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Review List of 遊悠音詩人 

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  • 3 people agree with this review
     2010/03/11

    「何故、胸が苦しくなるのだろう。何故、身体が熱くなるのだろう。君を想うだけで心が一杯になってしまうというのに、その君が眼の前にいるなんて!もう抑制が利かない。もはや生理的レベルで好きなのかも知れない。君と一つになりたい。でも、思いを口に出すことは、僕には出来ない。だからせめて音楽だけでも、どうか受け取ってほしい。僕はこの曲に、君への想いの全てを込めた。美しく清らかな君の姿を、心の中に描いている。でも苦しみやもどかしさが波のように襲ってくるんだよ。こんな複雑な想いを、一体どうすればいいんだ?僕はただ、ピアノを弾くことしか出来ない…」。あなたには聞こえないだろうか、ショパンの心の叫びが、そして、乙女の幻影を描きながらひたすら物思いに耽る、繊細な青年の溜め息が!

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  • 4 people agree with this review
     2010/03/04

    いやはや、ますます分からない。ヴォロコフ著の『証言』が偽書であるか否かを引き合いに出すまでもなく、ショスタコーヴィチの作曲家像および作品像を把握するのは並大抵ではない。この《革命》も肯定的な演奏から悲観的な演奏まで様々である。そこに息子マキシムの録音が登場した訳だが、いやはや大変なことになった。マキシムの演奏は、この曲の初演者にしてショスタコーヴィチ最大の理解者であったムラヴィンスキーの数多ある録音の何れとも、殆ど共通点を持たないのである。大親友と息子の、解釈を巡る一騎打ちと言ってよい。響きの作り方からテンポ設定まで、何から何まで違うのだ。ムラヴィンスキーは速めのテンポで、いかにも軍国的な、辛口な演奏を披瀝してきた。一方マキシムは、遅いテンポでじっくりと、人類の苦しみや哀しみや皮肉を、淡々としかし切々と語るような演奏をしている。それぞれの演奏が、ソ連崩壊という歴史的一大事の前と後に収録されたという背景も相まって、侃々諤々の解釈論争に発展しかねない内容を孕んでいる。個人的には、大親友より息子の方が、より客観的に曲を解釈出来るのではないかと考えている。一方、ひとつの作品の成立には、生み出された土壌や時代背景なども不可避な要素であるという事実もあり、この意味ではムラヴィンスキーに勝る解釈者がいるとは思えない。何れにせよ、マキシムとムラヴィンスキーの聴き比べは、一つの山を表裏両方の登山口から登るさまに似て、全く別の方法ながら何れもが真理を究めることに繋がるだろう。あるいはもしかしたら、マキシムの演奏は、ソ連の社会主義体制真っ只中を疾風怒濤のように生き抜いた作曲家に対する、現代人の静かなレスポンスと言えるのかも知れない。

