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Review List of つよしくん 

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  • 1 people agree with this review
     2011/09/17

    セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏がいかに凄まじいものであったのかが理解できる一枚だ。このコンビによる全盛時代の演奏は、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器が奏でるように聴こえるという、「セルの楽器」との呼称をされるほどの鉄壁のアンサンブルを誇っていた。米国においては、先輩格であるライナーを筆頭に、オーマンディやセル、そして後輩のショルティなど、オーケストラを徹底して鍛え抜いたハンガリー人指揮者が活躍しているが、オーケストラの精緻な響きという意味においては、セルは群を抜いた存在であったと言っても過言ではあるまい。もっとも、そのようなセルも、オーケストラの機能性を高めることに傾斜した結果、とりわけ1960年代半ば頃までの多くの演奏に顕著であるが、演奏にある種の冷たさというか、技巧臭のようなものが感じられなくもないところだ。本盤におさめられた演奏も、そうしたセルの欠点が顕著であった時期の演奏ではあるが、楽曲がマーラーやウォルトン、そしてストラヴィンスキーといった近現代の作曲家によるものだけに、セルの欠点が際立つことなく、むしろセルの美質でもある鉄壁のアンサンブルを駆使した精緻な演奏が見事に功を奏していると言える。特に、冒頭におさめられたマーラーの交響曲第10番は二重の意味で貴重なものだ。セルはそもそもマーラーの交響曲を殆ど録音しておらず、本演奏のほかは、1967年にライヴ録音された第6番しか存在していない(その他、歌曲集「子供の不思議な角笛」の録音(1969年)が存在している。)。加えて、第10番については、定番のクック版ではなく、現在では殆ど採り上げられることがないクレネク版が採用されているところである。アダージョのみならず第3楽章に相当するプルガトリオを収録しているのも貴重であり、加えて演奏が精緻にして緻密な名演であることに鑑みれば、セルは、録音の数は少なくても、マーラーに対して一定の理解と愛着を抱いていたと言えるのではないだろうか。ウォルトンのオーケストラのためのパルティータやストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」は、いずれも非の打ちどころがない名演であり、クリーヴランド管弦楽団による一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使して、複雑なスコアを明晰に音化することに成功し、精緻にして華麗な演奏を展開していると言える。とりわけ、組曲「火の鳥」の「カスチェイ王の凶暴な踊り」においては、セルの猛スピードによる指揮に喰らいつき、アンサンブルにいささかも綻びを見せない完璧な演奏を展開したクリーヴランド管弦楽団の超絶的な技量には、ただただ舌を巻くのみである。いずれにしても、本盤におさめられた演奏は、全盛期にあったセル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠の圧倒的な名演と高く評価したい。音質は、今から50年前のスタジオ録音だけに、従来CD盤ではいささか不満の残るものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的な高音質であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の精緻さを味わうには望み得る最高のものであったと言える。数年前には、本Blu-spec-CD盤も発売されたが、当該SACD盤には到底敵し得ないところだ。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、仮に中古CD店で購入できるのであれば、多少高額でも是非とも購入をおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/17

    アバドの指揮する独墺系の作曲家による楽曲については、そのすべてが名演とされているわけではないが、その中で、メンデルスゾーンについては、既に録音された演奏のすべてが名演との評価を得ている数少ない作曲家であると言える。本盤には、アバドが1980年代にロンドン交響楽団とともに録音(1984、1985年)したメンデルスゾーンの交響曲全集からの抜粋である、交響曲第3番と第4番がおさめられている。アバドは、本演奏の約20年前の1967年にも、ロンドン交響楽団とともに交響曲第3番及び第4番を録音(英デッカ)しており、それも当時気鋭の指揮者として人気上昇中であった若きアバドによる快演であったが、本演奏の方が円熟味など様々な点からしてもより素晴らしい名演と言えるだろう。また、アバドは1995年にも、ベルリン・フィルとともに交響曲第4番をライヴ録音(ソニークラシカル)しており、それは実演ならではの熱気溢れる豪演に仕上がっていることから、第4番に限っては、1995年盤の方をより上位に置きたいと考える。それはさておき本演奏についてであるが、本演奏の当時のアバドは最も輝いていた時期であると言える。ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するアバドではあるが、この時期(1970年代後半から1980年代にかけて)に、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団、そしてウィーン・フィルなどと行った演奏には、音楽をひたすら前に進めていこうとする強靭な気迫と圧倒的な生命力、そして持ち前の豊かな歌謡性が融合した比類のない名演が数多く存在していたと言える。本盤の演奏においてもそれは健在であり、どこをとっても畳み掛けていくような気迫と力強い生命力に満ち溢れているとともに、メンデルスゾーン一流の美しい旋律の数々を徹底して情感豊かに歌い抜いていると言えるところであり、その瑞々しいまでの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。重厚さにはいささか欠けているきらいがないわけではないが、これだけ楽曲の美しさを堪能させてくれれば文句は言えまい。いずれにしても、本盤の演奏は、アバドが指揮した独墺系の音楽の演奏の中では最高峰の一つに位置づけられる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は本従来CD盤でも十分に満足できる高音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが、本従来CD盤よりも音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。アバドによる素晴らしい名演をできるだけ良好な音質で聴きたいという方には、SHM−CD盤の方の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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     2011/09/17

