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TOP > My page > Review List of 一人のクラシックオールドファン
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1 people agree with this review 2011/02/17
内田さん(以下敬称略)は1980年代後半にテイト/ECOの伴奏でモーツァルトのピアノ協奏曲集を収録しておりますが本盤は2010年62歳の内田自らの弾き振り(オーケストラはCLO)の第27番他のライブ録音であります。第27番(タイム@15’00A7’34B9’37)、第1楽章は比較的スローな運びでオーケストラ部分は一部反復演奏がなされていると思いました。中間過程ではオーケストラは静かにテンポ落としをし抑制気味にするなど中々面白いし肝心のピアノの方もルバートを活かして素晴らしいです。カデンツァでも少し考え過ぎと思われる処もありますが結構聞かせます。ややテンポとしては速い印象の第2楽章でも内田の陰影の濃い問題提起が意識されている様です。最終楽章でのカデンツァもじっくり聴かせてくれました。ライブ故か彼女の息遣い等が聞こえるようでちょっと意識過剰部分も垣間見れます。この辺り日本人枠という前提では聴く側も駄目なのでしょう。彼女自身フリッツ・ブッシュ指揮のモーツァルトが好きなようですが今回の弾き振りはどうだったのでしょうか・・・ただ弾き振りは前述テイトとの共演録音開始前後にも既に行なっており今回シリーズが初めての披露というわけではありません。なお、前回1988年録音のタイムは@14’14A8’46B9’26となっています。同年収録の本盤第20番は未聴なのでデータだけメモしておきます・・・演奏タイム@15’18A9’35B8’38・・・前回録音分が@14’14A8’46B9’26なのでこの二つの協奏曲でチェックする限り前回から第1楽章は長く、第2楽章は短く、第3楽章は横ばいという傾向があるのは面白いですね。何れにしても前回録音から20年以上に及ぶ道程は彼女にとってある意義を見出せるのでは・・・・。本盤CDジャケット写真の少し真剣過ぎる?彼女の表情に全て今回演奏(今回だけとは限らぬ彼女の音楽に対する万感を込める姿勢・・・)が語られているようです(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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0 people agree with this review 2011/02/16
1985〜1990年テイト/ECOバックで録ったモーツァルト・ピアノ協奏曲集からの抜粋盤です。この協奏曲集は代表的な演奏盤としてこれからも何らかの形で残るべき名盤で、全体にそんなに癖というか灰汁を感じさせる演奏ではないのですがピアノとバックサポートが後述する様に割りとピッタリとした関係を保てているからでしょう・・・聴き飽きしないオーソドックスさも・・・。さて、1987年録音の第27番は内田が39歳、テイトが44歳と丁度?いい各演奏者年齢との共演者です。演奏タイムは@14’14A8’46B9’26で私は後年彼女が弾き振り(オーケストラはCLO)で2010年録音した演奏(タイム@15’00A7’34B9’37)と比べテンポは安定?はしている様です。第1楽章、オーケストラ前奏はちょっと締まりのない処もありますがマズマズの出だし。ピアノは基本スタンス的には常に問題意識を持ち時として斜に構え勝ちになる内田にしては比較的私には分り易い澄み切った進め具合。中間オーケストラ部分箇所は聴く側で把握出来る範囲内でのニュアンスの動かし方でテンポの揺らぎも最小限に抑えたイメージ。カデンツァはウェット傾向でフッと考えさせる「間」もあるものの過多には陥りません。第2楽章ピアノはゆっくりスタートしオーケストラもそれに添っておだやかそのもの。最終楽章は無難な隙の無い仕上がり。私の聴いた本内田のモーツァルト協奏曲集では中間楽章に「遊び」があり両端楽章の愉悦感はどちらかと言えば抑制気味という印象を受けてはおります。未聴の第23番はデータだけメモしておきます・・・1986年録音、タイム@11’20A7’18B7’45(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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0 people agree with this review 2011/02/15