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     2010/02/11

    カラヤンとムラヴィンスキー。二人はその人生において、殆ど同じ始まりと終わりを持っている。しかし両者は何と対照的だろうか。カラヤンは欧州の主要オケのポストを次々に手中に納め、最新の録音技術をフルに使い、良くも悪くも大衆的な音楽を作っていた。対するムラヴィンスキーは、殆どをレニングラードPOに捧げ、決して良好とは言えない録音で、ハッタリや虚仮威しや媚び諂いなどとは無縁の、それこそ磨ぎたての剃刀で人間のはらわたを切り裂くような演奏をしてきた。そんな芸風の違いが、あのレコーディング好きのカラヤンをしてショスタコーヴィチのレパートリーは僅か一曲であることに繋がっているのだろう。ちなみにその一曲とは交響曲第10番であり、それを聴いたショスタコーヴィチその人は「自分の作品がこんなに綺麗に演奏されるのは初めてだ!」と言ったというが、激賞の裏にショスタコーヴィチ一流の皮肉が込められているように思えてならない。交響曲第10番はご承知の通り前作の失敗を受けて作曲されている。曲は甚だ諧謔的であり、DSCHの音階を執拗に登場させることで、「それでも私はここにいる」と当局に挑戦状を叩きつけているのだが、そのような曲が、単に綺麗なだけで終わる訳がないのだ。ショスタコーヴィチはそれを暗にほのめかす為に、カラヤンに上のような発言をしたのではなかろうかと思う。ではムラヴィンスキーはどうかと言うと、これはもう諸氏賞賛の通り大変な名演奏である。同じ時代と場所を共有した者でしか成し得ない、まさに命懸けの緊張感が全編に貫かれている。一糸乱れず驀進する様は、何かに急き立てられるような恐怖感を覚えさせる。他には7番「レニングラード」が屈指の名演!第1楽章など、他の演奏ではラヴェルのボレロにしか聞こえないが、ムラヴィンスキーの演奏はまるで軍隊が進軍し自分の周りを包囲するかのような恐ろしさがある。交響曲第12番は1961年のステレオながら音は良好である。惜しむらくは、全曲楽章間の“間”が殆どなく、まるでアタッカの指示でもあるかのようになってしまっていることだ。しかし、音質自体はどの既存盤よりも明晰である。交響曲第11番の希少価値満点の音源も収録されている。時代の証言者たるムラヴィンスキーを知るのに不可欠な一組と言えよう。

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  • 2 people agree with this review
     2010/02/06

    録音年代も曲目も、有名なDG盤とほぼ一致しているためか、余り俎上に乗せられない一枚だが、これもまた絶品だ。ヴンダーリヒの美声はそのままに、ライヴならではの深い情感の切り込みが加味されている。特に《詩人の恋》における、恋と狂気とのギリギリの狭間で揺れ動く心情の吐露は、身震いしてしまう程壮絶だ。甘い声だが、決して甘ったるいだけのメロドラマにはならない。そう、ヴンダーリヒが表現する《詩人の恋》は、恋に恋する男の哀しくも真実であるところの性(さが)を、嫌という程抉りだしてしまう“危険な”ものなのだ。これはシューマンその人の精神状態の生き写しでもある。結婚相手に失恋ソングを捧げる男性など、他に誰がいるだろうか。語弊を承知で言えば、シューマンは相当の変態である。殊に《忌まわしき過去の歌》など“棺”や“墓”という言葉が使われ、それらは明らさまに“死”をイメージさせる。ヴンダーリヒの美声に酔わされている間にも、知らず知らず地獄の門戸が開かれていくのだ。何という恐ろしく美しい歌唱だろう!最高の賛辞を贈りたい。

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  • 5 people agree with this review
     2010/02/04

    反ロマンティシズムの先鋒として活躍したプロコフィエフ。だが、テンシュテットは諧謔的なニュアンスよりもむしろ旋律美を強調する。プロコフィエフを、近現代からではなくロマン派時代から俯瞰するアプローチだ。あたかも得意のマーラーを振るかのような、重量級の指揮である。これはプロコフィエフの望み通りではないだろう。しかし、プロコフィエフが、後期ロマン派の生き残り的存在であるかのラフマニノフと、生涯の殆ど同じ時間を共有していることを思うと、意味深長である。更に言えば、プロコフィエフが現代に投影した皮肉を、テンシュテットが作曲者とは全く違う手法で応答してみせるという、“二重の皮肉”が込められた演奏とも言えよう。どんなに革新的なことも、過去の土台なくしては成立しないことを、いみじくも証明するような演奏である。録音も優秀。決して普遍的なアプローチではないが、普段は置き去りにされてしまう別の魅力に溢れた、お薦めの一枚だ。

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  • 4 people agree with this review
     2010/01/27

