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「ベンダ・ビリリ!」 監督インタビュー

2010年8月17日 (火)

interview
「ベンダ・ビリリ! 〜もう一つのキンシャサの奇跡」 ルノー・バレ&フローラン・ドラテュライ監督 インタビュー


 2010年5月。カンヌ映画祭を今年最も熱く興奮させたのは、ハリウッドの有名セレブではなく、コンゴの路上からやって来た、手作り楽器で誰にも真似できない音楽を演奏する車椅子4人と松葉杖1人を含むバンド「スタッフ・ベンダ・ビリリ」だった。 彼らが数々の困難や挫折を乗り越え、2009年にアルバム『Tres Tres Fort: 屈強のコンゴ魂』を世界発売し、大々的な成功を収めるまでの5年間を記録したのが、ドキュメンタリー映画『ベンダ・ビリリ! 〜もう一つのキンシャサの奇跡』なのである。

 監督は、ルノー・バレ、フローラン・ドラテュライというふたりの陽気なフランス人。すっかりこの国の音楽の魅力に取り付かれた彼らは、ハンディカムを片手に着の身着のままでコンゴに渡り、現地のストリート・ミュージシャンにカメラを向け続けてきた。そこで出会ったバンドこそが、スタッフ・ベンダ・ビリリ。9月11日からの全国ロードショー、さらには9月25日からのベンダ・ビリリ日本公演を控え、ワールド・ミュージック・ファンだけでなくすべての不屈の民を巻き込み、大きな盛り上がりを見せる中、急遽来日したルノー、フローラン両氏にお話を伺う機会を得た。


インタビュー/構成: 小浜文晶
 




9月11日(土)より、
シアターイメージフォーラムほか全国順次公開


コンゴのどん底から世界No.1バンドへ

   今年5月のカンヌ国際映画祭〈監督週間〉オープニング作品に選ばれた『ベンダ・ビリリ 〜もう一つのキンシャサの奇跡』。コンゴの首都キンシャサで、動物園や路上に暮らす、車椅子4人、松葉杖1人とメンバーに拾われたストリート・チルドレンで編成されたバンド、スタッフ・ベンダ・ビリリが数々の困難を乗り越え、アルバムを発売、奇跡的な大成功をおさめるまでの5年間を記録した感動のドキュメンタリー、いよいよ9月11日(土)公開!

監督:ルノー・バレ&フローラン・ドラテュライ
2010/France/1:1.85/Dolby SRD/1h27/Documentary
字幕:松岡葉子 原題:BENDA BILILI!
提供:プランクトン 配給:ムヴィオラ、プランクトン
Copyright 2010 Plankton Co., Ltd. All rights reserved.



--- 今回のドキュメンタリー映画「ベンダ・ビリリ」は、2004年12月から物語がスタートしています。そもそもお二人がキンシャサを訪れたきっかけというのは?

フローラン・ドラテュライ(以下、フローラン) 2004年の12月にスタッフ・ベンダ・ビリリ(以下、ベンダ・ビリリ)に出会ったときには、僕らはすでにキンシャサでカメラを回していたんだ。そもそもキンシャサに足を運ぶようになったのは、昔からの友人だったルノーが、この国の音楽的な魅力に心を奪われてしまって、それで僕に興奮気味に電話をかけてきた。「この街はすごいから、君も絶対来たほうがいいぞ!」って。で、言われるがままに行ってみたら、僕も案の定、キンシャサという街、そこに溢れる音楽のとりこになってしまったというわけ。

 その後、2004年の3月に「あの街で何かおもしろいものが撮れるんじゃないか」って、僕らはとりあえず小さなハンディカムのカメラだけを持ってキンシャサに戻ったんだ。そこで、街で見かけたストリート・ミュージシャンを次々に撮っていったんだけど、その中に彼ら、ベンダ・ビリリもいた。その様子は、『Jupiter's Dance』っていう僕らの最初の映画に収められている。つまり、『Jupiter's Dance』の撮影の過程でベンダ・ビリリに出会ったというわけだね。ある晩、キンシャサの街をぶらついていたら、どこからかブルーズマンのような歌声が聞こえてきてさ。その歌声がする方に惹かれるように行ってみると、ベンダ・ビリリが道ばたで演奏をしていたんだ。

--- リーダーであるパパ・リッキーの最初の印象というのは?

