please enable JavaScript on this site.
Guest
Platinum Stage
Gold Stage
Bronze Stage
Regular Stage
Buy Books, CDs, DVDs, Blu-ray and Goods at HMV&BOOKS online
Advanced Search
TOP > My page > Review List of つよしくん
Previous Page
Next Page
Showing 601 - 615 of 1958 items
%%header%%
%%message%%
2 people agree with this review 2011/07/31
本盤には、チョン・ミュンフン&ウィーン・フィルによるドヴォルザークの交響曲第6番及び第8番がおさめられている。このうち、第6番についてはチョン・ミュンフンにとってはじめての録音ということになるが、他方、第8番については、エーテボリ交響楽団との演奏(1989年)以来2度目の録音ということになる。いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。それにしても、この当時のチョン・ミュンフンの演奏は凄かった。最近では、その芸風に円熟味が加わったものの、やや元気がないチョン・ミュンフンではあるが、1980年代後半から1990年代にかけては、本演奏を含め圧倒的な名演の数々を成し遂げていたと言えるだろう。本演奏におけるチョン・ミュンフンは、この時期の他の演奏にも共通しているが、ひたすら曲想を前に進めていこうという気迫と、灼熱のように燃え上がる情熱に裏打ちされた圧倒的な生命力に満ち溢れていたと言える。それ故に、テンポは若干早めのものであると言えるが、それでいて演奏が上滑りになったり、薄味の演奏に陥るということはいささかもなく、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしいと言える。また、チョン・ミュンフンは必ずしもインテンポに固執しているわけではない。一聴すると、音楽はやや早めのテンポでごく自然に滔々と進行していくが、随所においてテンポを微妙に変化させたり、はたまた格調の高さをいささかも損なうことなく個性的な表情づけを行ったりするなど、演奏の密度の濃さには尋常ならざるものがあると言える。そして、本演奏をさらに魅力的なものにしているのは、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏であると言えるだろう。チョン・ミュンフンの音楽性豊かな指揮の下、極上の美演を展開したウィーン・フィルに対しても大きな拍手を送りたいと考える。チョン・ミュンフンは、ウィーン・フィルとともに既にドヴォルザークの交響曲第3番及び第7番の録音(1995年)を行っているが、本演奏以後は録音が途絶えているところである。本演奏の素晴らしい出来具合などに鑑みれば、チョン・ミュンフンには是非ともウィーン・フィルとともに、ドヴォルザークの交響曲全集を完成させて欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあるが、チョン・ミュンフンによる素晴らしい名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。
2 people agree with this review
Agree with this review
15 people agree with this review 2011/07/31
本盤におさめられたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、ケンプが2度にわたってスタジオ録音した全集のうち、1960年代半ばに行った2度目のステレオによるものであるが、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は現在でもかなり数多く存在しており、とりわけテクニックなどにおいては本全集よりも優れたものが多数あると言えるが、現在においても、本全集の価値はいささかも色褪せていないと考える。本全集におけるケンプのピアノは、いささかも奇を衒うことがない誠実そのものと言える。ドイツ人ピアニストならではの重厚さも健在であり、全体の造型は極めて堅固であると言える。また、これらの楽曲を熟知していることに去来する安定感には抜群のものがあり、その穏やかな語り口は朴訥ささえ感じさせるほどだ。しかしながら、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる滋味に溢れる温かみには抗し難い魅力があると言えるところであり、これは人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ケンプだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。