    アバドの指揮する独墺系の作曲家による楽曲については、そのすべてが名演とされているわけではないが、その中で、メンデルスゾーンについては、既に録音された演奏のすべてが名演との評価を得ている数少ない作曲家であると言える。本盤には、アバドが1980年代にロンドン交響楽団とともに録音(1984、1985年)したメンデルスゾーンの交響曲全集・序曲集からの抜粋である、交響曲第3番と第4番、そして序曲「フィンガルの洞窟」がおさめられている。アバドは、本演奏の約20年前の1967年にも、ロンドン交響楽団とともに交響曲第3番及び第4番を録音(英デッカ)しており、それも当時気鋭の指揮者として人気上昇中であった若きアバドによる快演であったが、本演奏の方が円熟味など様々な点からしてもより素晴らしい名演と言えるだろう。また、アバドは1995年にも、ベルリン・フィルとともに交響曲第4番をライヴ録音(ソニークラシカル)しており、それは実演ならではの熱気溢れる豪演に仕上がっていることから、第4番に限っては、1995年盤の方をより上位に置きたいと考える。それはさておき本演奏についてであるが、本演奏の当時のアバドは最も輝いていた時期であると言える。ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するアバドではあるが、この時期(1970年代後半から1980年代にかけて)に、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団、そしてウィーン・フィルなどと行った演奏には、音楽をひたすら前に進めていこうとする強靭な気迫と圧倒的な生命力、そして持ち前の豊かな歌謡性が融合した比類のない名演が数多く存在していたと言える。本盤の演奏においてもそれは健在であり、どこをとっても畳み掛けていくような気迫と力強い生命力に満ち溢れているとともに、メンデルスゾーン一流の美しい旋律の数々を徹底して情感豊かに歌い抜いていると言えるところであり、その瑞々しいまでの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。重厚さにはいささか欠けているきらいがないわけではないが、これだけ楽曲の美しさを堪能させてくれれば文句は言えまい。併録の序曲「フィンガルの洞窟」も、交響曲と同様のアプローチによる美しさの極みとも言うべき演奏に仕上がっていると言えるだろう。いずれにしても、本盤の演奏は、アバドが指揮した独墺系の音楽の演奏の中では最高峰の一つに位置づけられる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、アバドによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/09/17

    アシュケナージは、ハイティンクなどと同様に賛否両論が分かれる指揮者であると言えるが(ピアニストとしても)、アシュケナージに厳しい評価をするクラシック音楽ファンでも、ラフマニノフの演奏に関しては高い評価をする者も多いと言えるのではないだろうか。ベートーヴェンやブラームスの交響曲においては、過不足のない演奏を行ってはいるものの、今一つ踏み込み不足の感が否めないアシュケナージではあるが、ラフマニノフの楽曲を指揮する際には(そして、ピアニストとしてピアノ演奏する際には)、正に大芸術家に変貌すると言っても過言ではあるまい。ラフマニノフと同様に旧ソヴィエト連邦から亡命をしたロシア人であり、ピアニストであるという同じような経歴を有するということが、アシュケナージのラフマニノフへの深い愛着とともに畏敬の念に繋がっているとも考えられるところだ。アシュケナージが指揮したラフマニノフの交響曲や管弦楽曲、協奏曲、合唱曲、そしてピアニストとして演奏した協奏曲やピアノ曲については、相当数の膨大な録音が存在しているが、いずれも素晴らしい名演であり、それらに優劣を付けるのは困難であると言える。最新のシドニー交響楽団との交響曲・管弦楽曲全集(2007年)については、シドニー交響楽団の技量が必ずしも万全とは言い難いことから、他の演奏と比較すると今一つの出来と言えるが、それでもアシュケナージの指揮は万全であり、総体として名演との評価に揺らぎはないと言えるところだ。本盤には、ラフマニノフが自称最高傑作と評していた合唱交響曲「鐘」を軸に、6つの合唱曲、カンタータ「春」、そして3つのロシアの歌がおさめられているが、ラフマニノフに私淑するアシュケナージならではの圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。アシュケナージは、合唱交響曲「鐘」を、1980年代前半にもコンセルトヘボウ・アムステルダムとともにスタジオ録音を行っており、それも名演ではあったが、私としては、後述の音質面をも含めて総合的に勘案すると、本演奏の方をより上位に掲げたい。そして、同曲には、デュトワやポリャリンスキーなどによる演奏以外に目ぼしい演奏が乏しいことに鑑みれば、本演奏こそは、同曲演奏史上最高の超名演との評価もあながち言い過ぎではあるまい。アシュケナージによる本演奏は、テンポの緩急、表情づけの巧みさ、ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた旋律の歌わせ方、壮麗にして重厚な迫力のすべてにおいて、これ以上は求め得ないような見事な演奏を繰り広げていると言える。このように述べると、あたかもとある影響力の大きい某音楽評論家がアシュケナージを貶す際に使用する「優等生的な演奏」のように思われるきらいもないわけではないが、アシュケナージの演奏の場合は、アシュケナージがラフマニノフの本質をしっかりと鷲掴みにしているため(というよりも、アシュケナージがラフマニノフ自身と化しているため)、本演奏こそが同曲演奏の理想像の具現化のように思われてならないと言えるところだ。これは、バーンスタインがマーラーの交響曲や歌曲を演奏する時と同様であるとも言えるだろう。正に、指揮者と作曲家の幸福な出会いというのが、本演奏を超名演たらしめた最大の要因であると考えられる。3つのロシアの歌、6つの合唱曲、そしてカンタータ「春」についても、合唱交響曲「鐘」と同様のことが言えるところであり、ラフマニノフの音楽を自らの血とし肉としたアシュケナージならではの圧倒的な超名演と高く評価したい。アシュケナージの指揮の下、豊穣で極上の美を誇る弦楽合奏をベースとした渾身の名演奏を繰り広げたチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。マリーナ・シャーグチ(ソプラノ)、イリヤ・レヴィンスキー(テノール)、そしてセルゲイ・レイフェルクス(バリトン)の各独唱陣や、プラハ・フィルハーモニー合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。6つの合唱曲におけるアシュケナージのピアノ演奏の素晴らしさは、もはや言わずもがなである。音質は、従来CD盤でもDSDレコーディングということもあって極めて良好なものと言えるが、ベストの音質は、同時期に発売されたシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACD盤であると言える。何よりも、マルチチャンネルが付いていることもあって、音質の極上の鮮明さに加えて音場に圧倒的な臨場感があるのが大きなメリットであると考えられる。2000年代初頭に発売されたオクタヴィアのSACD盤はいずれも超優秀な高音質録音揃いであり、近年のHQ方式によるSACD盤など、到底及ばないと言えるだろう。もっとも、当該SACD盤は現在では廃盤であるが、可能であれば、中古CD店などで購入されることを是非ともおすすめしておきたい。