フローラン リッキーは、生まれながらのリーダー気質がある、すごくカリスマ性がある人だね。出会った当時、僕らはまだリンガラ語を話せなかったから、わりとしっかりフランス語を話すことができたリッキーはバンドの中でも珍しい存在だったよ。

ルノー・バレ(以下、ルノー) 彼は、バンドのリーダーでもあって、街の顔役でもある。だから、色んなところで顔が利く、なかなかの不良オヤジなんだけれど(笑)、すごくユーモアがあってね。そういうところに僕らは惹かれていったんだ。

--- リッキーの歌声がとにかく素晴らしいですよね。

ルノー そうだね。とても表現力豊かだし、ちょっとアウト・オブ・キーなところがあるんだけれど、またそれが何とも言えない味わい深さがあるんだよ。音楽的な部分で言えば、リッキーとココ、2人のタイプの違うヴォーカリストがいることで、バンド・サウンド全体の表情を豊かにしているんだと思うんだ。ただ、出会った当時のバンド・メンバーというのは、そのリッキー、ココ、テオぐらいで、まだベースもいなかったし、ロジェも合流する前だったから、歌とギターだけというかなりシンプルな編成だったんだ。



スタッフ・ベンダ・ビリリ
左から:テオ、リッキー、ロジェ



--- そのロジェを見つけて、リッキーに紹介、つまりバンド入りを勧めたのが、お二人だったんですよね?

ルノー 2004年に『Jupiter's Dance』を撮っているときに、ロジェに出会ったんだ。カメラの前にふらっと出てきて、そのときすでにサトンゲ(空き缶で作った一弦楽器)を持っていたんだ。「何だ!? あの楽器は?」って思ったんだけど、気付いたときにはもうその場にはいなかった。そこから1年間、僕らはロジェを探し回ったんだ。

フローラン 「奇妙な楽器を持った少年を見なかったか?」って(笑)。すると、街の人はみんなロジェのことを知っていたんだ。でも、どこに住んでいるかは判らなくて、結局1年ぐらい見つけ出すことができなかった。

ルノー だけど、2005年のある日、ロジェが再び僕らの前にふらっと現れたんだ。そのタイミングっていうのが、ベンダ・ビリリが初めてスタジオに入る2、3週間前だったから、僕らは早速ロジェをリッキーに会わせたんだ。リッキーは、ロジェの弾くサトンゲの音が自分たちのバンドに大きく貢献することをすぐさま感じ取ったんだ。そうしてロジェは晴れてベンダ・ビリリの一員になったというわけだね。

--- 2004年から2009年まで5年の歳月をかけた撮影を通して、映画の中ではロジェが成長していく過程というのが明らかに映し出されていますが、実際お二人が間近で見ていた彼の成長ぶりというのは、どのようなものだったのでしょうか?

フローラン 13〜18歳までだからね。やっぱり感慨深いものがあったよ。

ルノー 映画の中でも、リッキーに色々と質問されて、それにロジェが答えるバンド・オーディションのようなシーンがあるんだけれど、要するにその瞬間ロジェはベンダ・ビリリに受け入れられて、バンドの一員になった。と同時に、ベンダ・ビリリという「庇護者」を得たことになるんだ。当時のロジェぐらいの年で路上で生活している子はたくさんいるけど、その多くは何かしら問題を抱えて死んでしまったり、消息が判らなくなったり・・・ロジェは、ビリリに出会った瞬間に、そうしたことから逃れることができる運命を手にしたんだ。