同時期に活躍していた同じドイツ人ピアニストとしてバックハウスが存在し、かつては我が国でも両者の演奏の優劣についての論争が繰り広げられたものであった。現在では、とある影響力の大きい某音楽評論家による酷評によって、ケンプの演奏はバックハウスを引き合いに著しく貶められているところである。確かに、某音楽評論家が激賞するバックハウスによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集についてはいずれの楽曲も素晴らしい名演であり、私としてもたまに聴くと深い感動を覚えるのであるが、体調が悪いとあのような峻厳な演奏に聴き疲れすることがあるのも事実である。これに対して、ケンプの演奏にはそのようなことはなく、どのような体調であっても、安心して音楽そのものの魅力を味わうことができると言える。私としては、ケンプの滋味豊かな演奏を聴衆への媚びと決めつけ、厳しさだけが芸術を体現するという某音楽評論家の偏向的な見解には到底賛成し兼ねるところである。ケンプによる名演もバックハウスによる名演もそれぞれに違った魅力があると言えるところであり、両者の演奏に優劣を付けること自体がナンセンスと考えるものである。録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、数年前に発売された、本全集から有名な4曲を抜粋したSHM−CD盤が現時点ではベストの音質であると考えられる。しかしながら、当該SHM−CD盤は現在入手難であり、4曲以外のピアノ・ソナタについてはSHM−CD化すらされていないという嘆かわしい現状にある。いずれのピアノ・ソナタもケンプならではの素晴らしい名演でもあり、今後は本全集についてSHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。
15 people agree with this review
4 people agree with this review 2011/07/31
本盤には、ケンプが1960年代半ばにスタジオ録音した二度目のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集から抜粋した有名な4曲がおさめられている。いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。これらの4曲をおさめたCDは現在でもかなり数多く存在しており、とりわけテクニックなどにおいては本演奏よりも優れたものが多数あると言えるが、現在においても、本演奏の価値はいささかも色褪せていないと考える。本演奏におけるケンプのピアノは、いささかも奇を衒うことがない誠実そのものと言える。ドイツ人ピアニストならではの重厚さも健在であり、全体の造型は極めて堅固であると言える。また、これらの楽曲を熟知していることに去来する安定感には抜群のものがあり、その穏やかな語り口は朴訥ささえ感じさせるほどだ。しかしながら、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる滋味に溢れる温かみには抗し難い魅力があると言えるところであり、これは人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ケンプだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。同時期に活躍していた同じドイツ人ピアニストとしてバックハウスが存在し、かつては我が国でも両者の演奏の優劣についての論争が繰り広げられたものであった。現在では、とある影響力の大きい某音楽評論家による酷評によって、ケンプの演奏はバックハウスを引き合いに著しく貶められているところである。確かに、某音楽評論家が激賞するバックハウスによるベートーヴェンのピアノ・ソナタについてはいずれも素晴らしい名演であり、私としてもたまに聴くと深い感動を覚えるのであるが、体調が悪いとあのような峻厳な演奏に聴き疲れすることがあるのも事実である。これに対して、ケンプの演奏にはそのようなことはなく、どのような体調であっても、安心して音楽そのものの魅力を味わうことができると言える。私としては、ケンプの滋味豊かな演奏を聴衆への媚びと決めつけ、厳しさだけが芸術を体現するという某音楽評論家の偏向的な見解には到底賛成し兼ねるところである。ケンプによる名演もバックハウスによる名演もそれぞれに違った魅力があると言えるところであり、両者の演奏に優劣を付けること自体がナンセンスと考えるものである。録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、数年前に発売されたSHM−CD盤が現時点ではベストの音質であると考えられる。しかしながら、SHM−CD盤は現在入手難であり、4曲以外のピアノ・ソナタについてはSHM−CD化すらされていないという嘆かわしい現状にある。いずれのピアノ・ソナタもケンプならではの素晴らしい名演でもあり、今後はピアノ・ソナタ全集についてSHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。
