ファンキーなハードバップ・スタイルで、ジャズ・メッセンジャーズ、また自己のクインテットを率いて、ブルーノートに数多くの名演を残したジャズ・ピアニスト、ホレス・シルヴァーが、6月18日、ニューヨーク州ニューロシェル市の自宅で死去しました。享年85。その功績を称えるとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
生前ホレスと親交のあった行方均さん、そしてブルーノートの数多くのコンピを手掛けた橋本徹さんから追悼文をご寄稿頂きました。また、50年にわたり数多ジャズ・ジャイアンツの雄姿を撮り続けてきた中平穂積さんからも素晴らしいホレスのお写真をご提供頂きました。
ユニバーサルミュージックからのコメント
2014年6月18日
ブルーノート・レコーズはホレス・シルヴァー(1928-2014)の逝去に深く驚いております。この偉大なピアニストでありコンポーザーのブルーノートへの貢献は計り知れません。ホレスは今朝(6月18日)に85歳にてこの世を去りました。ハード・バップのパイオニア、そしてジャズ・メッセンジャーズの創始者であるホレスはビバップをゴスペル、ブルース、R&Bの要素で和らげ、のちに“ブルーノート・サウンド”と認識されるソウルフルでモダンなジャズを生み出しました。
1952年、サックス奏者のルー・ドナルドソンがカルテット・セッションを行うはずがスケジュールが合わず、偶然ブルーノートのレコーディングをすることになったのがホレスの最初の作品でした。ブルーノートの創始者であるアルフレッド・ライオンはレコーディングをキャンセルする代わりに、ホレス自身のデビューの時であると決断し、彼のオリジナル楽曲のトリオ演奏をレコーディングしました。ホレスが27年間リーダーとして、また参加メンバーとしてブルーノートのためにレコーディングを行った回数は40回を超え、その中には1979年にブルーノートが活動休止前に行った最後のセッションも含まれています。これまで、『ドゥードリン』、『セニョール・ブルース』『シスター・セイディ』『ピース』『ソング・フォー・マイ・ファザー』など彼が生み出した名盤は数えきれません。
この世に多大なる貢献をした音楽の巨匠に追悼を捧げます。安らかに、Mr.シルヴァー。
撮影/写真提供:中平穂積
ホレス追悼
ホレス・シルヴァーはモダン・ジャズの配達人(メッセンジャー)である以前に伝道師(プリーチャー)でした。1950年代半ばに現れたシルヴァー作の斬新な<ザ・プリーチャー>は、1955年のシルヴァー自身の初録音に続いて、翌年にはオルガンのジミー・スミスがデビュー盤と半年後のライヴ盤でカヴァーし、瞬く間にブルーノートから3枚のシングル盤が並びました。シルヴァー最初の大ヒット曲ですが、その媚のない大衆性は、後続するすべてのシルヴァー・スタンダードに共通するものと思います。そして<ザ・プリーチャー>録音の半月後に正式に発足したザ・ジャズ・メッセンジャーズのハード・バップの大衆性も、まさしくホレスの感性と直結するものでした。30年ほど前に初めて会った時、ホレスはジャズ・メッセンジャーズの自分の立ち位置を控えめにこう説明してくれました――「僕はメッセンジャーズ(というアート・ブレイキーが率いていたバンドの名前)の頭にジャズと付けただけ」。ハード・バップ〜ファンキーというモダン・ジャズの人気ジャンルをホレスの発案物とは言いませんが、しかし、彼の魅力的で動員力ある音楽抜きに、どこまでハード・バップが大衆音楽になり得たでしょう? 去った人の才能が実現したことの大きさ、そして残されたものの素晴らしさに、改めて深い敬意を表したいと思います。
文● 行方均(レコード・プロデューサー)
行方均さんのホレス・シルヴァー愛聴作品
1) Art Blakey 『Night At Birdland Vol.1』 |
2) Art Blakey 『Night At Birdland Vol.2』 |
3) Horace Silver 『Horace Silver & The Jazz Messengers』 |
4) Horace Silver 『Blowin' The Blues Away』 |
5) Horace Silver 『Song For My Father』 |
6) Horace Silver 『In Pursuit Of The 27th Man』 |
1) 2) アート・ブレイキー『バードランドの夜Vol.1&2』(Blue Note)1954年 ジャズ・メッセンジャーズ誕生の契機となった伝説のライヴ。ハード・バップ誕生の夜。 3) ホレス・シルヴァー『ホレス・シルヴァー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ』(Blue Note)1954/55年 創立メンバーによる事実上のジャズ・メッセンジャーズ初録音と第2の録音。<ザ・プリーチャー>を生んだ後者の半月後にJMは誕生する。 4) ホレス・シルヴァー『ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ』(Blue Note)1959年 1959〜64年、最強を誇った“黄金のシルヴァー・クインテット”の代表作。タイトル曲他、<シスター・セイディ><ピース>など名曲揃い。 5) ホレス・シルヴァー『ソング・フォー・マイ・ファザー』(Blue Note)1963/64年 新旧クインテットの2セッションを併せ、新クインテットからシルヴァー最大のヒット曲であるタイトル曲が生まれる。 6) ホレス・シルヴァー『27番目の男』(Blue Note)1972年 フュージョンの時代のアコースティック・ジャズの傑作。ブレッカー兄弟をフロントに擁する最新クインテットのセッションを含むシルヴァの27作目のブルーノート盤。 |
撮影/写真提供:中平穂積
追悼ホレス・シルヴァー。