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  • 2 people agree with this review
     2011/09/17

    セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏がいかに凄まじいものであったのかが理解できる一枚だ。このコンビによる全盛時代の演奏は、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器が奏でるように聴こえるという、「セルの楽器」との呼称をされるほどの鉄壁のアンサンブルを誇っていた。米国においては、先輩格であるライナーを筆頭に、オーマンディやセル、そして後輩のショルティなど、オーケストラを徹底して鍛え抜いたハンガリー人指揮者が活躍しているが、オーケストラの精緻な響きという意味においては、セルは群を抜いた存在であったと言っても過言ではあるまい。もっとも、そのようなセルも、オーケストラの機能性を高めることに傾斜した結果、とりわけ1960年代半ば頃までの多くの演奏に顕著であるが、演奏にある種の冷たさというか、技巧臭のようなものが感じられなくもないところだ。本盤におさめられた演奏も、そうしたセルの欠点が顕著であった時期の演奏ではあるが、楽曲がマーラーやウォルトン、そしてストラヴィンスキーといった近現代の作曲家によるものだけに、セルの欠点が際立つことなく、むしろセルの美質でもある鉄壁のアンサンブルを駆使した精緻な演奏が見事に功を奏していると言える。特に、冒頭におさめられたマーラーの交響曲第10番は二重の意味で貴重なものだ。セルはそもそもマーラーの交響曲を殆ど録音しておらず、本演奏のほかは、1967年にライヴ録音された第6番しか存在していない(その他、歌曲集「子供の不思議な角笛」の録音(1969年)が存在している。)。加えて、第10番については、定番のクック版ではなく、現在では殆ど採り上げられることがないクレネク版が採用されているところである。アダージョのみならず第3楽章に相当するプルガトリオを収録しているのも貴重であり、加えて演奏が精緻にして緻密な名演であることに鑑みれば、セルは、録音の数は少なくても、マーラーに対して一定の理解と愛着を抱いていたと言えるのではないだろうか。ウォルトンのオーケストラのためのパルティータやストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」は、いずれも非の打ちどころがない名演であり、クリーヴランド管弦楽団による一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使して、複雑なスコアを明晰に音化することに成功し、精緻にして華麗な演奏を展開していると言える。とりわけ、組曲「火の鳥」の「カスチェイ王の凶暴な踊り」においては、セルの猛スピードによる指揮に喰らいつき、アンサンブルにいささかも綻びを見せない完璧な演奏を展開したクリーヴランド管弦楽団の超絶的な技量には、ただただ舌を巻くのみである。いずれにしても、本盤におさめられた演奏は、全盛期にあったセル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠の圧倒的な名演と高く評価したい。音質は、今から50年前のスタジオ録音だけに、従来CD盤ではいささか不満の残るものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的な高音質であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の精緻さを味わうには望み得る最高のものであったと言える。数年前には、本Blu-spec-CD盤も発売されたが、当該SACD盤には到底敵し得ないところだ。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、仮に中古CD店で購入できるのであれば、多少高額でも是非とも購入をおすすめしておきたいと考える。