    もし阿片中毒者の夢物語が小綺麗なだけで終わっていたら、それこそナンセンスである。《幻想交響曲》から狂気を剥奪したら、何と味気なくなるだろう。騒がしくて何が悪い。うるさ過ぎる位吠えまくった方が、リアリティがあると思わないか。ミュンシュの演奏は、「美は善よりも余計、悪と一致する」というオスカー・ワイルドの名言を引き合いに出すまでもなく、まさに悪魔的な美しさをもっている。マグマのようにフツフツと沸き出でる情念は、理性という名の落とし蓋を簡単に外してしまう。抑制の利かない非常事態に団員を追い込むミュンシュの指揮は、まさに阿片よろしく、底無しの興奮をもたらす。しかも、テンポの緩急自在なことといったら、崩壊寸前の状態でギリギリ綱渡りをするかのようなスリルがあり、「どうする!?どうなる!?」と聴き手を前のめりにさせてしまう。もはや魔術だ。ただ、音は乾き切っており、高音偏重の艶のない音質である。余韻が殆どなく、第5楽章の鐘も金属片を落とした時のような音だ。これには意見が分かれようが、EMI国内盤のヘタクソなリマスタリングよりは遥かに臨場感がある。1967年のライヴという状況を思えば案外高水準なのかも知れない。

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     2010/01/26

    今年(2010年)で生誕100年を迎えるマルティノン。彼自身はシカゴ響との時代を「思い出したくない程苦渋に満ちた時代」と回想している。この真意を後年のパリ管との演奏から検証してみたい。パリ管との演奏には、絶妙としか言えないローカリズムが漂っている。若干ズレの生じるアンサンブルが、却って音楽に馥郁たる色艶を与えている。そこに生まれる音楽は常に楽しげである。同じ文化的土壌に生きた者同士でしか作り得ない、日本でいう“腹芸”に近い心のやりとりを感じるのだ。一方のシカゴ響はどうか。アメリカという国自体、ローカリズムとは無縁の文化の坩堝であり、シカゴ響もご多分に漏れず“フランス的”というものからは程遠い。マルティノンは本国では自然に伝達できたであろう“フランス的”なニュアンスを、シカゴ響から引き出そうと試みるが、それはどうやら徒労に終わったらしい。確かに、先代のフリッツ・ライナーによって鍛えに鍛えられたオケだから、当然のことながら巧い。しかし、それ以上に大切な“遊び心”のようなものが、巧妙にすり替えられているような気がしてならない。同じ文化的土壌を持たぬものは、余程のことがない限り、表面的なやりとりに終始する。このことを奇しくも証明している一枚だ。

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     2010/01/25

    オイストラフの豊饒たる音色に惚れ惚れ!オイストラフの持味である厚みのあるまろやかなヴァイオリンで、古今東西の名曲を聴き尽くす悦び!音質も全体的に良好であり、特に、悪名高い国内盤の妙チクリンなリマスタリングより遥かに健全なサウンドである。もっとも、仏EMI原盤のものには若干不満もあるが、許容範囲内。演奏はどれも否の打ち所が無い。新旧両盤の聴き比べも面白い。ベートーヴェンの三重協奏曲などは、著名なカラヤン盤よりも、サージェント盤の方がより室内楽的な親密さを窺わせる。ブラームスの協奏曲は、69年録音のセル盤よりも、60年録音のクレンペラー盤の方が、何故か音質が良い。他にはオイストラフが初演したことで知られるショスタコーヴィチやハチャトゥリアンの協奏曲も入っており、これまた名演である。ヴァイオリン好きには堪らない一組といえよう。

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     2010/01/11

    結論から言うと、チャイコフスキーは録音で相当損をしている。一応“STEREO”の表記があるが、音場の広がりに乏しく、擬似ステレオ並み。1972年ならば、もっと高音質を望みたい。もっとも、1959年にオーマンディ/フィラデルフィアのバックでCBSが録音したステレオも、現代人の感覚からするとかなり人工的である。音場の狭いステレオを取るか胡散臭いステレオを取るか、往年の演奏家好きには悩みの種だろう。演奏自体は、甘美な持味に晩年特有の“枯れ”が若干加味された絶妙なものだ。対するショスタコでは、皮肉に満ちた問題作を抜群のテクニックで弾き切っている。録音は1967年のライヴながら良好で、終楽章のパーカッションも良く捉えられている。

