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冨永昌敬×山本タカアキ 対談!

Friday, July 16th 2010

interview
冨永昌敬×山本タカアキ


冨永昌敬監督が手掛けるシャーリーシリーズ、『シャーリーの好色人生と転落人生』がいよいよDVDに!個人的にも大好きな作品なのでリリースが至極たのしみなのですが・・・念願叶った興奮のまま、『パンドラの匣』(←こちらもまもなくDVDに!)公開時に続き、冨永監督に再び、ご登場頂きました。そして、その冨永作品には欠かせない録音技師の山本タカアキ氏が音仕事をした作品の映画祭・・・前代未聞!録音映画祭 feat. 山本タカアキがまもなく開催!を記念して、お2人の対談が実現しました。日大芸術学部時代に知り合い、今では15年ほどのお付き合いになるそうなのですが、その仲のよさやお互いを信頼し、一緒に作品を生み出し続けているこのつながりなども感じて頂ける対談内容になりました。当日はいつもお世話になっている、直井卓俊氏率いるSPOTTED PRODUCTIONS事務所にお邪魔し、お話を伺ってきました。ちなみにこの日撮影した上のお写真はこの事務所近くにあった“ときわ荘”(あの!ではなく・・・)前です。録音映画祭では冨永監督の初期作品や入江悠監督『SR サイタマノラッパー』&『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』、松江哲明監督『ライブテープ』などの上映に加え、連日、山本氏を含めてのゲストありトークショー&プレ録音映画祭なども行われますので、ぜひ、この新たな試みに遊びに行かれてはいかがでしょう?INTERVIEW and TEXT and PHOTO: 長澤玲美

冨永監督はある意味、一番標準と外れてると思うんで、他の監督さんとは冨永要素を外してお付き合いしてる感じですね。「冨永だったらこうするけど、じゃあこうしない」とか、悪いお手本みたいな感じ(笑)、反面教師というか。


--- 冨永監督作品には欠かせない録音・整音の山本タカアキさんが担当した作品の上映祭、録音映画祭 feat. 山本タカアキ開催と個人的に大好きな『シャーリーの好色人生と転落人生』が9月3日にDVDリリースされるというこの2つのトピックを中心に本日はお話を伺えればと思っております。お2人の出会いは日大の芸術学部なんですよね?

冨永昌敬(以下、冨永) そうですね。大学に入ってから結構間もないうちに知り合ったような覚えがあるんですよ。

山本タカアキ(以下、山本) 2人とも所沢に住んでたから、初めはみんなでわーって飲んでるけど、電車で帰る人がわーって帰っちゃって、所沢の奴は最後まで飲んでて・・・知り合ったのはたぶん、飲み会だよね。

冨永 1年生の時はコースが違うと実習は別々なんですよ。僕は監督コースで、タカアキは撮影・録音コースだから、同時に受ける授業っていうのは英語とかね、そういう必修の一般教養みたいなやつ。

山本 映画基礎とかね。

冨永 で、そこには杉山彦々とかもいたはずだし。


シャーリーの好色人生と転落人生


--- お互いにちゃんと存在を意識するようになったのはいつ頃だったんですか?

冨永 1年生の時から絶対知ってたのはざっくりした話、タカアキは結構目立ってたんですよ。

山本 ざっくりだなあ(笑)。

冨永 録音コースって人数も少ない上に、タカアキは高校時代に全国の放送部のコンクールでグランプリか大賞だかを獲ってて。日大三島高校放送部の部長としてね。そういうのがあったから結構目立つ存在ではあったはずなんですよ。で、これまたざっくりした話ですけど(笑)、どちらかと言うと僕も目立ってはいたんですよね。だから、それで意識するようになった気もしますね。そういう原因がうっすらでもないと知らないはずなんで。

--- 放送部のコンクールで評価されたというのはどういうところだったんですか?

