please enable JavaScript on this site.
Guest
Platinum Stage
Gold Stage
Bronze Stage
Regular Stage
Buy Books, CDs, DVDs, Blu-ray and Goods at HMV&BOOKS online
Advanced Search
TOP > My page > Review List of 一人のクラシックオールドファン
Previous Page
Next Page
Showing 1171 - 1185 of 2357 items
%%header%%
%%message%%
1 people agree with this review 2010/11/27
先ず本盤レビュー欄をお借りして2010/11/26に書き込みましたカラヤン/BPOの「幻想交響曲」演奏のCDでカタログ番号463080及びUCCG4520への文中で記した1964年録音盤の演奏タイムを(@14’05A6’04B16’36C4’37D10’22)に修正いたしたくよろしくおねがいします・・・申し訳ございませんでした。カラヤンの幻想交響曲はいろいろ演奏盤がありますが普通聴けるものとしては次の三盤かと思います。即ち1954年PHO(タイム@14’43A6’23B16’46C4’50D10’44)、1964年BPO(同@14’05A6’04B16’36C4’37D10’22)、1975年BPO(同@14’27A6’20B16’45C4’38D10’47)です。1975年カラヤン67歳頃絶頂期の演奏録音である本盤は、先ず第1楽章「夢と情熱」やや肉厚さを予感させオペラの間奏曲の雰囲気を醸し出します。「間」を取りながらエコーも効かせ華麗にアプローチ。中盤攻めて行く箇所は流石上手いもので最後エピソード的な〆はゆっくりとしています。第2楽章「舞踏会」重いバックにサポートされワルツは息遣いが聴こえるようです。結び目は速めに・・・。第3楽章「野の風景」はややベッタリした感触でその分厚さ故この楽章で味わいたい憂鬱さは乏しいようで要は語り過ぎ。しかし最後の管とティンパニーの遣り取りは緩慢さを武器に不気味さを強調してそれなりに納得してしまいます。第4楽章「断頭台への行進曲」はドスを効かせてスタートさせ本体展開は割りと軽く経過。入り込まず何か一線を隔した感じとなり迫って来ないのも頼りないです。最終楽章「ワルプルギスの夜」はちょっと不自然なエコーのある鐘が気にはなります。全体重々しい運びはBPOサウンドが拍車をかけます。後半叫声と聖歌が不気味に入り混じりクライマックスへ雪崩れ込みますがやっぱり何か突き放した印象は拭えませんでした。好き嫌いは別にしてカラヤンの上手さは認めざるをえない様です。他の演目は未聴ですのでOKランク以上と当面させて下さい。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review
Agree with this review
0 people agree with this review 2010/11/26
カラヤンの幻想交響曲は次の演奏盤がありますが普通聴けるものとしては前の三盤かと思います。1954年PHO(タイム@14’43A6’23B16’46C4’50D10’44)、1964年BPO(同??@14’17A6’07B16’50C4’38D10’26)、1975年BPO(同@14’27A6’20B16’45C4’38D10’47)、1977年BPO(同@13’42A6’12B16’23C4’33D11’58)、1987年BPO(同@14’13A6’23B16’55C4’41D11’11or@14’37A6’42B17’03C5’02D11’37)、1975年カラヤン67歳頃絶頂期の演奏録音である本盤、第1楽章「夢と情熱」やや肉厚さを予感させオペラの間奏曲の雰囲気を醸し出します。「間」を取りながらエコーも効かせ華麗にアプローチ。中盤攻めて行く箇所は流石上手いもので最後エピソード的な〆はゆっくりとしています。第2楽章「舞踏会」重いバックにサポートされワルツは息遣いが聴こえるようです。結び目は速めに・・・。第3楽章「野の風景」はややベッタリした感触でその分厚さ故この楽章で味わいたい憂鬱さは乏しいようで要は語り過ぎ。しかし最後の管とティンパニーの遣り取りは緩慢さを武器に不気味さを強調してそれなりに納得してしまいます。第4楽章「断頭台への行進曲」はドスを効かせてスタートさせ本体展開は割りと軽く経過。入り込まず何か一線を隔した感じとなり迫って来ないのも頼りないです。最終楽章「ワルプルギスの夜」はちょっと不自然なエコーのある鐘が気にはなります。全体重々しい運びはBPOサウンドが拍車をかけます。後半叫声と聖歌が不気味に入り混じりクライマックスへ雪崩れ込みますがやっぱり何か突き放した印象は拭えませんでした。好き嫌いは別にしてカラヤンの上手さは認めざるをえない様です。素晴らしいランクとしておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review
