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鈴木惣一朗に聞く、ワールドスタンダード『シレンシオ』の世界 【2】

2010年10月15日 (金)

interview


--- 『シレンシオ』にはカボ・ヴェルデやミナスの音楽にも通じる、光や風や水の言葉を思い浮かべます。(Y)

そうですね、カボ・ヴェルデの音楽憧れます。光や風や水…アルゼンチンやブラジルのミュージシャンはよくその言葉を使いますよね。感覚的によく分かります。特にアルゼンチンの音楽ってブラジルのサンバやボサノヴァと違って、何と言うのか…楚々としているし、奥ゆかしい。印象派や絵画的な感じがしますね。渋いとか地味ではなく本当に深い一生もの。今のシーンって、カフェ文化からブラジル音楽の学習がある程度済んで、場所をアルゼンチンに移したということではなくて、ミナス経由で音楽のより深い所に入っていくような、そこはリズムの世界ではなく、ハーモーニーと美意識の世界という気がします。フアナ・モリーナのような音響系アーティストをファッションとして入り口にした人でも、音楽の深い場所にいくことが出来れば、アルゼンチンを流行ではなくずっと聴いていくと思いますよ。

--- アルゼンチンというのはキーワードの一つにすぎなくて、良い耳を持ったリスナーはジャンルレスで美しい音楽を聴きますからね。(K)

以前「ひとり」という本を作った時もそうで、一つの美意識を持てれば、ジャンルレスでどんどん繋がって行きます。例えばアルゼンチンから飛び火してイノセンス・ミッションに行って、互いに関連性がなくても同じように聴ける耳をニュートラルに持てれば幸せですよね。でもそれはCD屋さんやバイヤーの人たちにとっては、ノン・ジャンルになってしまう難しさもある。でも音楽の楽しみって、結局はこういう繋がりだから。CD屋さんで“素晴らしきメランコリーの世界”があんな風にディスプレイされていたのは、ピースだなぁと思っていました。

--- ありがとうございます。でもそういう聴き方を教えてくれたのは惣一朗さんや橋本さんなんですよ。それに僕は惣一朗さんの書いた本が大好きなのですが、特に惣一朗さんのルーツにロックがある所にぐっと来るんですよ。(K)

核にあるのはビートルズなんですよ。カエターノやトロピカリズモの核にもビートルズがあるようにロック・カルチャーの影響下でエキゾチシズムを探していくというのが面白い。僕にはビートルズやはっぴいえんどなど帰れる場所があるので、思いっきりエキゾチックになれる。たぶん片方しか知らなかったら自分のバランスがおかしくなる、アルゼンチンの音楽を聴いていてもビートルズ的なものを見つける耳が働きます。音楽の成り立ちはビートルズで全部学んだ、だから検証できる。

--- とても興味深いですね。そのお話を聞いて惣一朗さんの音楽の深さにも納得がいきますね。(Y)

それに僕は、中村八大さんやいずみたくさんなどいわゆる昭和の歌謡曲で育った最後の世代で、だから僕の音楽はJポップにもJロックにも行けなくなった、ねじれてしまった。日本のメロディはこころに入っているんだけど、いつも疑問は一体自分は今、何処にいるのかということなんですが、『シレンシオ』はさっき言ったようなアーティストや音楽へのぼくなりの回答、カルロス・アギーレにはワールドスタンダードの「雪の降る街を」のカヴァーを聴いて欲しいです。この曲はアリ・カリウスマキの映画『ラヴィ・ド・ボエーム』のエンディングでも流れるんですよ。それもすごくエキゾチックに響いていて。90年代のワールドミュージックのムーヴメントの頃、例えばグラウンド・ビートの上にピグミー族のコーラスが乗ったりしたのを聴いて「う〜ん…」って唸っていました、もっと咀嚼した方が面白いのにと。だから自分なりの咀嚼力として、日本の「雪の降るまちを」をカヴァーしても、セバスチャン・マッキがカヴァーしたらどうなるんだろう?という気分でやりました。ねじれてしまった日本人がアルゼンチン経由で一周して、日本を改めて見つめるというやり方で。「雪の降るまちを」の空間的な広がりとか、僕の中では日本語の歌でもアルゼンチン経由で拡大解釈してゆきました。

--- まったく違和感がなかったですね。僕はお客さんの立場で、この作品を実際にお店で探したい、見つけたいと思いました。しかるべき場所に置いて欲しいですね。カルロス・アギーレやヘナート・モタ&パトリシア・ロバートと一緒に並んでいて欲しいですね。そして聴いた人がこの作品をきっかけにさらに音楽の幅が広がって欲しいですね。(K)

そうだと一番いいですね。『Discover America』はヴァン・ダイク・パークスのソロの一枚ですが、ヴァン・ダイクは音楽のオーガナイザーでいつも色んな音楽を集約させて聴かせてくれる。細野さんの『泰安洋行』も同じことですが、それって“アルバム”に触れる醍醐味じゃないですか。曲単位でダウンロードできる時代になっても、データではなく、一枚のアルバムのパッケージを隅々まで見ること、デザインやブックレットの行間から読み取る力が大切です。このインタヴューもまさにそれと同じで、ネタばらしというよりもヒント。隠されたものを見つける感じしょうか、そうした洞察力や鑑賞力を身につければ、次につながっていきます。だから、『シレンシオ』を聴いてバッハ好きになってくれれば願ったり叶ったりです。アルバム単位で録音物をじっくり聴く喜びに帰って欲しい、アルバム製作中にすごく思っていました。実は今回はジャケットにもストーリーがあって、これは実際に買って頂かないと分からないように作ってあります。僕は音楽をやっぱり映像的に作っているので。