山本 今録音をやってることにほぼつながるんですけど、ドキュメンタリーというか、ニュースでやる取材コーナーみたいな感じで、自分で台本書いて、取材に行って録って、インタビューまとめて編集して、ナレーションとか音楽を付けて作ったラジオの番組をNHKの大会に出して順位を付けられるっていう。うちの高校が自分の前の年まで10年くらい何かしらの部門で1位を獲ったりしてたので、先生も「お前らも賞獲らないとダメだぞ」みたいな空気の世界・・・要は甲子園の常連校みたいな感じ(笑)で、先生も熱血で。だから、機材とかも結構揃ってたので、高校の時くらいから身近にそういうものをすごい触ったり出来てて。

冨永 日大付属自体がそういう学校、校風というか、どっちかっていうと、「勉強より部活がんばれ」みたいな校風だと思うんですよ、僕は附属じゃないんで想像で言ってますけど(笑)。まあ、スポーツもね、日大出身者多いじゃないですか?だから、文化部系もおそらく相当いるんじゃないかなっていう。

山本 僕、それで大学入ったような感じですね。勉強全然してなかった(笑)。

--- そこから、実際に冨永さんはタカアキさんの音の作り方を知ることになっていったんですか?

冨永 いきなり一緒にチームを作ったわけではないんですよね。2年生の時に初めて他のコース・・・監督コースだったら、撮影・録音部とか俳優部とかと一緒に組んで1年くらい勉強する実習があるんですけど、その中に野外ロケの日もあって5月とかの梅雨入り前だったと思うんですけど、埼玉の元加治ってありますよね?西武池袋線の。元加治って駅降りるとすぐ山だからよく遭難しないなって思うんですけど(笑)、そこのハイキングコースみたいなところに「○時までには戻って来い」って1日放り込まれて、監督コースから3〜4人、録音コースから2人ずつ、撮影コースから3〜4人ずつとかの10人くらいのチームで5班くらいに分かれて、野外ロケをすると。その時は僕が撮影の月永(雄太)と一緒にB班でタカアキは杉山と一緒にD班だったと思う。でも、うちの班の録音の子が実習の時に風邪引いて来れなくて、タカアキに代理で来てもらったんだと思うんだよね。

山本 それは覚えてない(笑)。でも、その元加治の時は冨永が役者じゃないのに出てたイメージがある。藪から出て来たりしてさ、地元の山歩きのおばさん捕まえて何かやんなかったっけ?(笑)。

冨永 ああ、ペテロだ!ペテロ(笑)。

山本 そう、ペテロだ!(笑)。普通に山歩きで散策しに来たおばちゃん達に「すみません・・・ペテロが来たって言って向こうに走って行って下さい」って言って(笑)。技術班は働かなきゃいけないから、監督コースの人達が演出しつつ出演してて。

冨永 しかも、野外ロケをやること自体が目的だから、台本なんかないんですよ。「とにかく何か撮って来い」と。で、200フィートだか何かのフィルムを何巻か渡されて行って。だから、別に実景だけでもよかったんですけど、撮影部としては後で現像の実習もあるからいろいろ試したいこともあるし、録音部もいろんな音を録って、あとでリレコしてどうのこうのでダビングしてとかいろいろと次の段階に必要なことはその現場で撮っておかないといけないから、監督達に「とりあえず、お前ら何かやれ!」「何か動いて」「何かしゃべって」とかって言われるんですよ。つまり仕上げ実習の素材としてね。

山本 ワンシーンずつ監督が違うみたいな撮り方でね。

冨永 うん。でも、目的がないから何していいのかもわかんないんですよ(笑)。これを撮ったってどうにもなるわけでもなく。外で撮ったのはその時くらいですけど、学校の中とかではそういう機会は結構あって。で、その組み合わせで他の子達とも会うんですけど・・・話ちょっと飛びますけど、極端な話、タカアキ以外の録音部の子は仕事出来るように見えなかったんですよね、僕から見て。

--- どういうところが違いましたか?

冨永 とにかく、この人はよくも悪くも態度がはっきりしてるので。

山本 「嫌だ」とかね(笑)。

冨永 それはもう昔からそうで、他の子とかは「うーん」とか「わかんない」って感じの顔とかになるんですけど、こいつはそれをしないんですよ。はっきりしてるから、「ああ、きっとこいつは大学入る前からいろいろやってたんだろうな」って思いましたよ。で、案の定、「何か賞をもらってるらしい」って聞いたりして(笑)。だから「一番優秀なんだろうな」っていうような感じでは一応見てましたね。で、3年生に上がって、実際に自分達で班を作って実習をやるっていう時に「・・・ということでよろしく」と(笑)。