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  • 8 people agree with this review
     2011/09/16

    これは素晴らしい超名演だ。アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の1970年代〜1980年代にかけて、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団とともに数々の演奏を繰り広げていた時期というのが大方の見方であるが、本盤の演奏はその頂点にも位置づけてもいいくらいの至高の超名演と高く評価したい。冒頭のボレロからして、とてつもない気迫と強靭な生命力が漲っていると言える。加えて、アバドの歌謡性豊かな指揮ぶりは健在であり、主旋律をこれ以上は求め得ないような豊かな情感を込めて歌い抜いていると言える。そして終盤に向けて畳み掛けていくようなエネルギッシュな高揚感は圧巻の迫力を誇っており、あまりの演奏の壮絶さに終結部にはロンドン交響楽団の団員の絶叫(この表現が適切か否かについては議論の余地があるが、とりあえず本レビューではこの表現を使用させていただくこととする。)までが記録されているほどだ。この自然発生的な絶叫は、アバドの許可を得て敢えてそのままにしたということであり、これはアバド自身が本盤の会心の超名演の出来にいかに満足していたかの証左であると言えるだろう。スペイン狂詩曲も素晴らしい。同曲特有のむせ返るようなスペイン風の異国情緒満載の各旋律を、アバドは徹底して歌い抜いており、その極上の美しさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。各曲の描き分けの巧さも卓抜したものがあり、これはオペラを得意としたアバドの真骨頂とも言えるだろう。そして、祭りの終結部のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と強靭な生命力はボレロと同様であり、あまりのド迫力に完全にノックアウトされてしまうほどだ。バレエ「マ・メール・ロワ」と亡き王女のためのパヴァ―ヌは一転して繊細な抒情が際立っていると言える。それでいて、アバドは弱音を重視するあまり演奏が薄味になるというようなことにはいささかも陥っておらず、どこをとっても内容の濃さと持ち前の歌謡性の豊かさを損なっていないのが素晴らしい。いずれにしても、こうして本盤全体を聴き終えると、この当時のアバドがいかに凄みのある名演奏を繰り広げていたかがよくわかるところであり、ベルリン・フィルの芸術監督にマゼールを差し置いてアバドが選出されたのも十分に理解できるところだ。アバドの統率の下、ラヴェルの管弦楽曲に相応しいフランス風の洒落た味わいのある名演奏を繰り広げたロンドン交響楽団に対しても大きな拍手を送りたい。音質については、従来CD盤でも十分に良好なものであったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。もっとも、アバドが最も輝いていた時代の圧倒的な超名演であり、同時期にアバドがロンドン交響楽団とともにスタジオ録音した他のラヴェルの管弦楽曲集などとともに、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化をしていただくことをこの場を借りて強く要望しておきたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/09/16

    本盤には、ブーレーズがクリーヴランド管弦楽団とともにスタジオ録音(DG)したストラヴィンスキーの三大バレエ音楽のうち、「春の祭典」と「ペトルーシュカ」がおさめられている(「火の鳥」はシカゴ交響楽団との演奏)。そして、「春の祭典」については、ブーレーズは本演奏も含め3度にわたって録音を行っている。最初の録音はフランス国立放送交響楽団との演奏(1964年)であり、次いでクリーヴランド管弦楽団との演奏(1969年)があり、そして本演奏(1991年)へと続くことになる。他方、「ペトルーシュカ」については、ブーレーズは本演奏も含め2度録音を行っており、本演奏(1991年)は、ニューヨーク・フィルとの演奏(1971年)に続くものである。「春の祭典」については、何と言っても前述の1969年盤の衝撃が現在においてもなお忘れることができない。当該演奏は徹頭徹尾、ブーレーズならではの個性が全開の快演であったと言える。思い切った強弱の変化や切れ味鋭い強烈なリズムを駆使するなど、これ以上は求め得ないような斬新な解釈を施すことによって、ストラヴィンスキーによる難解な曲想を徹底的に鋭く抉り出しており、その演奏のあまりの凄まじさには戦慄を覚えるほどであった。「ペトルーシュカ」についても、1971年盤は、正に若き日の脂が乗り切ったブーレーズならではの先鋭的な超名演であった。したがって、ブーレーズの個性が全開の圧倒的な超名演ということになれば、両曲ともに旧録音である1969年盤、1971年盤の方を第一に掲げるべきであると考えるが、本盤におさめられた演奏も、それらの旧盤と比較するとインパクトは落ちるものの、立派な名演とは言えるのではないだろうか。ブーレーズの芸風は、1990年代に入ってDGに自らのレパートリーを再録音するようになってからは、かつての前衛的なアプローチが影を潜め、すっかりと好々爺となり、比較的オーソドックスな演奏をするようになってきたように思われる。もちろん、スコアリーディングについてはより鋭さを増しているものと思われるが、当該指揮によって生み出される音楽は比較的聴きやすいものに変容しており、これはまさしくブーレーズの円熟のなせる業ということになるのではないだろうか。したがって、いわゆる普通の演奏になってしまっているとも言えるところであり、ブーレーズならではの強烈な個性が随分と失われてきていると言えるが、徹底したスコアリーディングに基いて、その精緻さをさらに突き詰めるとともに、豊かな情感をも加味した円熟の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。ブーレーズの指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルで鉄壁の名演奏を繰り広げたクリーヴランド管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。音質については、従来CD盤でも十分に良好なものであったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。ブーレーズによる円熟の名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/15

