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Review List of 村井 翔 

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  • 1 people agree with this review
     2009/09/09

    かつてはボロクソに言われた旧シェーンベルク全集の指揮者、ロバート・クラフトだが、グールドのような例外的天才を除けば、当時はまだ演奏者全体の慣れが不足していたのだろう。室内交響曲第1番の精彩ある演奏を聴くと、まさしく時代が変わったことを実感させられる。シリアもさすがに『期待』再録音では声の衰えが痛々しかったが『ピエロ』は素晴らしい。シャープだが「どろどろ」感の少ないシェーファーとは対照的で、歌手というよりむしろ女優であるバーバラ・スコヴァのものと並んで、最も表現力の強いシュプレッヒ・シュティンメだろう。

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     2009/09/07

    近年このオペラの上演が各地で相次いでいるのは、キリスト教vs異教の文化摩擦というテーマ、しかもそれがキリスト教の勝利に終わらない、「霊」は「肉」に勝利し得ないというストーリーが、サイード著『オリエンタリズム』以後のヨーロッパ人にはアクチュアルに感じられるからだろうか。ローカル色のぬぐえなかったヴィオッティ指揮、ピッツィ演出に比べると、こちらは大がかりな装置に大勢の半裸のダンサー達を動員したスペクタクルな舞台。音楽の上ではやや弱い劇的緊張を派手な見た目で補完しようという演出の意図は成功している。フリットーリのタイスは歌唱としては申し分ない(体型がもっとスリムなら文句なしだが)。題名役以上に重要なアタナエルのアタネリも少し粗いが、力演。

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     2009/09/06

    女狐は本来、とてもエロティックなキャラのはずだが、よくある上演のように着ぐるみを着せられてしまうと、エロティシズムが見えなくなってしまう。半ば人間で半ば動物のような実にセンスのいい衣装が決まった時点で、この上演の成功は決まったようなもの。キャストも魅惑的なほどエロティックなツァラゴワと、新国立の『指輪』のヴォータンでもあるラシライネンが最高の適役。女狐と森番の「愛」が実感できたのは、この演出がはじめてだし、森番が動物たちを追ってヒマワリ畑に消えて行くエンディングもいい。マッケラス指揮、ハイトナー演出のパリ・シャトレ座版は一つの規範となるべき映像だし、2008年サイトウ・キネン・フェスティヴァルでの上演も素晴らしかったが、そのどちらをも凌ぐような出来ばえ。

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     2009/09/05

    音の資料として大変貴重な録音であることは分かる。でも、ガーディナーが録音していた『イタリア』の改訂稿もあまり感心しなかったが、『スコットランド』と『フィンガルの洞窟』はわれわれが普通に聞いている出版稿の一つ前の形(改訂版ではない)で、曲の生成過程を知るという点では面白いものの、やはり未整理で繰り返し聞きたいと思うようなものではない。「メンデルスゾーン・ガラ・コンサート」で演奏された『スコットランド』にも少し普通と違うところがあったが、あれは出版稿を慣習的カットを復元して演奏したようだ。ライプツィヒに移ってからのシャイーの仕事にはレコード会社の思惑と指揮者の趣味が一致しているのか、こういう落ち穂拾い的なものが多いが、演奏・録音ともに優秀なだけに勿体ないような気がしてしまう。ピアノ協奏曲第3番も復元の努力には敬意を表するが、やはり凡作。

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     2009/08/31

    1989年の録画で絵、音とも古さを感じるが現在なお、このオペラ最良の録画だろう。やや太めのファウスト(デニス・オニール)、清純な乙女には見えないマルゲリータ(ガブリエラ・ベニャチコヴァー、エレナの方がずっと良い)など見た目の問題が気にならなければ、主役サミュエル・レイミーの素晴らしさとロバート・カーセンの冴えた演出で断然、他を引き離している。たとえばケン・ラッセル演出(残念ながら音の状態がきわめて悪いが、パロディ満載の大変面白いもの)ではオペラの録音風景にされているように、大仰で時代錯誤な第4幕はたいてい読み替えの餌食にされるが、カーセン演出ではセンス良くメタ・オペラ(オペラの中のオペラ)になっている。つまり、エレナと自分との愛がオペラの中の出来事に過ぎなかったと知ったファウストの失望で終わるわけだが、これはエピローグへの続き方として全く自然かつ合理的だ。

