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Review List of つよしくん 

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  • 1 people agree with this review
     2012/06/10

    本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫君であるバレンボイムとともに1971年及び1972年に行った最後のスタジオ録音であるショパンのチェロ・ソナタと、フランクの有名なヴァイオリン・ソナタをチェロ用に編曲したチェロ・ソナタがおさめられている。既に、多発性硬化症という不治の難病を発症したデュ・プレによる最後の録音でもあり、そうした点だけに絞って考えても歴史的な超名演と言える存在だ。デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレは、さすがに多発性硬化症を発症しただけあって、それまでのデュ・プレのような体当たりの渾身の演奏までは行っているとは言い難い。しかしながら、内なる気迫という意味においては、いささかも引けを取っておらず、演奏全体に漲っている何とも言えない凄みは、とても女流チェリストなどによる演奏とは思えないほどであると言える。本演奏の後は、二度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような凄みのあるチェロ演奏は、今後の自らの悲劇的な運命を前にした、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言える。もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、本演奏全体に漲っている内なる気迫や凄み、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言えるところだ。それでいて、両曲には、人生の諦観を思わせるような寂寥感、深遠な抒情などが込められていると言えるが、デュ・プレは、そうした箇所における各旋律の繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。デュ・プレのチェロ演奏のバックのピアノ演奏をつとめるのは夫君であるバレンボイムであるが、本演奏においては、デュ・プレのチェロ演奏をしっかりと引きたてるとともに、一緒になって両曲の奥深い情感の世界を見事に描出するのに成功している点を評価したい。音質については、1971年及び1972年のスタジオ録音であるが、従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。デュ・プレのチェロ演奏の弓使いやバレンボイムのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイムによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/10

    同時発売の第1番ほどではないが、本盤におさめられたショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏も、今後とも長く語り継がれていくべき素晴らしい超名演だ。世にショパン弾きと称されたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものと言えるのではないだろうか。いわゆる崩した弾き方とも言えるものであり、あくの強さが際立った演奏とも言える。それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏とも言えるところであり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたと言えるが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っていると言える。各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあると言えるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れているところだ。本盤におさめられたショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏においても、正にセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。ルイ・フレモーも、二流の存在とも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団を巧みに統率するとともに、フランソワの個性的なピアニズムを見事に引き立てるのに成功している点を評価したい。併録の2台のピアノのためのロンドは、個性的なフランソワのピアノ演奏にピエール・バルビゼが見事な合わせ方をしており、2人のピアニストの息が合った見事な名演奏と高く評価したいと考える。音質については、1965年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。とりわけ、フランソワの奔放にしてセンス満点のピアノタッチが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、フランソワ、ピエール・バルビゼ、そしてルイ・フレモー&モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団による素晴らしい超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/10

    正に、歴史的な超名演というのは本盤におさめられたような演奏のことを言うのであろう。世にショパン弾きと称されたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものと言えるのではないだろうか。いわゆる崩した弾き方とも言えるものであり、あくの強さが際立った演奏とも言える。それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏とも言えるところであり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたと言えるが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っていると言える。各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあると言えるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れているところだ。本盤におさめられたショパンのピアノ協奏曲第1番の演奏においても、正にセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。ルイ・フレモーも、二流の存在とも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団を巧みに統率するとともに、フランソワの個性的なピアニズムを見事に引き立てるのに成功している点を評価したい。音質については、1965年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。とりわけ、フランソワの奔放にしてセンス満点のピアノタッチが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、フランソワ、そしてルイ・フレモー&モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団による素晴らしい歴史的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/09