    カラヤン&ベルリン・フィルは、CD3枚にもわたるヨハン・シュトラウスT世及びU世、ヨゼフ・シュトラウスが作曲した主要なウィンナ・ワルツ集をスタジオ録音(1980年)したが、本盤はその中から特に有名な楽曲を抜粋したものをおさめている。カラヤンは、ウィンナ・ワルツを得意としており、若い頃から何度も録音を行ってきた。私の手元にあるものを調べてみても、古くは1946〜1949年(EMI)や1959年(英デッカ)のウィーン・フィルとのスタジオ録音、そして、1966年及び1969年(DG)、1975年(EMI)と本盤(1980年)のベルリン・フィルとのスタジオ録音、さらにはウィーン・フィルとのニューイヤーコンサート(1987年ライヴ)と相当点数にのぼっているところだ。その他にもまだまだありそうな気がするが、これらの演奏は、いずれも素晴らしい名演に仕上がっていると言える。1940年代や1959年のウィーン・フィルとの演奏は、若き日のカラヤンならではの颯爽とした装いの名演であると言えるし、最晩年の1987年盤は、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ならではの味わい深さが際立った超名演であると言えるところだ。そして、その間に挟まれたベルリン・フィルとの演奏は、本盤の演奏も含め、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが成し遂げた圧倒的な音のドラマが構築されていると言えるだろう。カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代〜1970年代であるというのが一般的な見方であり、この時期の演奏は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。1982年にザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係には修復不可能なまでの亀裂が生じ、この黄金コンビによる演奏にもかつてのような輝きが一部を除いて殆ど見られなくなるのであるが、1966年盤や1969年盤、1975年盤、そして本盤にしても、いずれもこの黄金コンビの全盛時代における超絶的な名演奏を堪能することが可能であると言える。もっとも、ウィンナ・ワルツらしさという意味においては、その前後の演奏、すなわち1959年のウィーン・フィルとの演奏、または1987年のニュー・イヤー・コンサートにおける演奏の方を上位に掲げたいと考える(本盤の演奏で言えば、ラデッキー行進曲の生真面目さや常動曲の愉悦性の無さなど、もう少し何とかならないのかとも思われるところだ。)が、これだけの圧倒的な音のドラマを構築した本盤や1966年盤、及び1969年盤、そして1975年盤との優劣は容易にはつけられないと考える。そして、本盤、1975年盤、そして1966年盤及び1969年盤の比較については、録音会場(ベルリン・イエス・キリスト教会VSベルリン・フィルハーモニーザール)、ティンパニ奏者(テーリヒェンVSフォーグラー)、DGとEMIの音質の違いなど様々な相違点が存在しているが、いずれも高いレベルでの比較の問題であり、あとは好みで選ぶしかあるまい。音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明になるとともに、若干ではあるが音場がより幅広くなったように思われる。いずれにしても、カラヤンによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/09/14

    近年ではやや低調気味であるチョン・ミュンフンであるが、1990年代の演奏はどれも凄かった。正に飛ぶ鳥落とす勢いというものであったところであり、ドヴォルザークの交響曲第7番やショスタコーヴィチの交響曲第4番など、現在でもそれぞれの楽曲の演奏史上でもトップの座を争う圧倒的な名演を成し遂げていたと言えるところだ。本盤におさめられたベルリオーズの幻想交響曲も、絶好調のチョン・ミュンフンによる圧倒的な超名演であると言える。それどころか、同曲の他の指揮者による超名演、例えばミュンシュ&パリ管弦楽団による演奏(1967年ライヴ)やクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏(1965年ライヴ)、クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団による演奏(1963年)などに肉薄する至高の超名演と高く評価したい。チョン・ミュンフンは、同時期の他の録音でもそうであったが、オーケストラから色彩感溢れる響きを引き出すのに長けていると言える。管弦楽法の大家でもあったベルリオーズの幻想交響曲は、その光彩陸離たる華麗なオーケストレーションで知られているが、チョン・ミュンフンのアプローチとの相性は抜群であり、本演奏では、同曲のオーケストレーションの魅力を最大限に表現し尽くすのに成功しており、後述のような強靭な迫力一辺倒の演奏には陥っておらず、精緻さや繊細ささえ感じさせる箇所もあるほどだ。そして、チョン・ミュンフンは、スタジオ録音であっても実演と変わらないような生命力に満ち溢れた大熱演を展開するのが常々であるが、本演奏でもその熱演ぶりは健在であり、切れば血が噴き出てくるような熱き生命力に満ち溢れていると言える。第4楽章が大人し目なのがいささか不満ではあるが、第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて、アッチェレランドなどを駆使しつつ猛烈に畳み掛けていくような気迫や強靭さは圧倒的な迫力を誇っていると言えるだろう。とりわけ、終楽章終結部の圧倒的な高揚感は、聴き手の度肝を抜くのに十分な圧巻の凄みを湛えていると言える。チョン・ミュンフンは、第1楽章の提示部の繰り返しを行っているが、いささかも冗長さを感じさせないのは、それだけ本演奏の内容が充実しているからに他ならないと言えるだろう。併録の歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲や序曲「ローマの謝肉祭」も、エネルギッシュな力感と色彩感溢れる華麗さ、そして繊細さをも兼ね備えた圧倒的な超名演だ。チョン・ミュンフンの圧倒的な指揮に、一糸乱れぬアンサンブルで精緻さと力強さを兼ね備えた見事な名演奏を繰り広げたパリ・バスティーユ管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。音質は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明に再現されるとともに、若干ではあるが音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、チョン・ミュンフンによる超名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/09/13