山本 2年生までは、先生に「A班はこの人達で」っていう感じの組まれ方だったんですけど、3年生からは監督が口説く感じでスタッフを集めるっていうシステムになるので、その時に冨永と実は監督コースだったシャーリー役をやってる福津屋兼蔵(元は福津泰至)に声をかけてもらったっていう感じでしたね。

冨永 その3年生の時の班に今一緒にやってる連中がたいがい一緒だったんですよ。今思えば杉山もいたし、撮影の月永も同じ班だったし。シャーリーの福ちゃんもいましたし。『亀虫』の亀虫役をやってた尾本(貴史)は他の班だったんですけど、その頃知り合ってたんですよね。


シャーリーの好色人生と転落人生


--- そこである程度の形が作られて続いていくというような流れが?

冨永 いや、続く・・・続けようっていう意識はなかったですよ。バンドじゃないし、劇団でもないし、そういうような集団として継続して行こうっていう意識はなかったと思うんですけど、ただ、少なくとも僕は3年生の時に1本自主制作を作って、4年生の時の卒業制作として1本『ドルメン』(00年ドイツ・オーバーハウゼン国際短編映画祭で審査員奨励賞受賞)を作ったので、「年に1本何かしら作品を作るんだ」っていうのを習慣化しつつあったんで。で、まあ、卒業した後は1年ぷらぷらして・・・。

山本 ぷらぷらして(笑)。

冨永 で、福ちゃん(福津屋兼蔵)が留年したから、あいつの卒制も手伝って。その翌年に「1年空いたけど何か作品作ろうか」って準備し始めたのが『VICUNAS/ビクーニャ』って作品で(02年水戸短編映像祭グランプリ受賞)、当然、大学の時に組んでたみんなに声をかけることになるんで、それが続けなくてもいいことを続けたのが最初のそれですよね。

山本 続けなくてもいいことね(笑)。

冨永 うん。だから、実習じゃないんだけど、いわば本当の自主映画ですよね。能動的な作品としてはここがスタートで、そこに呼ぶ人間っていうのはそんなにたくさんの人を知ってるわけではないので彼らに声をかけて。ただ、あの時はタカアキは会社員で・・・。

山本 今もだよ!(笑)。

冨永 今ほど融通の効く会社員じゃなかったから。で、ちょっと話戻しますけど、集団として継続して行こうっていうつもりはなかったですね、結果的につながったという。

山本 うん。大学の時は3年生の時に組んで、「4年生も一緒にやるだろうな」っていうのはあったけど、そこから先はみんな職業としては考えてなかったから一緒にっていうイメージは全くなかったし。

冨永 だってお前、就活してたもんね?

山本 一応ね。でも、普通するだろ、就活は(笑)。しなきゃダメでしょ、だって。

冨永 監督コースは就活する時間なんかなかったから。

山本 まあね、時間ないっちゃあない・・・やっぱり、一般の大学生に比べればないんですけど。一応ね、何かヤバイかなって思って(笑)。

--- 芸術学部の方で就活される方は少なかったんですか?

山本 就活する人はするんですよね、逆に卒業制作を疎かにしてまで。

冨永 分かれますね。日大の映画学科を映画・映像業界に進むための訓練校として見てる人は、おそらく就職活動したと思うんですよ。だけど、僕らはそこまで展望を持ってあの学校に行ったわけではないんで(笑)、就職っていう発想がおそらく相当抜けてたと思うんですよね。

山本 ダメですよね(笑)。

冨永 だから、もうちょっと悟い奴、賢い奴、利口な奴は・・・まあ、どの学校もそうかもしれないですけど、就職を先送りするためにわざわざ院に行って、院に行ってもそんなにやること変わらないんですけど、また実習に行ってる奴とかいましたね。

--- タカアキさんは今もお勤めをされているんですね。

山本 ええ。音の関係なんですけど、スタジオワークといいますか。でも全然、映像系ではないですね。月金で会社行ってます(笑)。『亀虫』の時とかなんて、家が2人共江古田で近かったんで、仕事終わってそのまま冨永の家に行って午前2時とかまで作業やって、「じゃあ、また明日来るわ」みたいな感じで。