4 people agree with this review
本盤におさめられたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ムターによる15年ぶり2度目の録音になる。最初の録音は、最晩年のカラヤン、そしてウィーン・フィルとの演奏(1988年ライヴ)であった。当該演奏においても、ムターは決してカラヤンの言いなりになっていたわけではなく、むしろ、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を展開していた。したがって、当該演奏については、巨匠カラヤンによる枯淡の境地をも感じさせる味わい深い名演奏とも相まって、現在においても燦然と輝く名演であると言える。これに対して、本演奏は、ムターの個性が更に深まったと言っても過言ではあるまい。ムターのヴァオリンは、いささかも線の細さを感じさせない骨太の音楽づくりが際立っていると言えるが、これによって、同曲の演奏に必要不可欠な強靭な迫力や豊麗さが過不足なく表現し尽くされていると言えるだろう。そして、同曲の特徴でもあるロシア風の民族色豊かな美しい旋律の数々を、ムターは格調の高さをいささかも不足することなく濃密に歌い抜いており、その妖艶な美しさには聴き手を酔わせるほどの抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、粘ったような奏法や、土俗的とでも言うべき思い切った表情づけを、いささかの格調の高さを失うことなく随所において行っており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開している。このように、音楽のスケールは一段と大きくなるとともに、表情づけなども格段に濃厚になってきており、これはムターの円熟の至芸と言ってもいいのではないだろうか。このような超個性的なムターのヴァイオリンを下支えしているのが、夫君であるプレヴィンとウィーン・フィルであるが、ムターのヴァイオリンを巧みに引き立てるとともに、聴かせどころのツボを心得た名演奏を展開しているのが素晴らしい。他方、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲はプレヴィンの十八番であり、何度も録音を繰り返してきた楽曲ではあるが、現代音楽にしては親しみやすい旋律に満ち溢れた同曲を、ムターは格調の高さを保ちつつ、濃厚なロマンティシズムに満ち溢れた情感豊かな名演奏を展開しているのが素晴らしい。録音は本従来盤でも十分に満足できる音質であるが、ベストの音質はマルチチャンネル付きのSACD盤であると言える。各楽器の位置関係も明瞭になるような臨場感溢れるマルチチャンネル付きのSACDの極上の高音質は、本演奏の価値を更に高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
6 people agree with this review 2011/07/31
6 people agree with this review
3 people agree with this review 2011/07/31
本盤におさめられたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ムターによる15年ぶり2度目の録音になる。最初の録音は、最晩年のカラヤン、そしてウィーン・フィルとの演奏(1988年ライヴ)であった。当該演奏においても、ムターは決してカラヤンの言いなりになっていたわけではなく、むしろ、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を展開していた。したがって、当該演奏については、巨匠カラヤンによる枯淡の境地をも感じさせる味わい深い名演奏とも相まって、現在においても燦然と輝く名演であると言える。これに対して、本演奏は、ムターの個性が更に深まったと言っても過言ではあるまい。ムターのヴァオリンは、いささかも線の細さを感じさせない骨太の音楽づくりが際立っていると言えるが、これによって、同曲の演奏に必要不可欠な強靭な迫力や豊麗さが過不足なく表現し尽くされていると言えるだろう。そして、同曲の特徴でもあるロシア風の民族色豊かな美しい旋律の数々を、ムターは格調の高さをいささかも不足することなく濃密に歌い抜いており、その妖艶な美しさには聴き手を酔わせるほどの抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、粘ったような奏法や、土俗的とでも言うべき思い切った表情づけを、いささかの格調の高さを失うことなく随所において行っており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開している。