please enable JavaScript on this site.
Guest
Platinum Stage
Gold Stage
Bronze Stage
Regular Stage
Buy Books, CDs, DVDs, Blu-ray and Goods at HMV&BOOKS online
Advanced Search
TOP > My page > Review List of つよしくん
Previous Page
Next Page
Showing 646 - 660 of 1958 items
%%header%%
%%message%%
2 people agree with this review 2011/07/13
本盤におさめられたマーラーの交響曲第6番は、アバドによる二度にわたる同曲の録音のうち最初のものに該当する。最新の演奏は2004年にベルリン・フィルを指揮したものであるが、それは近年のアバドの円熟ぶりを窺い知ることが可能な至高の名演であった。したがって、それより25年も前の本演奏の影はどうしても薄いと言わざるを得ないが、私としては、若きアバドならではの独特の魅力がある素晴らしい名演と高く評価したい。1970年代後半からベルリン・フィルの芸術監督に就任する直前である1980年代後半にかけては、ある意味ではアバドが最も輝いていた時期であったと言えるのではないだろうか。アバドもベルリン・フィルの芸術監督に就任した後は、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになるのだが、かかる輝ける時期のアバドは、生命力溢れる熱のこもった名演の数々を成し遂げていた。本演奏でもそのような若きアバドならではのエネルギッシュな指揮ぶりが健在であると言える。とりわけ、第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っていると言える。また、第3楽章においては、アバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があると言える(アバドは、前述のベルリン・フィル盤では、第2楽章と第3楽章を入れ替えるという近年主流となりつつあるバージョンで演奏していたが、本演奏では、従来版に従って演奏していることについても特筆しておきたい。)。いずれにしても、本演奏は強靭な力感と豊かな歌謡性を併せ持った、いわゆる剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えよう。また、シカゴ交響楽団も持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。併録の「リュッケルトの詩による5つの歌曲」も、シュヴァルツの歌唱ともども素晴らしい名演と高く評価したい。録音は、従来盤でも比較的満足できる音質ではあったものの、前述のベルリン・フィル盤がSACD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさに鑑みても大いに歓迎したいと考える。
2 people agree with this review
Agree with this review
7 people agree with this review 2011/07/12
本盤におさめられたマーラーの交響曲第5番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうち最初のものに該当するが、ベルリン・フィルとの新盤(1993年)よりもはるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。私は、アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督の就任前、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などとともに数々の演奏を行っていた時期(とりわけ1970年代後半から1980年代にかけて)であると考えている。ベルリン・フィルの芸術監督就任以降は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、胃がんによって病に伏すまでの間は、大半の演奏が今一歩の凡庸な演奏に陥っていると言えるのではないだろうか。前述のベルリン・フィル盤もその最たる例であると言えるところであり、私もマルチチャンネル付きのSACD盤を所有しているが、演奏全体に覇気が感じられないのが大いに気になった次第だ。それに対して、本演奏におけるアバドの力強い生命力が漲った力感溢れる指揮ぶりは実に凄まじい。第1楽章からして、ベルリン・フィル盤には感じられないような気迫溢れる推進力が漲っており、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは圧倒的な迫力を誇っていると言える。それでいて、第4楽章や各楽章の緩徐部分における歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があると言える。その意味では、本演奏はいい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのかもしれない。また、当時のシカゴ交響楽団は、音楽監督であったショルティの下、スーパー軍団の異名をとるほどの力量を誇っていたが、本演奏でも持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。録音は、従来盤が今一つの音質であり、前述のベルリン・フィル盤がSACD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、本演奏こそがアバドによるマーラーの交響曲第5番の代表盤であることを考慮すれば、先日、SHM−CD化による高音質化が図られたのを大いに歓迎したいと考える。