1985〜1990年テイト/ECOバックで録ったモーツァルト・ピアノ協奏曲集からの抜粋盤です。この協奏曲集は代表的な演奏盤としてこれからも何らかの形で残るべき名盤で、全体にそんなに癖というか灰汁を感じさせる演奏ではないのですがピアノとバックサポートが後述する様に割りとピッタリとした関係を保てているからでしょう・・・聴き飽きしないオーソドックスさも・・・。さて、1987年録音の第26番は内田さん(以下敬称略)が39歳、テイトが44歳と丁度?いい各演奏者年齢との共演者です。演奏タイムは@14’37A7’17B10’39とややゆったりとした感じ。第1楽章しっかりした前奏でスタートして骨格もしっかりしたピアノが入ります。オーケストラは時に平板に聴こえる時もありますがマァこんなものかと思います。内田自身によるカデンツァは少し大人しくはありますが見事なもので分り易いです。第2楽章は絶品!・・・しとやかと言うのか所々ピアノは何気ないアドリブ的飾りをつけそのニュアンスが素晴らしいです。彼女の自分自身の感動を発露しているという感じであり続く最終楽章もテンポを守って気を緩めずきっちりと隙の無い仕上がりです。未聴の分第22番はデータだけメモしておきますね・・・1986年録音、タイム@13’34A9’08B12’21。私は未確認なのですが後年進行中のCLOとの弾き振りでは多分演奏展開が異なってくるのでしょう、楽しみです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/02/14
先ず、今このレビューを書いている最中、内田光子さん(以下敬称略)が楽器演奏の分野で最も優れた演奏家を選ぶグラミー賞での最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞を受賞したというニュースが飛び込んで来ました。おめでとうございます。さて、本盤レビューに入りますが1985〜1990年テイト/ECOバックで録ったモーツァルト・ピアノ協奏曲集からの抜粋盤です。この協奏曲集は代表的な演奏盤としてこれからも何らかの形で残るべき名盤で、全体にそんなに癖というか灰汁を感じさせる演奏ではないのですがピアノとバックサポートが後述する様に割りとピッタリとした関係を保てているからでしょう・・・聴き飽きしないオーソドックスさも・・・。さて、1987年録音の第27番は内田が39歳、テイトが44歳と丁度?いい各演奏者年齢との共演者です。演奏タイムは@14’14A8’46B9’26で私は後年彼女が弾き振り(オーケストラはCLO)で2010年録音した演奏(タイム@15’00A7’34B9’37)と比べテンポは安定?はしている様です。第1楽章、オーケストラ前奏はちょっと締まりのない処もありますがマズマズの出だし。ピアノは基本スタンス的には常に問題意識を持ち時として斜に構え勝ちになる内田にしては比較的私には分り易い澄み切った進め具合。中間オーケストラ部分箇所は聴く側で把握出来る範囲内でのニュアンスの動かし方でテンポの揺らぎも最小限に抑えたイメージ。カデンツァはウェット傾向でフッと考えさせる「間」もあるものの過多には陥りません。第2楽章ピアノはゆっくりスタートしオーケストラもそれに添っておだやかそのもの。最終楽章は無難な隙の無い仕上がり。私の聴いた本内田のモーツァルト協奏曲集では中間楽章に「遊び」があり両端楽章の愉悦感はどちらかと言えば抑制気味という印象を受けてはおります。未聴の第25番はデータだけメモしておきます・・・1988年録音、タイム@15’36A7’21B8’45。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