このように、音楽のスケールは一段と大きくなるとともに、表情づけなども格段に濃厚になってきており、これはムターの円熟の至芸と言ってもいいのではないだろうか。このような超個性的なムターのヴァイオリンを下支えしているのが、夫君であるプレヴィンとウィーン・フィルであるが、ムターのヴァイオリンを巧みに引き立てるとともに、聴かせどころのツボを心得た名演奏を展開しているのが素晴らしい。他方、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲はプレヴィンの十八番であり、何度も録音を繰り返してきた楽曲ではあるが、現代音楽にしては親しみやすい旋律に満ち溢れた同曲を、ムターは格調の高さを保ちつつ、濃厚なロマンティシズムに満ち溢れた情感豊かな名演奏を展開しているのが素晴らしい。録音は従来盤でも十分に満足できる音質であるが、ベストの音質はマルチチャンネル付きのSACD盤であると言える。各楽器の位置関係も明瞭になるような臨場感溢れるマルチチャンネル付きのSACDの極上の高音質は、本演奏の価値を更に高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
3 people agree with this review
8 people agree with this review 2011/07/31
セル&クリーヴランド管弦楽団による数々の演奏は、鉄壁のアンサンブルをベースに、あたかもすべての楽器が室内楽的に融合したかのように聴こえるきわめて精緻なものであったと言える。このような演奏を称して、「セルの楽器」と言われたのも十分に納得できるところだ。しかしながら、そのような鉄壁のアンサンブルを誇る演奏がある種のメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、1960年代半ば頃までの演奏にはそのようなものが散見されたところであった。しかしながら、1960年代後半になると、セルも最晩年になり円熟の境地に達したせいもあると思うが、かかる鉄壁のアンサンブルを維持しつつも、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にある種の自由を与え、より伸びやかな演奏を行うようになったように思われる。特に、EMIに録音したシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」(1970年)やドヴォルザークの交響曲第8番(1970年)はその最たる例と言えるところであり、旧盤に比較して、随分と柔軟さを増した情感豊かな演奏に仕上がっていると言える。本盤におさめられた演奏は、セルの死の2か月前の来日時のコンサートのライヴ録音であるが、いずれも前述のようなセルの最晩年の円熟の至芸を味わうことができる素晴らしい名演と高く評価したい。モーツァルトの交響曲第40番については、セル&クリーヴランド交響楽団によるスタジオ録音(1967年)が存在しているが、演奏の差は歴然。当該スタジオ録音盤では、オーケストラの機能美を全面に打ち出した非常に引き締まった演奏であったのに対して、本演奏では、もちろんクリーヴランド管弦楽団の桁外れの合奏能力を聴くことは可能であるが、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、セルの円熟を感じることが可能な素晴らしい名演に仕上がっていると言える。また、シベリウスの交響曲第2番については、コンセルトへボウ・アムステルダムとのスタジオ録音(1964年)が存在し、オーケストラの違いもあるせいか、セルとしては情感豊かな名演であったことから、本演奏との差異はモーツァルトの場合ほどは大きくないと言える。しかしながら、手兵クリーヴランド管弦楽団の圧倒的な合奏力は、本演奏に独特の緊張感を生み出すとともに、実演ならではの熱気やセル自身の円熟味も加わり、至高の超名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。併録のウェーバーの歌劇「オベロン」序曲やアンコールのベルリオーズのラコッツイ行進曲も、セル&クリーヴランド管弦楽団の黄金コンビによる卓越した至芸を味わうことが可能な超名演だ。録音は、従来盤ではややメカニックな音質であり、満足できる音質とは言い難い面があったが、その後、シングルレイヤーによるSACD盤が発売され、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。これによって、全盛期のセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏の凄みが漸く鮮明に再現されることになったと言える。なお、数年前にBlu-spec-CD盤も発売されそれもなかなかの高音質とは言えるが、SACD盤には到底かなわないところであり、今後、購入される方には多少高額でもSACD盤の購入をお薦めしたいと考える。