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  • 1 people agree with this review
     2009/08/31

    「3つの小品」はブーレーズ/BBC響の1967年録音を聞いて(同じコンビで1984年に再録音している)、その解像度の高さにぶったまげたものだが、時代は移り、そのブーレーズやカラヤン、アバドなど過去の名盤をことごとく顔色なからしめるような新録音。スタジオ録音ではなくライヴだというのに、とにかく総譜が隅々まで聞こえるのは驚き。第2曲「輪舞」のクライマックスでの複数モティーフ重ね合わせによる騒音効果なども鮮烈そのものだが、オペラ指揮者らしく、それぞれの音が無機質に羅列されるのではなく、ちゃんとつながって雄弁にドラマを語るところが素晴らしい。「ルル組曲」で歌うエフラティは既にレック指揮、パレルモ・マッシモ劇場と全曲を録音しているが、やや色気過剰。「ルルの歌」ではもう少しクールさが欲しい。

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     2009/08/31

    この盤の売りはベルク「抒情組曲」終楽章の声楽入り版が(録音としてはおそらく初めて)聞けることだろう。ボードレールの詩(シュテファン・ゲオルゲ独訳)による声のパートは作曲者が不倫相手のハンナ・フックス・ロベティンに贈った自筆譜に書き込まれていたものだが、聞いていただければ「一聴瞭然」、実際に歌えるようには書かれていない。この版はいわば二人の不倫のプライベートな記念品であり、演奏するとすれば弦楽四重奏で演奏された5つの楽章に声楽入り終楽章を付けるのではなく、この盤のように特別なものとして切り離して演奏するのが「正しい」のだろう。その事実上、演奏不能な楽章をとにもかくにも音楽にしてしまうシェーファーには唖然とするばかり。メインのシェーンベルクでもペーターゼン四重奏団ともども精緻かつ雰囲気豊かな演奏を繰り広げている。

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  • 4 people agree with this review
     2009/08/30

    2006年夏、ザルツブルクでのライヴがようやく出ることになったのは、CDを発売してくれる会社を探すのに手間取ったせいか。クレーメルほどの大家でもこうなのだから、昨今のクラシック業界の窮状が分かる。さて、今回はアーノンクールがいないので彼一人が全体を差配するわけだが、楽器はモダンでも十分にピリオド・スタイルを踏まえており、シャープかつ柔軟ないつもの美音も、もちろん健在。弾き慣れのせいか、番号を追うごとにクレーメル色が強くなり、結局、第5番が最も個性的な出来だ。文句なしにいい演奏だが、前の録音より確かに良くなったカルミニョーラ/アバドのような相乗効果が期待できない分、前回に比べて何か決定的な新しさがあるかと問われると、ちょっと口ごもらざるをえないところが苦しいか。

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     2009/08/27

    テンシュテットのライヴは凄いという話はつとに聞いていたが、不運にしてまだそれを実感できるようなディスクに巡り合わなかった。確かに8番の録画では「神が降りてきている」が、8番ではスタジオ録音だって劣らず凄いと思っていた。だが、6番に関しては83年スタジオ録音、91年ライヴがあるにも関わらず、LPOレーベルが録音状態の芳しくないこれを発売した理由が良く分かる。わずか4ヶ月前に録音されたばかりのスタジオ録音(東芝はこれを廃盤にしてしまい、91年ライヴを本来、83年録音のものだったジャケットに入れて売っているので要注意)と比べてみると、基本テンポが上がったことによって緩急のメリハリが強くなり、ライヴならではの即興的なテンポ変化もあるとはいえ、全体としてはより明快な演奏になったと思う。しかし、テンシュテットのマーラー演奏の特質は、遅いテンポのなかで各パートを鳴らしすぎるほど鳴らすことによるエネルギーの鬱積感、必ずしも合理的でない「のたうつような」テンポ変化からくる、ある種の晦渋さにあると考えているので、これが出たからといって、まさにそうした特質が聞き取れるEMI盤が不要になったわけではないと思う。