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  • 7 people agree with this review
     2010/01/05

    もはや言わずもがなの大名盤!格調高いシェリング、正攻法のズスケなどと双璧。オイストラフは持ち前の甘美で厚みのある音色を生かし、ベートーヴェンの作品の中でもとりわけメロディアスなこの曲で歌いに歌っている。カデンツァにクライスラー版を用いたのもオイストラフらしい選択だ。バックのクリュイタンスがこれまた優秀で、重くなりすぎず、さりとて軽すぎもせぬ絶妙なサウンドを引き出している。音質も、曰く付きのOKAZAKIリマスタリングが例外的に(?)成功。分離も程よく、輸入盤より音に厚みがある。半世紀前の録音とは思えぬリアリティである。ベートーヴェン好き、ヴァイオリン好き、オイストラフ好きは必携の一枚だ。

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     2009/12/23

    狂気ゆえのアンサンブルの乱れなのか、それともミスゆえ狂気が助長されるのか?――聴きこむにつれ、初めは看過出来ていた疑問が、段々と頭をもたげるようになってきた。特に第4、第5楽章がそうだ。確かに、ティンパニの最強打といい鐘のグロテスクな響きといい最後の壮絶なアッチェレランドといい、ライヴの即興性も相まって物凄い迫力である。事実私も、初めて聴いたときには、スピーカーを前に仰け反り、近所迷惑も憚らず大声でブラヴォーと叫んだ程である。しかし、冷静に聴くと、粗ばかりなのだ。アンサンブルは完全に崩壊している。ただの喧騒と言って一向に差し支えない。と言いつつも、喧騒、狂気、悪魔的というものこそが《幻想交響曲》の真骨頂と、反駁されそうである。つまり、聴く人によって、あるいはコンディションによって、超名演にも雑なだけの演奏にもなり得る“怪演”なのだ。そんな中、「狂気=乱れ」という図式を破る名盤がついに登場した。ミュンシュ/パリ管67年ライヴ盤である。多彩な音色、絶妙なルバート、ハッとさせられるテンポの揺れ、前のめりになる程のアッチェレランドなどなど、挙げ出したらキリがない。魑魅魍魎蠢く狂気の極致にして、アンサンブルに一抹の破綻もないのだ!音質も3年の間に10年の開きをみる程優秀であり、従ってクリュイタンス盤の価値は必然的に減ぜざるを得ない。ただし、絶対評価としては名演の部類に入るため“OK”としたい。

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  • 9 people agree with this review
     2009/12/22

    貫禄のアラウ!壮大なドレスデン・サウンド!この2曲の真の決定盤と言っても過言ではない。それどころか、この盤で初めて接する豊かな“響き”に脱帽!雄大、荘厳、滋味、剛健、こういった言葉をいくら並べても足りない程の素晴らしさである。第4番では、慈しむようなアラウのピアノと柔らかなドレスデンのバックが見事な融和を見せる。《皇帝》では81歳とは思えないタッチで堂々と弾くアラウとそそり立つようなオケが魅力的だ。少なくとも私は、バックハウスやルービンシュタインやグルダ以上の名演奏だと思っている。加えて音質がすこぶる良好で、ドレスデンの渋くも伸びやかで見通しの良い音がストレートに響く。まさにドイツ伝統の響きである。特に重低音やティンパニのマッシヴな質感は、他ではお目にかかれない優れたもの。自信を持って推奨したい。

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  • 7 people agree with this review
     2009/12/06