    これはアバド&ベルリン・フィルが成し遂げた最高の名演の一つと言えるのではないだろうか。アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前の1970年代から1980年代にかけて、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと様々な名演を繰り広げていた時期であるというのが大方の見方だ。ところが、そのようなアバドも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しくなり、一部の例外を除いてはそれまでとは別人のような凡庸な演奏を繰り広げるようになってしまった。そして、アバドは芸術監督退任直前に大病を患うことになったが、大病克服後は、皮肉にも演奏に深みと凄みが加わり、現代を代表する真の大指揮者としての地位を確立するに至っていると言えるところだ。本盤におさめられたチャイコフスキーの管弦楽曲集は、アバドがベルリン・フィルの芸術監督に着任して数年後のライヴ録音(1994〜1996年)であり、正に前述の低迷期の演奏であると言えるが、本盤の演奏はその例外とも言えるような素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。本盤におさめられた楽曲は、幻想曲「テンペスト」を除き、いずれも前任者であるカラヤンがベルリン・フィルとともに名演を成し遂げたものであると言える。しかしながら、アバドのアプローチはカラヤンとは全く異なるものであると言えるだろう。カラヤンが、重厚にして華麗ないわゆるカラヤン・サウンドを駆使して、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築したが、アバドの演奏にはそのような重厚さであるとか華麗さなどとは全く無縁であると言える。むしろ、ベルリン・フィルの各楽器セクションのバランスを重視するとともに、チャイコフスキーの作曲した甘美な旋律の数々を徹底して歌い抜いていると言える。要は、オーケストラを無理なくバランス良く鳴らすとともに、豊かな歌謡性を付加した美演というのが、本盤のアバドの演奏の特徴であると言える。そして、このような演奏をベースとして、アバドは、オペラ指揮者において培ってきた演出巧者ぶりを存分に発揮して、各楽曲の聴かせどころのツボを心得た心憎いばかりの明瞭な演奏を展開しているところだ。もっとも、本演奏は、ライヴ録音ということも多分にあると思うが、楽曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力も有していると言えるところであり、前述のようにカラヤンによる重厚な演奏とはその性格を大きく異にするものの、剛柔のバランスにおいてもいささかも不足はないと言える。いずれにしても、本盤の演奏は、必ずしも順風満帆とは行かなかったアバド&ベルリン・フィルが成し遂げた数少ない名演として高く評価したいと考える。音質については、本従来CD盤でも十分に良好なものであるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。アバドによる素晴らしい名演をより鮮明な音質で味わいたいという聴き手には、SHM−CD盤の方の購入をおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/13