7 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/07/12
本盤におさめられたマーラーの交響曲第5番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうち最初のものに該当するが、ベルリン・フィルとの新盤(1993年)よりもはるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。私は、アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督の就任前、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などとともに数々の演奏を行っていた時期(とりわけ1970年代後半から1980年代にかけて)であると考えている。ベルリン・フィルの芸術監督就任以降は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、胃がんによって病に伏すまでの間は、大半の演奏が今一歩の凡庸な演奏に陥っていると言えるのではないだろうか。前述のベルリン・フィル盤もその最たる例であると言えるところであり、私もマルチチャンネル付きのSACD盤を所有しているが、演奏全体に覇気が感じられないのが大いに気になった次第だ。それに対して、本演奏におけるアバドの力強い生命力が漲った力感溢れる指揮ぶりは実に凄まじい。第1楽章からして、ベルリン・フィル盤には感じられないような気迫溢れる推進力が漲っており、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは圧倒的な迫力を誇っていると言える。それでいて、第4楽章や各楽章の緩徐部分における歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があると言える。その意味では、本演奏はいい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのかもしれない。また、当時のシカゴ交響楽団は、音楽監督であったショルティの下、スーパー軍団の異名をとるほどの力量を誇っていたが、本演奏でも持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。録音は、従来盤が今一つの音質であり、前述のベルリン・フィル盤がSACD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、本演奏こそがアバドによるマーラーの交響曲第5番の代表盤であることを考慮すれば、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたのを大いに歓迎したいと考える。
5 people agree with this review
1 people agree with this review 2011/07/11
アバドによるマーラーの交響曲第2番と言えば、いの一番にルツェルン祝祭管弦楽団との超名演(2003年ライヴ)が思い浮かぶ。当該演奏は、大病を克服したアバドならではの深みと凄みを増した指揮とアバドと深い関係にあるルツェルン祝祭管弦楽団が、ともに音楽を創造していくことの楽しみを共有し合いつつ渾身の力を発揮した稀有の超名演に仕上がっていた。したがって、このルツェルン盤の存在があまりにも大きいために、そしてウィーン・フィルとのライヴ録音(1992年)も存在しているため、更に約20年も前のスタジオ録音である本盤の演奏の影はいささか薄いと言わざるを得ないが、私としては、若き日のアバドならではの独特の魅力がある素晴らしい名演と高く評価したい。本演奏におけるアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っていると言えるところであり、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、借りてきた猫のように大人しくなってしまったアバドとは別人のような力強い生命力に満ち溢れた熱い指揮ぶりであると言える(アバドは芸術監督退任間近に胃がんにかかるが、胃がん克服後は、彫の深い名演を成し遂げるようになったことを忘れてはならない。)。それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、アバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があると言える。終楽章の終結部の壮麗さも、雄渾なスケールと圧巻の迫力に満ち溢れており、圧倒的な感動のうちに全曲を締めくくっている。シカゴ交響楽団も持ち前の超絶的な技量を如何なく発揮しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。また、キャロル・ネブレットとマリリン・ホーンによる独唱、そしてシカゴ合唱団による壮麗な合唱も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。他方、マーラーの交響曲第4番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうちの最初のもの(スタジオ録音)に該当する。2度目の録音は、本演奏の約30年後にベルリン・フィルを指揮したライヴ録音(2005年)であり、それはベルリン・フィルの卓越した技量と、大病を克服したことによって音楽に深みと凄みを増したアバドによる彫の深い表現、そしてルネ・フレミングによる名唱も相まって、至高の超名演に仕上がっていたと言える。したがって、ベルリン・フィル盤が燦然と輝いているために本演奏の旗色は若干悪いと言わざるを得ないが、それでも、本盤には若き日のアバドならではの独特の魅力があり、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではないと考える。