    ベルリン・フィルは、名人揃いの世界最高峰のオーケストラだけに、芸術監督に就任する指揮者も、各奏者を掌握するための苦労は並大抵のものではない。カラヤンも、就任当初はフルトヴェングラー時代の重鎮奏者に手を焼き、自分の理想の演奏を行えるようになったのは、芸術監督に就任して約10年後の1960年代に入ってからであると言われている。それだけ、ベルリン・フィルという稀代のオーケストラを掌握するのに相当の時間がかかるということであるが、これは、現在の芸術監督のラトルにも言えることであり、ラトルがベルリン・フィルとともに名演奏の数々を行うようになったのも、2010年代に入ってからで、2002年の就任後、約10年の期間を要している。ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督として長期政権が予測されることから、今後はベルリン・フィルとの間で理想の演奏を成し遂げていくことは想像するに難くない。しかしながら、アバドがベルリン・フィルの芸術監督をつとめていたのは1990年〜2002年のわずか12年間。これでは、カラヤンのオーケストラを自らのオーケストラとして掌握するにはあまりにも時間がなさ過ぎたと言えるだろう。ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。そのようなアバドが、ベルリン・フィルを掌握して、いかにもアバドならではの名演を繰り広げるようになったのは、皮肉にも胃癌を克服した2000年代に入ってから。正に、ベルリン・フィルの芸術監督退任直前のことであった。退任後に、ベルリン・フィルとともに時として行われる演奏の数々が見事な名演であることに鑑みれば、アバドももう少しベルリン・フィルの芸術監督にとどまるべきであったのではないかとも思われるが、このあたりも、いかにもポストに固執しないアバドらしいとも言える。いずれにしても、歴代の芸術監督の中でも、必ずしもベルリン・フィルとの関係が順風満帆とはいかなかったアバドではあるが、それでも、いくつかの演奏では、さすがはアバドとも賞賛されるべき名演を成し遂げていたと言える。その名演の中でも代表格の一つと言えるのが、本盤におさめられたメンデルスゾーンの交響曲第4番と劇音楽「真夏の世の夢」であると言えるだろう。アバドは、メンデルスゾーンの交響曲第4番をロンドン交響楽団とともに1967年、1984年の2度にわたってスタジオ録音を行うとともに、劇音楽「真夏の夜の夢」序曲を1984年にスタジオ録音しており、それらはいずれも素晴らしい名演であったが、本盤におさめられた演奏は、これらの過去の演奏を大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。1995年のジルヴェスター・コンサートでのライヴ録音でもあり、演奏全体の生命力あふれる燃焼度の違いもあるのかもしれないが、大人しい演奏に終始していた当時のアバドとしても突然変異的な超名演であり、これはアバドが、とりわけ交響曲第4番の表題でもあるイタリア人ということもあると思われるが、いかにメンデルスゾーンのこれらの楽曲に対して深い愛着と理解を示していたことの証左であるとも言える。さすがに、トスカニーニの交響曲第4番の超名演(1954年)の域には達していないと言えるが、演奏全体に流れる歌謡性豊かな情感は、音質の良さも相まって、トスカニーニの演奏よりも若干上位に掲げられても不思議ではないとも言えるだろう。劇音楽「真夏の世の夢」も、オペラにおいて数々の名演を成し遂げてきたアバドならではの聴かせどころのツボを心得た名演であり、正に、本盤の両曲の演奏は、アバドのベルリン・フィル時代を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、1995年のライヴ録音だけに、従来盤でも十分に素晴らしい音質であると言えるが、今般、ついにESOTERICがSACD化を行ったことにより、更に見事な音質に生まれ変わった。いずれにしても、アバド&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる超高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/06/03

