TOP > My page > Review List of 蝉の抜殻

Review List of 蝉の抜殻 

Showing 16 - 30 of 52 items

%%header%%

%%message%%

  • 3 people agree with this review
     2010/04/28

    「冬の旅」のお気に入りの演奏を挙げろと言われると、保守的な意見での申し訳ないが、ディースカウとへフリガーを好んで聴いている。絶頂期の絶対的な名盤(例えばディースカウとムーアのEMIでの録音)を聴いているのか?と言われると、実はディースカウならブレンデルとの録音、へフリガーならデューラーと組んだ、それぞれ声の張りは失われてはいるが、それを補って余りある枯れた深い表現のほうに魅かれる。ひたすら鬱と絶望へと歩を進める曲に、輝かしいベルカント気味の唱法は「違う」と思う。でも何故「違う」と思うのか?これは感覚であって、その理由は最近まで言語化できずにいた。この録音でのシュタイアーの表現は雄弁で、前に出てくる。聴かそうとする。これを現代ピアノでやられたら、最近多いスターピアニストが伴奏し、その前に出ようとして歌い手を押し潰し、曲とその音世界を踏み躙るトホホ演奏に成り下がっていたはずだ。でも多くの人が指摘するように、楽器の性能が表現を緩衝し、音楽が枠の中にきれいに収まることに驚く。さらにジョッパーのヴィヴラートをかけない唱法が、語りのように音を聴かせ、それがこの曲の求める和声の世界に合っている。この室内楽的な小規模で響きの減衰が速い音世界の復権は、古楽のムーブメントの最高の成果の一つで、評価したい。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2010/03/24

    シュタイアーを最高のピアノフォルテ奏者として挙げる人も多いと思う。私の好みのタイプではないのだが、それでも「聴かせてくれる」彼のピアノフォルテは魅力的だし、感心させられる。ハイドンの録音を挙げなさいと言われると、私ならまずブレンデルとシュタイアーを挙げる。この2つを聴くとそれぞれの凄さが良くわかる。しかし、何故シュタイアーはバッハを弾くときにはハープシコードを使うのだろう?もったいない。御存知のとおりハープシコードは奏者によって音は変わるのだが、どの指を使っても同じ音しか出ない。速度で変化をつけないと構造が変えられない。そのため解釈が限定されることは事実で、究極の解釈が出てしまえば、論理的にそれを超えることは無理で、我々は好みの音色で演奏を選ぶ以外の選択肢しかなくなる(不十分な解釈を敢えて許容するなら話は別だが)。シュタイアーはどうしてピアノフォルテを使ってバッハ演奏の可能性を追求しようとしないのだろう?この素晴らしいハイドンを聴きながらそう思う。ピアノフォルテのゴルドベルグ変奏曲を是非聴いてみたいのだが。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 6 people agree with this review
     2010/03/09

    「バラード」という表層を聴きたい人には薦めません。それなら他にいくらでも適切な演奏はある。シャプランのドビュッシーは凄かった。あの録音で使用したピアノはスタインウェイだった。スタインウェイは一応音域ごとの音質は均質ということになっているが、現実には高音域、中音域、低音域で音がまるで違う。ドビュッシーは中心和音と不協和音をそれぞれの音域に分けるため、このピアノの選択は効果的と思われるし、事実大成功だった。ショパンはどうだろう?世界で最も音域ごとの音質が均一で、まるでオートマティックのような響きを作れるピアノがヤマハのCFだ。シャプランはショパンの音楽に「均質な響きの世界」を意識的に導入し、ピアノの響きに拘ったドビュッシーとショパンの発想の違いを意識的に聴かせてくれる。この意識的な楽器の選択からは、このピアニストの、響きに対する尋常でないこだわりを感じる。均質な響きでショパンの響きをまとめるということはどういうことか、ショパンは音域ごとの音質の差の活用にそれほど自覚的でなく、それよりは統合的な意識を持っていたとする意見があるのですが、その議論に一石を投じるような演奏です。