8 people agree with this review
7 people agree with this review 2011/07/30
白血病という不治の病を患い、49歳という若さでこの世を去らなければならなかった悲劇の指揮者フリッチャイであるが、米国において鉄壁のオーケストラトレーナーとして君臨した同じハンガリー人指揮者のライナーやセル、オーマンディ、そしてショルティなどとは一線を画するようなヒューマニティ溢れる情感豊かな演奏を行っていたと言える。同じハンガリー人指揮者であったケルテスの海水浴中の不慮の死と同様に、そのあまりにも早すぎる死は、クラシック音楽界にとっても一大損失であったと言える。仮にもう少しフリッチャイが長生きをしていれば、世界の指揮者地図は大きく塗り替えられることになったのではないかとさえ思われるほどだ。本盤におさめられたチャイコフスキーの交響曲第6番は、フリッチャイの死の4年前の演奏だ。既に白血病を発症したフリッチャイが、懸命の闘病生活の中で演奏を行ったものである。それだけに、本演奏にかけたフリッチャイの気迫と執念には並々ならぬものがあったことは容易に想像がつくところだ。本演奏の中に気に入らない箇所(第1楽章の一部)があって、発売自体が録音から30年以上も遅れることになったが、これだけ完成度が高い演奏であるにもかかわらず、更に高みに達した演奏を志向したというところに、フリッチャイという指揮者の偉大さを痛感せざるを得ない。本演奏においても、第1楽章の冒頭の序奏からしてただならぬ雰囲気が漂う。あたかも、間近に迫る死を予見しているかのような不気味さを湛えているところであり、その後は、若干のテンポの変化を交えつつ、一音一音を心を込めて歌い抜き、彫の深い演奏を展開しているところだ。その尋常ならざる心の込め方は、時には慟哭にさえ聴こえるほどであり、あたかも忍び寄る死に対して必死で贖おうとするフリッチャイ自身を彷彿とさせるように思われてならない。全体で50分程度を要するというゆったりとしたテンポによる演奏ではあるが、冗長さを感じさせず、演奏全体の造型もいささかも弛緩することがない。そして、これだけ思い入れたっぷりの渾身の熱演を展開しているにもかかわらず、同曲の演奏において時として見られる陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても格調の高さを失っていないのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、フリッチャイによる遺言とも言うべき至高の超名演であり、同曲の他の指揮者による超名演であるムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏(1960年)、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)とともに三強の一角を占める超名演と高く評価したい。音質については、モノラル録音が大半のフリッチャイの演奏の中では希少にして鮮明なステレオ録音であり、音質的には極めて恵まれていると言える。もっとも、フリッチャイによる最良の遺産の一つであるとともに同曲の最高の超名演の一つでもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。
7 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/07/30
本盤におさめられたメンデルスゾーンの交響曲第4番&第5番は、トスカニーニ&NBC交響楽団による数多くの録音の中でも、レスピーギのローマ三部作と並んでトップの座に君臨する名演と言える。とりわけ交響曲第4番については、様々な指揮者による同曲のあらゆる演奏に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。トスカニーニの演奏にはある種の誤解がなされていると言えるのではないだろうか。その誤解とは、トスカニーニは一切の情緒を差し挟まむことなく、快速のインテンポで素っ気ない演奏をする指揮者であるということだ。しかしながら、本盤も含め、杉本一家氏がリマスタリングを行ったXRCDシリーズを聴くと、それがとんでもない誤解であることがよく理解できるところである。かかる誤解は、以前に発売されていたCDの、きわめて劣悪でデッドな音質に起因するのではないかとも考えられるところだ。それにしても、本盤のようなXRCDによる極上の高音質録音で聴くと、トスカニーニが臨機応変にテンポ設定を行ったり、豊かな情感にもいささかも不足をしていないことがよくわかる。それにしても、特にこの第4番の演奏には凄まじいものがあると言える。演奏全体に漲っている気迫と力強い生命力は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っていると言える。とりわけ、終楽章の終結部に向けての畳み掛けていくような力強さは灼熱のような燃焼度を誇っており、聴いていて手に汗を握るほどだ。