先にレビューされた岩手県の方の気持はよーく分かります。そうです、自分の気分によって聴き分けているというのが実情です。さて、カラヤンの幻想交響曲は次の演奏盤がありますが普通聴けるものとしては前の三盤かと思います。1954年PHO(タイム@14’43A6’23B16’46C4’50D10’44)、1964年BPO(同@14’29A6’19B16’46C4’39D10’53)、1975年BPO(同@14’27A6’20B16’45C4’38D10’47or@14’17A6’07B16’50C4’38D10’26)、1977年BPO(同@13’42A6’12B16’23C4’33D11’58)、1987年BPO(同@14’13A6’23B16’55C4’41D11’11or@14’37A6’42B17’03C5’02D11’37)、1975年カラヤン67歳頃絶頂期の演奏録音である本盤、第1楽章「夢と情熱」やや肉厚さを予感させオペラの間奏曲の雰囲気を醸し出します。「間」を取りながらエコーも効かせ華麗にアプローチ。中盤攻めて行く箇所は流石上手いもので最後エピソード的な〆はゆっくりとしています。第2楽章「舞踏会」重いバックにサポートされワルツは息遣いが聴こえるようです。結び目は速めに・・・。第3楽章「野の風景」はややベッタリした感触でその分厚さ故この楽章で味わいたい憂鬱さは乏しいようで要は語り過ぎ。しかし最後の管とティンパニーの遣り取りは緩慢さを武器に不気味さを強調してそれなりに納得してしまいます。第4楽章「断頭台への行進曲」はドスを効かせてスタートさせ本体展開は割りと軽く経過。入り込まず何か一線を隔した感じとなり迫って来ないのも頼りないです。最終楽章「ワルプルギスの夜」はちょっと不自然なエコーのある鐘が気にはなります。全体重々しい運びはBPOサウンドが拍車をかけます。後半叫声と聖歌が不気味に入り混じりクライマックスへ雪崩れ込みますがやっぱり何か突き放した印象は拭えませんでした。他の演目は未聴ですのでOKランク以上と当面させて下さい。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2010/11/25
デュ・プレの弾くドヴォルザークのチェロ協奏曲録音盤は三種類ほどあり本盤はDG盤と同じということなので偶々私はDG盤演奏を聴いている者ですので(DG盤がHMVカタログには廃盤の為か載っていないこともあり)感想を書き込みします。三種類の演奏とは本盤1967年彼女が22歳の頃チェリビダッケ/SRSOのバック(タイム@16’33A14’12B14’17)、1969年グローヴス/RLPOのバック(済みません・・・トータルタイム42’18内訳は未確認)、そして1970年バレンボイム/CSOのバック(タイム@15’23A13’38B13’34)であり何れも彼女の全力投球ぶりが聴かれますが本盤は今述べた様に一番若い頃あの個性派指揮者との共演ライブ録音であることが注目されます。ライブ故の些細なミスっぽさはありますが何と振幅の大きな演奏なのでしょう。両者の火花散る場面と言うのは平凡だけれどスタートから美しく仕上げようというより各々信ずる軌道を突っ走りながら探って行くような印象を楽章が進む内に受けました。チェリビダッケ自身はあまり協奏曲伴奏とかオペラ指揮とか要は共演者個性を引き立てながらの演奏は前向きではない?みたい(チェリビダッケはこの協奏曲をフルニエその他のチェリスト六〜七人と共演しているとはノートに書いてあります)でヤンチャ娘と如何に対処しているかも聞き耳をそばだてました。第1楽章晩年ほどでなくてもチェリビダッケの前奏指揮はゆっくりと大きい構えをしつつ割となだらかに土俗性は排除して進めます・・・一大管弦楽曲の様です。さて、スリリングな瞬間に近づきまい、たっぷり墨を含ませた大筆を持って襷がけのデュプレが入魂のタッチに入ります。あとはもう勢いあるのみ、中程のオーケストラ全奏の前の迫力ある弾きこみも凄いです・・・ライブならではの感。