    これはシュヴァルツコップによる傑作とも言える名CDと言える。1974年のスタジオ録音ということで、正にシュヴァルツコップの晩年の演奏ということが言えるが、いささかも歌唱力が衰えるということはなく、むしろ人生の辛酸をなめ尽くした不世出の大歌手だけに可能な圧巻の名唱を披露していると高く評価したい。それにしても、シューマンの楽曲の演奏は難しい。交響曲であればそうではないところもあるが、ピアノ曲や歌曲ともなれば、凡庸な演奏ではとても聴いていられないということになる。シューマンのピアノ曲や歌曲には、いささか俗な言い方になるが、ある種のファンタジーの飛翔のようなものが存在しており、これをいかに的確に表現し得るかに演奏の成否がかかっていると言っても過言ではあるまい。ドイツ音楽であるからと言って、理詰めで演奏したりしてしまうと、ひどく退屈で面白みのない演奏に成り下がってしまう可能性が高いと言える。しかしながら、シュヴァルツコップによる本演奏については、そのような危険にはいささかも陥っていないと言える。例によって、本演奏でもシュヴァルツコップの歌唱は上手い。いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけシューマンの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えない。そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事であると言える。加えて、前述のように、シューマンの歌曲には、ファンタジーの飛翔のようなものが存在しているが、シュヴァルツコップはそれらを見事に描出するのに成功しており、シュヴァルツコップがいかにシューマンの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。ジェフリー・パーソンズのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていないと言える。ジェフリー・パーソンズのピアノ演奏は、一聴すると淡々した演奏を展開しているように聴こえるが、よく聴くと、前述のようなシューマンの音楽特有のファンタジーの飛翔を見事に表現し得て妙とも言えるところだ。したがって、シューマンの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相まって、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したいと考える。音質は、1974年のスタジオ録音ということもあって、更にリマスタリングが施されたこともあり、従来CD盤でもそれなりに満足できる音質であったと言える。ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして今から約40年前の録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。シュヴァルツコップの息遣いや、ジェフリー・パーソンズのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、シュヴァルツコップ、そしてジェフリー・パーソンズによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • 3 people agree with this review
     2012/06/03

    不世出の大歌手であったシュヴァルツコップは、様々な楽曲において持ち前の名唱を余すことなく披露したが、本盤におさめられたシューベルトの歌曲集においても、見事な名唱を披露していると言える。それにしても、シュヴァルツコップは上手い。いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけシューベルトの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えない。そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事であると言える。加えて、シューベルトの歌曲には、常に寂寥感のようなある種の独特の抒情に満ち溢れているのであるが、シュヴァルツコップはそれらの寂寥感溢れる抒情的な旋律における表情づけの巧さも特筆すべきものであり、シュヴァルツコップがいかにシューベルトの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。エドヴィン・フィッシャーのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていないと言える。当時、一世を風靡する存在であったエドヴィン・フィッシャーのピアノ演奏は、一聴すると淡々した演奏を展開しているように聴こえるが、よく聴くと、前述のようなシューベルトの音楽特有の寂寥感を有した旋律の数々を絶妙なニュアンスを持って弾いていると言えるところであり、噛めば噛むほどに味わいが出てくるスルメのような内容豊かな演奏と言えるだろう。したがって、シューベルトの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相まって、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したいと考える。このように演奏自体は素晴らしいが、1952年のモノラル録音というハンディもあって、その音質は、リマスタリングは行われたものの従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。さすがに最新録音のようにはいかないが、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1952年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。シュヴァルツコップの息遣いや、エドヴィン・フィッシャーのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、シュヴァルツコップ、そしてエドヴィン・フィッシャーによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。なお、当たり前のことではあるが、某レコード会社のフィッシャー・ディースカウのSACDとは異なり、歌詞の対訳が付されているのも、最低限の上限を兼ね備えているものと評価したい。

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     2012/06/03

    本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫君であるバレンボイムとともに1967年から1968年にかけてスタジオ録音を行ったブラームスのチェロ・ソナタがおさめられている。いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさであると言える。本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、二度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言える。もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言えるところだ。それでいて、両曲には、いかにもブラームスならではの人生の諦観を思わせるような寂寥感、深遠な抒情などが込められていると言えるが、デュ・プレは、そうした箇所における各旋律の繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。デュ・プレのチェロ演奏のバックのピアノ演奏をつとめるのは夫君であるバレンボイムであるが、本演奏においては、デュ・プレのチェロ演奏をしっかりと引きたてるとともに、一緒になってブラームスの奥深い情感の世界を見事に描出するのに成功している点を評価したい。音質については、1967年及び1968年のスタジオ録音であるが、従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。デュ・プレのチェロ演奏の弓使いやバレンボイムのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイムによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/03