また、第2楽章などを中心として随所に聴くことが可能な極上のカンタービレは美しさの極みであり、抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。いずれにしても、本演奏にはトスカニーニの芸術のすべてが表現し尽くされていると言えるところであり、今般のXRCD化によってはじめて本演奏の真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。他方、交響曲第5番も名演であるが、第4番のようにトスカニーニの演奏が随一とは言い難い面がある。しかしながら、第1楽章における圧倒的な高揚感、終楽章における悠揚迫らぬテンポによるスケールの雄大な音楽は、これまでの「快速のインテンポ指揮者トスカニーニ」との誤解を打ち破るのに十分な圧倒的な壮麗さと威容を誇っていると高く評価したい。
5 people agree with this review
とてつもない超名演だ。このような演奏こそは、人類が永遠に持つべき至宝であるとさえ言えるだろう。本演奏におけるホロヴィッツのピアノはもはや人間業を超えているとさえ言える。強靭な打鍵は、ピアノが破壊されてしまうようなとてつもない迫力を誇っているし、同曲の随所に聴くことが可能なロシア風のメランコリックな抒情的旋律の数々においても、ホロヴィッツは心を込めて歌い抜いている。その表現の桁外れの幅の広さは、聴いていてただただ圧倒されるのみである。同曲は、弾きこなすのに超絶的な技量を有することから、ピアノ協奏曲史上最大の難曲であると言われており、ホロヴィッツ以外のピアニストによっても名演は相当数生み出されてはいるが、それらの演奏においては、まずは同曲を弾きこなしたことへの賞賛が先に来るように思われる。ところが、ホロヴィッツの演奏では、もちろん卓越した技量を発揮しているのであるが、いとも簡単に弾きこなしているため、同曲を弾きこなすのは当たり前で、むしろ、前述のように圧倒的な表現力の方に賛辞が行くことになる。このあたりが、ホロヴィッツの凄さであり、ホロヴィッツこそは、卓越した技量が芸術を凌駕する唯一の大ピアニストであったと言えるだろう。人間業を超えた超絶的な技量を有していながら、いささかも技巧臭がせず、楽曲の魅力のみをダイレクトに聴き手に伝えることができたというのは、おそらくは現在においてもホロヴィッツをおいて他にはいないのではないかと考えられるところだ。そして、本演奏を聴いていると、あたかも同曲がホロヴィッツのために作曲された楽曲のような印象を受けるところであり、それ故に、現時点においても、同曲については、ホロヴィッツを超える演奏がいまだ現れていないのではないかとさえ考えられるところだ。ライナー&RCAビクター交響楽団も、このようなホロヴィッツの圧倒的なピアニズムに一歩も引けを取っておらず、感情の起伏の激しい同曲を見事に表現し尽くしているのが素晴らしい。なお、ホロヴィッツによる同曲の超名演としては、オーマンディ&ニューヨーク・フィルをバックにしたライヴ録音(1978年)があり、指揮者はほぼ同格、オーケストラは新盤の方がやや上、録音は新盤がステレオ録音であるが、ホロヴィッツのピアノは本盤の方がより優れており、総合的には両者同格の名演と言ってもいいのではないだろうか。また、本盤でさらに素晴らしいのは、XRCD化によって見違えるような高音質に蘇ったということである。本演奏は今から60年前の録音であり、モノラル録音ならではのレンジの幅の狭さはあるが、ホロヴィッツのピアノがかなり鮮明に再現されており、おそらくは現在望み得る最高の音質に生まれ変わったと言える。いずれにしても、同曲演奏史上最高の超名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。
6 people agree with this review 2011/07/30
エルガーのヴァイオリン協奏曲は、いわゆる4大ヴァイオリン協奏曲や、シベリウス、ブルッフ(第1番)、サン・サーンス(第3番)などのヴァイオリン協奏曲と比較すると、その人気は著しく低いと言わざるを得ない。演奏するのに約50分を要するというヴァイオリン協奏曲史上でも最も規模の大きい作品であることや、弾きこなすのに超絶的な技量を要する難曲であることもあって、録音点数が前述の有名ヴァイオリン協奏曲と比較してあまりにも少ないというハンディがあると言えるが、随所に聴くことが可能な英国風の詩情豊かな名旋律の数々や、ヴァイオリンという楽器の可能性を徹底して追及した技巧上の面白さなど、独特の魅力に満ち溢れており、より一層のポピュラリティを獲得してもいいのではないかとも考えられる傑作であると言える。このような状況から、現在に至るまで主要なヴァイオリニストのレパートリーには必ずしもなっていないところであるが、そのような中で若手女流ヴァイオリニストの旗手の一人でもあるヒラリー・ハーンが同曲を録音してくれたのは何と言う素晴らしいことであろうか。