後半見せる起伏ある寂寥感を経て 「溜め」を充分して〆はスローダウンさせる処はチェリビダッケのいつものスタイル。第2楽章・・・じっくり聴ける実に美しい楽章であることを私はこの演奏で知らされた次第です。弦に添う如くのフルート他管楽器、途中オーケストラ全奏は奥行きを感じさせ二回目の全奏と意趣変化を与えています。せっかちさがなく後半の語る様な集中力の高い渾身のチェロに耳を傾けてしまいます。最終楽章は曲想にも拠りますがやや共演両者の探りが妥協点を見出した感じもしますね。先行の二つの楽章ですっかり出来上がった様で何か求心力に今ひとつ・・・。第1楽章の断片を回想的に拾いながらのパッセージを経て最後のオーケストラ〆はやはりゆっくりながらやや雑になってしまいました・・・お互いお疲れ様といった処。私の聴いたライブ盤は拍手が入っておりませんでした・・・良し悪しといつた処?もう一つの収録曲サン・サーンスの1971年バレンボイム/PPOバックによるチェロ協奏曲(タイム@5’41A5’09B8’32)は聴いておりません・・・1968年の同じバレンボイム指揮のNPHOバックの分(タイム@5’45A6’38B7’44)とどんな違いがあるのでしょうか、タイムだけから判断しても様子が異なる様で又機会があれば聴いてみます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
超絶技巧の現代の美しきミューズとの謳い文句で売り出したアナスタシア、1972年生まれというから例えば日本の諏訪内晶子などと同世代ということになります。比較的身近な存在で彼女は日本のTVでも出演したりCDでは小品集をリリースしたりしていましたが、本盤は彼女にとって最初の大曲への取り組みの演奏録音です。元々ソ連崩壊時を経ているだけに問題意識が高く学術・芸術に造詣も深く中々ルックスや先のリリースCDからは想像出来ない面も持ったヴァイオリニストがチャイコフスキー、メンデルスゾーンを2003年録音したものですがマァこのセット盤は名演がひしめいているだけに今となってはこれらの曲を聴く盤というよりまだ若かった彼女の記念盤という事に近い存在になってしまった感があります。両曲の内ベターなのはやはりチャイコフスキーの様な気がします。バックはロシア物の曲を何枚かCDリリースしているアニシモフ指揮のRSO、演奏タイムは@18’47A6’25B10’47とやや最終楽章が長めという印象はありますが特に過不足感はありません。それより(メンデルスゾーンも同じなのですが)オーケストラがバックに引っ込み過ぎな録音は少し不自然(独奏音と伴奏音とのバランスについては以前極端に独奏音が大きいギター協奏曲演奏盤で問題視された事もあるそうです)ながら逆にナヨナヨしない彼女のロシア雰囲気がもろに伝わってカデンツァでもじっくり聴かせる効果をもたらせてはおります。第1楽章の半ばオーケストラ全奏の処は先に述べた様にバック過ぎなのと比較的速めなのをどう聴くか?第2楽章はナヨナヨせずにロシア的憂愁さに迫ります。最終楽章の最後の畳みかけはオーケストラが少し粗い感じがしました。しかし本盤絶対的評価としてチャイコフスキーの方は素晴らしいランクには入れたいですね。片やメンデルスゾーンはオーケストラは同じですが指揮が名トレイナーであるトカチェンコに替わっての演奏、タイムは@13’35A8’35B6’31と第1,2楽章はややじっくり展開してはおりますが彼女のヴァイオリンが線が太くそのストレートさも特徴。やや粗いオーケストラ、第1楽章や最終楽章の詰めでちょっと個性的に勿体をつけた生々しいクロージングを示すのは面白いですが全体でマア「こんなものかなぁ」という感じでした。結果トータルでOK以上ということにさせて下さい。しかしミーハーに戻って本当にこのジャケット写真の彼女はロシア美人ですねぇ・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2010/11/24
