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4 people agree with this review 2011/06/25
本盤におさめられたベルリオーズの幻想交響曲は、昨年12月にニューヨークでおこなわれた小澤の病気療養後の復帰コンサート(2日目)の記録である。既に従来盤で発売されているブラームスの交響曲第1番(14日)も小澤渾身の大熱演であったが、その翌日(15日)の幻想交響曲も凄い演奏だ。小澤は、若い頃からフランス系の音楽を得意としており、とりわけ幻想交響曲を十八番としていた。これまで、トロント交響楽団(1966年)、ボストン交響楽団(1973年)及びサイトウ・キネン・オーケストラ(2007年)の3度に渡って録音を行っており、それらはいずれ劣らぬ名演であった。したがって、今回の演奏は4度目の録音ということになる。確かに、本演奏においては、小澤自身も病が癒えたばかりで本調子とは言えず、オーケストラもホームグラウンドではないことから万全とは必ずしもいえないところであり、演奏の安定性の観点からすれば、前述の3種の名演にはかなわないし、本演奏上の瑕疵などについて指摘することは容易である。しかしながら、本演奏にはこれまでの名演とは比較にならないような、小澤のこの演奏にかける直向きさや気迫、そして執念が漲っており、小澤の渾身の命がけの指揮が我々聴き手の肺腑を打つのである。これぞまさしく入魂の指揮と言えるところであり、火の玉のように燃え尽きんとする小澤に導かれたサイトウ・キネン・オーケストラも大熱演を繰り広げていると言える。また、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラによる壮絶な演奏を固唾をのんで見守るとともに、演奏終了後にスタンディング・オヴェイションとブラヴォーの歓呼で応えた当時の聴衆も、この大熱演の成就に大きく貢献していると言えるだろう。正に、本演奏は前日のブラームスの交響曲第1番と同様、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言えるところであり、このような高みに達した音楽に対しては、細部に渡る批評を行うこと自体がおこがましいことと言わざるを得ない。我々聴き手は、ただただこの崇高な至高の超名演を味わうのみである。録音も素晴らしい。シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は間違いなく現在のパッケージメディアにおける最高峰の高音質であり、小澤による至高の超名演をこのような極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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7 people agree with this review 2011/06/25
本盤におさめられたブラームスの交響曲第1番は、昨年1月より食道がんのために病気療養をしていた小澤が昨年12月、ニューヨークのカーネギーホールにおける3日間のコンサートにおいて本格的な指揮活動への復帰を果たしたが、その初日(14日)の感動的なコンサートの記録である。通常CD盤としては既に本年1月に緊急発売されているが、今回はブラームスの交響曲第1番に加えて、15日の幻想交響曲と18日の戦争レクイエム(当面発売延期)も含めて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売されるとのことであり、これは我が国のクラシック音楽ファンとしても大いに歓迎したい壮挙であると考える。小澤はブラームスの交響曲第1番を得意中の得意としており、既にボストン交響楽団(1977年)やサイトウ・キネン・オーケストラ(1990年)とスタジオ録音を行っている。一方、本演奏については小澤も楽章毎に水分補給をとるなど本調子には程遠く、演奏の安定度からすれば過去の演奏とは比べようがないのかもしれない。したがって、本演奏に対して演奏上の瑕疵や楽曲の本質への追及の深みのなさなどを指摘するのは容易なことであり、現に、レコード芸術誌においてもとある高名な音楽評論家などが厳しい評価を下していたのは記憶に新しいところだ。しかしながら、本演奏については、そのような演奏上の瑕疵や精神的な深みなどを指摘すべき性格の演奏ではない。というか、そのような指摘をすること自体が、自らの命をかけて指揮を行った小澤に対して礼を失するとさえ言える。小澤の渾身の命がけの指揮が我々聴き手の心を激しく揺さぶるのであり、それだけで十分ではないだろうか。そして、小澤の入魂の指揮の下、大熱演を繰り広げたサイトウ・キネン・オーケストラや、演奏終了後にスタンディング・オヴェイションとブラヴォーの歓呼で熱狂した当日の聴衆も、本演奏の立役者であると言える。正に、本演奏は、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言っても過言ではあるまい。このような魂の音楽に対しては、前述のようにそもそも演奏内容の細部に渡っての批評を行うこと自体がナンセンスであり、我々聴き手も虚心になってこの感動的な音楽を味わうのみである。録音は従来盤でも良好な音質ではあったが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって次元が異なる鮮明な高音質に生まれ変わった。小澤が成し遂げた渾身の超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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2 people agree with this review 2011/06/25