--- やっぱり手に取って聴くと想像も膨らみますよね。(Y)

映画は映像と音の総合芸術だから全てを語るけど、音楽はひとつの断片でしかない、ところがアルバムはひとつの映画と同じくらいの情報量というか、世界観が入っているのでそれを何度も聴くことで、聴くひとにとっての、そのひとだけの一篇の映画になると思います。ワールドスタンダードがインストのようなコーラスのような形態をとるのも、例えば『ミツバチのささやき』や『友だちのうちはどこ?』『赤い風船』『白い馬』、こういう映画を観ることと同じように絵画的で聴くひとの心象風景が膨らむといいなと思っていたからです。

--- 今のお話を聞いていて、ジョー・ヘンリーも同じようなことを言っていました。やはり作品はそれぞれにイメージしている映画があり、参加ミュージシャンにもその映画を見せるそうです。(K)

ジョー・ヘンリー出ましたね!僕も大好きですよ(笑)。たしかにジョー・ヘンリーのソロはひとつの映画ですよね

--- ジョー・ヘンリーと同じように、惣一朗さんの作品にも映像を喚起させてくれる何かがあると思います。実際どのようにアルバムのディレクションを行なうのですか?(K)

う〜ん、これはあまり言ったことがないですが。まずミュージシャンには全貌を聴かせないです。各プレイヤーが一曲通して聴くことが出来るのはアルバムが完成した時です。OKかどうかは録音している間にわかるので、レコーディングの時もプレイバックは時間の無駄だからしません。ミュージシャンには、あるイメージを与えますね。だから核な部分は演奏者に分からない、分からない状態の方が表現は深いですよ。僕も最終的にはアルバムがどうなるか分からず作っていますからね。

--- なるほど、でも出来上がった音はなんでこんなに自然なのでしょう。(K)

それはチームワークです(笑)。普段、メンバーとたくさん音楽の話をしますからね。例えば、音楽は演奏をしていない部分や休符が多い程、語る部分が多かったりするんです。そうしたことはよく話します。ライヴも9人でやったりしますが、それは9人全員のアンサンブルをフルで描いているわけではなくて、みんな少しづつ色を出してくれればいいんですよ。100の力がある人たちが一斉に100を出してしまうとダメ。こうしたことを教えてくれたのは故サイモン・ジェフス/ペンギン・カフェ・オーケストラですね。メンバーが沢山いるのに全くうるさくないですからね。ジェームス・テーラーもそう。カルロス・アギーレの音楽も全然声高にならない、ライ・クーダーもそうですね。いい音楽家は全部を語らずに必ず隙間を作ります。聞き手の座る椅子を用意しているんです。

--- ラム・チョップでも同じような言及をされていましたよね。(Y)

おお、ラム・チョップ!まさに100%そうです(笑)。沢山いるに全然演奏しないという南部のバンド。それとさっきの咀嚼力ですけど、ラムチョップもコアな部分はカントリーではなく実はソウルなんですよ。彼らはカーティス・メイフィールドが大好きなんです。あの編成でカーティスのようなソウル・ミュージックができるのはよく“咀嚼”をしているからですよね。

--- カルロス・アギーレもグルーポではミュージシャンそれぞれの力量を理解して、持っている力以上のものは出さず、持っている最大限を引き出す努力をしているそうです。(Y)

そういう精神性や佇まいを含めてカルロス・アギーレをはじめとするアルゼンチンの人たちの無理の無い演奏というかオーガニックな感情や隙間がいっぱいあるのがいいなと思いますね。

--- そういう意味でも『シレンシオ』のような静かに優しく寄り添う音楽は、この閉鎖的な時代には必要で長く愛されると思います。(K)

優しく寄り添う音楽…視点は違うかもしれませんが、ジョルジュ・ムスタキとかドリ・カイミとか重要な人物ではあるんですけど、日本では評価がされにくいですよね。でも一度良さを分かってしまうと、ずっと寄り添ってくれるアーティストなんですよ。フランソワーズ・アルディのギタリスト/トゥッカとの共演盤『La Question』もそうです、あれは一生聴けますよ。ヴァシュティ・バニヤンから辿って、辺境の高額なアシッド・フォークを探すなら少し視点を変えれば、こんなに凄い作品がレアではなくフレンチ・ポップスのすぐ側にあるんです。

--- トゥッカはナラ・レオン『美しきボサノヴァのミューズ』でも弾いてますね。(Y)

そう、ナラ・レオンのあのアルバムも同じ質感がありますね。ここでもアルディとナラがピープル・ツリーで繋がる面白さがあります。


(次項へ続きます)




profile

ワールドスタンダード (鈴木惣一朗) :
1959年生まれ。
83年にインストゥルメンタル主体のポップグループ World Standardを結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。95年、ロングセラーの音楽書籍『モンド・ミュージック』で、ラウンジ・ミュージック・ブームの火付け役として注目を浴び、97年から5年の歳月をかけた「ディスカヴァー・アメリカ3部作」は、デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスが絶賛。
近年ではビューティフル・ハミングバード、中納良恵、ハナレグミ等、多くのアーティストをプロデュース。