1981年ショルティが69歳の時VPOを振って演奏録音した大曲「グレイト」です。ショルティらしい曖昧さのないがっちりした剛直な押し強い演奏です。指揮の強引さとVPOサウンドが適度にブレンドされ録音の良さも手伝って聴き易くはありましたがVPO或いは作品の持つふくよかさは軽減されてしまっております。第1楽章幾分肉厚な感じのホルンからスタート、弦が明確な枠取りをしてストレートに展開します。押し強さは最後まで引っ張って行きマァこれでもいいかと納得させられます。第2楽章も通常演奏より強気、弱弱しさなど無縁。それでもマーチ風の合間での遣り取りにはふと情感が漂います、最後の〆は意外と長く引っ張ります。第3,4楽章もショルティらしい活発さに満ちています。最終第4楽章は反復演奏(詳しくはありませんが反復の入りもいろいろあるのですね)されてはいますがとにかく節度を保ちながらドンドン有無言わせず進みます。しかし最後の間際〆でそのこれまでのやや一本調子さを免ずるごとく音を抜くのは少し唐突と思いました。演奏タイムは@13’53A15’22B9’59C15’57であります。なお、併録のジークフリート牧歌は1965年録音(タイム18’30)です。仕様改善での音は期待されますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2010/11/24
過去から何度も意匠、仕様を変えてお勤めした定番位置のワルター/コロムビアSOのベートーベンは語り尽くされた名演で且つ私にはホッとする面があります(本盤両曲とも1958年録音)。「運命」は昔から聴き慣れた第1楽章最初の運命の扉動機のフェルマータはワルター特有のものでさりとて決して深刻ではありません。最終楽章の〆などのゆっくりした引っ張りも独特でこの調子で行くとタイム的に長いのかなと思うと「さにあらず」でむしろ短い・・・全体としては平均タイム・・「運命」の曲を聴く上で何を期待?するかにより評価は微妙ですが私の年代では冒頭記したように無形の財産として貴重です。ワルターは運命に挑んでいくスタイルではなく運命に身を託す一つの楽観性に根ざしているのではないのかなとも常々感じてはおります。第1楽章などは所謂反復演奏はされていないのでタイム的には@6’25A10’50B5’47C9’37と平均結果に繋がる一要因となっております。第6番「田園」については他の同曲盤で触れた通りで基本的には1939年?VPO盤とスタイルは変わっておりませんがコロムビアSOの少し軽やかさとワルターのとろけそうな甘さが加わったようにも感じていますが実に丁寧に楽章を進めて行き彼の田園(@9’52A11’55B5’41C3’42D9’41)を聴き終わりますと何かホッとした安堵感を自然と抱く次第です。手の内は自明であり全体の演奏アプローチスケールはそう大層なものではなく響きもこのオーケストラの独特な明るさがこの曲への感慨を助長する様です。第4楽章から第5楽章への移ろい、第5楽章の最後の感謝平安のエンディングには他演奏家に更に上手さを発見するのも事実ですが全体として両曲演奏自体については既に述べた様にもうお馴染のもので私は躊躇せず何れの盤も「最高」盤ランクにしています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
4 people agree with this review 2010/11/24
過去から何度も意匠、仕様を変えてお勤めした定番位置のワルター/コロムビアSOのベートーベンは語り尽くされた名演で且つ私にはホッとする面があります(本盤両曲とも1958年録音)。「運命」は昔から聴き慣れた第1楽章最初の運命の扉動機のフェルマータはワルター特有のものでさりとて決して深刻ではありません。最終楽章の〆などのゆっくりした引っ張りも独特でこの調子で行くとタイム的に長いのかなと思うと「さにあらず」でむしろ短い・・・全体としては平均タイム・・「運命」の曲を聴く上で何を期待?するかにより評価は微妙ですが私の年代では冒頭記したように無形の財産として貴重です。ワルターは運命に挑んでいくスタイルではなく運命に身を託す一つの楽観性に根ざしているのではないのかなとも常々感じてはおります。第1楽章などは所謂反復演奏はされていないのでタイム的には@6’22A10’48B5’48C9’31と平均結果に繋がる一要因となっております。第6番「田園」については他の同曲盤で触れた通りで基本的には1939年?VPO盤とスタイルは変わっておりませんがコロムビアSOの少し軽やかさとワルターのとろけそうな甘さが加わったようにも感じていますが実に丁寧に楽章を進めて行き彼の田園(@9’58A12’05B5’46C3’43D9’54)を聴き終わりますと何かホッとした安堵感を自然と抱く次第です。手の内は自明であり全体の演奏アプローチスケールはそう大層なものではなく響きもこのオーケストラの独特な明るさがこの曲への感慨を助長する様です。第4楽章から第5楽章への移ろい、第5楽章の最後の感謝平安のエンディングには他演奏家に更に上手さを発見するのも事実ですが全体として両曲演奏自体については既に述べた様にもうお馴染のもので躊躇せず「最高」盤ランクにします。 ワルター/コロムビアSOによるステレオ録音の「癖」は如何ともし難い面もありテープヒスというのか高音での独特の耳触りは別として非常にクリヤーに臨場感?が増した様で平林氏の制作姿勢が更にバリューアップされていると思いました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
