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5 people agree with this review 2010/02/03
ワルター&ウィーン・フィルの52年盤と並ぶ大地の歌の二大名演である。マーラーの直弟子であるワルターとクレンペラーは、マーラーの交響曲をすべて録音したわけではないが、両者が揃って録音し、なおかつ超名演となったのはこの大地の歌であると言えるのではないか。クレンペラーの演奏は、ワルターのように、ウィーン・フィルの独特の美しさや、各楽章毎の描き分けを明確に行い、随所に耽美的とも言うべき色合いを出した演奏ではない。微動だにしないゆったりとしたインテンポによる演奏だ。しかし、随所に見られる深沈たる深みは、ワルターと言えども一歩譲ることになるのではなかろうか。特に、大地の歌の白眉である第6楽章の告別の彫りの深さは秀逸であり、終結部の「永遠に」のあたりに漂うこの世のものとは思えないような抜け切ったような清澄な抒情は、クレンペラーという大巨匠が、晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき高みに達している。歌手を比較すると、ワルター盤のフェリアーとクレンペラー盤のルートヴィヒは同格。他方、ワルター盤のパツァークはやや癖があり、ここは、クレンペラー盤のヴンダーリッヒの畢生の熱唱の方を高く評価したい。それにしても、現代においてもなお、この二大名演を凌駕する名演が表れていないのは何とも寂しい気がする。録音については、もともと、従来CDでもかなりの高音質であったが、HQCD化によって、ほんのわすかの違いではあるが、音質が向上したように思った。
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0 people agree with this review 2010/02/01
クレンペラーのブルックナーでは、第5が最も優れた名演だと考えているが、それに次ぐのがこの第9だと思う。というのも、クレンペラーの峻厳にして剛毅な芸風が、ブルックナーの第5や第9という硬派の交響曲の性格と合致するからだと考えられる。この第9の録音はクレンペラーの死の3年前のものであるが、それだけに、ここにはクレンペラーが到達した至高・至純の境地が示されているとも言えるだろう。第1楽章は、実に堂々たるインテンポであるが、剛毅にして重厚なアプローチが、これぞブルックナーという深みのある音楽を紐解いていく。時折見られる金管の強奏も、決して無機的には陥っていない。第2楽章は、重量級の進軍を開始するが、特に、クレンペラーの特徴が表れているのは中間部のトリオの箇所。ここの木管楽器の活かし方は実に美しく、これは、他の指揮者でもあまり聴かれないだけに貴重な解釈と言えるだろう。終楽章は、第1楽章と同様のことが言えるが、展開部から、それまでのインテンポから一転して、ドラマティックな演出を試みている。木管楽器の強調などやり過ぎの感は否めないが、それでも違和感を感じるほどではないのは、クレンペラーの同曲への深い愛着と理解の賜物と言うべきだろう。HQCD化によって、音質にはかなりの向上効果がみられる。
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3 people agree with this review 2010/01/31
「鳥のカタログ」は、約3時間にも及ぼうというメシアンの超大作である。「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」もそうであったが、決して耳当たりのいい作品ではない。弾き手はもちろんのこと、聴き手にも相当な緊張を強いる難解な作品であると言える。ただ、「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」が、どちらかと言うと人間の深層心理を抉っていくような峻厳な作品であるのに対して、「鳥のカタログ」は、ひたすら自然を描いて行くという温かい姿勢が伺えると言える。したがって、わずかな違いではあるが、「鳥のカタログ」の方が、幾分安心して聴くことができると言えるのかもしれない。児玉桃は、決してテクニックを前面に打ち出すということはしない。もちろん、非常な技巧を要する難解な曲だけに、卓越したテクニックが不可欠であることは否めない。しかし、児玉桃は、そうした卓越したテクニックをベースにして、繊細で精緻なタッチで、この複雑怪奇な作品を丁寧に紐解いていく。各楽曲には様々な鳥の名称が付されているが、それらの描き分けが実に見事である。おそらくは、これらの各鳥と同化するような気持ちで、丁寧なアプローチを行っているのではないだろうか。再現された音の一つ一つに、同曲への心を込め抜いた深い愛着が感じられるのも、そのような丁寧なアプローチの証左と言える。正に、究極のメシアン演奏と言えるものであり、SACDによる高音質録音ということを加味すれば、現時点において入手できる「鳥のカタログ」の最高の名演と評価しても過言ではあるまい。