私の聴いているCDは本盤収録曲とほぼ同じなのですがK165のみ1962年録音のフリッチャイ/RSOBでソプラノがマリア・シュターダー演奏のもので本盤とは異なっております。さて、クーベリック/BRSOでソプラノがエディット・マーティス(録音当時35歳)のモーツァルト宗教曲(1973年録音クーベリック59歳頃)は力強い素晴らしい演奏仕上がりとなっております。具体的には先ずK317は戴冠式ミサなのでショボクレた演奏ではつとまりません。起伏を持たせた表情豊かな演奏でアタックがやや強い感じも受けます。マーティスも健康的な歌唱ぶり、合唱BRCも生々しくクレドなどは寧ろキツイ印象。とにかくシンフォニックさを強調した如何にも戴冠式に相応しい派手ぶりでいいかと思いました(五曲でトータルタイム24’00)。K220(六曲トータルタイム16’37)はサンクトゥスで弦が雀のさえずりに似たモチーフを扱うところから「雀」と呼ばれるミサ曲ですがフーガ等がないだけシンプルな曲なのでやや地味な感じを受け無難な仕上がり。K618は有名なアヴェ・ヴェルム・コルプス(タイム3’28)なのですが合唱主体でコーラスはK220と同じRCC。ややリアルな音色で悪く言えば粗い生々しさが所謂宗教的雰囲気とは少し異となる感じに私は受けました。実際コーラスRCCの方が宗教曲専門の聖歌隊なので私の聴き方が不味いのかもしれません。クレー指揮のK165は先にも書いた様に未聴であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/02/13
本盤は現在販売されておりませんが別盤が出ておりますので参考までにコメントを入れておきます。間奏曲で有名な「カヴァレリア・ルステイカーナ」はマスカーニの唯一の世に知られた作品(実はマスカーニには江戸時代の日本を題材にとったオペラ「イリア」というのもあるらしく近々関西初演がなされるようです・・・)で周知の通り男女三角関係を扱ったいかにもイタリア物の作品であります。このオペラというと詳細に聴いた事はないのですがセラフィン指揮の1953年モノラル録音分と1960年ステレオ録音分がすぐ頭に浮んで来るわけですが本盤も矢張りイタリア指揮者であるムーティがストレートな運びで熱演し五人の独唱者連も夫々熱唱しこの演歌的世界を再現しています。録音は1979年というからムーティ38歳、独唱者の内Sのサントゥッツァ役のカバリエがやや年増の46歳、Tトゥリッドゥ役のカレーラス(パヴァロッティ、ドミンゴと共に世界三大テノールと言われたのは有名ですね)が33歳とマァ不足はありません。何回かあるSとTの二重唱は流石緊迫感もあり圧巻場面も聴かれます。録音のせいか偶然私の聴いた盤コンディションのせいかプレイヤーのせいか分かりませんがやゝ合唱が音割れする時がありました。オーケストラは当時ムーティの監督下のPHOでいつもながら融通性高い演奏であります。トータルタイムは73’58と敢えて言えばややショート(盤一枚収録タイムとしては限界?)。矢張り山場であるS他によるロマンツァ&劇唱「あなたもご存知です、お母さん」やS他の二重唱「おや、主があなたをよこして下さった」そしてT他によるフィナーレ「お母さん、あの酒は強いね」等は中々聴かせます。最後のフィナーレの〆トゥリッドゥが殺される前後のオーケストラ全奏はムーティが渾身でしゃくり上げ、クロージングもそのドラマチック性はいかにもイタリアオペラ物の幕引きに相応しい感動高きものでした。なお、間奏曲(3’40でショート気味)はどうしても私はセラフィン演奏が念頭に入って格下に見がちになりました・・・少し含みが欲しい演奏と思いました。私の聴いている盤のノートにはイタリア語歌詞と対訳がついておらずこれも少し残念な思いをした次第(イタリア語がわからない私などには不要と割り切ればいいのですが事「オペラ」にどうしても付きまとうマターではありますね)。ムーティと言えば最近リハーサル中?体バランスを崩して大怪我をしたらしくいつまでも若い感じに思っていたのですがもうすぐ70歳・・・シノーポリが亡くなりアバドが何となく第一線を引いた感じ、シャーイが何とか頑張っており一頃台頭したイタリア勢も時代が動いている事を認めざるを得ません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