4 people agree with this review
6 people agree with this review 2010/11/23
確かに開演前に指揮のバーンスタインが「冒険として提示したい・・・」とコメントした様に曲運びは遅いです(タイム@25’55A13’47B13’41)。1962年、グールド30歳、バーンスタイン48歳頃の個性のぶつかり合うライブ・モノラル録音盤であります。ブラームスPC1は青春の屈託がどう表現されるかを私はポイントとして聴いています。第1楽章オーケストラも必ずしも万全ではなくゴツゴツ感の節くれだった出だしは決して綺麗事で終わらせない印象的な感じ、このゆっくりした足取りがモノラル録音と相俟ってある凄みを利かせます。ピアノが入ってそのタッチは特に分散音にオドロオドロした粘っこさを見せ先述の「屈託性」が充分、コーダでのピアノ、オーケストラも歩調は重く最後は引き伸ばします。時々挿入されるホルンが明るい救いの手を差し伸べてくれます。第2楽章は繊細なリリシズムが魅力的、そして楽器そのものが本当に鳴っている有様が分かります。最終楽章もやや重い足取りでNYPOのアンサンブルも怪しい時も・・・しかしそんな事は問題外。抒情的なカデンツァを経てフィナーレは共に融合し合って終わります。曲の閉じ前から拍手が入りライブの雰囲気が演奏中の聴衆会場音と共によく伝わってこの曲のユニークな位置付け演奏盤として素晴らしいランクにしたいですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
6 people agree with this review
1 people agree with this review 2010/11/22
マゼールの後任としてCLOを受け持ったドホナーニは特にセル時代に出来上がったCLOの強靭なアンサンブルを活かして更に磨きをかけて行った指揮者ですが何となく「線」の細い指揮者である印象を拭えなくなって久しいです。その創り出す音楽は決して線が細いわけではないのに・・・そう主張が我々凡人にはつかみ切れないもどかしさも有るようです。本盤ブラームス交響曲第1番は1986年ドホナーニ57歳頃の演奏録音で演奏タイムは@13’53A9’13B4’30C16’41と心持ちほんの少しだけ全体速い気もしますが聴いていてそれは感じません。この第1番はブラームス交響曲の中ではドホナーニ演奏アプローチに比較的合っている方かと思います。決してハツタリはないし従って新鮮さに耳をたてる事もないのですがその正攻さに彼の真面目を汲み取れます。情感・・・特にブラームスの屈託面を表現する面・・・より勝利に向かって行く曲故かドホナーニの直截さが効を奏しているのかも知れません。第1楽章は厳しい出だしと申せましょう。そして展開部ではこの曲の構築性をきっちり押える様に固く踏みしめてゆっくり進みます。中間部でのピークへの足がかりも単に勢いで行くのではなくコントロールが効いています。CLOのアンサンブルの妙が味わえます。聴き様によってはモタモタしている様に聴こえるかもしれません。第2楽章、私が普段この楽章で覚える冗長さは感じません、そうコンパクトなイメージで演奏自体の真面目さを語ってくれます。第3楽章は活発ながらソフトな面も出した独特の雰囲気で聴き終えると中々引き締まっていたかなと・・・。いよいよ最終楽章出だしから数分経てホルンの宣声が上がる直前の駆け込みサウンドは特徴あります。例の歓喜テーマ名から展開へはティンパニーの拍子取りが適度なアクセントとなって覇気ある演奏となっています。やや次々と曲想を「処理」して行く風に聴こえるかもしれませんが最後ビシッと決めやや引っ張り気味に終わります。地味な演奏ですが奇を衒わない安心して聴ける演奏ですね。面白さが分かるには少し時間が要るのかもしれません。「悲劇的序曲」(演奏タイム13’32)は縁取り鮮やかにこれも情感豊かにダメ押ししての終わりの畳みかけはギリシャ彫刻的で素晴らしいですが底から突き上げて来るもう一歩が欲しい気もしました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2010/11/21