ホルストの組曲「惑星」は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを駆使した親しみやすい旋律の数々を有していることもあり、現代においても最も人気のある管弦楽作品の一つであると言える。もっとも1950年代までは、ホルストによる自作自演や初演者ボールトによる演奏の録音しか存在せず、イギリス国内にしか通用しないローカルな作品の域を出なかったところであるが、1961年にカラヤン&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演が登場したことを契機として、一躍国際的な人気作品としての地位を獲得したのであった。前述のカラヤンによる名演以降、様々な指揮者によって多種多様な名演が生み出されてきているのは周知のとおりである。そのような中でも、初演者ボールトによる最後の録音であるロンドン・フィルとの名演(1978年)、前述のカラヤン&ウィーン・フィルによる名演の地位は、現在においてもいささかも揺らぐものではないが、ホルストの華麗なオーケストレーションの魅力を心行くまで堪能させてくれる名演としては、本盤におさめられたレヴァイン&シカゴ交響楽団による超名演を随一に掲げたいと考える。本超名演の成功は、紛れもなくシカゴ交響楽団の卓越した技量にあると言える。本演奏は1989年の録音であり、御大ショルティがなおシカゴ交響楽団に君臨していた全盛時代でもある。一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、金管楽器群の迫力満点の大音量とブリリアントな響き、木管楽器の桁外れのテクニックなど、同曲の演奏に必要な要素を全て兼ね備えていたスーパー軍団たるシカゴ交響楽団による演奏は豪華絢爛の一言。あたかも、組曲「惑星」という大運動場で、シカゴ交響楽団が存分に運動を行っているかのような趣きがあり、オーケストラ演奏としても空前絶後の出来栄えと言えるだろう。レヴァインの指揮は、むしろシカゴ交響楽団にいかに気持ちよく演奏させるのかに徹しているようにも思われるが、例えば金星などにおける心を込めた情感の豊かさなど、独特の味付けもそれなりに行っており、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを十二分に発揮していると評価したい。いずれにしても、組曲「惑星」という楽曲の魅力を存分に満喫させてくれるという意味においては、耳のご馳走とも言えるような爽快な超名演と評価するのにいささかも躊躇もしない。録音は、従来盤でも音質の良さで定評があったが、今般のSHM−CD化によって、さらに音質が鮮明になるとともに音場が若干なりとも広くなったと言える。いずれにしても、レヴァイン&シカゴ交響楽団による爽快な超名演を、SHM−CDによる鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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5 people agree with this review 2011/06/25
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タは、すべてのヴァイオリニストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作である。それ故に、これまで数多くのヴァイオリニストによって多種多様な演奏が繰り広げられてきた。これまでの各種の演奏の中には、名演と評されるものもあまた存在しているが、それらすべての名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤におさめられたシェリングによる2度目の録音であると考える。録音年が1967年であり、40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお、本名演に比肩し得る名演があらわれていないのは殆ど驚異的ですらある。クレーメル(2001〜2002年)による2度目の録音も、レコード・アカデミー賞を受賞するなど素晴らしい名演ではあるが、それでも本シェリング盤の地位がいささかも揺らぐものではないと言える。シェリングの演奏が素晴らしいのは、月並みな言い方にはなるが基本に忠実であるということである。同曲は前述のように聖典とも言うべき特別な作品ではあるが、だからと言って何か特別な演奏をしてやろうという気負いや邪心がないのである。あくまでも、徹底したスコアリーディングによって真摯に同曲に接するという姿勢が素晴らしい。