間奏曲で有名な「カヴァレリア・ルステイカーナ」はマスカーニの唯一の世に知られた作品(実はマスカーニには江戸時代の日本を題材にとったオペラ「イリア」というのもあるらしく近々関西初演がなされるようです・・・)で周知の通り男女三角関係を扱ったいかにもイタリア物の作品であります。このオペラというと詳細に聴いた事はないのですがセラフィン指揮の1953年モノラル録音分と1960年ステレオ録音分がすぐ頭に浮んで来るわけですが本盤も矢張りイタリア指揮者であるムーティがストレートな運びで熱演し五人の独唱者連も夫々熱唱しこの演歌的世界を再現しています。録音は1979年というからムーティ38歳、独唱者の内Sのサントゥッツァ役のカバリエがやや年増の46歳、Tトゥリッドゥ役のカレーラス(パヴァロッティ、ドミンゴと共に世界三大テノールと言われたのは有名ですね)が33歳とマァ不足はありません。何回かあるSとTの二重唱は流石緊迫感もあり圧巻場面も聴かれます。録音のせいか偶然私の聴いた盤コンディションのせいかプレイヤーのせいか分かりませんがやゝ合唱が音割れする時がありました。オーケストラは当時ムーティの監督下のPHOでいつもながら融通性高い演奏であります。トータルタイムは73’58と敢えて言えばややショート。矢張り山場であるS他によるロマンツァ&劇唱「あなたもご存知です、お母さん」やS他の二重唱「おや、主があなたをよこして下さった」そしてT他によるフィナーレ「お母さん、あの酒は強いね」等は中々聴かせます。最後のフィナーレの〆トゥリッドゥが殺される前後のオーケストラ全奏はムーティが渾身でしゃくり上げ、クロージングもそのドラマチック性はいかにもイタリアオペラ物の幕引きに相応しい感動高きものでした。なお、間奏曲(3’40でショート気味)はどうしても私はセラフィン演奏が念頭に入って格下に見がちになりました・・・少し含みが欲しい演奏と思いました。私の聴いている盤のノートにはイタリア語歌詞と対訳がついておらずこれも少し残念な思いをした次第(イタリア語がわからない私などには不要と割り切ればいいのですが事「オペラ」にどうしても付きまとうマターではありますね)。ムーティと言えば最近リハーサル中?体バランスを崩して大怪我をしたらしくいつまでも若い感じに思っていたのですがもうすぐ70歳・・・シノーポリが亡くなりアバドが何となく第一線を引いた感じ、シャーイが何とか頑張っており一頃台頭したイタリア勢も時代が動いている事を認めざるを得ません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
0 people agree with this review 2011/02/12
ドヴォルザーク30才台後半の作曲で、ある意味では油の乗り切った時期の大曲で滋味溢れる作品ではありますがその作曲の期間に何人かの自分の子供を亡くすという不幸の影響もあって普遍的な作品になっております。この「スタバト・マーテル」の演奏は現在CD種類としてはそんなに多く出てはおらずチェコ系の指揮者によるものが大半、そうした状況で本盤演奏はモノラルでも決してその価値を減らしていないターリッヒ指揮によるもので私はこの曲の決定盤と思っております。ターリッヒ69歳の頃1952年モノラル録音はかえって曲の普遍性を説得するくらいのものがあり丁度カラー写真より白黒写真に説得力がある場合と同じで最高と言えましょう。演奏タイムは全10曲で順に21’12+10’01+5’57+8’19+5’16+6’51+7’08+5’55+5’20+7’42(TOTAL 83’41)となっています。本盤収録の他の曲は未聴でありますので本盤無難にワンランクさげておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2011/02/12
