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Review List of つよしくん 

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  • 5 people agree with this review
     2011/08/09

    本全集は、バックハウスがスタジオ録音を行った2度にわたるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集のうち、1959〜1969年にかけて行ったステレオ録音(第29番のみステレオによる再録音を果たすことが出来なかった。)による全集であるが、いずれの楽曲の演奏も神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。本全集におさめられた各楽曲の演奏の殆どが既に録音からほぼ50年が経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。正に本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れていると言える。全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要すると言える。バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、正に孤高の至芸と言っても過言ではないのではないかとさえ考えられる。バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、私としてはいずれもベートーヴェンのピアノ・ソナタの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。録音は英デッカによる高音質であり、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前に本全集から有名な4曲を抜粋した盤がSHM−CD化されたことによって、より鮮明な音質に生まれ変わったと言える。もっとも、SHM−CD化されたのは当該4曲のみであり、今後は、他のピアノ・ソナタも含め全集についてSHM−CD化、さらにはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望みたいと考える。

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     2011/08/09

    本盤には、バックハウスが1959〜1969年にかけてステレオ録音(第29番のみ果たせず)によって録音した2度目のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集から抜粋した有名な4曲がおさめられている。いずれも神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。本盤の4曲については既に録音から50年以上が経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。正に本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れていると言える。全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要すると言える。バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、正に孤高の至芸と言っても過言ではないのではないかとさえ考えられる。バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、私としてはいずれもベートーヴェンのピアノ・ソナタの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。録音は英デッカによる高音質であり、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前にSHM−CD化されたことによって、より鮮明な音質に生まれ変わったと言える。もっとも、SHM−CD化されたのは本盤の4曲のみであり、今後は、他のピアノ・ソナタも含め全集についてSHM−CD化、さらにはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望みたいと考える。

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     2011/08/08

    メジューエワによるシューベルトのピアノ作品集の第2弾の登場だ。前回は最晩年のピアノソナタ第19番と晩年のピアノソナタ第18番を軸とした構成であったが、今回は中期の傑作であるピアノソナタ第14番とさすらい人幻想曲を軸に、晩年の傑作である4つの即興曲、3つのピアノ曲などをカプリングした構成となっている。前回の第1弾が圧倒的な名演であっただけに、大いに期待して聴いたところであるが、本盤の演奏もそうした期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。本演奏においても、メジューエワの基本的なアプローチは前回と変わっていないと言える。要は、一音一音を揺るがせにすることなく、旋律線を明瞭にくっきりと描き出していくというスタンスで演奏に臨んでいるが、いささかも単調に陥るということはなく、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広いと言える。全体の造型は非常に堅固であるが、音楽は滔々と流れるとともに、優美な気品の高さをいささかも失うことがないのがメジューエワの最大の美質であると言える。そして、細部に至るまでニュアンスは豊かであり、その内容の濃さはメジューエワの類稀なる豊かな音楽性の証左と言えるだろう。また、本盤におさめられた各楽曲は、晩年の傑作である4つの即興曲や3つのピアノ曲は別格として、その他の楽曲についても、晩年の楽曲ほどではないものの、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名旋律の端々には寂寥感や死の影のようなものが刻印されているが、メジューエワによる本演奏は、かかる寂寥感や死の影の描出においてもいささかの不足もなく、前述のような気高くも優美なピアニズム、確固たる造型美なども相まって、正に珠玉の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。これほどの名演を聴くと、メジューエワの類稀なる才能をあらためて感じるとともに、今後の更なる成長・発展を大いに期待できるところだ。今後、メジューエワがどのようなスケジュールでシューベルトのピアノ作品集の録音を進めていくのかはよくわからないが、第3弾以降にも大いに期待したいと考える。音質についてもメジューエワのピアノタッチが鮮明に捉えられており、素晴らしい高音質であると評価したい。とりわけ、DSD録音がなされたさすらい人幻想曲などがおさめられた2枚目のCDについては極上の高音質録音であり、今後可能であればSACDで聴きたいところだ。

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  • 7 people agree with this review
     2011/08/07