本演奏におけるヒラリー・ハーンのヴァイオリン演奏は、持ち前の卓越した技量を惜しみなく発揮しており、全体に漲る気迫や強靭な生命力においては、男性ヴァイオリニスト顔負けの圧倒的な迫力に満ち溢れていると言える。それでいて、楽曲全体に散りばめられた英国風の詩情豊かな名旋律の数々を心を込めて歌い抜いているが、いささかも感傷的に陥って陳腐なロマンティシズムに堕することなく、常に気品のある格調の高さを失っていないのが素晴らしい。これぞまさしくエルガーの音楽の演奏の理想像の具現化と言えるだろう。ヒラリー・ハーンのこのような強靭な気迫や力強さ、そして格調の高い抒情性を併せ持った至高のヴァイオリン演奏をしっかりと下支えしているのが、デイヴィス&ロンドン交響楽団による名演奏であると考えられる。エルガーのヴァイオリン協奏曲の演奏に際しての指揮者とオーケストラとしては、現代における最高峰の組み合わせと言えるところであり、テンポといい、情感の豊かさといい、スケールの雄大さといい、同曲の演奏に必要なすべての要素を兼ね備えた究極の名演奏を行っていると言える。いずれにしても、本演奏は、ヴァイオリニスト、指揮者、オーケストラの三拍子が揃うとともに、後述のような高音質という要素をも兼ね備えた、同曲史上最高の超名演と高く評価したい。併録はヴォ―ン・ウィリアムズの「あげひばり」であるが、これまた素晴らしい名演だ。本演奏においてもヒラリー・ハーンのヴァイオリン演奏は圧倒的な表現力を示しており、彫の深い情感といい、繊細な抒情的表現の抗し難い美しさといい、これ以上は求め得ないような超絶的な名演奏を披露していると高く評価したい。録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であるが、より素晴らしいのは同時発売のマルチチャンネル付きのSACD盤であると言える。当該SACD盤の臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
5 people agree with this review 2011/07/29
ジュリーニは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」と第9番「ザ・グレート」を得意としており、「未完成」については、フィルハーモニア管弦楽団(1961年)、シカゴ交響楽団(1978年)、そしてバイエルン放送交響楽団(1993年ライヴ)との演奏、「ザ・グレート」については、ロンドン・フィル(1975年ライヴ)、シカゴ交響楽団(1977年)、そしてバイエルン放送交響楽団(1993年ライヴ)との演奏といった数多くの録音が遺されており、いずれ劣らぬ名演と言えるところだ。若き日のフィルハーモニア管弦楽団との演奏やオーケストラの力量にいささか難があるロンドン・フィルとの演奏は別として、本盤のベルリン・フィルとの両曲の演奏は、シカゴ交響楽団との録音とほぼ同じ時期のものであると言える。そして、スタジオ録音とライヴ録音の違いはあるものの、演奏内容としてはほぼ酷似していると言えるのではないだろうか。ジュリーニのこれらの演奏におけるアプローチはきわめて格調が高いものであり、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある優美な極上のカンタービレに満ち溢れた指揮に、堅固な造型と重厚さを兼ね備えたものであると言える。そして、シカゴ交響楽団との演奏と比較して、本演奏の方は、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、その圧倒的な生命力に満ち溢れた迫力においては、そしてベルリン・フィルのドイツ風の重厚な音色の魅力も相まって、シカゴ交響楽団とのスタジオ録音を大きく凌駕していると言える。また、ジュリーニは前述のように、晩年になってバイエルン放送交響楽団とともに両曲を録音しており、テンポがゆったりとした分だけスケールは大きくなっているが、全体の造型にいささか綻びが見られるとともに、若干ではあるが重厚さよりも優美さに傾斜し過ぎている傾向があることから、私としては、本演奏の方をより上位に掲げたい。いずれにしても、本演奏は、ジュリーニによる両曲の数ある演奏の中でも最高の名演と高く評価したいと考える。音質についても、今から30年以上も前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。
3 people agree with this review 2011/07/28