ドヴォルザーク30才台後半の作曲で、ある意味では油の乗り切った時期の大曲で滋味溢れる作品ではありますがその作曲の期間に何人かの自分の子供を亡くすという不幸の影響もあって普遍的な作品になっております。この「スタバト・マーテル」の演奏は現在CD種類としてはそんなに多く出てはおらずチェコ系の指揮者によるものが大半、そうした状況で本盤演奏はモノラルでも決してその価値を減らしていないターリッヒ指揮によるもので私はこの曲の決定盤と思っております。ターリッヒ69歳の頃1952年モノラル録音はかえって曲の普遍性を説得するくらいのものがあり丁度カラー写真より白黒写真に説得力がある場合と同じで「最高」盤と言えます。演奏タイムは全10曲で順に21’12+10’01+5’57+8’19+5’16+6’51+7’08+5’55+5’20+7’42(TOTAL 83’41)となっています。1949年録音の交響詩「水の精」はドヴォルザークが交響曲から交響詩作曲家への移行を示す印象画的作品で余り普段聴くことはないのですがやはり子供を亡くすテーマも語られ分り易い「水の精」テーマ動機を中心に曲運びがなされています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/02/11
デュ・プレというと1998年の映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」で絶えずバックに流れていた憂愁たるこのエルガーのチェロ協奏曲(このBGMは1970年バレンボイム/PPOバックでの勿論デュ・プレ自身の演奏)がこの映画にピツタリ合ってプライバシーも糞も無い少しドロドロしたストーリー運びに効果的でありました(実際演じていた女優はエミリー・ワトソン、実際のチェロ演奏はキャロライン・デイル)。本盤演奏は1965年かつてチェリストであった名指揮者バルビローリがLSOを振ってのバック録音で演奏タイム@7’59A4’31B5’18C12’18の間にこの夭折の女性天才チェリストが入魂の演奏でこの曲の愁い抒情を表現してそこに時間の流れを感じさせてくれます。元々初演後やはり天才少女と言われたベアトリス・ハリソンが1928年?エルガー/NSO共演で初録音した曲だけに女性が弾くと独特の「凄さ」を表出することにどうしても期待もするわけでデュ・プレにとっても何回か録音(1964年サージャント/BBCSO、1967年再び指揮者バルビローリで/BBCSOライブ、同年バレンボイム/NPHO、1970年前述バレンボイム/PPO・・・と言った具合)しています。さて、本盤 第1楽章勿論デュ・プレの看板曲であるという先入観も手伝ってはいますが冒頭底暗い思索的な雰囲気でチェロがカデンツァ風に入る渾身のスタート序奏は実に印象深いです。バックにはもう少し緻密さを要求したくなる場面もありますがテーマを継いで高揚して行く呼吸はバルビローリならではという処。やはりイギリス系で演奏陣を固めたものが「本物」の有難さを楽しめる様で次第に先の緻密不足もデュ・プレの心技に解消される第2〜3楽章、そしてややセーブしつつ進めた最終楽章で〆の序奏回帰に結びつけるまでの行程は正に「時間」経過・・・人生を思わせるものがありました。他の収録曲は未聴ですので一つランクを落しておきます・・・スミマセン。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2011/02/11
デュ・プレというと1998年の映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」で絶えずバックに流れていた憂愁たるこのエルガーのチェロ協奏曲(このBGMは1970年バレンボイム/PPOバックでの勿論デュ・プレ自身の演奏)がこの映画にピツタリ合ってプライバシーも糞も無い少しドロドロしたストーリー運びに効果的でありました(実際演じていた女優はエミリー・ワトソン、実際のチェロ演奏はキャロライン・デイル)。本盤演奏は1965年かつてチェリストであった名指揮者バルビローリがLSOを振ってのバック録音で演奏タイム@7’59A4’31B5’18C12’18の間にこの夭折の女性天才チェリストが入魂の演奏でこの曲の愁い抒情を表現してそこに時間の流れを感じさせてくれます。