冨永 だいたいこの人には「土日は空けてあって作業出来るから、土曜のお昼くらいまでには用意しとけ」って言われて(笑)。

山本 当時、サーバーとかなかったんで、足で行ってその場で作業しましたね。『亀虫』なんてリズムが出来てましたよ。1週目の土日で撮影して、平日5日間で編集して、次の土曜日頃行くと、まだぎりぎり出来てないとかで、「じゃあ、今からナレーション録ろう」ってなって、(杉山)彦々呼んで、部屋でマイク立ててナレーション録って、ナレーションハメて日曜の昼くらいから、「じゃあ、音楽作るか」とかって言いながら。

冨永 まあ、なめた映画作りですよ(笑)。

山本 『亀虫』は尺が短かったからですね。やっぱり、長いのは時間がかかりますし。

冨永 あと、そんなにたくさんマイクを使って撮影したわけではないんで、例によってこの人は仕事があって現場には来てなかったんで、手の空いてる人間が代わりに録ってみたいな感じで。

--- 入江悠監督は『亀虫』を観て、山本さんの音作りに対して「すごい音作ってるなあ」と思われたそうです。


『SR サイタマノラッパー』 入江悠監督 インタビュー

山本 間違ってる(笑)。

冨永 いや、それは正確に間違ってますね(笑)。で、その後入江は何て言ってました?

--- タカアキさんは忙しい方だから『SR サイタマノラッパー』では全部は携わってもらえなかったけど、相談に乗って頂いたり、MIXを少しずつお願いするようになったとおっしゃってましたし、冨永さんもタカアキさんも後輩に対してすごく面倒見もよくてと。

冨永 面倒見はたぶんいいと思うんですよ、それはタカアキも僕も。

山本 僕も?(笑)。

冨永 まあ、その分、手伝ってもらうんで(笑)。たぶんね、自分が少し年上の先輩とか、似たようなことやってる先輩とかがいたら手伝うことになるだろうし、いろいろ物貸してもらったりとかそういうこともあったんでしょうけど、不幸にも先輩っていうものがいなかった。いなかったと言うか、先輩と仲良くなかったんじゃなくて仲いい人がいなかった。上の人ともあんまりつながりもなかったし。

山本 つながりがなかったっていうか、そもそもいない気がしましたね。一緒にやっておもしろいなって思う人が学生の時っていなかったんで、それってやっぱり、つまんないなっていうのがあって。

冨永 僕らから下の人達はわりと仲いいんですよ、先輩、後輩っていう関係で。

山本 日芸の映画学科で近い先輩で有名な人って古厩(智之)さん(1968年生まれ。日大芸術学部卒)くらいまでいないんですよね。何かそれがすごいさみしいし、おもしろくないなっていうのがありますね。

冨永 それで、音でそんなにすごいことをしてるわけじゃないっていうのは、僕が言うことじゃないかもしれないですけど・・・でもまあ、3分の1くらいは僕が言うことなので(笑)。結局、タカアキにやってもらうことっていうのは、こっちが別な都合や全く音に関係ない理由で物語を語ろうとして編集するじゃないですか?その時に物語の展開の都合上、音が配置されますよね?で、それを「観てる人の耳にちゃんと聞こえるように体裁を整えてくれ」っていう作業ですよね。そこでこっちが変な並べ方をしてたら当然、音の響かせ方も相当変なことをやんないと人の耳に聞こえないんですよ。だから、結局ね、『亀虫』とかで昔よく、「セリフが左右から聞こえてくるけどあれは何だ」って言われましたけど、あれはああしないとたぶん聞こえないはずだから、聞こえさせる、ちゃんと聞こえるようにするためにタカアキがそうしてるのであって、別に遊びでやってるわけではない。これは結構、真面目にああなってるんだっていう(笑)。だから、変なことじゃないと思うんですよね。

山本 そう言うけど、元を正せばお前はすごい無理難題を僕に押し付けてくる。「これを聞こえるようにして」っていう無茶なものを。

冨永 それなんだよ。だから、画と違って音って、同時に載せれば載せるほどいくらでも鳴るじゃないですか?それをちゃんと聞こえるにはある程度のMAXがあると思うんですよね。同時に100トラックなんて鳴らしたって、人間の耳の志向性ってそんなに広くないですから、ある程度目立つ音からキャッチしていってってなりますよね?それをどういう風に人の耳に突き刺すのかっていうのは、その専門の人にやってもらうしかないので。