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0 people agree with this review 2010/01/31
チャイコフスキーの第7番は、作曲者の死後に補筆完成された作品である。第6に先立って作曲していたが、作曲者が気に入らなくなって破棄した楽譜を編集したいわくつきのものである。ピアノ協奏曲第3番にもその片鱗が見られるが、交響曲の形で聴いてみると、さすがに第6番の高みには到底及ばないものの、チャイコフスキーならではの美しい旋律に満ち溢れた作品であるということはわかる。第7番を聴くことができるCDが現在市場にないことを考えると、本盤は稀少価値があると言うことができる。演奏も、オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団であり、その意味でも申し分のない佳演と言える。ロココは、ロストロポーヴィチのチェロでないのが大変残念。しかし、演奏自体は決して凡演ではなく、オーマンディのアプローチも見事なものだと思う。また、本盤には、ロストロポーヴィチのモスクワでのコンサートをおさめているが、これは、録音が悪いのが難点。したがって、チャイコフスキーの第6は、録音も含めた全体的な出来としては、ロンドン・フィル盤の方が上であると言えるが、16年ぶりの祖国復帰だけに、燃えるような熱気は十分に伝わってくる。その他の小品も、なかなか健闘していると言えるのではないか。かつての手兵であるワシントン・ナショナル交響楽団を指揮していたとはいえ、アンコールの最後に、アメリカ合衆国の第2の国歌である「星条旗よ永遠なれ」を演奏したというのは、冷戦終結を感じさせて大変興味深い。この時のロストロポーヴィチの心境はいかなるものであったのだろうか。
2 people agree with this review 2010/01/31
ブリームとラトルという、20歳もの年の差がある世代の異なる者どうしの演奏であるが、正に、現代と古典が融合した見事な名演に仕上がっている。特に、メインのアランフェス協奏曲において、その特徴が大きく出ている。ブリームは、本盤が4度目の録音ということだが、それだけにアランフェス協奏曲を自家薬籠中のものとしているのであろう。随所に目が行き届いた情感溢れる演奏を行っている。それに対して、若きラトルはきわめて現代的なアプローチを試みている。例えば、第1楽章の冒頭の鋭いリズムなどにも表れており、感動的な第2楽章も、決して甘い情緒に流されることはない。このようにいささか異なるアプローチでありながら、なぜこのような名演が生まれたのであろうか。それは、察するに、両者が同曲への深い理解を持ち合わせているからにほかならないだろう。武満の「夢の縁へ」は、本盤が世界初録音とのことであるが、その意味でも貴重。現代曲で、いかにもラトルが得意とする曲だけにラトルに主導権があるような印象を受けたが、ブリームもラトルの解釈に沿うようなアプローチで見事な演奏を繰り広げている。アーノルドのギター協奏曲も、両者の絶妙の組み合わせが成功した名演であると言えよう。いずれにしても、カプリングにおいてもきわめてセンスの良さを感じさせる名盤と高く評価したい。
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9 people agree with this review 2010/01/31
クレンペラーのマーラー演奏の、そして更にはクレンペラーのあらゆる演奏の頂点に君臨する不朽の超名演である。第1楽章の冒頭から、この世のものとは思えないような重量感溢れる巨大な音塊が迫ってくる。その勢いたるや、誰も押しとどめることはできない。正に、巨象の堂々たる進軍であり、ゆったりとしたテンポによる微動だにしない重厚な歩みであるが、それでいて決してもたれるということはない。それどころか、次はどのように展開していくのだろうかというわくわくした気持ちになるのだから、クレンペラーの芸格がいかに優れた高踏的なものであるのかがわかるというものだろう。中間部のこの世のものとは思えないような至高・至純の美しさや、終結部のド迫力は、もはや筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。