これは至極当然のことではあるが、なかなか出来ることではないのだ。その上で、シェリングは、卓越したテクニックをベースとして、格調高く、そして情感豊かに演奏を進めていく。長大な作品ではあるが全体の造型はきわめて堅固であり、フレージングがいささかも崩れることがなく、あらゆる音階が美しさを失うことなく鳴り切っているのは圧巻の至芸と言える。正に、いい意味での非の打ちどころがない演奏であり、その演奏が醸し出す至高・至純の美しさには神々しささえ感じさせるほどだ。これほどの崇高な超名演を超える演奏は、今後ともおそらくは半永久的にあらわれることはないのではないかとさえ考えられる。録音は、40年以上も前のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングを繰り返してきたこともあって、十分に満足し得る音質である。数年前にSHM−CD盤が発売され、それが現時点での最高の高音質ではあるが現在では入手難である。もっとも、同曲演奏史上トップの座に君臨する歴史的な超名演であり、ユニバーサルが誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図って欲しいと考える聴き手は私だけではあるまい。
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14 people agree with this review 2011/06/25
14 people agree with this review
6 people agree with this review 2011/06/25
マーラーの交響曲「大地の歌」の名演と言えば、ワルター&ウィーン・フィル(1952年)とクレンペラー&フィルハーモニア管(1964、1966年)による至高の超名演が双璧であると言える。そして、この2強に肉薄するのが、バーンスタイン&ウィーン・フィルによる名演(1966年)であると言えるのではないだろうか。その後は、テンシュテット(1982、1984年)、インバル(1988年)、ベルティーニ(1991年)などの錚々たるマーラー指揮者によって素晴らしい名演が成し遂げられてはいるが、前述の2強プラスワンに比肩する名演は現在でもなお存在していない状況にあると言える。本盤におさめられた演奏は、マーラー没後100年を記念して初CD化されるものであるが、先ずは歌手陣に注目しておきたい。テノールのフリッツ・ヴンダーリヒは、前述のクレンペラー盤において、そしてバリトンのフィッシャー・ディースカウは、前述のバーンスタイン盤において歌唱を行っているところだ。要は、本演奏とほぼ同時期に録音された前述の2強プラスワンにおいてもその歌唱を披露しているということであり、本演奏においてはライヴ録音ということもあると思うが、それらと同等か、それ以上の圧倒的な名唱を披露していると高く評価したい。他方、指揮者はクリップス、そしてオーケストラはウィーン交響楽団であり、さすがに指揮者とオーケストラについては2強プラスワンよりも格落ちと言えなくもないが、生粋のウィーン指揮者であるクリップスは、ウィーン交響楽団を巧みに統率して非常に味わい深い演奏を繰り広げるとともに、前述の歌手陣の圧倒的な名唱を温かく支えるという意味においては理想的な指揮ぶりであり、総体として優れた名演と評価したいと考える。いずれにしても、演奏内容だけを取れば、本演奏は2強プラスワンに限りなく肉薄する名演と評価してもいいのではないかと考えられる。もっとも、問題は音質であり、モノラル録音というのは2強プラスワンと比較するとかなりのハンディと言わざるを得ない。フリッツ・ヴンダーリヒとフィッシャー・ディースカウの歌唱はかなり鮮明に捉えられているが、オーケストラが今一つ冴えない音質であるというのが難点であると言える。ただ、1960年代のライヴ録音ということを考慮に入れると、これでも十分に満足すべきとも考えられるところであり、贅沢は言えまい。
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6 people agree with this review 2011/06/23
両曲ともに素晴らしい名演だ。それどころか、古今東西のピアニストによる両曲の名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。ツィマーマンは現代最高のピアニストの一人ではあるが、「思索と研鑽の人」と称されるだけあって、録音には極めて慎重な姿勢で臨んできている。今般の録音も、超スローテンポと濃厚な演奏で一世を風靡した弾き振りによるショパンのピアノ協奏曲第1番&第2番から3年ぶりのリリース。しかも、本盤におさめられた両曲のうち第1番が1997年の録音で第2番の録音が2000年、そして初発売が2003年という6年もの期間を要してCDが作成されていることは、正にツィマーマンの面目躍如と言ったところであり、これは、ツィマーマンの楽曲の演奏に対する真摯な姿勢や楽曲に対するあくなき探究心のあらわれとも言えるだろう。本盤におさめられた演奏も、そうしたツィマーマンによる真摯な姿勢やあくなき探究心がよくあらわれた演奏に仕上がっていると言える。一言で言えば、音符の背後にある楽曲の心眼にも目線を注いだ彫の深い演奏ということになるのではないだろうか。