交響曲第4番は、他の重厚長大な交響曲とは異なり、オーケストラの編成も小さく、むしろ軽妙な美しさが際立った作品であるが、このような作品になるとアバドの歌謡性豊かな指揮は、俄然その実力を発揮することになると言える。本演奏は、どこをとっても歌心に満ち溢れた柔和な美しさに満ち溢れており、汲めども尽きぬ流麗で、なおかつ淀みのない情感の豊かさには抗し難い魅力があると言える。それでいて、ここぞという時の力奏には気迫と強靭な生命力が漲っており、この当時のアバドならではのいい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。オーケストラにウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、アバドの歌謡性の豊かな演奏に、更なる潤いと温もりを与えている点を忘れてはならない。ゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンソロも極上の美しさを誇っており、終楽章におけるフレデリカ・フォン・シュターデによる独唱も、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。
1 people agree with this review
4 people agree with this review 2011/07/11
本盤におさめられたマーラーの交響曲第4番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうちの最初のもの(スタジオ録音)に該当する。2度目の録音は、本演奏の約30年後にベルリン・フィルを指揮したライヴ録音(2005年)であり、それはベルリン・フィルの卓越した技量と、大病を克服したことによって音楽に深みと凄みを増したアバドによる彫の深い表現、そしてルネ・フレミングによる名唱も相まって、至高の超名演に仕上がっていたと言える。したがって、ベルリン・フィル盤が燦然と輝いているために本演奏の旗色は若干悪いと言わざるを得ないが、それでも、本盤には若き日のアバドならではの独特の魅力があり、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではないと考える。交響曲第4番は、他の重厚長大な交響曲とは異なり、オーケストラの編成も小さく、むしろ軽妙な美しさが際立った作品であるが、このような作品になるとアバドの歌謡性豊かな指揮は、俄然その実力を発揮することになると言える。本演奏は、どこをとっても歌心に満ち溢れた柔和な美しさに満ち溢れており、汲めども尽きぬ流麗で、なおかつ淀みのない情感の豊かさには抗し難い魅力があると言える。それでいて、ここぞという時の力奏には気迫と強靭な生命力が漲っており、この当時のアバドならではのいい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。オーケストラにウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、アバドの歌謡性の豊かな演奏に、更なる潤いと温もりを与えている点を忘れてはならない。ゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンソロも極上の美しさを誇っており、終楽章におけるフレデリカ・フォン・シュターデによる独唱も、最高のパフォーマンスを発揮していると言える。録音は、従来盤が今一つの音質であり、前述のベルリン・フィル盤の登場もあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、今般、オリジナル・マスターからのハイビット・ハイサンプリング音源を使用するとともに、SHM−CD化による更なる高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさから言っても大いに歓迎したいと考える。
4 people agree with this review
0 people agree with this review 2011/07/10
アバドによるマーラーの交響曲第3番には、1999年のベルリン・フィルとの至高の超名演(ライヴ録音)が存在している。当該演奏は、アバドが大病にかかる直前のベルリン・フィルとの演奏であるが、アバドも、そしてベルリン・フィルもともに渾身の力を発揮した圧倒的な超名演に仕上がっていたと言える。ライヴ録音ということもあって、アバドの、そしてベルリン・フィルのコンディションもかなり良かったのではないかとも思われるが、いずれにしても、このベルリン・フィル盤と比較すると本演奏は若干不利な立場に置かれていると言わざるを得ない。しかしながら、私としては、ベルリン・フィル盤とは違った若き日のアバドならではの魅力のある素晴らしい名演と高く評価したい。第2番もそうであったが、第3番においても、若きアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。とりわけ、第1楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っていると言える。また、第2楽章以降におけるアバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があると言える。もっとも、全体にバランスを重視するあまりピアニシモがいささか弱過ぎるきらいがあることや、終楽章においては今一歩強靭な迫力が欲しい気がしないわけでもない(とりわけ終結部のティンパニが弱いのが問題。本終楽章がベルリン・フィル盤と比較していささか劣っていると言える。)が、その壮麗な美しさは十分に魅力的であり、演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではないと考える。そして何よりも特筆すべきはウィーン・フィルによる極上の美しい音色であり、とりわけ第1楽章におけるウィンナ・ホルンやトロンボーンソロの朗々たる響きや、第1楽章及び第4楽章におけるゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンソロ、そして第3楽章のアドルフ・ホラーによるポストホルンソロは圧巻の美しさを誇っており、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。若き日のジェシー・ノーマンによる歌唱も、本名演に華を添えていると評価したい。ウィーン国立歌劇場合唱団やウィーン少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。