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     2009/08/27

    そんなに大歌手が出なくても、そこそこ歌って演じられる歌手と気の利いた演出があれば面白く見られるオペラ。作曲者も悩んでいたようだが、最後がどうも煮え切らないストーリーで欲求不満が残るので、そこをどう解決するかが演出家の課題だろう。最終改訂版(第三版)に基づき、ヒロインの自殺で終わらせるプラシド・ドミンゴ夫人、マルタさんの演出は手堅いながら、なかなか良い。見ての通りの美貌のヒロイン、いかにも「うぶ」なマーカス・ハドックの相手役ともに好演。エンディングは従来通りだが、舞台を1950年代に移し、最後にはあっと驚く大仕掛け(これは見てのお楽しみ)を見せるグレアム・ヴィック演出(フェニーチェ歌劇場)と互角の勝負か。

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     2009/08/26

    あまりに陰影の濃い、内向的な演奏は好みを分けるかもしれないが、好きか嫌いかと言われれば、もう大好きな世界。テンポ、強弱、音色の変化から独特なリズムのつかみ方(ハ短調終楽章のコーダ)まで手練手管は多彩だが、イ長調の終楽章に至っても、明るく開放的な世界に抜け出ることはない。緩徐楽章が旧盤よりやや速くなったのは、ピリオド・スタイルを意識したせいと思われるが、少しもあっさりしたわけではなく、反復の際の旋律装飾はもうマニエリズム。カデンツァや挿入句のセンスの良さもさすがだ。ハ短調終楽章の一部変奏では弦のプルトを減らして室内楽風にしたり、新全集版からアルコになったイ長調第2楽章終盤の弦の伴奏音型では低弦のみピツィカートにしたりと(テイト指揮でもここはそうだったが)オケの方も工夫が山盛り。もちろんオケは申し分なくうまく、木管の美しさには惚れ惚れする。

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     2009/08/22

    祝、全集完結! これが21世紀初頭を代表するマーラー全集として長く聴き継がれてゆくことは間違いないが、一つだけ贅沢な不満を言えば、アイロニーやパロディといった側面の表出がやや弱いこと、端的に言えば、少し陰影が足りないことがこのツィクルスの弱みだった。しかし、このディスクを聴くと、その印象も訂正する必要があるようだ。最初の第10交響曲・アダージョは苦みもアイロニーも兼ね備えた素晴らしい名演。一方、メインの第8はと言えば、もともと暗い側面のない曲なので、ティルソン=トーマスのアプローチに何の不安もない。そして演奏は、これはもう堂々たる横綱相撲。アンサンブルを磨き上げて、総譜の情報を細大漏らさず拾い上げることを主眼にしているが、現在望みうる最高水準とも言える優秀な録音の助けもあって、立ち現れてくる曲の威容の見事なこと。しかし、単なるインテンポ主義ではなく、この全集の随所で見られた、ロマン派への先祖返りのような大胆なアゴーギグがここでも聴かれる。第1部末尾では思い切ったアッチェレランドで音楽を追い込んでいるし、逆に第2部の終わりでは幅広いテンポをとって、いやが上にも壮大さを盛り上げている。当初予定より2年以上遅くなった録音のための演奏会には周到な準備がなされたのだろう。合唱の練度も高く、独唱陣にも隙がない。大所帯の統率をとるのが難しく、たとえばブーレーズもかなり遅いテンポをとっている第1部末尾も、前述の通り、速いテンポで突進するが、アンサンブルには少しの乱れもない。