 ロジェは絶対音感のある子だったから、その素質を生かしながら、ビリリと一緒に音楽を学んでいくことができたんだ。「どうしたら素晴らしいミュージシャンになれるか?」ってね。映画の序盤では、まだあどけない男の子だったけど、中盤ぐらいのシーンなんかでは、50セントみたいなラッパーの格好をした青年になってるからね(笑)。

フローラン あれぐらいの年の子は変貌ぶりが激しいから(笑)。もちろん肉体的な変化だけじゃなくて、精神的にも音楽的にも成長して、ロジェは今じゃ父親になってる。しかも、自分が作った世界にふたつとない一弦ギターを操って大スターになる、ちょっとしたジミヘンみたいなものだよね(笑)。だから、ロジェ自身もこの映画を誇りに思っているんだよ。「お父さんがどうやってここまできたか」っていうのを自分の子供にも見せて上げられるからね。



ロジェ
空き缶で作った一弦楽器「サトンゲ」を手にするロジェ



--- ロジェは大きくなってもサトンゲを演奏しているときは、子供のときと変わらず純粋な目をしていると感じました。そういう意味でもこの先あまり洗練されてほしくないなとは思うのですが・・・

フローラン ロジェは本当に音楽の中で生きているんだなって思うよ。天賦の音楽的才能がある上に、「どうやったら、もっといい音が出るのか?」って常にサトンゲをいじって研究しているんだ。すごく探究心が旺盛だよ。勘も鋭いしね。今は歌も歌うし、ギターもドラムもできる。楽器をすぐにマスターできる才能には目を見張るものがあるんだ。そういう意味で、音楽そのものが彼の「生」になっていることは確かだし、その部分はこれから先も変わることがないんじゃないかな。

--- 音楽そのものが「生」に直結しているというお話がありましたが、「生活」と「音楽」、双方の結び付きについて、お二人のお考えを聞かせていただけますか?

ルノー たしかにあの映画の中では、「生活」と「音楽」、つまり、「生きていくこと」と「音楽」の結び付きというのを強く映し出しているんだけれど、やっぱりそこには、コンゴという国、キンシャサという街の苦渋に満ちた生活というものがベースにあるからなんだよね。そうした状況から精神的な部分だけでもどうやって抜け出すか、どうやってやり過ごしていくか、本当に生きるか死ぬかの瀬戸際で、「生きる」という方向に進んでいくための手段。それが彼らにとっての「音楽」なんだ。だから、路上生活をしている子どもたちがベンダ・ビリリの音楽を聴くことによって笑顔になったり、踊ったりする。子どもたちを何とか奮い立たせて、生き延びさせていく手段となるものが彼らにとっての「音楽」なんだと思うんだ。

 欧米人の音楽との関係性とはまったく違うよね。例えば、僕はオーティス・レディングが大好きなんだけれど、聴いていると鳥肌が立ってきて気分が高揚してきたり、ときには泣きたい気分にもなってくる。だけど、もちろんそれが「生」か「死」かの問題に結び付くことはない。ココなんかは「オレは音楽があるから生きていけるんだ。音楽に癒されている」っていつも言っているんだけれど、その「癒されている」っていうニュアンスひとつにしても、所謂僕らにとっての「ヒーリング」的な意味合いではなくて、どん底の現実生活から何とか気持ち的に救い出してくれるっていう意味での「癒し」なんだ。

 映画のワン・シーンにもなっているんだけれど、リッキーと路上で生活している子どもたちのやりとりがあって、「オレたちは”路上の父”で、お前たちは”路上の子ども”。そこに何の違いもないんだ」(リッキー)、「でも、おじさんたちには音楽があるけど、僕たちには何もないんだ」(子どもたち)っていうね。つまりは、その違いなんだ。何もない中で、唯一「音楽」が生命線になっている。これはキンシャサという街の現実を象徴していることだって言えるかもしれないね。さらに、この映画を一口で言うならば、「音楽の力」というようなことを語っているものでもあるんだ。