0 people agree with this review
10 people agree with this review 2011/07/10
アバドによるマーラーの交響曲第3番には、1999年のベルリン・フィルとの至高の超名演(ライヴ録音)が存在している。当該演奏は、アバドが大病にかかる直前のベルリン・フィルとの演奏であるが、アバドも、そしてベルリン・フィルもともに渾身の力を発揮した圧倒的な超名演に仕上がっていたと言える。ライヴ録音ということもあって、アバドの、そしてベルリン・フィルのコンディションもかなり良かったのではないかとも思われるが、いずれにしても、このベルリン・フィル盤と比較すると本演奏は若干不利な立場に置かれていると言わざるを得ない。しかしながら、私としては、ベルリン・フィル盤とは違った若き日のアバドならではの魅力のある素晴らしい名演と高く評価したい。第2番もそうであったが、第3番においても、若きアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。とりわけ、第1楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っていると言える。また、第2楽章以降におけるアバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があると言える。もっとも、全体にバランスを重視するあまりピアニシモがいささか弱過ぎるきらいがあることや、終楽章においては今一歩強靭な迫力が欲しい気がしないわけでもない(とりわけ終結部のティンパニが弱いのが問題。本終楽章がベルリン・フィル盤と比較していささか劣っていると言える。)が、その壮麗な美しさは十分に魅力的であり、演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではないと考える。そして何よりも特筆すべきはウィーン・フィルによる極上の美しい音色であり、とりわけ第1楽章におけるウィンナ・ホルンやトロンボーンソロの朗々たる響きや、第1楽章及び第4楽章におけるゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンソロ、そして第3楽章のアドルフ・ホラーによるポストホルンソロは圧巻の美しさを誇っており、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。若き日のジェシー・ノーマンによる歌唱も、本名演に華を添えていると評価したい。ウィーン国立歌劇場合唱団やウィーン少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると言える。録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、前述のベルリン・フィル盤が存在することもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言える。もっとも、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の再評価に繋がるものと言えるところであり、大いに歓迎したいと考える。
10 people agree with this review
1 people agree with this review 2011/07/10
全盛期のハイフェッツの超絶的な技量を味わうことが可能な素晴らしい名演だ。同時代に圧倒的な技量を誇ったピアニストにホロヴィッツがいるが、ホロヴィッツが卓越した技量が芸術を超える稀有のピアニストであったのと同様に、ハイフェッツも、卓越した技量が芸術を超える稀有のヴァイオリニストであったと言える。本盤には、ともにサラサーテに献呈された、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番というきわめてマイナーな作品と、多くのヴィルトゥオーゾヴァイオリニストによって演奏されてきたヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番がおさめられている。このうち、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番については、第1番があまりにも有名であるため、美しいメロディに満ち溢れた魅力作であるにもかかわらず、殆ど演奏されることはない作品であると言える。しかしながら、ハイフェッツの超絶的な技量は、この不人気な知られざる名作に光を当て、実に魅力溢れる作品に仕立て上げるのに大きく貢献していると言える。これだけの卓越した技量を披露しているにもかかわらず、技巧臭がいささかもせず、音楽の素晴らしさ、魅力だけが聴き手に伝わってくるというのは、正に、前述のような卓越した技量が芸術を超える稀有のヴァイオリニストの面目躍如と言ったところであろう。他方、ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番は、弾きこなすのにかなりの卓抜した技量を要する作品だけに、まさしくハイフェッツの独壇場。その唖然とするほどの超絶的なテクニックは、とても人間業とは思えないような凄みがあると高く評価したい。本盤で、さらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質であると言える。今から50年以上も前のモノラル録音であるにもかかわらず、ハイフェッツのヴァイオリンの弓使いまでが鮮明に聴こえるというのは殆ど驚異的ですらある。あらためて、XRCDの潜在能力の大きさを思い知った次第であるが、いずれにしても、ハイフェッツの人間離れしたヴァイオリン演奏を、XRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