第2楽章や第4楽章の夜曲も、同様に遅いテンポであるが、実に情感溢れる指揮ぶりだ。そのスケールの大きな雄弁さにはただただ舌を巻くのみ。終楽章は、下手な指揮だと単なるばか騒ぎに陥りかねない危険性をはらんでいるが、クレンペラーは、踏みしめるような重量感溢れるアプローチによって、実に内容のあるコクのある演奏を成し遂げている。そして、終結部の圧倒的なド迫力。聴き終えて、完全にノックアウトされてしまったという聴き手は私だけではないだろう。HQCD化によって、この超名演がより一層鮮明な音質で味わうことができるようになったことは、大変素晴らしいことだ。
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6 people agree with this review 2010/01/30
小山実稚恵の進境の著しさを感じさせる一枚だ。両曲とも素晴らしい名演だと思う。ショパンのバラード集やシューベルトのさすらい人幻想曲など、最近の小山実稚恵の行う録音は、どれも注目だ。ピアノ協奏曲第1番は、長い序奏を経た後のピアノの開始からして、尋常ではない心の込め方だ。これは、決して自信なげなものではなく、小山実稚恵の確信に満ち溢れたアプローチなのだ。主部に入ってからの堂々たるピアニズムの素晴らしさを何と表現すればいいのだろうか。第2楽章も抒情のかたまりであり、終楽章への圧倒的な盛り上がりも見事の一言である。第2番のアプローチも、第1番と同様であり、自信に満ち溢れたアプローチが、第1番と比べると格段に内容において劣る同曲を、実に魅力的な曲に再現していくのは、小山実稚恵の同曲への深い愛着の証左とも言える。何よりも両曲に共通して言えるのは、小山実稚恵は、決してテクニックをひけらかさないこと。あくまでも、内容の掘り下げに重点を置いており、その点を高く評価したいと考える。小山実稚恵は、ブーニンが優勝した時のショパンコンクールで第4位。ちなみに第5位は、ルイサダだが、その年のショパン・コンクールの稀に見るレヴェルの高さが伺い知れる。SACDマルチチャンネルによる高音質録音も素晴らしいの一言である。
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0 people agree with this review 2010/01/30
実に美しい演奏ということは言えると思う。マーツァルは、オーケストラを無理なくバランスよく鳴らすことにおいては抜群の才能を発揮する指揮者であり、チェコ・フィルの圧倒的な技量や中欧のオーケストラならではのしっとりとした美音も相まって、このような美演となったのであると思われる。しかし、ブラームスの第4は、果たして、このように美しいだけの演奏でいいのであろうか。要するに、本演奏は、いかにも内容に乏しいのである。表面だけをなぞっただけの浅薄な演奏では、第1などでは問題点が表面化することはなかったとも言えるが、ブラームスの交響曲中、最も内容の深い第4については、とても水準以上の演奏を成し遂げることはできないということなのだと思う。エクストンによる極上の高音質録音が、ただただむなしく聴こえるのも実に悲しい限りだ。マーツァルは、マーラーやチャイコフスキー、ドヴォルザークでは、数々の素晴らしい名演を成し遂げているのに、ブラームスのようなドイツ正統派の音楽は荷が重いのであろうか。才能がある指揮者だけに、更なる自己研鑽が必要ということなのかもしれない。
2 people agree with this review 2010/01/30
ブルックナーの権威であるヨッフムは、交響曲全集を2度遺したほか、各交響曲のライブ録音などを単体で相当数遺している。いずれも、高水準の名演揃いであるが、ヨッフムは、ブルックナーの宗教曲にも目を向け、数々の名演を遺してきたことを忘れてはならないだろう。本盤は、そうしたブルックナーの宗教曲集から、有名な曲を抜粋したものである。演奏は、いかにもヨッフムらしい素晴らしい名演だ。どの曲も派手に飾りたてたりすることはない。あくまでも、ブルックナーがスコアに記した音符を、しっかりとした歩みで荘重に、そして重厚に描いて行く。その姿勢たるや、実に質実剛健たるものだ。しかし、このようなアプローチこそが、ブルックナーの楽曲、特に宗教曲を演奏するには、最も相応しいものと言える。このような名演を聴くと、様々なストレスを持っている現代人にとっては、心が洗われるような気がするのではないか。60年代の中期の録音ではあるが、特に、ベルリン・イエス・キリスト教会での録音のテ・デウムと詩篇第150篇は、その残響を活かしたサウンドが実に効果的だ。ルビジウム・カッティングによる高音質化もかなり成功しており、この歴史的名盤を鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。