ロジェ
ベンダ・ビリリ、街を往く



--- 「音楽の力」ももちろんそうなのですが、ベンダ・ビリリほか街の人たち誰彼にもパワーが漲っていました。そして何よりポジティヴ。

ルノー ベンダ・ビリリは本当に底辺の底辺で生活している。その下には「死」しかないというような状況にいるにも関わらず、とてつもないエネルギーに満ちていて、ポジティヴ。現代社会で生活している僕らにとっては新しい目を開かせてくれる存在なのかもしれないよね。

フローラン 「デモヤルンダヨ」(特殊漫画家・根本敬氏の名訓)の精神さ(笑)。ベンダ・ビリリのステージを観た人たちは必ずと言っていいほど「こんなにエネルギーを発するアーティストはいない」って言うんだよね。僕も本当にそう思うし、是非9月の来日公演を観に来てほしいな。きっとベンダ・ビリリのパワーが日本を救ってくれるはずだよ(笑)。




【取材協力:プランクトン/ムヴィオラ】






2010年9月〜10月 初来日公演スケジュール


Staff Benda Bilili 初来日公演決定!
スタッフ・ベンダ・ビリリ
   「スタッフ・ベンダ・ビリリ ジャパンツアー2010」開催! 映画「BENDA BILILI! ベンダ・ビリリ!〜もう一つのキンシャサの奇跡」の9月11日本邦劇場公開に合わせるかのように、いよいよスタッフ・ベンダ・ビリリが日本上陸! 9月25日(土)の宮城・仙南芸術文化センターえずこホールを皮切りに、10都市計12公演! 10月11日(祝・月)日比谷野外大音楽堂にて行われる「ワールド・ビート 2010」への出演も決まり、ジャスティン・アダムズ&ジュルデー・カマラ、ヴィクター・デメとの共演も実現します!



ワールド・ビート 2010
 [スタッフ・ベンダ・ビリリ 特別公演]

2010年10月11日(祝・月)
日比谷野外大音楽堂
開場15:00/開演15:30〜終演19:30予定
*雨天決行
出演:スタッフ・ベンダ・ビリリ
ジャスティン・アダムズ&ジュルデー・カマラ
ヴィクター・デメ
MC:ピーター・バラカン

前売:6,300円(指定席・税込)
プランクトン、チケットぴあ、
ローソンチケット、e+、JTBにて発売中!
*映画セット券:7,000円<10/11Word Beat>+<映画「ベンダ・ビリリ!」イメージフォーラム>
*3公演通し券:12,000円<10/11Word Beat>+<10/7ジャスティン&ジュルデー>+<10/12ヴィクター・デメ>
*セット券、通し券の取扱いはプランクトンのみとなります。

お問い合わせ:プランクトン 03-3498-2881





■来日ツアー日程
スタッフ・ベンダ・ビリリ ジャパンツアー2010

■9/25(土)宮城・仙南芸術文化センターえずこホール
 問:えずこホール 0224-52-3004

■9/26(日)静岡・焼津市文化センター
 問:焼津市文化センター 054-627-3111

■9/29(水)、30(木)大阪・堂島リバーフォーラム
 問:堂島リバーフォーラム 06-6341-0115

■10/2(土)茨城・つくばカピオホール
 問:つくば都市振興財団 029-856-7007
つくばカピオ 029-851-2886

■10/3(日)福島・いわき芸術文化交流館アリオス
 問:アリオスチケットセンター 0246-22-5800

■10/9(土)愛知・長久手町文化の家
 問:文化の家 0561-61-3411

■10/10(日)神奈川・よこすか芸術劇場
 問:横須賀芸術劇場電話予約センター 046-823-9999

■10/11(月・祝)東京・日比谷野外大音楽堂「World Beat」出演
 問:プランクトン 03-3498-2881

■10/13(水)福岡・アクロス福岡シンフォニーホール
 問:ピクニック 092-715-0374

■10/16(土)長野・まつもと市民芸術館
 問:まつもと市民芸術館チケットセンター 0263-33-2200

■10/17(日)東京・三鷹市公会堂
 問:三鷹市芸術文化センター 0422-47-5122


総合お問い合わせ:プランクトン 03-3498-2881

profile

スタッフ・ベンダ・ビリリ (Staff Benda Bilili)