5 people agree with this review 2011/07/10
凄い演奏だ。全盛期のホロヴィッツのピアノがいかに超絶的なものであったのかを伺い知ることができる演奏であると言える。ホロヴィッツのテクニックは殆ど神業とも言うべき圧巻の凄さであるが、表現力も桁外れであり、ピアノが壊れてしまうのではないかと思われるような強靭な打鍵から繊細なピアニッシモまで、その幅はとてつもなく広い。変幻自在のテンポ設定はあたかも魔法のようであり、トゥッティに向けての畳み掛けていくような猛烈なアッチェレランドはとても人間業とは思えないようなもの凄さだ。ホロヴィッツは、おそらくはあまり難しいことを考えずに、自らの才能の赴くままに演奏しているのに過ぎないと思うのだが、いささかも技巧臭がすることなく、豊かな情感と気高い芸術性を保持しているというのは、全盛期のホロヴィッツだけに可能な驚異的な至芸と言えるだろう。最晩年のホロヴィッツは、そのテクニック自体が衰えることによって、著しく芸術性を損なった老醜を垣間見せるようになったとも言えなくもないが、全盛期のホロヴィッツは、卓越した技量自体が芸術性をも兼ね備えているという稀有のピアニストであったと言えるのではないだろうか。このような天才的なホロヴィッツのピアノを、ライナーがしっかりと下支えしているのが素晴らしい。オーケストラは、手兵のシカゴ交響楽団ではないが、RCAビクター交響楽団を統率して、最高のパフォーマンスを発揮しているのが見事である。そして、何よりも素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質であろう。本演奏の録音は1952年のモノラルであるが、XRCD化によって、全盛期のホロヴィッツのピアノタッチがきわめて鮮明に再現されることになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。このような歴史的な超名演を、望み得る最高の高音質XRCDで味わうことができることを大いに歓迎したい。
3 people agree with this review 2011/07/10
ルービンシュタインによるブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏としては、本盤以外にもライナー&シカゴ交響楽団をバックとした1954年盤とメータ&イスラエル・フィルをバックとした1976年盤が存在している。それだけルービンシュタインが同曲に私淑していたとも言えるが、一般的に最も名演の誉れ高いのは1976年盤ということになるのではないか。当該演奏は、最晩年を迎えたルービンシュタイン(89歳)の大人(たいじん)ならではの滋味あふれる至芸を味わうことが可能であり、メータ&イスラエル・フィルの好サポートも相まって、スケール雄大な名演に仕上がっていた。本演奏は、その12年前のスタジオ録音ということになるが、この時点でも既にルービンシュタインは77歳となっており、1976年盤にも肉薄する素晴らしい名演を展開していると高く評価したい。少なくとも、技量においては1976年盤よりも衰えが見られない分だけ上と言えるところであり、本演奏でもとても人間業とは思えないような超絶的な技量を披露してくれている。もっとも、超絶的な技量であれば、同時代に活躍したホロヴィッツも同様であると言えるが、ホロヴィッツの場合は、自らの感性の赴くままにピアノを弾いていたと言える側面があり、超絶的な技量がそのまま芸術たり得た稀有のピアニストであったと言えるだろう。これに対して、ルービンシュタインは、私見ではあるが、音楽の本質への希求が第一であり、技量は二の次と考えていたのではあるまいか。それ故に、1976年盤において、多少技量が衰えても至高の名演を成し遂げることが可能であったと考えられるからである。本演奏においても、技量一辺倒にはいささかも陥らず、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに幅広く、青雲の志を描いたとされる同曲に込められた若きブラームスの心の葛藤を、ルービンシュタインは豊かな表現力を駆使して、情感豊かに描き出しているのが素晴らしい、同曲は、ピアノ演奏付きの交響曲と称されるだけあって、オーケストラ演奏が薄味だとどうにもならないが、ラインスドルフ&ボストン交響楽団は、いかにもドイツ風の重厚な演奏を展開しており、ルービンシュタインの至高のピアノとの相性も抜群であると言える。そして、本盤で素晴らしいのはXRCDによる超高音質録音であると言える。XRCD化によって、ルービンシュタインのピアノタッチが鮮明に再現されるなど、今から50年近くも前の録音とは思えないような鮮明な音質に生まれ変わっており、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
3 people agree with this review