元々初演後やはり天才少女と言われたベアトリス・ハリソンが1928年?エルガー/NSO共演で初録音した曲だけに女性が弾くと独特の「凄さ」を表出することにどうしても期待もするわけでデュ・プレにとっても何回か録音(1964年サージャント/BBCSO、1967年再び指揮者バルビローリで/BBCSOライブ、同年バレンボイム/NPHO、1970年前述バレンボイム/PPO・・・と言った具合)しています。さて、本盤 第1楽章勿論デュ・プレの看板曲であるという先入観も手伝ってはいますが冒頭底暗い思索的な雰囲気でチェロがカデンツァ風に入る渾身のスタート序奏は実に印象深いです。バックにはもう少し緻密さを要求したくなる場面もありますがテーマを継いで高揚して行く呼吸はバルビローリならではという処。やはりイギリス系で演奏陣を固めたものが「本物」の有難さを楽しめる様で次第に先の緻密不足もデュ・プレの心技に解消される第2〜3楽章、そしてややセーブしつつ進めた最終楽章で〆の序奏回帰に結びつけるまでの行程は正に「時間」経過・・・人生を思わせるものがありました。もう一曲ディリアスのチェロ協奏曲(1965年録音、サージャント/LSOのバック、演奏トータルタイム24’35)は未聴ですので一つランクを落しておきます・・・スミマセン。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2011/02/10
カルミニョーラ、アバドのコンビの演奏で私は本盤と同年2007年収録のペルコ゛レージの宗教曲やモーツァルト・ヴァイオリン協奏曲集を聴いていたのですがこの度新たにバッハ・ブランデンブルグ協奏曲を聴きコメントする次第です。モーツァルトの時も書いたのですがこのブランデンブルグ協奏曲はライブでDVD盤もありそれを見てアバドの病後?故なのかかなり老いた(当時74歳頃の割には)外見の感じが尚更痛々しい思いを先ずしました。大体アバドはBPO常任指揮者に登りつめるまで、そして数々のコンサート、レコーディングの超多忙スケジュールの日々そして自己表現の充実化と後進指導等の為の音楽活動という経緯で普通若い頃バロック音楽からスタートし古典、ロマン派へと移行する指揮者が多い中でアバドは比較的晩年・・・勿論まだまだ若いですよ・・・にバロック領域を少なくとも盤に多く録りだしてそういう訳なのか演奏スタイルの変化がなされつつあるなという印象を抱いています。さて、ピリオド奏法アプローチ等で一昔のバロック演奏団体のよりテンポはやはり速めなのですが所謂過激先鋭的な処はなく我々の世代でもついて行けアバドの指揮姿にかかわらずソフトな当りと爽快感が素晴らしく(アバドも老いたりとは言え元々爽快な演奏が持ち味だけに明るい基調のブランデンブルグ協奏曲には合っているようで・・・)また、ライブらしくちょっとヒャツとするというか各独奏者(あの可愛かったリコーダーのペトリも私には久しぶり)のアドリブ的な箇所や曲と曲の間の拍手も収録されてコンサートの雰囲気が味わえます。各曲演奏タイムをメモしておきましょう。第1番(タイム@3’47A3’02B3’53C7’10)、第2番(同@4’38A3’44B3’00)、第3番(同@5’16A0’23B4’46)、第4番(同@6’59A3’43B5’22)、第5番(同@8’50A4’59B5’12)、第6番(同@5’57A4’46B5’47)(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
カルミニョーラは1997年にモーツァルト・ヴァイオリン協奏曲集を収録していましたがそれから10年後2007年何かと過去関係もあったアバドとの共演で本盤演奏が収録されたものです。オーケストラはアバドが2004年設立したOMで若々しい躍動感溢れる音を放ってヴィブラートを抑制したピリオド奏法でバックサポートしております。カルミニョーラは最近自ら設立に係わったヴェニス・バロックOといろいろ新しい企画物をリリースしているのですが以前の曲芸的「四季」で馴染みの中堅演奏家でこのモーツァルトではどんな速いパッセージでも曲芸という印象よりキチッと決めてくれる充実した印象のソロを務めており更にある爽快感も伴っております。