バッハ・トランスクライブド(2008年録音)で閃きある演奏が私には印象深かったグリモーがまだ28歳の1997年、当時はもう指揮界の御大であったザンデルリング(当時85歳)の振るSKBをバックに演奏したブラームスP協奏曲第1番のライブ録音でこの青年の屈託的な音楽を若いグリモーが女性としてどこまで聴く側の私にフィットしてくれるかが注目の盤でありました。結果的にはライブ故もあって若干のタイミングミスも手伝って中々リアルな出来上がりになっており好感を持ちました。要は女性だからといって決してなよっとしたものではなく、しかし細部まで立体的に丁寧に運んでおり彼女自身がブラームスとの相性を是としている事が肯けます。バックの特に第1楽章前奏のゆったりとした少し粘り気と凄みを宿した演奏が指揮者とこの悲劇的曲想について充分調整された彼女のアプローチを際立たせた様にも思います。本楽章終わりのコーダもゆっくりと攻めて行きます。第2楽章は内省的な美しい「祈り」的な感じです、この楽章が終わると通例的に即最終楽章に突入します。テンポとしては速めで前楽章とのコントラストを強調。感情的に前のめり気味にはなっていますが次第に透明感を増して冒頭の前奏からの推移が手に取る様に分かります。演奏タイムとしては@23’48A13’27B11’50と第3楽章の速さが特徴となつています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2010/11/20
1981年ショルティが69歳の時VPOを振って演奏録音した大曲「グレイト」です。ショルティらしい曖昧さのないがっちりした剛直な押し強い演奏です。指揮の強引さとVPOサウンドが適度にブレンドされ録音の良さも手伝って聴き易くはありましたがVPO或いは作品の持つふくよかさは軽減されてしまっております。第1楽章幾分肉厚な感じのホルンからスタート、弦が明確な枠取りをしてストレートに展開します。押し強さは最後まで引っ張って行きマァこれでもいいかと納得させられます。第2楽章も通常演奏より強気、弱弱しさなど無縁。それでもマーチ風の合間での遣り取りにはふと情感が漂います、最後の〆は意外と長く引っ張ります。第3,4楽章もショルティらしい活発さに満ちています。最終第4楽章は反復演奏(詳しくはありませんが反復の入りもいろいろあるのですね)されてはいますがとにかく節度を保ちながらドンドン有無言わせず進みます。しかし最後の間際〆でそのこれまでのやや一本調子さを免ずるごとく音を抜くのは少し唐突と思いました。演奏タイムは@13’53A15’22B9’59C15’57であります。なお、併録のジークフリート牧歌は1965年録音(タイム18’30)です。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2010/11/19
1960年クレンペラー75歳の時のPHOを振ってのブルックナー交響曲第7番原典版録音演奏であります。この第7番に限らずクレンペラーはブルックナーを演奏するにあたってカトリック要素の微妙さを包んでしまって純音楽としての面を強調しているように思います。ただその辺り仕様スコアとの兼ね合いもあって小生などの確信の程は怪しいものです。演奏タイムは@19’48A21’57B9’38C13’40と第1楽章の性急さが少し目だつようです。この第1楽章で先の「純音楽・・・」云々という心象を得てしまいますね。とにかく難しく考えないで明確なラインを描きつつこの曲の持つ優美な美しさには逆らわずある意志力を感じます。後半神秘的靄の中からいち早く端緒を見つけコーダへ結び付けて行きます。第2楽章はワグナーの死に関連した動機が込められた楽章で主に二つの平易な哀悼的テーマが交互に絡み合い昇華していく様は単に情緒纏綿な演奏とは片付けられない程、そして黄昏を思わせるホルンと弦が収斂を繰り返す様は素晴らしいです。第3楽章スケルツォは途中弱音を瞬間噛ませ「溜め」を作りますが私自身は弱音ではなく勢いを突っ走ってもらいたかったです、しかしこの楽章の違う面を聴いた感じです。第1楽章の愛想無さから次第に盛り上がって最終楽章はスタートでアゴーギグを多用するなどブルックナー的「間」も効果的です。終盤へのテーマをチラつかせながら歩幅を大きくとってブルックナーアプローチでのフィナーレの格調の高さ、そしてPHOの融通ある対応ぶりにも注目しました。本盤の仕様にも期待できますね。クレンペラーの第7番録音は他にも1956年BRSO、1958年BPOライブ、1966年NDRSOがあるそうで機会があれば聴きたいです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2010/11/18