山本 「やれ」って言われて出来るか出来ないかは結構あれだったけどね(笑)。

冨永 だから、少々ズラした方が聞こえやすかったらズラしてたもんね。

山本 うん。音に関してはナレーションとかそうですね、いつも。「ちょっとここはあたりが悪いからズラしていい?」みたいなのは今でもありますね。まあ、そんな無茶ぶりから始まって(笑)・・・でも、冨永のああいう編集、音を一気に聞かせるっていうやり方のこれが今の僕の答えなんで、あれを別の人がやるとどうなるのかなっていうのは昔から常々思ってますね。

冨永 ただ、タカアキのことを有能で優秀だっていうのは僕も認めるんですけど、音に関して変なことはやってないっていう。


シャーリーの好色人生と転落人生


--- 冨永さんは結構、無理難題をおっしゃるんですか?

山本 もう慣れましたけどね、さすがに(笑)。ただ、それこそ学生の頃、16ミリで作ってた時もパソコンベースじゃなかったのに冨永の編集は今と同じ編集をやろうとした部分はあるんですよ。でも、そういう時ってだいたいセリフがくっつき過ぎててってこととかがあって・・・当時、音はシネっていってすっごいアナログの、テープでくっつけるようなやつで作業してたんで、今みたいに左右に音を振ってみたいな複雑なものが基本、なかなか出来ないんですよね。

冨永 16ミリなんでモノラルですからね。

山本 システム的には昔の映画のダビングスタイルで仕上げるみたいな感じなので。そう考えると昔から編集のスタイルは変わってないのかなって気がして。

冨永 でも、あれを最初にやっておいてよかったよね、16ミリでね。

山本 まあ、それはベースにあるけど、そこから経て生まれたっていうのがあると思うんで、時代も味方してたじゃないですけど、「それに気付いてよかったのかな」って。そうじゃなきゃ、未だにずーっと冨永は編集の人に怒られてたかもしれないよね。「監督、セリフが切れるんですけど・・・」みたいなことをたぶん言われてたと思う。

冨永 僕自身が編集、上手くなっちゃったからね。どうすれば上手くつながるかっていうのが普通にわかるようになってきたので、昔、自分が作ったもの観ると「嫌な編集してるな、下手だな」って思うんですけど、そこから5〜6年で編集の仕事が出来るかもしれないって思うくらい上手くなって来て(笑)。だから、自分の映画は当然、自分で編集しますけど、これだったら人に頼むより自分でやった方がひょっとしたら上手いかもしれないなって。それなりに客観性も持ってるつもりですし。まあ、そんなことどうでもいいですけど(笑)。

山本 まあね、どこかしら成長してもらわないとね(笑)。

--- 冨永さんの作品はナレーションも多く入りますが、そこの音の付け方に関しては、お互いの中での決まり事みたいなものはあるんですか?

山本 普通に裏でセリフありのお芝居をやってるところでナレーションを付けたりっていうところとかだと、やっぱりさっき言ったみたいに言葉と言葉が重なっちゃって聞こえづらいから、「ここはズラすよ」とか。あとはたまに黙ってズラして、反応ないからまんまとかもあるんですけど(笑)。それはいつも後判断ですね。だから、冨永にもう本当にやりたいようにまずやってもらって、ちょっと具合を見て、後でやり取りをする感じですね。冨永もきっと、貼ってみないとわかんないんでしょ?

冨永 だから、タカアキが現場での同時録音はともかく、後の仕上げですよね。仕上げでやることっていうのは、要するに監督がやったことの後始末ですよね、尻拭い、そう言えると思うんですよ。だから、組む監督によって拭い方が違ってくるじゃないですか?どういう風に痛いことをやってるかっていう。「あいつはこういう風にまた痛い編集してるな」とかね。

山本 それはお前だけだよ(笑)。

冨永 監督が変わればね。だから、人によってはそんなにおかしなことをしなくても十分おもしろく観れるような編集がされた映画だったら、言ったら、タカアキのやることは少ないんじゃないかなって思うんですよ。だから、いろんなことをしなきゃいけないくらい困難なネタの方がたぶんやりがいもあるんだろうし(笑)。

山本 いやいやいやいや(笑)。キレイだと、キレイなだけに自然に見せなきゃいけないのが大変なんだよね。だから、その辺は逆に変だと違和感があるっていうのがあるから、誰でも大変だよ(笑)。