本盤には、ブラームスの初期の作品であるピアノソナタ第3番と、最晩年の傑作である間奏曲及びロマンスがおさめられている。いずれも、ルービンシュタインならではの名演と言えるところであるが、とりわけ間奏曲を至高の超名演と高く評価したい。ブラームスの間奏曲については、グールドやアファナシエフなどによる超個性的な名演が大きな存在感を発揮していると言える。これらの鬼才による名演と比較すると、ルービンシュタインにいる本演奏はむしろオーソドックスなものと言えなくもない。しかしながら、一聴すると何でもないように聴こえる各フレーズの端々から滲み出してくる寂寥感や懐の深い滋味豊かさは、抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、これは正に人生のあらゆる辛酸を舐め尽くした巨匠だけに可能な大人(たいじん)の至芸と言えるであろう。かかる演奏は、神々しいまでの崇高さを湛えているとさえも評価することが可能であるが、それでいて峻厳さは皆無であり、聴き手が安定した気持ちで同曲の魅力を味わうことができるというのも本演奏の大きな魅力の一つであると言える。併録のロマンスやピアノソナタ第3番も名演。特にピアノソナタ第3番は、ブラームスの青雲の志を描いた作品だけに超絶的な技量を有する作品であるが、ここでのルービンシュタインは卓越した技量は当然のことながら、技量偏重にいささかも陥ることはなく、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで圧倒的に幅の広い表現力を大胆に駆使して、実に内容豊かで情感に満ち溢れた演奏を展開しているのが素晴らしい。また、本盤で素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質であると言える。本演奏は、いずれも今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、今般のXRCD化によって、信じられないような鮮度の高い音質に生まれ変わった。ルービンシュタインのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、殆ど驚異的ですらある。ルービンシュタインによる至高の超名演を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
素晴らしい名演だ。本盤におさめられた演奏は1963年の録音であり、ルービンシュタインが76歳の時のものである。ルービンシュタインは、既に本盤に至るまでに2度の録音を行っているが、本盤の3度目の録音の後はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音することはなかったことから、これはルービンシュタインによる同曲の最後の録音ということになる。その意味では本演奏は、ルービンシュタインにとってのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の演奏の集大成であるということになる。本演奏を一言でいえば大人(たいじん)の至芸と評価できるのではないかと考えられる。ここには、ロシア風の民族色や土俗性などは微塵も感じられない。ロシア音楽独特のパワーで押し切ろうというような力づくの演奏なども薬にしたくもない。ここに存在するのは、スコアを真摯に、そして誠実に音化していこうとしている音楽性豊かな偉大なピアニストだけだ。ルービンシュタインは、楽想をしっかりと踏みしめるように着実にその歩みを進めていく。単にピアノを鳴らすだけでなく、どの一音にも情感がこもっており、演奏全体としてもロシアの悠久の大地を思わせるような壮大なスケールを誇っていると言える。テクニックも桁外れのうまさで、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅はきわめて広い。正に、同曲演奏史上においても最も純音楽的な名演と言えるところであり、これにはルービンシュタインの円熟を感じずにはいられない。ラインスドルフは、即物的な指揮者として知られているが、本演奏では、ルービンシュタインの心のこもったピアノに併せて、ボストン交響楽団とともに実に情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。本盤におさめられた演奏は1963年のスタジオ録音であり、今から50年近く前のものであるが、今般のXRCD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。ルービンシュタインのピアノが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、XRCDの潜在能力の高さをあらためて思い知った次第である。いずれにしても、ルービンシュタインの円熟のピアノ演奏を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
ルービンシュタインによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」と言えば、何と言っても88歳の時にバレンボイム&ロンドン・フィルと組んで録音した1975年盤が随一の名演とされている。これ以外にも、クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアと組んだ1956年盤もあるが、本盤におさめられた演奏はそれらの中間にあたる2度目の録音である。この時にも既にルービンシュタインは76歳に達しており、1975年盤において顕著であったいわゆる大人(たいじん)としての風格は十分であると言える。そして、超絶的なテクニックにおいては、衰えがいささかも見られないという意味においては1975年盤よりも本演奏の方が上であると言える。もちろん大人としての風格は1975年盤の方がやや勝っており、あとは好みの問題と言えるのではないだろうか。もちろん、私としては、1975年盤の方を随一の名演に掲げたいが、本演奏もそれに肉薄する名演として高く評価したいと考える。ルービンシュタインの演奏は、その卓抜したテクニックはさることながら、どのフレーズをとっても豊かな情感に満ち溢れており、スケールも雄渾の極み。