聴いているのかわからなくなってしまう瞬間もある。ある意味、クレンペラーみたいだ。
そしてこの演奏、とにかく異常に美しい。この曲が、あちこちでまるでラヴェルのように聞こえる。弦も管も透明感ある響きの美しさ、しみじみした情感の深さは類例がない。また、ひとつひとつ克明に鳴らされる音の積み重なりは、これまたクレンペラーのようでもある。
この演奏でパリを歩いているアメリカ人は、これから広い世界に打って出ようという若者ではない。死ぬ前にもう一度パリを見てみたいと訪れた老人なのだ。あらゆる風景が現在でありながら、過去の記憶を呼び出していくセンチメンタル・ジャーニー。トラック2から始まるあまりにも悲しい音楽には、口をあんぐりさせて聴き入ってしまった。指揮棒にハエが止まるのではないかと思われるほどの信じられない遅い速度をキープして、一瞬一瞬を愛でるようにして奏でられる音楽のすさまじさ。手を合わせて祈りたくなるほど神々しい。こんな演奏をやってしまうスヴェトラーノフもすごいが、完璧についてくるオーケストラもすごい。北欧の楽壇ならではの澄んだ響きが、スヴェトラーノフの解釈にピタリと合っている。その後、これまた想像を超えたテンポで仰ぎ見るような巨大さを経て、長い余韻を残して終えられるのだ。
私はガーシュインが好きで、いろいろなCDも聴いてきたけれど、間違いなく空前絶後の別格的な名演奏であり、私が知る最高のガーシュイン演奏と断言したい。スヴェトラーノフがその昔ソヴィエトで録音したという旧録音は聴いたことはないが、この晩年の清らかな境地とは別種の演奏であろうことは容易に想像できる。「ポーギーとベス」もすばらしい。「パリのアメリカ人」同様、シンフォニックな立派さが目立つ。「サマータイム」の虚無的な美しさは、この酷暑の中にあってさえ寒気がするほどだ。近年ではアーノンクールの「ポーギーとベス」もすばらしかったが、あれとは別の方向性だ。これはアーノンクールが指摘するまであまり言われてこなかったことだが、「ポーギー」は明らかにミュージカルにしては深刻すぎ、大きすぎ、重たすぎる。本当はベルクの「ヴォツェック」と並べられるべき悲惨な20世紀の音楽劇なのだ。極端な躁状態から沈鬱まで、その振幅の大きさはマーラーのようだ。そして、音楽が明るく盛り上がれば盛り上がるほど悲しみに届いてしまうのがガーシュインの個性なのである。ただし、スヴェトラーノフの演奏は、原作もストーリーも離れ、ひたすら純粋音楽として見事。キッチリカッチリしている。ワーグナーもかくやという豊かな響きは圧巻だし、あちこちでこの曲を初めて聴いているという錯覚がする。
「ピアノ協奏曲ヘ調」では、この作品がクラシック的形式・様式を強く意識した作品であることがハッキリ示されている。他のそれらしくノリがいい演奏では、ガーシュインの個性にばかり目がいき、彼がクラシック作品を書こうとしたことが意外にもわかりにくいのが常だ。この曲は案外チャイコフスキーやラフマニノフと近いのかもしれないと思えてくる。
発売が予告されてから首を長くして待っていたが、期待をはるかに上回る衝撃的な演奏だった。音質も極上だ。「ガーシュインはアメリカンでハデハデな演奏でないと・・・」と思いこんでいるのでなければ、必聴だ。「パリのアメリカ人」を聴きながら、自分の葬式にはこれがいいかもしれないとまで考えたほどだが、そんなふうに思わせる「パリのアメリカ人」が他にあるはずがないではないか。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
for Bronze / Gold / Platinum Stage.
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An American in Paris, Piano Concerto, etc : Svetlanov / Swedish Radio Syomphony Orchestra, Siegel(P)(1996)(2CD)
Gershwin (1898-1937)
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Import Franck Symphony, Chausson Symphony : Svetlanov / Swedish Radio Syomphony Orchestra (1979, 2002)
Franck, Cesar (1822-1890)
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Bruckner (1824-1896)
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生きていくためのクラシック -世界最高のクラシック 第2章 光文社新書
MITSUTOSHI KYO
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Release Date:October/2003
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