冨永 タカアキが現場に来れない時は録音してるのは僕とかなので正直そんなにいい音で録れてないわけですよ。だから、シーンによって音質にばらつきがあったり、場面によったらね、結構、反響しちゃったりするところもあるわけですよね。で、それらを1つの映画の時間の中で組み合わせる、置いていくと、がたがたになっちゃうわけですよ、バランスが取れてないっていうかね。それをどっかの音のクオリティーに揃えるような形で平らにしていかないと人間の耳には結構、心地いいものではないんですよね。だから、そういうことで劣化させるテクニックとかね、相当この人は身に付いたんじゃないかなって。音を汚くする方向でまとめていくとかね(笑)。『亀虫』の4話目は1回アナログテープに落としてから入れてるんだよね?

山本 それまで僕らはフィルムでやっててデジタルでやり始めて、で、シネマロサで『亀虫』とか上映してもらう時にデジタル臭さがすっごい嫌だったっていうか、画と合ってない感じがして・・・。

冨永 仕上げて僕んとこ来て、「今回ちょっと違うから聞いてみな」って言われてとりあえず聞くじゃないですか?でも、何が違うのかわからなかった。だから、「どう?どう?」って言われても「ごめん・・・何が違うのか全然わかんない」って(笑)。そしたら、「これ、1回アナログに落としてそれからまた入れたんだよね」って。「いやあ、わかんなかった」って(笑)。結構、地味に勝手にやってるんですけどそこまではわかんなかった。

山本 『亀虫』はその辺が細かくて、回数も多かったから、月永も僕も毎回勝手にいろんなことやってるんだよね。

冨永 だから、地味にいろんなことやってもなかなか気付かれにくいから、こういう映画祭が開かれるのがこの時期になったんでしょうね。録音の仕事がもっとわかりやすかったら、50年前にいろいろ開かれてるかもしれないし。まあ、だからいい機会が出て来てよかったじゃないですか(笑)。

山本 ありがとうございまーす(笑)。


パンドラの匣


--- 他の監督と比較して、冨永さんはどういう要素が強い監督だと思いますか?

山本 他と比べてというかこの人、冨永監督っていうのはある意味、一番標準と外れてると思うんで。他の監督さんとは冨永要素を外してお付き合いしてる感じですね。「冨永だったらこうするけど、じゃあこうしない」とか、悪いお手本みたいな感じ(笑)、反面教師というか。

冨永 1つは同級生だっていうのがあると思いますね。長いこと知ってるっていうのもあるし、おそらくね、他の監督にはこの人、もっと優しいと思う。「他の奴にはこんなに言ってないだろうな。こいつ、きっと僕にだけ言うんだろうな」と思って。僕には本当にひどいことも言うんで(笑)。

山本 入江くんとかは後輩なのに言ったらかわいそうじゃん。

冨永 本当ね、そういうところありますね。でも、それで何か得してる部分もきっとあるんだろうなっていうのはわかりますけど。

山本 対 人なんで。人それぞれいろんな風にやってるから、決して君だけが辛い思いをしてるわけではないんで。

冨永 ただまあ、その分ね、こっちも嫌な思いをさせてるんで(笑)。日々会社員やってるのにそこへもって、何度も何度も「ああでもない」「こうでもない」って言われたらね、たぶん嫌になると思うんですよ。週末ごとに次々ね、「このMIXやれ」とか来たらどっかでイラっとくると思うんですよ。

--- タカアキさんは『パンドラの匣』には参加されていませんよね?

冨永 『パンドラの匣』はね、僕にもちょっと考えるところがあって、撮影も月永じゃない人に、音まわりに関してもタカアキじゃない人とやってて。僕はそれまでずーっとこの2人としかやったことがなかったんですけど、にも関わらず、彼らは他の監督達とも仕事するじゃないですか?だから、仕事相手を相対化出来るんですよね。いろんな人がいるけど「その中のこの人」っていう見方が出来る。でも、僕は月永とタカアキしか知らなかったんで、他の人がどういうことをしてるのかを見たかったんですよね。だから別に『パンドラの匣』だけっていうよりも、しばらく他の人とやろうと思ってた。でも、結果的にはすぐ戻っちゃったんですけど(笑)。だから、今後もちょくちょく他の人とやった方が僕自身のためにもいいなっていうのはありますね。

山本 それは僕も月永も全然思ってたよ。自分らはそれこそ、ここ数年はいろんな監督と作品をやれるようになった。でもやっぱり、監督は準備が長いからそんなに本数も出来ないわけだし、「冨永も他の人とやんなきゃダメだよね」なんて話もしてて。でも、本人が自ら、「じゃあ、次は・・・」みたいに言ってくれたから。いいことだよ、冨永くん。

冨永 (笑)。

--- ちなみに『パンドラの匣』は撮影が小林基己さん、整音・効果にパードン木村さんでしたね?