    これはアバド&ベルリン・フィルが成し遂げた最高の名演の一つと言えるのではないだろうか。アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前の1970年代から1980年代にかけて、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと様々な名演を繰り広げていた時期であるというのが大方の見方だ。ところが、そのようなアバドも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しくなり、一部の例外を除いてはそれまでとは別人のような凡庸な演奏を繰り広げるようになってしまった。そして、アバドは芸術監督退任直前に大病を患うことになったが、大病克服後は、皮肉にも演奏に深みと凄みが加わり、現代を代表する真の大指揮者としての地位を確立するに至っていると言えるところだ。本盤におさめられたチャイコフスキーの管弦楽曲集は、アバドがベルリン・フィルの芸術監督に着任して数年後のライヴ録音(1994〜1996年)であり、正に前述の低迷期の演奏であると言えるが、本盤の演奏はその例外とも言えるような素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。本盤におさめられた楽曲は、幻想曲「テンペスト」を除き、いずれも前任者であるカラヤンがベルリン・フィルとともに名演を成し遂げたものであると言える。しかしながら、アバドのアプローチはカラヤンとは全く異なるものであると言えるだろう。カラヤンが、重厚にして華麗ないわゆるカラヤン・サウンドを駆使して、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築したが、アバドの演奏にはそのような重厚さであるとか華麗さなどとは全く無縁であると言える。むしろ、ベルリン・フィルの各楽器セクションのバランスを重視するとともに、チャイコフスキーの作曲した甘美な旋律の数々を徹底して歌い抜いていると言える。要は、オーケストラを無理なくバランス良く鳴らすとともに、豊かな歌謡性を付加した美演というのが、本盤のアバドの演奏の特徴であると言える。そして、このような演奏をベースとして、アバドは、オペラ指揮者において培ってきた演出巧者ぶりを存分に発揮して、各楽曲の聴かせどころのツボを心得た心憎いばかりの明瞭な演奏を展開しているところだ。もっとも、本演奏は、ライヴ録音ということも多分にあると思うが、楽曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力も有していると言えるところであり、前述のようにカラヤンによる重厚な演奏とはその性格を大きく異にするものの、剛柔のバランスにおいてもいささかも不足はないと言える。いずれにしても、本盤の演奏は、必ずしも順風満帆とは行かなかったアバド&ベルリン・フィルが成し遂げた数少ない名演として高く評価したいと考える。音質については、従来盤でも十分に良好なものであったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。アバドによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/12

    本盤には、デュメイがピリスと組んで1997〜2002年にかけてスタジオ録音を行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集のうち、最も有名な第5番「春」と第9番「クロイツェル」がおさめられている。全10曲の録音に5年もの長期間を要したということは、デュメイ、そしてピリスがいかに慎重を期してベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの演奏・録音に望んだのかを伺い知ることが可能だ。常々のデュメイのヴァイオリン演奏は超個性的であると言える。持ち前の超絶的な技量をベースに、緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、思い入れたっぷりの濃厚な表情づけや、時としてアッチェレランドなども駆使するなど、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開しており、その躍動感溢れるとともに伸びやかで情感豊かな表現は、即興的で自由奔放と言ってもいいくらいのものだ。しかしながら、本演奏では、楽曲がベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタだけに、その片鱗を感じさせる箇所は散見されるものの、どちらかと言えば他の楽曲の演奏のような奔放さは影を潜めていると言えるのではないだろうか。むしろ、演奏全体の基本的なスタンスとしては、真摯に、そして精緻に楽想を描いていくのに徹しているようにさえ感じられる。しかしながら、スコアの音符の表層をなぞっただけの薄味な演奏にいささかも陥っておらず、各フレーズの端々にはフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが満ち溢れており、このような演奏全体を支配している気品と格調の高さは、フランス人ヴァイオリニストでもあるデュメイの真骨頂であると言えるだろう。そして、かかるセンス満点のデュメイのヴァイオリン演奏の魅力を、より一層引き立てているのがピリスによる名演奏であると言える。常々のピリスのピアノ演奏は、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで曲想を美しく描き出していくというものであり、シューベルトやショパンなどの楽曲においてその実力を十二分に発揮していると言えるが、本盤のベートーヴェンの演奏においては、そうした繊細な美しさにとどまらず、強靱さや重厚さも垣間見られるところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた堂々たるピアニズムを展開していると言えるだろう。そして、ピリスの場合は、いかなるフォルテシモに差し掛かっても、一音一音に独特のニュアンスが込められるとともに、格調の高さをいささかも失うことがないのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、様々な同曲の演奏の中でも、フランス風のエスプリ漂う洒落た味わいや格調の高い美しさを湛えた素晴らしい名演と高く評価したい。音質は、従来盤でも十分に満足できるものであったが、今般のSHM−CD化によって、デュメイのヴァイオリンの弓使いやピリスのピアノタッチがより鮮明に再現されるとともに、音場がより一層幅広くなったように思われる。いずれにしても、デュメイ、そしてピリスによる至高の名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/09/11

    本盤にはビゼーの「アルルの女」組曲と「カルメン」組曲がおさめられている。本盤の演奏は、カラヤンがこれらビゼーの2大有名管弦楽曲を手兵ベルリン・フィルとともに行った演奏としては、1970年盤に続いて2度目のスタジオ録音ということになる。本演奏は、一般的な意味においては、十分に名演の名に値すると言えるであろう。もっとも、1970年の演奏があまりにも素晴らしい超名演であったため、当該演奏と比較すると本盤の演奏はいささか落ちるということについて先ずは指摘をしておかなければならない。カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代、そして1970年代というのが一般的な見方であると考えられるところだ。この黄金コンビによる同時期の演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そして雷鳴のようなティンパニの轟きなどが鉄壁のアンサンブルの下に一体化した完全無欠の凄みのある演奏を繰り広げていた。そして、カラヤンは、ベルリン・フィルのかかる豪演に流麗なレガートが施すことによって、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。しかしながら、1982年にザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係には修復不可能なまでの亀裂が生じ、この黄金コンビによる演奏にもかつてのような輝きが一部の演奏を除いて殆ど聴くことができなくなってしまった。本盤におさめられた演奏は1982〜1984年にかけてのものであり、これは両者の関係が最悪の一途を辿っていた時期でもあると言える。加えてカラヤン自身の健康悪化もあって、本盤の演奏においても、いささか不自然なテンポ設定や重々しさを感じさせるなど、統率力の低下が顕著にあらわれていると言えなくもないところだ。したがって、カラヤンによるこれらの楽曲の演奏を聴くのであれば、前述のようにダントツの超名演である1970年盤の方を採るべきであると考える。もっとも、本演奏においては、とりわけ緩徐箇所における情感豊かな旋律の歌わせ方などにおいて、晩年のカラヤンならではの味わい深さがあると言えるところだ。そして、管弦楽曲の小品の演奏におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さにおいては、本演奏においてもいささかも衰えが見られないところであり、総じて本演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、本従来盤でも十分に良好な音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。カラヤンによる名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/11