5 people agree with this review 2010/01/30
メシアンの幼子イエスに注ぐ20のまさざしは、決して親しみやすい曲とは言えず、いかにも難解な現代のピアノ独奏曲だ。約2時間にも及ぶ長大さが、更にその難解さを助長していると言えるが、児玉桃の手にかかると、その難解さが相当に緩和される。一見するとバラバラに見える各楽曲が実に有機的に関連性の高いものであることがよく理解することができる。これは、児玉桃が、この複雑怪奇な同曲を深く理解しているからにほかならない。20の各楽曲の一つ一つは、全体としては関連し合ってはいるものの、それぞれ大きく性格を異にしているが、児玉桃は、実に繊細にして抒情豊かなタッチで、巧みに各楽曲の描き分けを行っている。卓越した技量は持ち合わせているのだろうが、決してそれをひけらかすのではなく、表面的な技量よりは、曲の内容を深く掘り下げようという姿勢が伺えるのが素晴らしいと言える。さらに、本盤で忘れてはならないのは、録音が極上であるということ。SACDマルチチャンネルによる鮮明な音質が、メシアンが同曲に盛り込んだ多種多様な要素のすべてを再現するのに多大な効果を発揮している。本盤は、演奏、録音のすべてにおいてハイレベルの仕上がりであり、おそらくは、現在入手できる同曲のCDの中では、最高の名演と言っても過言ではないと思われる。児玉桃も今後のさらなる発展にも大いに期待したい。
1 people agree with this review 2010/01/29
実に惜しい。第3楽章までは深みのある超弩級の名演なのに、終楽章に来て大きな問題点が発生する。クレンペラーは、終楽章に大幅なカットを施しているのだ。なぜ、このような恣意的な解釈を行うのであろうか。おそらくは、長過ぎるとか冗長に過ぎると思ったのであろうが、仮にそのように思っていたとすれば、いささかきつい言い方かもしれないが、ブルックナーを指揮する資格はそもそもないとも言えるだろう。ノヴァーク版が一般化しても、ブルックナーのスコアに記した音符をできるだけ忠実に再現したハース版を変わらずに信奉し続けたヴァントや朝比奈の演奏が高く評価される今日においては、きわめて奇異な解釈と言わざるを得ないだろう。終楽章冒頭のテンポの入り方も深沈として実に味わい深いのに、大変惜しいことである。これぞ諺に言う、「百日の説法屁一発」というものではないか。第3楽章まで聴き終えて、超名演との評価は確実と思っていたのに、愕然とした次第である。他方、カプリングされているジークフリート牧歌は巨匠ならではの超名演。何よりも、木管楽器の活かし方が素晴らしいのは、いかにもクレンペラーらしい。ゆったりとしたテンポの下、深みのある音楽が雄大なスケールで展開している。HQCD化によって、音質は相当の改善が見られた。全体の評価としては、ブルックナーの第8の終楽章のカットがあるので、★を3つとさせていただきたい。この終楽章のカットは、ブルックナーファンとしては、クレンペラーの偉大さを評価する者としても許しがたいという思いが強い。
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0 people agree with this review 2010/01/28
剛毅で重厚なクレンペラーのアプローチと、ブルックナーの交響曲中で最も優美な第7の取り合わせ。どう見ても、なかなか噛み合わないのではないかと大いに危惧したが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。それどころか、とてつもない名演に仕上がっている。第1楽章の冒頭からして、深沈たる深みのある演奏であり、随所で聴かれる美しい木管の響かせ方もクレンペラーならではのものだ。第2楽章も崇高な演奏であり、決して低俗な抒情に流されることなく、格調の高さを失わない点はさすがと言うべきである。第3楽章は、クレンペラーの剛毅で重厚な芸風に最も符号する楽章であり、テンポといい強弱の付け方といい、文句のつけようのない素晴らしさだ。終楽章も、踏みしめるようなリズムなど重量感溢れる演奏であり、第7の欠点とも言われるスケールの小ささなど微塵も感じられない。それにしても、クレンペラーが、このような優美な第7で名演を成し遂げるというのは実に不思議だ。メンデルスゾーンのスコットランドや真夏の夜の夢などで名演を成し遂げたのと同様に、これは指揮界の七不思議と言ってもいいかもしれない。HQCD化によって、音質がかなり鮮明になったのは嬉しい限りだ。