ラフマニノフのピアノ協奏曲は、旋律が実に甘く切ないものであり、どうしてもそうした表面上の美しさの方に心が奪われてしまいがちであるが、ツィマーマンのピアノは、もちろん美しさにおいてもいささかも欠けているところはないものの、あたかもベートーヴェンのピアノ協奏曲に接する時のような深沈とした深みやドラマティックな要素を兼ね備えているのが素晴らしいと言える。とかく前時代的であるとかロシアの哀愁誘う作曲家であるなどと、いささか通俗的と過小評価されているラフマニノフによるピアノ協奏曲を、それこそベートーヴェンのピアノ協奏曲にも比肩し得る大芸術作品の域にまで引き上げたと言っても過言ではあるまい。そうした彫の深さに加えて、圧倒的なテクニックは健在であり、格調の高さや情感の豊かさにおいても申し分がないというのは、雄渾なスケールと相まって、おそらくはツィマーマンだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。このような凄みのあるツィマーマンのピアノに対して、小澤の指揮も一歩も引けを取っていない。最近は大病を患って健康状態に大きな不安を抱えている小澤ではあるが、本演奏ではパワー全開であり、情感の豊かさにおいても力強い生命力においても申し分がない。ボストン交響楽団も美しさの極みとも言うべき名演奏を繰り広げており、重量感溢れる迫力においてもいささかも欠けるところがない。いずれにしても、本盤におさめられた演奏は、両曲ともにピアニスト、指揮者、オーケストラの三拍子が揃った稀有の超名演と高く評価したい。録音に慎重なツィマーマンのことでもあり、そして小澤の健康状態を考えると、第3番&第4番の録音はきわめて困難な状況にあると思われるが、是非とも実現して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。
5 people agree with this review 2011/06/23
両曲ともに素晴らしい名演だ。それどころか、古今東西のピアニストによる両曲の名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。ツィマーマンは現代最高のピアニストの一人ではあるが、「思索と研鑽の人」と称されるだけあって、録音には極めて慎重な姿勢で臨んできている。今般の録音も、超スローテンポと濃厚な演奏で一世を風靡した弾き振りによるショパンのピアノ協奏曲第1番&第2番から3年ぶりのリリース。しかも、本盤におさめられた両曲のうち第1番が1997年の録音で第2番の録音が2000年、そして初発売が2003年という6年もの期間を要してCDが作成されていることは、正にツィマーマンの面目躍如と言ったところであり、これは、ツィマーマンの楽曲の演奏に対する真摯な姿勢や楽曲に対するあくなき探究心のあらわれとも言えるだろう。本盤におさめられた演奏も、そうしたツィマーマンによる真摯な姿勢やあくなき探究心がよくあらわれた演奏に仕上がっていると言える。一言で言えば、音符の背後にある楽曲の心眼にも目線を注いだ彫の深い演奏ということになるのではないだろうか。ラフマニノフのピアノ協奏曲は、旋律が実に甘く切ないものであり、どうしてもそうした表面上の美しさの方に心が奪われてしまいがちであるが、ツィマーマンのピアノは、もちろん美しさにおいてもいささかも欠けているところはないものの、あたかもベートーヴェンのピアノ協奏曲に接する時のような深沈とした深みやドラマティックな要素を兼ね備えているのが素晴らしいと言える。とかく前時代的であるとかロシアの哀愁誘う作曲家であるなどと、いささか通俗的と過小評価されているラフマニノフによるピアノ協奏曲を、それこそベートーヴェンのピアノ協奏曲にも比肩し得る大芸術作品の域にまで引き上げたと言っても過言ではあるまい。そうした彫の深さに加えて、圧倒的なテクニックは健在であり、格調の高さや情感の豊かさにおいても申し分がないというのは、雄渾なスケールと相まって、おそらくはツィマーマンだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。このような凄みのあるツィマーマンのピアノに対して、小澤の指揮も一歩も引けを取っていない。最近は大病を患って健康状態に大きな不安を抱えている小澤ではあるが、本演奏ではパワー全開であり、情感の豊かさにおいても力強い生命力においても申し分がない。ボストン交響楽団も美しさの極みとも言うべき名演奏を繰り広げており、重量感溢れる迫力においてもいささかも欠けるところがない。いずれにしても、本盤におさめられた演奏は、両曲ともにピアニスト、指揮者、オーケストラの三拍子が揃った稀有の超名演と高く評価したい。録音に慎重なツィマーマンのことでもあり、そして小澤の健康状態を考えると、第3番&第4番の録音はきわめて困難な状況にあると思われるが、是非とも実現して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって、さらに鮮明な音質になるとともに音場が広くなったと言える。いずれにしても、このような至高の超名演を高音質のSHM−CD盤で聴くことができるのを大いに歓迎したいと考える。
3 people agree with this review 2011/06/22