    6 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2010/03/06

    某本に、右手を故障して、かつての技巧を失っていると書かれていたが、「どこが?」と執筆者に聞きたい。細部の描きこみは旧録音を上回る。ただし奏法が相当違っているようで、旧録の聞き疲れする無理な打鍵(人によればこれはカミソリの切れ味のようなと評されたが)は聴かれない。この録音より細部が弾けている演奏は今のところボッファードとかオールソン、エマール、クルーガーあたりで、他の超絶技巧を売り物にしている連中の録音では話にならない。ベロフのドビュッシーは演奏効果が上がる曲が凄い。ただしドビュッシーの特徴である、中心和音とその音域を離れた不協和音の機能性には何故か無頓着。ベロフほどの技術で弾けば、中心和音と例の不協和音の存在は明確にわかる。でも意識的に描き分けてはいない。ベロフのドビュッシーが、演奏効果より構造に向かった曲ではもう一つに聴こえる理由だと思う(とはいっても相当にレベルの高い演奏で、不協和音の機能と構造の関係を聴こうとする私に問題があるのです)。余談ですが私は、ひのき饅頭氏のレビューに関心することが多いのですが、でもドビュッシーとバッハに関しては評価が甘すぎ?と思いますよ(笑)。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 3 people agree with this review
     2010/02/27

    中心和音の中に潜む不協和音を明確に描ききる抜群に凄い演奏。核の部分で蠢く不協和音が、これほどまでに音世界の可能性を広げるのかと驚く。フランシェスは不協和音を特に強調したりしない。和音の全ての構成要素を描き分け、等価に提示する。それだけなのだが、これは途轍もない技巧を持ってなければ不可能だ。この盤で聴かれる音は「美麗」とか「エスプリ」などといったものではない。この演奏を聴く限り、それはタワゴトの勘違いだ。ひたすら不協和音の可能性に驚き、その豊かさに魅せられる。このような演奏を聴くと、ラヴェルやドビュッシーは「不協和音の機能を限界まで追及しようとしたのではないか?」と思えるほどだ。ラヴェルの演奏には精密と厳格なまでな正確さが要求されることはよく知られている。でも、それは手段だ。まずは精密で厳格なまでの正確さがなければ、中心和音に潜む不協和音の存在を示すことすら不可能だ。それがない演奏を「ラヴェル」として評価することは、私は疑問に思う。しかし、その当たり前のことを再現するための、そのハードルの何と高いことか。このフランシェスのラヴェルは最高です。(VOL2の方も最高でした)

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 6 people agree with this review
     2010/02/21

    ラヴェルの音楽は難しい。ラヴェルの演奏ではまず精密であることが要求されるが、実はそれだけでは不十分。ラヴェルに必要なものはエスプリ?品性?違う。何故「精密」が要求されるのか、それでは答えにはならない。ラヴェルの曲では、その和音の中心に凝縮した形で不協和音が潜んでいる。それを聴かせてくれなければ私は認めない。ラヴェル演奏のほとんどが退屈なのは、その不協和音を聴かせられないことに起因する。ラヴェルの麻薬的で邪悪とされるテイストは、そのクラスター状になっている不協和音から生ずる。多くの人が「そのようなテイストはわからない」と言うけれど、それは「不協和音のクラスターを聴かせられない演奏が多すぎる」ことが原因です。そのラヴェル作品の不協和音の機能の凄さを聴きたければ、ブールのこの演奏と、ギーレンのインターコード時代の「ラ・ヴァルス」が良い。どちらも文句無く最高。一般的には「チェリのラヴェルが最高」と言われているが、響きと美しさが不協和音の機能を埋没させてしまう彼のラヴェルは、私には物足りない。

    6 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2010/01/16

    我々の記憶装置に巣食う「良い演奏」を望む人に、この録音は絶対に薦めない。ショパンやベートーヴェン時代のフォルテピアノの特徴は低音域、中音域、高音域の音色がバッサリと分かれている。ショパンの作曲に当時の楽器が影響を与えていたと考えることは自然だ。コウリは当時のピアノにそのまま現代的なピアノでの解釈を乗せている(これは戦略だろう)。これが抱腹絶倒のギャグになる。バンジョーとか津軽三味線で奏でられるようなショパンの世界。異常だ。コウリはベートーヴェンの録音もしているが、そちらは曲の本質を的確に射抜いたものだった。しかし現代的な解釈で鳴らされた当時の楽器は、ショパンの場合、醜悪かつコミカルな勘違い演奏になる。さらに現代的な解釈では当時のピアノの持つ現代とは全く違う音域構造と倍音構造を、全く生かせていないことがわかる。結果現代ピアノの演奏から何が抜け落ちて、何が誤解されたのか、この演奏はその問題を突きつけてくる。この録音は変なものを聴きたい人、面白いものを聴きたい人に薦めますが、その奇妙さは、現代的解釈のショパンが、実はとんでもない勘違いの産物ではないかという問題に直結しているところが面白い。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 5 people agree with this review
     2010/01/16