ジュリーニは、録音に際して徹底した完成度を追及して臨んだ完全主義者でもあったことから、大指揮者と称される割には録音の点数、そしてレパートリーも、必ずしも数多いとは言い難いと言える。マーラーの交響曲についても、全曲を演奏しているわけではなく、遺された録音も第1番、第9番、そして「大地の歌」に限られているところだ。このうち、「大地の歌」については、これまでのところベルリン・フィルとのスタジオ録音(1984年)とウィーン・フィルとのライヴ録音(1987年)の2種が発売されていた。本盤の演奏は、ベルリン・フィルとのライヴ録音であるが、これは前述のスタジオ録音の直前のものである。同じベルリン・フィルであることや、独唱陣も同一。そして同じベルリン・フィルハーモニーホールでの録音ということであり、演奏内容も同様かというと、必ずしもそうとは言い切れないところである。確かに、ジュリーニの基本的なアプローチには変更はないと思われるが、スタジオ録音と比較すると本演奏は全体で2分半ほど早くなっており、全体で約60分程度の演奏時間であることに鑑みれば、これはかなりの違いと言えるのではないだろうか。ジュリーニの本演奏におけるアプローチは、例によってきわめて格調が高いものであり、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある優美な極上のカンタービレに満ち溢れた指揮に、堅固な造型と重厚さを兼ね備えたものであると言える。そして、前述のスタジオ録音と比較して、本演奏の方は、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、その圧倒的な生命力に満ち溢れた迫力においてはスタジオ録音を大きく凌駕していると言える。独唱陣も、メゾ・ソプラノのブリギッテ・ファスベンダー、テノールのフランシスコ・アライサともに最高の歌唱を披露しているのも素晴らしい。いずれにしても、本演奏はジュリーニの卓越した指揮芸術を堪能できる至高の名演と高く評価したい。なお、1987年のウィーン・フィル盤との優劣の比較は困難を極めるところであり、ウィーン・フィルならではの美演に鑑みればウィーン・フィル盤の方に軍配を上げたくなるが、当該盤は低音の過度のカットで悪名高いオルフェオレーベルであり、音質面を考慮に入れると両者同格の名演であると考えるところだ。そして、本盤の音質については、今から30年近く前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。
3 people agree with this review 2011/07/27
本盤にはムスルグスキーの組曲「展覧会の絵」とウェーベルンの6つの小品がおさめられているが、これは極めて珍しい組み合わせと言える。ジュリーニは組曲「展覧会の絵」については十八番としており、シカゴ交響楽団(1976年)及びベルリン・フィル(1990年)とともに二度にわたってスタジオ録音を行っている。他方、6つの小品については、スタジオ録音を一度も行っていないが、記録によればジュリーニは1970年代には実演において時として演奏を行っていたとのことである。もっとも、より重要な点は、これら両曲が、当時のベルリン・フィルの芸術監督であったカラヤンによる得意中の得意のレパートリーであったということである。カラヤンは、組曲「展覧会の絵」についてベルリン・フィルとともに2度録音(ライヴ録音を除く)を行っている(1965年、1986年)し、6つの小品に至っては、本演奏の3年前にスタジオ録音(1974年)を行っているところだ。この当時ベルリン・フィルを完全掌握していたカラヤンにとって、自らのレパートリーをベルリン・フィルとともに演奏する指揮者には当然のことながら目を光らせていたはずであり、このような演目による演奏会が実現したということは、カラヤンがジュリーニを信頼するとともに高く評価していたことの証左であると考えられる。また、同時に、ベルリン・フィルがカラヤン色に染まっていた時代に、敢えてそのベルリン・フィルにおいてカラヤン得意のレパートリーである楽曲を演奏したというのは、ジュリーニの並々ならない自信を感じることも可能だ。そして、その演奏内容も我々の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。そもそも、本演奏において、いわゆるカラヤンサウンドを聴くことができないのが何よりも素晴らしいと言える。両曲ともにジュリーニならではの格調が高く、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある優美な極上のカンタービレに満ち溢れた指揮に、ベルリン・フィルの重厚な音色が見事に融合した剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると評価したい。そして、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、とりわけ組曲「展覧会の絵」における圧倒的な生命力に満ち溢れた壮麗な迫力においては、ジュリーニによる前述の1976年盤や1990年盤などのスタジオ録音を大きく凌駕していると言える。ベルリン・フィルの卓抜した技量も本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。録音も今から30年以上も前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。
Back to Top