最近ではチョン・ミュンフンも大人しい演奏に終始することが多くなり、すっかりと目立たない指揮者になってしまっているが、1990年代の演奏はどれも凄かった。例えば、ベルリオーズの幻想交響曲、ビゼーの組曲「アルルの女」&組曲「カルメン」、ドヴォルザークの交響曲第3番&第7番、そしてショスタコーヴィチの交響曲第4番など超名演が目白押しだ。とりわけ、ショスタコーヴィチの交響曲第4番については、現在でもラトルによる超名演と並んで、同曲演奏史上最高の名演と言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたR・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」とストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」も、そうした飛ぶ鳥落とす勢いであった全盛期のチョン・ミュンフンならではの素晴らしい名演だ。両曲ともに華麗なオーケストレーションを基調とするロシア音楽であるが、チョン・ミュンフンは、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化などを大胆に駆使して、ドラマティックな演奏を展開している。各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さやダイナミックな躍動感は、圧巻の迫力を誇っていると言える。それでいて、シェエラザードの第2楽章などにおけるロシア風のメランコリックな音楽における豊かな情感においてもいささかの不足もなく、必ずしも勢い一辺倒ではないチョン・ミュンフンの桁外れの表現力の幅の広さを感じることが可能だ。また、当時はチョン・ミュンフンと良好な関係を築いていたパリ・バスティーユ管弦楽団の卓越した技量も、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。録音は本盤でも十分に満足できる高音質ではあったが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが本盤よりも音質が一層鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと思われる。未だ未購入で、チョン・ミュンフンの全盛時代の超名演を、できるだけ良好な音質で味わいたいという聴き手には、SHM−CD盤の方の購入をおすすめしたい。
3 people agree with this review
最近ではチョン・ミュンフンも大人しい演奏に終始することが多くなり、すっかりと目立たない指揮者になってしまっているが、1990年代の演奏はどれも凄かった。例えば、ベルリオーズの幻想交響曲、ビゼーの組曲「アルルの女」&組曲「カルメン」、ドヴォルザークの交響曲第3番&第7番、そしてショスタコーヴィチの交響曲第4番など超名演が目白押しだ。とりわけ、ショスタコーヴィチの交響曲第4番については、現在でもラトルによる超名演と並んで、同曲演奏史上最高の名演と言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたR・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」とストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」も、そうした飛ぶ鳥落とす勢いであった全盛期のチョン・ミュンフンならではの素晴らしい名演だ。両曲ともに華麗なオーケストレーションを基調とするロシア音楽であるが、チョン・ミュンフンは、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化などを大胆に駆使して、ドラマティックな演奏を展開している。各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さやダイナミックな躍動感は、圧巻の迫力を誇っていると言える。それでいて、シェエラザードの第2楽章などにおけるロシア風のメランコリックな音楽における豊かな情感においてもいささかの不足もなく、必ずしも勢い一辺倒ではないチョン・ミュンフンの桁外れの表現力の幅の広さを感じることが可能だ。また、当時はチョン・ミュンフンと良好な関係を築いていたパリ・バスティーユ管弦楽団の卓越した技量も、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。録音は通常盤でも十分に満足できる高音質ではあったが、今般のSHM−CD化によって音質はより一層鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと思われる。チョン・ミュンフンの全盛時代の超名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
3 people agree with this review 2011/06/21