    この演奏の目的はロ短調ソナタを細部まできちんと弾くことだ。「?」と思われる人もいると思うが、これが困難を極める。過去の録音でこの課題を克服した録音は@まずツィメルマン。ピアノのアクションを改造して達成。A現代ピアノでは打鍵困難な部分を、音楽的構造や意味は変えないように楽譜を改編し、怪物的な演奏を可能にしたフェルツマン。Bそして楽譜の指示通りに、表層と速度を打鍵が可能になるように徹底的に吟味し調整した演奏がコレ。ポゴレリチ。リストのソナタを演奏した場合。私が最もゲッソリするのは、第2部分の第1楽句が痩せてペラペラで安っぽく響く演奏だが、この部分の響きが最も素晴らしくかつ痩せて聴こえないのがポゴレリチ。しかも楽譜で指定された音符の高さを、現代楽器そのまま、改造なしで弾ききっている。リストのソナタ録音で鑑賞に堪えうるものは実に少ない。そのほとんどは第2部分の第1楽句が痩せており、安っぽく貧相な響きで全くお話にならない。ところでpianomaniaさんの指摘は確かにその通りなのだが、それでもこの演奏は、この曲の演奏の可能性を開拓した素晴らしいもので、私は評価したい。

    5 people agree with this review

    Agree with this review

  • 7 people agree with this review
     2009/11/25

    以前ヨーロッパを蹂躙した古楽復権のムーヴメント。一定の成果もあったが、自分達の主義主張に反した演奏にとって、それは魔女狩りの世界、集団と権威による暴力そのもの、文化的にはファシズムや文化大革命のそれと大差なかった(メディアの卑劣極まる無知蒙昧な追従も酷かった)。ムーティやサヴァリッシュのような自分の方法を曲げなかった演奏家はアメリカなどに避難した(心底低劣な連中は自らの無能をオーセンティックなどと称する威を借り、ヨーロッパで愚劣演奏を垂れ流し続けたけど)。このような状況もあったのだろうか?この5番は最高の演奏に仕上がっている。ショスタコの演奏にはまるで全体主義的な表層の物語を要求する、作品そのもの以外からの、周辺から押し寄せる暗黙の磁場があるが、ムーティは自らの方法論を貫き、その磁場を排除し、この曲の最高に優れた楽器バランスの1つの在り方を実現。極めて交響楽的な、5番の音楽的な真価が聴ける内容になっている。ショスタコの音楽的魅力を引き出した演奏とは、実は相当に少ない。ムーティは現在世界最高の指揮者の1人に間違いない。

    7 people agree with this review

    Agree with this review

  • 5 people agree with this review
     2009/11/22

    ブル8は細かいフレーズによるブロックを積み重ねた構造になっている。ジュリーニやそれ以前の世代の指揮者は、この曲から何とか旋律を引き出そうと工夫することが多いが、そのような演奏は片っ端から自滅する(作品の構造上あたり前か)。この曲の演奏で比較的成功するのは、分析型、解析型、サウンド追求型などなど和声と旋律以外を重視する演奏に集中しているのが面白い(さらに未だに決定的な演奏が無いのが面白い)。本来曲の構造上成功するはずが無い旋律型で唯一成功しているのがジュリーニの演奏。普通の指揮者は横の線しか歌えないが、この天才はなんと縦の線も鮮やかに歌ってしまう(仰天)。このような場合のBPOの適応力は本当に凄いものです。ちなみに使用楽譜はノヴァーク版。楽譜を全面的に信頼し、1個所たりとも修正をしてないそうです。あらゆる意味で意識の高い演奏。

    5 people agree with this review

    Agree with this review

  • 3 people agree with this review
     2009/11/14

    シオスダコ(ショスタコ)の9番、第3楽章の速度指定はプレスト。作曲者の指定通りの速度での演奏は、ムラヴィンスキ+レニングラードでもできなかった。それを初めてやらせた演奏(メーカーの資料による。でもショルティ+バイエルンとどちらが先なんだろ?)。いずれにせよ、この3楽章を聴くだけでもこの盤を買う価値がある。VPOのアンサンブルがあちこちで悲鳴を上げる寸前まで追い込まれつつも見事に乗り切っている。驚異的な機動力。カップリングが面白い。ベト5。一見凡庸な選曲に見えて、凡庸な指揮者では絶対に選択しないカップリング。18世紀的な勝利への凱歌と20世紀の勝利への凱歌への懐疑。この戦略的なカップリングにより、ベト5の物語は見事に剥奪され、屈折した構造が白日の元に引きずり出されている。そこにVPOの美音を重ねるとはねえ、ショルティも相当な策士だ。見事なまでに屈折したコンセプトアルバム。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2009/11/05