ホレス・シルヴァーとの最初の出会いは、高校生の頃。好きになったドナルド・フェイゲン〜スティーリー・ダンのキャリアをさかのぼるうちに強く惹かれた、ラテン的な異国情趣を感じさせるジャジーな「Riki Don’t Lose That Number」の下敷きになっていたのが、「Song For My Father」だった。
大学生になってジャズのレコードを集めるようになると(当時はまだクラブ・ジャズ前夜だったから、当然ブルーノート1500番台から買い始めた)、バド・パウエルに影響を受け、スタン・ゲッツに見出され、アート・ブレイキーらとのセッションでハード・バップのパイオニアとなり、ファンキー・ジャズの立役者となったホレス・シルヴァーは、僕にとってモダン・ジャズ=ジャズ喫茶的なイメージを体現する存在となった。ジャズ・メッセンジャーズ名義とホレス・シルヴァー・クインテット名義で「Nica’s Dream」を聴き比べたりしていたのは、自分のジャズ体験初期の懐かしい思い出だったりする。その頃よく針を下ろした「Doodlin’」や「Peace」などを今もたまに聴いて、リラックスした時間をすごすこともある。
ところがレア・グルーヴ〜アシッド・ジャズといった時代の空気感もあってか、1990年代を迎える頃から僕は、むしろホレス・シルヴァーの1960年代後半以降のアルバムに、触手を伸ばすようになっていく。2004年にブルーノート65周年を記念して、“Free Soul”や“Apres-midi”の名を冠して5枚のコンピレイションCDを編ませてもらったときも、その時期の作品に新たなパースペクティヴのもと光を当てることを主眼に選曲した。そう、これは強調しておきたいが、従来のジャズのイメージを象徴していたホレス・シルヴァーが、新しいジャズの価値観においても、主役のひとりとなったのだ。
そうした傾向は、もちろん僕のリスニング・ライフにも反映され、この20年ほど、個人的によく聴いたホレス・シルヴァーはやはり、ファンキーよりもモーダル&スピリチュアル。具体的に紹介するなら、例えば『Jazz Supreme〜Maiden Blue Voyage』に収めた、かつて4ヒーローもカヴァーした「Won't You Open Up Your Senses」。イントロのエレピが印象的な、アンディー・ベイの歌声も胸に沁みるワルツ・ジャズだ。レア・テイク集『Sterling Silver』で聴けるビル・ヘンダーソンが歌う「Señor Blues」しかり、僕はヴォーカルの趣味がホレス・シルヴァーと近いのかもしれない。さらに思いつくままに挙げるなら、大好きなレーベルの名前にもなった「Kindred Spirits」、ピースフルな奇跡と言ってもいい「The Mohican And The Great Spirit」、聴くたびに2 Banks Of 4を思い起こす「Mary Lou」、ホレス・シルヴァーがフェイヴァリットとして推すブラジルのモアシル・サントスのカヴァー「Kathy」あたりか。タック&パティがカヴァーした多幸感あふれるコーラスに彩られた「Togetherness」なんかも忘れられない。
最後に、特筆しておきたいことがある。1970年代、カーティス・メイフィールドなどのニュー・ソウルとも共振するいわゆる“人心連合プロジェクト”以降、アコースティック・ピアノによる“人心連合”という趣もある『Silver ‘N』シリーズに至るまで、BN-LAの時代になってもホレス・シルヴァーは、ジャズ本来の硬派な佇まい、ビターなリリシズムを感じさせ、ビ・バップをゴスペル/ブルース/R&B/アフリカ/ラテンと絡めてモダンに進化させた頃の面影を保ち続けていた。そんなジャズ、そしてブルーノートの偉人のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
文● 橋本徹 (SUBURBIA)
橋本徹さんのホレス・シルヴァー愛聴作品
1) Horace Silver 『Song For My Father』 |
2) Horace Silver 『Total Response』 |
3) Horace Silver 『In Pursuit Of The 27th Man』 |
ホレス・シルヴァー
1928年9月2日コネチカット州ノーウォーク生まれ。ファンキー・ジャズのヒーロー。ピアニスト、作曲家。「ソング・フォー・マイ・ファーザー」「ザ・プリーチャー」「ニカの夢」「シスター・セイディ」などのファンキーなジャズ・スタンダードを多数作曲した。ホレスはポルトガル系の父親からの影響で、西アフリカのカーボベルデ共和国の民謡を聴いて育つ。1950年にニューヨークへ進出。アート・ブレイキーと出会い、彼らとのセッションからホレス・シルヴァー・クインテット、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズというモダン・ジャズの2大グループが誕生する。ホレス・シルヴァー・クインテットは1950年代の半ばから60年代にかけて、『ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ』、『ドゥーイン・ザ・シング』、『ソング・フォー・マイ・ファーザー』などの多くの名作をブルーノートに録音した。90年代にクラブ・ジャズのブームの中、『トータル・レスポンス』、『ザット・ヒーリン・フィーリン』といった70年代作品や、『シルヴァー・ン・ヴォイシズ』や『シルヴァー・ン・パーカッション』といったBNLA時代のアルバムが注目され、ホレスの人気が再燃したことも記憶に新しい。- ブルーノートのリーダー作品
- コロムビア/パブロのリーダー作品
- ライヴ盤・編集盤など
- サイド参加作品
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※表示のポイント倍率は、ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。