巷間言われているように、正に皇帝そのものの演奏と言えるだろう。ルービンシュタインの演奏を聴いていると、近年流行りの古楽器奏法であるとかピリオド楽器の使用による演奏が実に小賢しいものに思えてくるところであり、何らの小細工も施さずに堂々たるピアニズムで弾き抜いた本演奏(1975年盤も)こそは、真の「皇帝」として崇高な至純の高みに達していると言える。ラインスドルフ&ボストン交響楽団も、ルービンシュタインのピアノに率いられるかのように、常々の即物的な解釈は影を潜め、重厚ではあるが情感の豊かさを損なっていないのが素晴らしい。本盤がさらに優れているのはXRCDによる極上の高音質であると言える。本演奏は今から50年近く前の録音ではあるが、今般のXRCD化によって見違えるような素晴らしい高音質に生まれ変わった。ルービンシュタインのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。ルービンシュタインによる素晴らしい名演を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
4 people agree with this review 2011/07/10
ライナー&シカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲の録音は、本盤におさめられた第4番と大地の歌の2曲しか遺されていない。しかしながら、遺された演奏は、いずれも一聴に値する名演であると評価したい。シカゴ交響楽団によるマーラーの演奏としては、後年のショルティによる全集が有名である。同じハンガリー人であることもあり、表向きは類似しているとも言えるところだ。両者ともに、全体を引き締まった造型で纏め上げるとともに、シカゴ交響楽団の卓越した技量を存分に駆使して、壮麗にオーケストラを鳴らしていくというアプローチを行っていると言える。もっとも、ショルティの演奏と大きく異なるのは、ライナーの演奏は、オーケストラの技量臭をいささかも感じさせないということであろう。ライナー時代のシカゴ交響楽団には、特に高弦において顕著であるが艶やかな美しさに満ち溢れていたと言える。したがって、本演奏においても、シカゴ交響楽団の持つ艶やかな音色が、ライナーの引き締まった剛直とも言える演奏に、適度の潤いと温かみを付加することに成功し、いささかも無機的には陥らない情感豊かな演奏に仕立て上げるのに大きく貢献していると言える。第4楽章におけるソプラノのリーザ・デラ・カーザも、最高の歌唱を披露していると高く評価したい。そして、何よりも素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質である。本演奏は1958年のスタジオ録音であるが、今から50年以上も前の録音とは思えないような鮮度の高い音質に生まれ変わっており、当時のシカゴ交響楽団の艶やかな音色が鮮明に再現されるというのはほとんど驚異的ですらある。あらためてXRCDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ライナーによる希少なマーラーの名演を、現在望み得る最高の高音質XRCDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。
5 people agree with this review 2011/07/09
アバドによるマーラーの交響曲第2番と言えば、いの一番にルツェルン祝祭管弦楽団との超名演(2003年ライヴ)が思い浮かぶ。当該演奏は、大病を克服したアバドならではの深みと凄みを増した指揮とアバドと深い関係にあるルツェルン祝祭管弦楽団が、ともに音楽を創造していくことの楽しみを共有し合いつつ渾身の力を発揮した稀有の超名演に仕上がっていた。したがって、このルツェルン盤の存在があまりにも大きいために、そしてウィーン・フィルとのライヴ録音(1992年)も存在しているため、更に約20年も前のスタジオ録音である本盤の演奏の影はいささか薄いと言わざるを得ないが、私としては、若き日のアバドならではの独特の魅力がある素晴らしい名演と高く評価したい。本演奏におけるアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っていると言えるところであり、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、借りてきた猫のように大人しくなってしまったアバドとは別人のような力強い生命力に満ち溢れた熱い指揮ぶりであると言える(アバドは芸術監督退任間近に胃がんにかかるが、胃がん克服後は、彫の深い名演を成し遂げるようになったことを忘れてはならない。)。それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、アバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力があると言える。終楽章の終結部の壮麗さも、雄渾なスケールと圧巻の迫力に満ち溢れており、圧倒的な感動のうちに全曲を締めくくっている。シカゴ交響楽団も持ち前の超絶的な技量を如何なく発揮しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。また、キャロル・ネブレットとマリリン・ホーンによる独唱、そしてシカゴ交響合唱団による壮麗な合唱も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。録音については、従来盤でも十分に満足し得る音質であったが、今般、オリジナル・マスターからのハイビット・ハイサンプリング音源を使用するとともに、SHM−CD化による更なる高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさから言っても大いに歓迎したいと考える。
Back to Top