    これは素晴らしい名演だ。近年のプレートルは、スクロヴァチェフスキなどとともに、現役最古参の巨匠指揮者の一人として、フランス系の音楽以外にも、ベートーヴェンやブルックナー、マーラーの交響曲、そしてウィンナ・ワルツなどにおいて比類のない名演を聴かせてくれているところだ。もっとも、もともとはフランス人指揮者として、フランス音楽にも素晴らしい名演を聴かせてくれていたことも忘れてはならない。本演奏などもその代表的な名演の一つと言えるところであり、それどころか、特にサン・サーンスの組曲「動物の謝肉祭」については、オーケストラバージョンによる演奏としては、同曲の他の指揮者による様々な演奏の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考える。本演奏は、どこをとってもセンスの塊と言える。正にフランス音楽の粋でもあり、これほどまでにフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいに彩られた演奏は、他の楽曲の演奏においてもなかなかお目にかかることはできないのではないかとも考えられる。指揮者であるプレートルはもちろんのこと、パリ音楽院管弦楽団のミシェル・デボスト(フルート)やロベール・コルディエ(チェロ)と言ったソリストをはじめとする各奏者、アルド・チッコリーニ及びアレクシス・ワイセンベルクの両ピアニストが、実に楽しげに音楽を奏でている趣きがあり、加えて前述のようなフランス風の瀟洒な味わいによる名演奏も相まって、正に珠玉の音楽が構築されていると言っても過言ではあるまい。各曲の描き分けの巧みさは、巨匠プレートルならではの圧巻の至芸と言えるところであり、その語り口の巧さは見事という他はないと言える。併録のプーランクの組曲「典型的動物」は、サン・サーンスの組曲「動物の謝肉祭」のように有名な楽曲ではなく、同曲異演盤が少ないだけに貴重な演奏とも言えるところだ。本演奏においても、フランス風のエスプリ漂う洒落た味わいは健在であり、前述の各奏者による名演奏や、プレートルの演出巧者ぶりも相まって、素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。音質は、1965〜1966年のスタジオ録音であるが、楽器編成が必ずしも大きくないこともあって、EMIにしては従来盤でも十分に合格点を与えることが可能な良好な音質であったと言える。もっとも、かつてLPで本演奏を聴いていた私としては、従来盤では今一つ音質に満足できなかったところだ。しかしながら、その後、ARTリマスタリングが施されるとともに、数年前にHQCD盤が発売されるに及んで、かつてのLPにも肉薄する良好な音質に生まれ変わったと言える。したがって、私としては当該HQCD盤をこれまで愛聴してきたが、今般、ついに待望のSACD化が図られるに及んで大変驚いた。鮮明さ、音場の拡がり、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、プレートル&パリ音楽院管弦楽団によるセンス満点の超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/02

    ハイドシェックは、とある有名な影響力の大きい音楽評論家が高く評価していることもあって、我が国でも根強いファンがいる存在であるが、近年でもライヴ録音の新譜などが時折発売されており、それを耳にしたファンも多いのではないだろうか。年齢的にも、おはや巨匠とも言うべき存在であると言えるが、そのようなハイドシェックが若き日にスタジオ録音を行った偉大なる遺産と言えば、私は躊躇することなく、本盤におさめられたフォーレの夜想曲全集を掲げたい。そもそも、フォーレの夜想曲全集の録音というものが、ショパンの夜想曲全集などと比べるとあまりにも稀少であり、その意味でも、本盤の演奏は極めて貴重なものと言っても過言ではあるまい。それにしても演奏は素晴らしい。おそらくは、これ以上の演奏は求め得ないほどであり、私は、フォーレの夜想曲全集の他のピアニストの演奏との聴き比べをしたことはないが、おそらくは同曲の最高の演奏と言ってもいいのではないだろうか。どの曲の演奏も、フランス人ピアニストならではのフランス風のエスプリに満ち溢れたセンス満点の情感が満ち溢れており、フランス風の抒情ここに極まれりとさえ言えるのではないかと考えられる。しかも、ハイドシェックは、単にスコアを音化するのにとどまらず、効果的なテンポの振幅や強弱の変化を随所に施しており、自らの個性を全面に打ち出しているとも言える。にもかかわらず、あざとさなどはいささかも感じさせることなく、格調の高さを損なっておらず、加えて、前述のように、どのような個性的なピアニズムを展開しても、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいを失わないのは殆ど驚異的な至芸であると言えるところであり、正にハイドシェックの偉大な才能を感じさせるに十分であると言える。併録の主題と変奏も、夜想曲全集に勝るとも劣らない名演であると言えるところであり、いずれにしても、本盤におさめられた演奏は、若きハイドシェックによる素晴らしい超名演であり、フォーレによる夜想曲全集、主題と変奏の演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。音質は、1960年、1962年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。とりわけ、ハイドシェックの繊細にしてセンス満点のピアノタッチが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、ハイドシェックによる素晴らしい超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/02