1 people agree with this review 2010/01/27
ブルックナーの第6は、壮麗にして剛毅な第5と、優美な第7に挟まれて、ずいぶんと目立たない存在である。ブルックナーならではの美しい旋律と重厚さ、つまりは第5と第7を足して2で割ったような魅力に溢れた交響曲だけに、非常に惜しいことであると思う。しかし、こうした第6の魅力は、ブルックナーを愛する巨匠には十分に伝わっており、ヨッフムや、最近ではヴァントや朝比奈などが、第6の素晴らしい名演を遺している。クレンペラーもそうした第6を愛した巨匠の一人と言うことができるだろう。レッグに、かつて録音を止められたことがあるという、いわくつきの曲でもあるが、それだけクレンペラーが、この第6に傾倒していたと言えるのではないだろうか。演奏の性格は、他の交響曲へのアプローチとほとんど変わりがない。剛毅にして重厚。したがって、アクセントなどは相変わらずきついが、それでも、この第6の場合は、あまり気にならない。同時期にヨッフムが第6の名演を遺しているが、ヨッフムのロマン派的な演奏とは全く対照的だ。したがって、第2楽章など、もっと歌ってほしいと思う箇所も散見されるが、この曲の弱点とも言われる第3楽章や終楽章は、重量感溢れる演奏を展開しており、この両楽章については、ヨッフムと言えども太刀打ちできない雄大なスケールを誇っている。ある意味では、ヴァントの演奏の先触れとも言える側面も有していると言える。いずれにせよ、本演奏は、クレンペラーの同曲への愛着に満ち溢れた壮麗な名演と評価したい。
0 people agree with this review 2010/01/26
クレンペラーのブルックナーは、曲によって相性のいい曲とそうでない曲があるのではないだろうか。剛毅で微動だにしないインテンポが、例えば、第4などの場合、強烈なアクセントなどもあって、若干の違和感を感じさせる演奏であったが、第5は、ブルックナーの交響曲の中でも最も男性的な、剛毅な性格の作品。クレンペラーの演奏が悪かろうはずがない。そればかりか、クレンペラーのブルックナーの交響曲の演奏中でも、この第5が随一の名演と評価すべきではないだろうか。どの楽章も重量感溢れる、同曲に相応しい名演であるが、特に高く評価したいのは第3楽章と終楽章。第3楽章は、正に巨象の進軍だ。スケールも雄大で、この凄まじい迫力は、同曲に超名演を遺した朝比奈やヴァントと言えども一歩譲るだろう。終楽章は、第3楽章をさらに上回る巨人の演奏だ。主部の踏みしめるような超スローテンポの演奏は、壮大なスケールであり、これだけのゆったりとしたテンポをとっても、全体的な造型にいささかの揺らぎもないのは、正に巨匠クレンペラーの晩年の至芸の真骨頂と言えるだろう。終結部の雄大さには、もはや評価する言葉が追いついてこない。HQCD化によって、音質も向上しており、クレンペラーの歴史的名盤を鮮明な音質で味わうことが出来ることを大いに喜びたい。
0 people agree with this review 2010/01/25
クレンペラーとしてはやや早めのインテンポによる演奏であるが、マーラーなどとは異なり、随所に見られる金管のアクセントの強烈さなど、若干の違和感を感じる箇所が散見されることは否めない。他方、さすがと言えるような感動的な箇所も見られ、その意味で、功罪半ばする演奏ということが言えるかもしれない。例えば、第3楽章を例にとると、ホルンによる第1主題を明瞭に演奏させているのは大正解。演奏によっては、ここを快速テンポで曖昧模糊に吹奏させている例もあり、それでは第3楽章の魅力が台無しになってしまう。しかし、この第1主題の展開部に向けての盛り上がりがあまりにも大仰なのだ。特に、トランペットのアクセントがあまりにも強烈すぎて、朝比奈やヴァントの名演に接してきた者(もちろん、これらの演奏が絶対と 言うつもりは毛頭ないが)からすると、どうしても違和感を感じてしまう。トリオに入ると、テンポを少し落として抒情豊かな至芸を見せるが、ここは実に感動的で、クレンペラーの偉大さを感じる箇所だ。このように、第3楽章一つをとってみても、評価がなかなか定めにくいのが正直なところである。しかしながら、60年代のはじめという、ブルックナーがあまり一般に受容されていない時期に、これだけの水準の演奏を成し遂げたのは評価すべきであり、その意味において、本演奏を佳演と評価するには躊躇しない。
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