    「EMIとSONYはリマスタリングする度に音が悪くなる。特に国内盤は最悪だ」と、友人の一人が言う。これは、一部例外があるにせよ、どうやら定説らしい。筆者は曰く付きのOKAZAKI氏担当24bitリマスター盤を聴いていたが、キンキンとした高音や機械的な音響に耐え切れず売却している。ところが、24bitでもARTリマスターでもないこの廉価輸入盤を聴いて、改めてオイストラフ&クレンペラーの魅力に開眼!こんなに温もりのある艶やかな音だったのか!1960年の録音とは俄かに信じ難い程のリアリティである。bit数では決して数えられない、演奏における情報量の多さに驚くとともに、安易なリマスタリングが、如何に演奏の中核的な魅力を剥奪しているのかがよく分かる。伸びやかな弦、温もりのある管、随所で効果的に響く打楽器など、これ程までに語る伴奏も珍しい。こうした魅力を度外視し、ひたすらノイズ除去やイコライジングで厚化粧を施す国内盤のマスタリングの在り方に疑問を呈したくなる。閑話休題。とにかく、聴くのならば輸入盤に限る。嘘だと思うのならどうかご自身の耳で判断願いたい。値段もこちらの方が安く、おまけにモーツァルトまで入っている。絶対お薦めの一枚だ。

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  • 2 people agree with this review
     2009/12/05

    かつてベスト盤には、《展覧会の絵》の代わりに、《トゥオネラの白鳥》《悲しきワルツ》、それと合唱付きの《フィンランディア》が収録されていた。つまり全てシベリウスの作品で完結していたのである。そこを何故わざわざ《展覧会の絵》というおかしなカップリングになったのか、やや理解に苦しむ。閑話休題。やはりシベリウスは名演だ。長く厳しい冬のあとの、一抹の春の情景のような、伸びやかで美しい表現が素晴らしい。もっとも、反ロシアの感情は剥奪されている(だから、ロシア人ムソルグスキーとカップリングされる羽目になるのだろうか)。この点好みは分かれよう。だが、シベリウスその人をして「私が思い描いたように、美しく曲が流れている」と言わしめたからには、やはり表面的ではない何かが内在しているのだろうと思う。さもなくば三十余年も愛聴されないはずだ。余談だが、合唱付きの《フィンランディア》 が絶品だったので、是非とも従来のカップリングに戻して、XRCDかHQCDで出してほしい。

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     2009/12/02

    コンセルトヘボウ黄金期の名演!コンセルトヘボウ管弦楽団は言わずと知れた伝統あるオーケストラだが、指揮者によってこれ程キャラクターを変える楽団も少ない。ハイティンクのあとシャイーが就任した辺りから弱体化が目立つようになるも、最近ではヤンソンスが奮闘し“第二の黄金時代”を謳歌しているようである。だが個人的には、ベイヌムの時代か、その前のメンゲルベルクの時代に、より“コンセルトヘボウらしさ”を感じる。渋いが重くなり過ぎず、優美でありながら味わい深い。ヴァイオリン協奏曲など、オケの魅力とグリュミオーの美質が最高度に融合している。黎明期のステレオ特有の、広げ過ぎた音場にこだまするヒスノイズに、初めこそ耳が躊躇する。しかし慣れてくると、そこに刻まれた情報量の多さに驚くことになる。音の一つ一つが変幻自在であり、細やかなルバートやディナーミクなど雄弁そのものだ(この点は恐らくメンゲルベルク時代の名残だろう)。グリュミオーの弾き方はシェリングに近い(共にフランコ・ベルギー派に属するからであろう)が、ヴィブラートを小気味よく鳴らし、細くなることのない美音はシェリングにはない魅力だ。シェリングやオイストラフ、ハイフェッツの影に隠れがちなグリュミオーだが、決して忘れてはならない至高の名演だ。併録の3曲も勿論名演である。なお、アルト・ラプソディだけがモノラル録音になっているのでご承知置きされたい。

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