冨永 そうですね。昔から知ってる人だったんでたのしかったですね。ただやっぱり、音の仕上げだったら、パードン木村さんって菊地成孔さんとDUB SEXTETとかで一緒にやってるミュージシャンなんで、機材がちょっと違うわけですよ。それはやっぱり新鮮でしたね。で、撮影の小林基己さんもそもそもCMとかプロモーションビデオの人なんで、やっぱりちょっと考え方とかも違うし、それもおもしろかったですね。


※小林基己 1967年、千葉県生まれ。和光大学在学中からウルフルズ、スピッツなどのミュージックビデオの撮影監督を務める。その後も、Cocco東京事変などのミュージックビデオを中心に、CMやライブ映像などの撮影監督として活躍。1999年『Wild Zero』(竹内鉄郎監督)で劇場映画デビュー。近年の主な代表作は長澤雅彦監督の『夜のピクニック』(06)、『天国はまだ遠く』(08)やTVドラマ『ジロチョー』(グ・スーヨン監督)などがある。

※パードン木村 1964年、東京都生まれ。1999年ヤン富田のツナミ・サウンドより「Locals」(P-VINE)でデビュー。以降、「KILLERPARDONG」(trieight)など7枚のアルバムを発表。ソロ活動の他に菊地成孔Spank Happy野宮真貴中野裕之TOWA TEIUA等の作品に参加。DUB SEXTETには、リアルタイムダブエンジニアとして参加。またプロデュース、レコーディングエンジニアとして、数々の作品を手掛ける。06年に葉山に移住。自宅スタジオHayama Exotica Recordingsにて制作活動中。

(次の頁へつづきます)



スポポリリズムvol.12 プレ録音映画祭 7月21日(水) 開催!


日程:7月21日(水) 会場:ライブインロサ
料金:予約2,500+drink 当日3,000+drink

【SOUND PAINTING】
シャーリー・テンプル・ノーリターン』(『シャーリー・テンプル・ジャポン』リミックス)
池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)×山本タカアキ

【LIVE ACT】
P.O.P ORCHeSTRA (『SR サイタマノラッパー』シリーズ 音楽クルー)
前野健太とDAVID BOWIEたち (『ライブテープ』出演)


録音映画祭 feat. 山本タカアキ 7/24(土)〜30(金) 開催!


7月24日(土) 冨永昌敬監督作品『VICUNAS/ビクーニャ』『亀虫』『出来心ひとひら』(最新短編)
ゲスト:冨永昌敬、山本タカアキ(予定:杉山彦々、月永雄太)
テーマ:「劇場公開できるインディーズ映画の作り方」

25日(日) 冨永昌敬監督作品『コンナオトナノオンナノコ』『テトラポッド・レポート』『京マチ子の夜』『KEEP IT A SECRET
ゲスト:冨永昌敬、山本タカアキ
テーマ:「冨永映画の音作り〜旧作から最新作まで〜」

26日(月) 沖田修一監督作品 『後楽園の母』『進め!』『鷹匠
ゲスト:沖田修一、山本タカアキ
テーマ:「映画の音のリアリティ」

27日(火) 入江悠監督作品 『SR サイタマノラッパー
ゲスト:入江悠、SHO-GUNG、山本タカアキ
テーマ:「台詞を書く、話す、録る」

28日(水) 入江悠監督作品 『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム
ゲスト:岩崎太整、上鈴木崇浩、上鈴木伯周、山本タカアキ
テーマ:「映画の中の音楽〜SRクルーと語る〜」

29日(木) 松江哲明監督作品 『ライブテープ
ゲスト:松江哲明、菊池信之、山本タカアキ
テーマ:「ドキュメンタリー映画と録音/録音技師対談」

30日(金) 松江哲明監督作品 『ライブテープ』(インターナショナルバージョン)
ゲスト:前野健太、磯部涼、山本タカアキ
テーマ:「映画と音楽と〜『ライブテープ』を通じて〜」


冨永昌敬監督作! 『パンドラの匣』 8/4 リリース!