普段あまり聴かないシューマンのヴァイオリン・ソナタ・・・、三曲作品があるらしく何れも短調ベースという中々渋い内省的なものの内本盤は第1番、第2番を1985年クレーメル(ヴァイオリン)、アルゲリッチ(ピアノ)という極めての個性派がぶつかり合って主張と協調を織り成して演奏収録したものです。私は第1番の方をオーボエ、ピアノで長らく聴いていたものですからどうしても第1番(タイム@7’21A4’06B4’59)の方を簡潔な室内楽の楽しみということで特に重点的に本盤でも聴きました。力強さと情熱的な内容の第1楽章、最後のコーダの醍醐味は個性派の二人で更に増長!ホッとする歌謡風の穏やかな第2楽章を経て最終楽章はスタート駆け込みで即展開部へ・・・。分かっていても緊迫感溢れる掛合いに続く最後の強い終わり方には思わずため息が出ました。果たしてシューマンのソナタでこんなに派手な演奏はどうかなとも感じたのですがそのパーフォーマンスで作品が際立ち中途半端にしていない処は流石お二人さんですね。第2番は第1番よりやや晦渋な作品で高い次元での演奏を聴きとらなければなりません。第1楽章、切り込み鋭くゆるりとした序奏から一転主題の執拗な徹底的な追及に終始します。第1番でも感じたのですがピアノは最早単なる伴奏から脱した感じ。二つのトリオを持つ活発な第2楽章、ヴァイオリンのピチカートから静かなコラールに移行して行く第3楽章を通って短調の底固さを堅持した最終楽章はややマトマリにはもう一歩ですが演奏の方は相変わらず(第2番の演奏タイムは@12’43A4’36B5’52C8’33)。なお、この第2番にはこの二人による演奏が約二十年を経た2006年ライブ録音されたもの(演奏タイムは@12’38A4’38B6’23C9’14)もあり彼らの変化も聴き比べしてみたいですね。いずれにしても本盤についてまぁ演奏される機会がそう多いとは思われないこれらの曲にスポットをあてた演奏とはなっていますが本来の味わいからどうかな?・・・しかしシューマン作品はもっと見直さなければ・・・(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2010/11/17
1980年代初めに立ち上げられたロッケンハウス音楽祭の仲間達グループがクレーメルを要に1987年に収録したシューベルトの八重奏曲で曲自体は当時のクラリネット名人だった○○伯の為にベートーヴェンの七重奏曲を手本に・・・尤もベートーヴェンの作品もモーツァルトの何重奏曲を踏襲したものらしいですが・・・書かれたものです。マァ、シューベルトらしい曲想の繰りかえし(グレイト交響曲の様な天国的繰りかえし?)が各楽章あり正直私は苛立つ時もありますが本盤はメンバーが夫々個性あるプレイヤーでややダルイ曲?の中に少しでも緊張感を如何に見出せるかが私には焦点でありました。結果としては可もなく不可もなくといった処でやはり曲自体幾種類の演奏盤を揃えて聴き比べまでしようとは思わない現状私のレベルであることを再認識した次第です。演奏タイムは@14’55A11’05B6’01C11’24D6’37E11’10と過不足ありません。第1楽章落ち着いた雰囲気が混沌とした推移を見せ次に管主導でアレグロに移って転調を噛ませて時には緊迫感もはらませますが一つのテーマの繰りかえしに終始。アダージオ的につかみどころの無いものの穏やかな気分での第2楽章、トリオを挟んだ第3楽章、変奏方式の第4,5楽章を経て最終楽章は不安を煽る様な弦の出だし・・・この辺り「未完成」交響曲を連想しました・・・からそれを基調として明るみを帯びつつコロッと曲想は変わって舞曲風も加えます。次第にフィナーレに向かって主題を強調しつつホルンのバックが何故か印象的です。とにかく終わりそうで中々終わらない・・・聴く側にとってシューベルト曲特有の困難さというか曲に先述の様にもどかしさを次第に覚えてきます。ウィーン風の演奏とは異なる故曲から脱却しきれない限界も感じました。録音は良いけれど回数聴き込まなければ良さがわからないのかもしれない曲であり演奏なのでしょう。当面OKランクとしておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
Back to Top