本盤には、1999年に51歳の若さで惜しくも急逝したシノーポリによる有名な管弦楽曲をおさめているが、いずれも個性的な名演と高く評価したい。精神医学をおさめた作曲家でもあるシノーポリによる独特のアプローチは、本盤におさめられたいずれの楽曲の演奏においても健在であり、とりわけラヴェルの華麗なオーケストレーションが魅力の組曲「展覧会の絵」においては、ゆったりとしたテンポにより楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っていると言える。同曲の随所にあらわれる有名なプロムナードの主題は、絵画の鑑賞者の微妙な心理の変化を反映して多種多様な表現が施されているところであるが、これら各プロムナードの主題の違いをシノーポリ以上に際立たせた例は他にはないのではないだろうか。これはいかにも精神医学者シノーポリの面目躍如と言ったところであり、いささか構えた物々しさを感じさせなくもないが、このような精神分析的な演奏を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと思われる。交響詩「禿山の一夜」は、組曲「展覧会の絵」ほどの個性的な解釈は見られないが、それでも聖ヨハネ祭の夜に集う悪魔や妖怪たちの饗宴を殊更に強調したある種のグロテスクさ、そして終結部の超スローテンポは、いかにもシノーポリならではの怪演と言っても過言ではあるまい。ラヴェルの高雅にして感傷的なワルツは一転して豊かな情感に満ち溢れた美しさが際立っており、一聴するとオーソドックスな演奏のように思われるが、よく聴くとマーラーの交響曲におけるレントラー舞曲のような退廃的な美を感じるというのは、果たして私だけの先入観と言い切れるであろうか。録音については、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなったと言える。シノーポリの細部に至るまで彫琢の限りを尽くした分析的なアプローチを味わうにはSHM−CD盤は相応しいと言えるところであり、シノーポリの名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
5 people agree with this review 2011/06/20
本盤には、リヒテルによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番がおさめられている。このうち、ラフマニノフについては、初CD化の際には、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とのカプリングであったと記憶している。というのも、バックが同じヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルであるからであり、協奏曲の演奏はピアニストだけでなく、指揮者やオーケストラがあってこそ成り立つことに鑑みれば、いくら人気曲どうしのカプリングとは言え、本盤のようなカプリングについては若干の疑問を感じざるを得ないことを冒頭に付記しておきたい。演奏については、何と言ってもラフマニノフがダントツの超名演だ。今から50年以上も前の録音ではあるが、現在でも同曲演奏史上最高峰の名演の地位を譲っていないのは驚異的ですらある。本演奏では、とにかくリヒテルのピアノが素晴らしい。同曲はロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律に彩られた楽曲であるが、リヒテルは豊かな情感を湛えつつ、いささかも哀嘆調には陥らず常に格調の高い演奏を繰り広げていると言える。超絶的な技量は当然のことであるが、強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで表現力の幅は桁外れに広い。スケールも極めて雄大であり、その巨木のような雄渾さはあたかも悠久の大地ロシアを思わせるほどだ。ヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルの演奏も、いささかも華美に走らない飾り気のない演奏を展開しているが、その質実剛健とも言うべき名演奏は、リヒテルの素晴らしいピアノを引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。他方、チャイコフスキーについては、ラフマニノフのように同曲演奏史上最高の名演とまでは言い難いが、それでも名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。指揮はカラヤンであり、オーケストラはウィーン交響楽団。ベルリン・フィルではないのは残念であるが、これは契約の関係で致し方がなかったのかもしれない。いずれにしても、これは典型的な競争曲になっていると言える。リヒテルとカラヤンというとてつもない大物芸術家どうしが火花を散らし合う演奏。絢爛豪華なチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だけに、実にスリリングで面白く聴くことが可能であると言える。カラヤンは、本盤のリヒテルのほか、ワイセンベルク、ベルマン、キーシンとともに同曲を録音しているが、ピアニストと対等な立場でいわゆる協奏曲の醍醐味とも評価し得る競争的な演奏を繰り広げたのは本演奏だけであったと言えるだろう。録音は、従来盤ではチャイコフスキーは比較的満足できる音質であったが、ラフマニノフはやや不満が残る音質であった。その後、SHM−CD盤が発売された際には、ラフマニノフもかなり音質改善がなされ、比較的満足できる音質になった。しかしながら、現在ではSHM−CD盤は入手難である。とりわけ、ラフマニノフについては同曲演奏史上最高の名演であり、今後SHM−CD盤の再発売、更には、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤での発売など、更なる高音質化を大いに望みたいと考える。