 コンゴ民主共和国の首都キンシャサで活動するバンド。元々、リッキーとココは、コンゴの人気ミュージシャンのサポートメンバーだった。しかし車椅子のせいで移動が手間取り、待合せ時間に遅刻がちで他のメンバーたちとの移動もままならなかったため、障害者だけでバンドをつくることを思いつき、ビリリを結成した。現在は、車椅子4名、松葉杖1名、健常者3名の8名がメンバー。


ルノー・バレ (Renaud Barret)

 1970年フランス生まれ。パリで広告グラフィックの会社を経営していた2003年に初めてコンゴヘ。その魅力に憑かれ、2004年、友人のフローランを連れ立って再び今後を訪れる。以来、現地でドキュメンタリーを製作するとともに音楽をプロデュース。


フローラン・ドラテュライ (Florent de La Tullaye)

 1971年フランス生まれ。写真家としてキャリアを始め、シベリアで3年間にわたり撮影するなど世界各国へ。2004年、コンゴを訪れ、ルノーとともにドキュメンタリー製作、音楽プロデュースを開始。





スタッフ・ベンダ・ビリリ メンバー


リッキー リッキー Ricky
(リーダー、ボーカル)

最年長。バンドの魂である美しいメランコリックな歌声の持ち主。人々に影響を与えるエネルギーと何が何でもバンドを存続させようとする強い意志を持ちミュージシャンをまとめる。外国人用のナイト・クラブの出口で、特製車椅子に乗りタバコやアニス酒を売る。昼間は、服の仕立て屋または機械工としても働く。基本的に眠らない男だ。女性が大好きで、2人の伴侶がいて、その1人は健常者。5人の子供を養う。とりわけ外見にこだわり、ツィードの帽子、黒いサングラス、艶のあるシャツを好み「人生で男は“スカ”(お洒落の意味)に見えなければ」と語る。夢は、子供達を学校にやる十分な稼ぎがあるようになったら、障害者・健常者に関わらずストリートミュージシャンのためにNGOを設立する事だ。


ココ ココ Coco
(ボーカル、ギター)

キンシャサでは、ココの特注車椅子スクーターの事は誰もが知っている。愛らしく素敵な歌声を持ち、ギターの名人。バンドの作曲家であり、リッキーとともにバンドの創始者の1人。機械工および溶接工でもある。7人の子供の父親であり、キンシャサ郊外の立派な家に住む健常者の女性と結婚している。家族を養う十分な稼ぎが得られた週末だけ家に戻る。1人分の授業料しか払えないため、子供達は交代で週一度学校に行く。彼は、インスピレーションの源であるストリートの賢明な観察者である。博識で控えめで、驚くべき肉体的強さを持つ。近隣で開催される腕相撲大会では定期的に優勝。彼は頻繁に言う。「音楽、それが自分の持つ全て。自分をきちんと生かしてくれる」。


テオ
テオ Theo
(ボーカル、ギター)

ベース・プレーヤーで、ソプラノ・シンガー。ジェームズ・ブラウンとボブ・マーリーのファン。キンシャサの多くのラッパーと共演。政権階級の裕福な親戚を持つ家庭に生まれるが、モブツ独裁政権の崩壊により、彼の家族は全てを失った。健常者の兄妹達とストリートでの生活を余儀なくされる。テオは、仕立て屋だが、ゲットー1の電気技師でもある。町の貧しい地域の頻繁に電源が落ちる場所で、電線を引き、ストリート全体に電気を戻す事が出来る。懲りないばくち好きでもあり、いつも賭け事をしている。そのことは、いつもリッキーとの言い争いの元になっている。バンドからの収入が無い時、しばらくバンドを離れていたが、コンサート・ツアーが決まった時、リッキーがバンドに連れ戻した。