    本盤にはビゼーの「アルルの女」組曲と「カルメン」組曲がおさめられている。本盤の演奏は、カラヤンがこれらビゼーの2大有名管弦楽曲を手兵ベルリン・フィルとともに行った演奏としては、1970年盤に続いて2度目のスタジオ録音ということになる。本演奏は、一般的な意味においては、十分に名演の名に値すると言えるであろう。もっとも、1970年の演奏があまりにも素晴らしい超名演であったため、当該演奏と比較すると本盤の演奏はいささか落ちるということについて先ずは指摘をしておかなければならない。カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代、そして1970年代というのが一般的な見方であると考えられるところだ。この黄金コンビによる同時期の演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そして雷鳴のようなティンパニの轟きなどが鉄壁のアンサンブルの下に一体化した完全無欠の凄みのある演奏を繰り広げていた。そして、カラヤンは、ベルリン・フィルのかかる豪演に流麗なレガートが施すことによって、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。しかしながら、1982年にザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係には修復不可能なまでの亀裂が生じ、この黄金コンビによる演奏にもかつてのような輝きが一部の演奏を除いて殆ど聴くことができなくなってしまった。本盤におさめられた演奏は1982〜1984年にかけてのものであり、これは両者の関係が最悪の一途を辿っていた時期でもあると言える。加えてカラヤン自身の健康悪化もあって、本盤の演奏においても、いささか不自然なテンポ設定や重々しさを感じさせるなど、統率力の低下が顕著にあらわれていると言えなくもないところだ。したがって、カラヤンによるこれらの楽曲の演奏を聴くのであれば、前述のようにダントツの超名演である1970年盤の方を採るべきであると考える。もっとも、本演奏においては、とりわけ緩徐箇所における情感豊かな旋律の歌わせ方などにおいて、晩年のカラヤンならではの味わい深さがあると言えるところだ。そして、管弦楽曲の小品の演奏におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さにおいては、本演奏においてもいささかも衰えが見られないところであり、総じて本演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。カラヤンによる名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/11

    ミスターミュージック(カラヤンが悪意なくバーンスタインにつけた綽名)として、指揮者としてだけではなく作曲家としても多種多様な活動をしたバーンスタインであるが、作曲家バーンスタインの最高傑作としては、何と言っても「ウェスト・サイド・ストーリー」を掲げるというのが一般的な考え方ではないだろうか。本盤におさめられている演奏は、バーンスタインが、ブロードウェイ内外の一流のミュージシャンを特別に編成して1984年にスタジオ録音を行ったものであるが、「ウェスト・サイド・ストーリー」の演奏史上最高の超名演と高く評価したい。それは、もちろん自作自演であるということもあるが、それ以上にバーンスタインの指揮が素晴らしいと言えるだろう。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。このような晩年の芸風に適合した楽曲としては、何よりもマーラーの交響曲・歌曲、そしてシューマンの交響曲・協奏曲が掲げられるところだ。そして、米国の作曲家による楽曲についても、そうした芸風がすべてプラスに作用した名演の数々を成し遂げていたと言えるだろう。したがって、本盤のような自作自演に至っては、バーンスタインの正に独壇場。水を得た魚のようなノリノリの指揮ぶりで、圧倒的な名演奏を繰り広げていると言える。テンポについてはおそらくは遅めのテンポなのであろうが、自作自演だけにこのテンポこそが必然ということなのであろう。そして、濃厚にして彫の深い表現は、同曲の登場人物の心象風景を鋭く抉り出していくのに大きく貢献しており、どこをとっても非の打ちどころがない完全無欠の演奏に仕上がっていると言える。独唱陣も、きわめて豪華なキャスティングになっており、とりわけマリア役のキリ・テ・カナワとトニー役のホセ・カレーラスの名唱は、本超名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質については、かつてマルチチャンネル付きのSACD盤で発売されていたと記憶するが、現在では入手難である。本従来盤は私も所有しており、それも十分に良好な音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、バーンスタインによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤での発売を切に要望しておきたいと考える。

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