6 people agree with this review 2011/06/20
クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ第8及び第9については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本盤におさめられたベルリン・フィル盤であると考える。第8については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライブ録音(1976年)、第9については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライブ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、私としてはあまり採りたくない。第9のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの第8及び第9の決定盤は、本盤におさめられた演奏ということになる。それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。このうち第8は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。これに対して、第9は1972年の録音。ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、第9の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、第8と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。
4 people agree with this review 2011/06/20
3 people agree with this review 2011/06/20
本盤におさめられたドヴォルザークの交響曲第8番の演奏は、セルが亡くなる直前の録音であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による二度目のスタジオ録音ということにもなる。本演奏は、前回の演奏(1958年盤)を上回るのみならず、一世を風靡したこのコンビによる最高の名演の一つであり、古今東西の同曲の数ある名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。私見ではあるが、本名演に比肩できるのは、クーベリック&ベルリン・フィル盤(1966年)とカラヤン&ウィーン・フィル盤(1985年)だけではないかと考えている。セルは、クリーヴランド管弦楽団を徹底的に鍛え抜き、セルの楽器と称されるほどの超一流の楽団に仕立て上げたことで知られている。したがって、このコンビによる全盛時代の演奏は、特定の楽器が目立つということは殆どなく(これは、セルが最も嫌ったことであった。)、オーケストラ全体が一つの楽器のように聴こえるような精密なアンサンブルによる精緻な演奏を誇っていた。その残滓は、後継の音楽監督のマゼール時代にも色濃く存在しており、私も、マゼールに率いられて来日した際のコンサートにおいて、クリーヴランド管弦楽団の鉄壁のアンサンブルに驚嘆したのを今でもよく覚えている(確か、曲目はストラヴィンスキーの3楽章の交響曲であったと記憶している。)。ただ、あまりの演奏の精密さ故に、スケールもやや小型であり、いささか融通の利かないメカニックとも言うべき演奏も多々見られたと言わざるを得ないところだ。そのようなセルも最晩年になると、鉄壁のアンサンブルを維持しつつも、クリーヴランド管弦楽団の各団員により自由を与え、伸びやかな演奏を行うようになってきたところであり、それに併せて演奏のスケールも大きくなっていった。本名演は、そのような一連の流れの頂点にある演奏と言えるのではないかと考えられる。セルは本演奏においても曲想を精緻に描いてはいるが、フレージングが実に伸びやかである。そして、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れており、スケールも雄渾の極みと言える。これは正に、ドヴォルザークやスメタナ、ヤナーチェクなどのチェコ音楽を心から愛した巨匠が最晩年になって漸く到達し得た至高。至純の境地であると言えるのではないだろうか。併録のスラヴ舞曲第3番及び第10番も、ドヴォルザークの第8と同様の素晴らしい完熟の名演だ。
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