ジャケットで見るアバドも老いたりとは言え元々爽快な演奏が持ち味だけに合っているようです。演奏タイムは第1番@6’55A7’17B4’56、第2番@7’33A6’07B3’52、第3番@8’32A5’59B5’58、第4番@7’52A5’13B6’30、第5番@8’45A7’50B7’37そしてヴァスキエヴッチとの協奏交響曲は@12’22A9’07B6’02と全体にアップテンポな演奏でありますが決して性急な感じはありません。第5番の第3楽章・・例のトルコ風の楽章など聴いても上滑りも技術一辺倒にも走っていない事が好感が持てます。なお、本演奏でのカデンツァはカルミニョーラの師F.グッリのものを多く採用しているとメモにはあります。一気に聴くとややワンパターンな感じも時にはしましたが素晴らしい演奏と思います。仕様も期待されます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
3 people agree with this review 2011/02/09
この両曲の組合せの他のCDに既にコメントしていますのでそれをそのまま転記させていただきます。なお、平林氏復刻盤の丁寧な作りがいつもながら期待されますね。・・・→1950年代後半ハイフェッツは四大ヴァイオリン協奏曲を録音しておりバックサポートはチャイコフスキーとブラームスはライナー/CSO、ベートーヴェンとメンデルスゾーンはミュンシュ/BSOで本盤ベートーヴェンVCは1955年ハイフェッツ54歳の頃の収録の名盤であります。演奏タイムはこの両者の演奏らしく@20’38A8’48B8’22と短めなのですがこの曲の独奏部分とオーケストラ部分が対等な処を結構両者が対となって展開されているのが充分楽しめます。第1楽章スタートの前奏は直截ストレートな感じでテンポはミュンシュの引き締まったリードと共に速め。そして艶やかなヴァイオリンが入ってこのベートーヴェン作品の幸せ感を伝えて行きます。カデンツァは普段聴くものとは異なり独自なものでいろいろな曲想が盛り込まれており聴き物です。第2楽章も艶やか中にも余計なものを削ぎ落として端正な出来上がりとなっております。最終楽章との間のカデンツァも普通はほんのちょっとしたものなのがこの演奏では異なり聴き処です。第3楽章ヴァイオリン、オーケストラとも心地よく進み短めのカデンツァでやはりアクセントをつけます(ハイフェッツ盤のカデンツァはアウアーやヨアヒムのものをマイナーチェンジしたものらしいです)。なお、ハイフェッツのこの協奏曲録音盤としては1940年トスカニーニ/NBC盤(タイム@21’16A8’42B8’30)、1945年ロジンスキー/NYPOライブ盤(タイム@21’23A8’55B8’28)、1956年ミトロプーロス/NYPOライブ盤(タイム@20’51A8’33B8’32)などが本盤演奏の他にありますので聴き比べもしたいですね。更に1959年収録のメンデルスゾーンも超名演で演奏タイムは@10’57A7’06B5’56と出だしなどこの曲の官能性の程度も少なく相変わらずストレートな感じであらためて聴くと1960年代初めまでロシア系代表的ヴァイオリニストたるに相応しく微塵の感傷も交えずの完璧技術をもっての演奏に対してキリッと背筋を真直ぐにした次第です。ベートーヴェンVCと同様他の演奏盤をメモしますと1937年バルビローリ/LPO盤(タイム@11’04A7’28B5’51)、1944年トスカニーニ/NBC盤(タイム@10’33A6’58B6’08)、1949年ビーチャム/RPO盤(タイム@11’03A7’29B5’53)、1954年カンテッリ/NYPO盤(タイム@10’54A7’13B6’12)等単にタイム上では大差はないのですがハイフェッツのこの曲へのアプローチ暦も興味がありますし年季がそれだけ入っているということなんでしょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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