    まだ中学生の頃、初めて買ったクラシックがケンペ&MPOでした。学校の音楽の先生はカラヤンやベームを薦めてくれたし、放課後聴かせてくれたが、当時の自分はケンペとライトナーが大好きでONAIRされた演奏は可能な限り聴きまくった。ケンぺのLPは当時テイテクレコードから安く出ていたので、買ってきて、音楽室の1本50万のスピーカー(ダイヤトーンの高級品:プレーヤーはトリオの高級品でカートリッジはシュアーだった)で聴かせてもらった。その音が忘れられない。少し前スクリベンダムの復刻CDを買った。感心はしたが、あのLPの音に全く適わなかった。今回XRCDに期待したい。表層は穏やかなので、サウンド派からの支持はもう一つだが、論理的なツボの音楽的な意味を鮮やかに聴かせてくれるような演奏が好きな聴き手にとって、ケンぺはアイドルであり最良の音楽家だ。緩やかに全体を俯瞰しつつ終止を目指す過程が最高です。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • 4 people agree with this review
     2009/11/02

    68年の録音。しかし技術的にほとんど完璧な仕上がり。最難関の25−6など、最初フレーズごとに速度を変えてみせつつ、後半はインテンポで最後まで弾ききる。しかも相当な速度。各曲の、技巧がしっかりしないと絶対に手が出せない課題にも次々と挑戦し、しかも両手の独立、ニュアンスの表出、少しくすんだ音色のスタインウェイの選択など、全くレベルが高い。10−6や25−7を速めに弾く解釈も気に入っている。日本の某評論家さんは、ポリーニ盤の登場まで練習曲集の音符を完璧に再現したものは無かったと書いていたが、それは間違い。ブラウニングの録音がある。これほどのレベルの高い演奏が何故黙殺されているのか?それは「アメリカ人の弾くショパンはたいしたことない」という誤った偏見によるものだ。このような偏見は許せないと思う。ブラウニングには大量の未発表録音がある。それらのレベルも高い。これほどの演奏家を黙殺することはもったいない。

    4 people agree with this review

    Agree with this review

  • 3 people agree with this review
     2009/10/30

    レニーを楽しむなら絶対にDVD=映像付きが良い。私のような構造と終止が気になる聴衆にとって、音だけでレニーを聴くと、過剰なディフォルメや作品の構造や可能性とは別方向の演出・様式の破壊等の行為に、説明を求めたくなる。ところがレニーの場合、実演で見ると(レニーを鑑賞する場合は、絶対に指揮者が良く見える前の方の席が良かった)表情・動きから彼のやりたいことが実に良く分かるし納得できたのだ。「私はこうしたいから、このような音を要求する」その方法が、作品に適合するしないの議論を超えて、1人の人間の主張と視点をリアルに体験できる。例えばシベリウスはこれほど濃厚でエンタメで様式がグシャグシャな作曲家ではない。しかし映像が入ると「この方法なら必然的にこの音響になるなあ」と分かるから面白い。パフォーマンスとしての演奏を楽しむ。その視点からなら間違いなく最高。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 8 people agree with this review
     2009/10/12

    ハイドンでソステヌート・ペダルを適切に使用する。それがこの演奏の核心であり、価値だ。ハイドンのような古典派を演奏する場合、ペダルの使用は様式の幅で制限される。普通は明解なテクスチャを聴かせるために、指で鍵盤を押し込んだままにして(もしくは楽譜に無い音の鍵盤を打鍵しないように押し込んでおいて)ペダルの代用をするが、ハイドンのソナタには物理的にフィンガーペダルが使えない部分がある。そこをどう工夫するかが解釈の聴かせどころだが、ブレンデルはそれをソステヌート・ペダルで解決してしまう。この方法に世界中のプロが仰天した。過去の歴史を紐解いても誰も思いつかなかった方法。というよりブレンデル以外は誰も思いつかなかっただろう。ハイドン演奏解釈史に残る画期的な大名盤。個人的にはフィリップスでのプレスの音の方が好みだ。

    8 people agree with this review

    Agree with this review

Showing 16 - 30 of 52 items