結核のため出兵することもかなわず太平洋戦争終結を迎えた少年ひばりは、「健康道場」と称する風変わりな結核療養所に入所。気まぐれで明るい看護士のマア坊や、美人看護士長の竹さん、個性的な療養患者たちとの日々を通して、次第に生きる活力を取り戻していく。

『パンドラの匣』 公開記念! 冨永昌敬監督 インタビュー
川上未映子×仲里依紗 『パンドラの匣』
パンドラの匣

監督・脚本・編集:冨永昌敬(『亀虫』『パビリオン山椒魚』『シャーリーの転落人生』)

原作:太宰治パンドラの匣」 (新潮文庫刊)
音楽:菊地成孔

染谷将太川上未映子仲里依紗窪塚洋介ふかわりょう洞口依子ミッキー・カーチス

© 2009 「パンドラの匣」 製作委員会


さすらう男”シャーリー”と6人の美女たち 『シャーリーの好色人生と転落人生』 9/4 リリース!


佐藤央監督の『シャーリーの好色人生』と冨永昌敬監督の『シャーリーの転落人生』。欲望に忠実で、周りの混乱をよそに飄々と生きる愛すべきキャラクター・シャーリーとくされ縁の親友・中内、そして彼らが訪れる場所で巻き起こる美女たちとの愛憎と陰謀のドラマがそれぞれを補完し合う2つのアナザー・ストーリーとして描かれる。奇妙な方言に導かれ、紡がれてゆく2つの人生。”平成の車寅次郎”ことシャーリーの新たな全国行脚がここに始まる!

シャーリーの好色人生と転落人生

監督:佐藤央冨永昌敬

福津屋兼蔵杉山彦々夏生さち宮田亜紀小田豊中川安奈平沢里菜子笠木泉瀬戸夏実守屋文雄戸田昌宏

profile

冨永昌敬(とみながまさのり)

75年10月31日、愛媛県生まれ。

99年、日本大学芸術学部映画学科を卒業。卒業制作の『ドルメン』が00年オーバーハウゼン国際短編映画祭にて審査員奨励賞を、続く『ビクーニャ』が02年水戸短編映像祭にてグランプリを受賞。以降、短編シリーズ『亀虫』(03)、『テトラポッド・レポート』(03)、『オリエンテ・リング』(04/オムニバス『be found dead』第4話)、『シャーリー・テンプル・ジャポン・パート2』(05)など短編作品が相次いで劇場公開され、06年には『パビリオン山椒魚』で待望の劇場用長編映画に進出する。また、菊地成孔「京マチ子の夜」(05)、SOIL & “PIMP” SESSIONS「マシロケ」(07)、相対性理論「地獄先生」(08)、やくしまるえつこ「おやすみパラドックス」(09)など多数のPV作品を手がける。長編劇映画は、安彦麻理絵の同名マンガを原作とした『コンナオトナノオンナノコ』(07)に続き、『パンドラの匣』(08)が3作目。また、『シャーリー・テンプル・ジャポン』のシャーリーシリーズとして『シャーリーの好色人生と転落人生』(08)がまもなくDVDリリース。公開待機作としては、テアトル新宿他で10月上旬より公開予定の『乱暴と待機』やミュージシャン 倉地久美夫氏のドキュメンタリー『庭にお願い』、音響デザイナー 大野松雄氏の人物と思想に迫るドキュメンタリーも制作中。


山本タカアキ(やまもとたかあき)

77年3月17日、静岡県生まれ。

日本大学芸術学部映画学科録音コース卒業。テレビドラマ/映画等の録音助手/スタジオアシスタントを経て、現在はスタジオエンジニア/サウンドデザイナーとして活動。多種多様の音声を扱う。冨永昌敬の作品をはじめ、多くの映像作家の作品に多数参加。今後は冨永監督の『乱暴と待機』と『庭にお願い』に参加。他、前田弘二監督『喜劇 婚前特急』が控える。 

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