ジュナナ ジュナナ DJunana
(ボーカル、ダンス)

ビリリの公式振り付け師である。ポリオの最も重い症状があるメンバーで、西洋医療の真のテスト・モデルとも言える。にも関わらず、自身の手であらゆることをこなす術を知っている。ギターを作り、他の障害者のため三輪車を作り、テレビ、ラジオを修理する。彼は地獄のような状況を生き抜いてきた。捨てられ、教会の人々の口車に乗せられ、失敗した手術に七転八倒して苦しみ、間に合わせの診療所を訪れた。しかし決してダンスと歌を止める事はなかった。映画の中で彼の存在は控えめだが、しばしばダンスを通じて表現される誠実で優れたユーモアは、彼が真の路上の生き証人である事を証明している。


カボセ カボセ Kabose
(ボーカル)

ポリオの症状が他のメンバーに比べて軽い。車椅子にそんなに乗らずに、松葉杖で歩ける。彼はバンドのラップ・シンガーだが、必要とあれば、ソフトな歌声で歌うこともできる。彼はリッキーを父のように慕い、いつも彼に忠実である。


ロジェ ロジェ Roger
(サトンゲ、ボーカル)

13歳の時にリッキーと出会い面倒を見てもらっている子供。音楽の天才。彼には家族があるが、生活のために学校に通えず、労働で得た賃金で家族を助けなければならなかった。彼は、自分の楽器サトンゲ(ブリキ缶に木の棒でつけ両端を金属ワイヤーで留めた1弦ギター)を7歳の時に自分で作った。彼以外の人間には、大変扱いの難しい楽器だ。彼は町中のギター奏者から教えを請うた。ビリリに出会う前は、キンシャサのシェゲ達と同じく、街を走り回り、暴力に囲まれていた。しかしロジェは音楽への情熱のため、非行に走る事はなかった。ビリリとともに、ロジェは家族を築き、自身の芸術を表現する機会を得た。やがて、一人のアーティストとしての地位を獲得した。


カバリエ カバリエ Cavalier
(ベース)

ビリリがリハーサルをしていた動物園で、彼らと出会う。彼はギターもベースも弾くが、バンドではベース担当になった。バンドの中で、おそらく最も温和で、何か問題が起きても、いつも落ち着き、バンドの面倒をよくみている。


モンタナ モンタナ Montana
(ドラム、ボーカル)

おそらくキンシャサで最も巧いドラマー。彼は他のいろいろなバンドで演奏をしていた。しかし、以前のベンダ・ビリリのドラマーがコンゴを出て、フランスへ行ってしまったとき、モンタナがすぐにリハーサルに参加し、バンドを助けた。たちまち、ビリリの音楽に魅了され、レギュラーメンバーとなった。彼は愉快で、いつも明るいムードで、助けが必要なメンバーにはいつも親切だ。結束心が固い。コンサートでの彼の役目はとても重要で、どの曲をもよく理解しようと最も意識して努めている。


ランディ ランディ Randi
(パーカッション)

ランディは”シェゲ” (ストリート・チルドレン)で、独特で直感的なタッチのパーカッショニスト。運命に遊ばれたストリートの子供。両親を失い、5歳で路上に投げ出された。彼はすべてを路上で学んだ。ビリリが彼を見つけ面倒を見始めたその日から、ランディはパーカッションとダンスに明け暮れる様になる。それでも日中は官庁街で靴磨きをしていた。彼の、より良い人生への渇望と、生来のリズムの才能が、彼をビリリのメンバーにした。アルバム録音の一部に参加したが、2007年忽然と姿を消した。