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     2009/08/21

    シェイクスピア最後の戯曲で最高傑作との評も高い『テンペスト』のオペラ化。台本はうまく原作を圧縮しているが、ポスト・コロニアリズム以来、アメリカ先住民のような植民地主義の犠牲者と話題になることが多いキャリバンがやはり重要視されていて、第2幕で夢の話を語るところでは讃歌のような崇高な音楽が付けられているし、プロスペロー退場後に最後のセリフを歌うのも彼になっている。ボストリッジが得意のニューロティック(神経過敏)な歌を披露するが、キャリバンはパパゲーノのような自然児のイメージがあったので、ちょっと違和感あり。作曲者はピーター・グリーナウェイ監督の映画『プロスペローの本』に付けられたマイケル・ナイマンの音楽を意識していたはずだが、ナイマン同様、パロック・オペラに倣ってキャリバンがテノール、エアリアルがコロラトゥーラ・ソプラノなど高めの声偏重の配役になっている。芸術は絶対に「進化」しなきゃというモダニズム思想は過去のものとはいえ、素朴な聴感ではブリテン『真夏の夜の夢』に「毛が生えた」程度にしか感じない、あまりにもまともなオペラぶりに戸惑いもあるが、原作自体が圧倒的に良くできているので楽しめる作品であることは確かだ。

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     2009/08/20

    『夜と夢、ジクムント・フロイトの死』はイギリスの作曲家、アンドリュー・フォード(1957- )がデラー・コンソートの創立メンバーでもあったテノール歌手、ジェラルド・イングリッシュのために書いたシアター・ピース。題名にあるシューベルトのリート『夜と夢』と『小川の子守歌』(『水車小屋の娘』の終曲)を枠として両端に置き、その間に死に瀕したフロイトの回想がイングリッシュの語りと歌(英語)で繰り広げられていく。歌の部分はフロイトらしい「夢の歌」だが、その内容は『夢判断』などで語られているフロイト自身の夢のどれとも関係はなく、完全な創作。SPレコード針音入りのリート(歌はイングリンシュ)など他の素材(軍靴や空襲警報のサイレン、ヒトラー、チェンバレンの演説など具体音もある)はすべてプレ録音されていて、イングリッシュが56分余の一人芝居を演ずるという趣向だ。2000年、彼が72歳の時の録音。語りの内容はフロイトの同性愛とそこから起因するヴィルヘルム・フリースやカール・グスタフ・ユングへの転移(惚れ込み)、およびその悲劇的結末という彼のプライヴァシーの核心にかかわるもの。現代音楽臭皆無なので音楽作品としての充実度には疑問符がつくが、フロイト研究者として大いに楽しんだのは事実。ただし、聴き手を選ぶ作品であることは確かで、フロイトとフリースやユングの関係について、あらかじめ知っていないと、さっぱり話が分からない。 シェーンベルクの方は同じイングリッシュの語りながら、1973年録音の既発売音源。

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     2009/08/18

    『コジ』と『フィガロ』は洗練されたセラーズ版といった趣きで、もちろん悪くないが、すべては想定範囲内。その点では『ドン・ジョヴァンニ』が断然、面白い。舞台には幾つものベッドが並べられ、人物達は出番になると起き上がって演じるが、終わるとまた寝てしまう。個人幻想、夢にひたる各キャラたちがつかのま(ドン・ジョヴァンニは砂時計を置く)出会う場がこのオペラという解釈か。ジョヴァンニに憧れる盗撮マニアのレポレッロ、アンナ人形を抱いて歌うドン・オッターヴィオには笑える。一方、第2幕のドンナ・エルヴィーラとレポレッロ、「薬屋の歌」後のツェルリーナとマゼットのベッドインなどは明確に性行為を暗示し、開幕直後のドンナ・アンナの状況は明らかに行為後だ。セットは病院でもあり、知的なドン・ジョヴァンニは各人物をケアし、性的欲求不満を解消させる精神分析医といった役どころ。地獄落ちの場では彼が死ぬのではなく、ゾンビと化した騎士長を昇天させる。珍しいウィーン版追加曲、ツェルリーナとレポレッロの二重唱ではツェルリーナのサディストぶりに驚怖するマゼットが見もの。

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