    稀代のピアニストであったヴァルター・ギーゼキングによる名演としては、ドビュッシーのピアノ作品集やラヴェルのピアノ作品集などが名高いと言える。しかしながら、ギーゼキングのレパートリーはフランス音楽にとどまらず、独墺系の作曲家であるモーツァルトのピアノ作品集などでも名演の数々を成し遂げているところだ。そして、モーツァルトのピアノ作品集に勝るとも劣らない名演との評価を勝ち得ているのが、メンデルスゾーンの無言歌集であると言える。ギーゼキングによる無言歌集の本演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスや豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていないと言える。そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1956年の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。メンデルスゾーンの無言歌集の録音を行っているピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらあると言えるところだ。本全集の演奏も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、正に古くて新しい、現代においてもメンデルスゾーンの無言歌集演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したいと考える。このように、ギーゼキングによるメンデルスゾーンの無言歌集の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1956年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/02

    これは徹頭徹尾、クレンペラーの至芸を味わうべきCDであると言える。演奏は1966年であり、大器晩成型の巨匠クレンペラーがいよいよその本領を発揮し、持ち前のスケール雄大な超名演の数々を成し遂げていた時期のものである。本盤におさめられたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏も素晴らしい超名演だ。冒頭から悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さを失うことなく描き出して行く。クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。木管楽器をやや強めに演奏させるのは、いかにもクレンペラーならではのものであるが無機的になることはなく、どこをとっても彫の深さが健在であると言える。全体の造型はきわめて堅固であると言えるが、スケールは極大であり、悠揚迫らぬ重量感溢れる音楽が構築されている。このような立派で仰ぎ見るような威容を誇る堂々たる音楽は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。このような偉大な演奏を聴いていると、近年のベートーヴェンの演奏において主流となりつつある、古楽器奏法やピリオド楽器による小編成のオーケストラによる軽妙浮薄な演奏など、実に小賢しく感じてしまうところだ。それくらい、本盤の演奏は、巨木のような大芸術作品と言うことができるところだ。こうしたクレンペラーの指揮に対して、メニューインの演奏はいささか個性に乏しいとも言えるだろう。同曲を、メニューインはフルトヴェングラーとともに録音しているが(1947年及び1953年)、その頃がメニューインの全盛期であり、本盤の演奏の時には、既にかつて面影は殆ど消え失せていると言ってもいいのではないかとさえ思われるところだ。それでも、クレンペラーの偉大な芸術の奉仕者としては、それなりに立派な演奏を行っているとも言えるところであり、クレンペラーによる本名演の価値を損なうということにはなっていない点を強調しておきたい。いずれにしても、本盤の演奏は、巨匠クレンペラーの偉大な芸術を味わうことができる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質については、1966年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。とりわけ、メニューインのヴァイオリンの弓使いが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/02

    ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ないと言える。そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期三大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期三大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。ムラヴィンスキーによるこれら後期三大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。本盤におさめられた交響曲第6番について言えば、モノラル録音でありながら本演奏の3年前(1957年)にDGにスタジオ録音した演奏や、1975年の来日時のライヴ録音、1983年のレニングラード・フィルハーモニー大ホールでのライヴ録音などが存在している。このうち、1975年の来日時のライヴ録音は圧倒的な超名演であるが、音質が今一つ冴えないという致命的な欠陥がある。したがって、音質面などを総合的に勘案すれば、本盤の演奏の優位性はいささかも揺らぎがないものと言える。本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一環しているとも言える。他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ第3楽章のブラスセクションや弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。同曲の他の指揮者による名演としては、フリッチャイ&ベルリン放送交響楽団による名演(1959年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1971年)など、あまた存在しているが、本演奏こそは頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。ところが、今般、ついに、第4番や第5番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である(昨年、ESOTERICから第4番及び第5番との組み合わせによりSACD盤が発売されているが、当該ESOTERICによるSACD盤との音質面での優劣については議論が分かれるところだ。ただ、ESOTERIC盤では3曲を2枚におさめており、1曲ごとに1枚におさめるという聴きやすさという点においては、値段は少々高めであるとは言えるが、本ユニバーサル盤の方に軍配を上げたいと考える。)。いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2012/06/02

    ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ないと言える。そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期三大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期三大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。ムラヴィンスキーによるこれら後期三大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。とりわけ、本盤におさめられた交響曲第5番については、この指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、私としては、本盤におさめられた演奏とともに、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。本盤の演奏においては、約40分弱という、冒頭序奏部の悠揚迫らぬテンポ設定を除けば、比較的速めのテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一環しているとも言える。他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。とりわけ第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であると言える。同曲の他の指揮者による名演は、チャイコフスキーの交響曲の中でも最も美しいメロディを誇る作品だけにあまた存在してはいるが、本演奏こそは、前述のムラヴィンスキーによる1977年及び1982年のライヴ録音とともに頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演の一つと評価するのにいささかも躊躇するものではない。これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。ところが、今般、ついに、第4番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である(昨年、ESOTERICから第4番及び第6番との組み合わせによりSACD盤が発売されているが、当該ESOTERICによるSACD盤との音質面での優劣については議論が分かれるところだ。ただ、ESOTERIC盤では3曲を2枚におさめており、1曲ごとに1枚におさめるという聴きやすさという点においては、値段は少々高いとは言えるものの、本ユニバーサル盤の方に軍配を上げたいと考える。)。いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2012/06/02

    ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ないと言える。そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期三大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期三大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。ムラヴィンスキーによるこれら後期三大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。本盤におさめられた交響曲第4番について言えば、数年前にキング・インターナショナルから発売され、ムラヴィンスキーの演奏としては初のSACD盤として話題を集めた1959年4月24日、モスクワ音楽院大ホールでのレニングラード・フィルとのライヴ録音など、いくつか存在しているが、いずれもモノラル録音であり、ステレオ録音という音質面でも恵まれた存在でもある本盤の演奏の優位性はいささかも揺らぎがないものと言える。本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一環しているとも言える。他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ終楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。同曲の他の指揮者による名演としては、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる名演(1951年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1971年)が存在しているが、これらの演奏とともに3強の一角をなすというよりも、本演奏こそは頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。ところが、今般、ついに、第5番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である(昨年、ESOTERICから第5番及び第6番との組み合わせによりSACD盤が発売されているが、当該ESOTERICによるSACD盤との音質面での優劣については議論が分かれるところだ。ただ、ESOTERIC盤では3曲を2枚におさめており、1曲ごとに1枚におさめるという聴きやすさという点においては、値段はやや高めではあるが、本ユニバーサル盤の方に軍配を上げたいと考える。)。いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2012/05/27

    本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレがスタジオ録音したハイドンのチェロ協奏曲第2番と、世に知られているとは言い難いシェーンベルクが編曲したモンのチェロ協奏曲がおさめられている。いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさであると言える。本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、二度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言える。もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言えるところだ。それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは名匠バルビローリであるが、ロンドン交響楽団を巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、両曲の魅力的な数々の旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。音質については、1967年のスタジオ録音であるが、単独盤として手に入らない状況にあり、輸入によるセット盤の中で聴くしか方法がなかったところであるが、当該従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。とりわけ、デュ・プレのチェロ演奏の弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、デュ・プレ、そしてバルビローリ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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