    ネット配信が隆盛期を迎えパッケージメディアの権威が失墜しつつある中で、一時は絶滅の危機に瀕していたSACDが、昨年あたりから息を吹き返しつつあるようである。というのも、SACDから撤退していた大手のユニバーサルがシングルレイヤーによるSHM−CD仕様のSACDの発売に踏み切るとともに、本年からはEMIがSACDの発売を開始したからである。これには、オクタヴィアやESOTERICなどの国内レーベルがSACDを発売し続けてきたことが大きいと思うが、いずれにしても、今後とも過去の大指揮者による名演を可能な限りSACD化して、少しでもかつてのパッケージメディア全盛期の栄光を取り戻していただきたいと心より願っているところだ。そして、今般、大指揮者の歴史的な来日公演のCD化に積極的に取り組んできたアルトゥスレーベルが、ついにSACDの発売を開始したのは、かかる昨年来の好ましい傾向を助長するものとして大いに歓迎したいと考える。本盤におさめられたベルリオーズの幻想交響曲は、クリュイタンスの十八番とも言うべき楽曲であると言える。本演奏の6年前にもフィルハーモニア管弦楽団とともにスタジオ録音(1958年)を行っており、それはクリュイタンスならではのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいの名演であった。ところが、本演奏においては、クリュイタンスは1958年盤とは別人のような指揮ぶりであると言える。来日時のコンサートでのライヴということもあると思うが、これは爆演と言ってもいいような圧倒的な高揚感を発揮していると言えるだろう。どこをとっても凄まじいまでの気迫と強靭な生命力が漲っており、切れば血が噴き出てくるような灼熱のような指揮ぶりであると言える。とりわけ、終楽章においては、トゥッティに向けて畳み掛けていくような猛烈なアッチェレランドを駆使しており、その圧巻の迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、パリ音楽院管弦楽団の各奏者による名演奏も相まって、この指揮者ならではのフランス風のエスプリ漂う洒落た味わいに満ち溢れていると言える。いずれにしても本演奏は、我々が同曲の演奏に求めるすべての要素を兼ね備えた至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。併録の2曲は当日のアンコールであるが、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」からの抜粋である古い城は濃厚なロマンティシズムを感じさせる名演であり、ビゼーの組曲「アルルの女」からの抜粋であるファランドールに至っては、金管楽器の最強奏などによりとてつもない音塊が迫ってくるような壮絶な演奏であり、そのド迫力に完全にノックアウトされてしまった。そして、このような歴史的な超名演を心行くまで満喫させてくれるのが、今般のシングルレイヤーによるSACDによる極上の高音質であると言える。既に、アルトゥスから発売されていた従来盤と比較すると、そもそも次元の異なる鮮明な高音質に生まれ変わったと言える。いずれにしても、かかる歴史的超名演を現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/08/07

    ノルウェー出身の気鋭の若手指揮者アイヴィン・オードランによるグリーグの管弦楽曲全集の第2弾の登場だ。第1弾においては「ペール・ギュント」組曲や交響的舞曲集などの有名曲が中心であったが、第2弾においては、2つの悲しい旋律や組曲「ホルベアの時代より」など、知名度においてはやや劣るものの、旋律の美しさが際立った知る人ぞ知る名品の数々をおさめているのが特徴と言えるだろう。そして、第1弾と同様にいずれも素晴らしい名演と高く評価したい。本盤におさめられた各楽曲におけるオードランのアプローチは、いささかの奇を衒うということのないオーソドックスなものと言えるが、同郷の大作曲家による作品を指揮するだけに、その演奏にかける思い入れは尋常ならざるものがあると言えるところであり、豊かな情感に満ち溢れた演奏の中にも、力強い生命力と気迫が漲っているのが素晴らしい。各楽曲の随所に滲み出している北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現にもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。とりわけ、2つの悲しい旋律における「過ぎし春」の心を込め抜いた歌い方には抗し難い魅力があると言えるところであり、組曲「ホルベアの時代より」においては、颯爽とした歩みの中にも、重厚な弦楽合奏を駆使して、祖国への深い愛着に根差した溢れんばかりの万感を込めて曲想を優美に描き出しているのが見事である。2つのメロディや2つのノルウェーの旋律におけるオードランの心を込め抜いた情感豊かな演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分であると言える。オーケストラにケルン放送交響楽団を起用したのも成功しており、演奏全体に若干の重厚さと奥行きの深さを与えるのに成功している点を忘れてはならない。また、本盤でさらに素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。グリーグの透明感溢れる至純のオーケストレーションを味わうには、臨場感溢れるマルチチャンネル付きのSACDは最適の媒体と言えるところであり、本盤の価値を著しく高めるのに大きく貢献していると評価したい。

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  • 2 people agree with this review
     2011/08/06

    トスカニーニは、1950年代初頭にNBC交響楽団とスタジオ録音した全集をはじめ、数多くのベートーヴェンの交響曲の録音を遺しているが、その中でも最も優れた名演は、本盤におさめられた交響曲第1番ではないかと考えられるところだ。交響曲第1番は、ベートーヴェンの交響曲の中でも最も規模の小さい楽曲であるが、同時代に活躍した大指揮者、例えばフルトヴェングラーやメンゲルベルク、クレンペラーなどは、その後の長大な交響曲を意識した重厚な演奏を行っていると言える。これに対してトスカニーニは、全体として非常に引き締まった演奏を展開しており、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊迫感には尋常ならざるものがあると言えるところである。それでいて、一聴すると素っ気ないように聴こえる各フレーズの端々には豊かな情感が満ち溢れており、全体として剛柔のバランスのとれた素晴らしい演奏に仕上がっていると言える。いずれにしても本演奏は、様々な指揮者による同曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。トスカニーニは、一切の情緒を差し挟まない、快速のインテンポによる演奏をする指揮者との見方が一部になされているが、本演奏を聴くと、テンポも臨機応変に変化させているし、情感に溢れた血も涙もある演奏を行っていることがよく理解できるところだ。一方、交響曲第7番については、第1番ほどの魅力がある演奏にようには思わないが、それでも第2楽章の熱いカンタービレや終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強い躍動感など、トスカニーニだけにしか成し得ない至芸も散見されるところであり、総じて名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。また、本盤で素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音であろう。これまで発売されてきたCDは、10年ほど前に発売されたK2カッティング盤も含めて決して満足できる音質とは言い難いものであったが、XRCD化によって信じられないような極上の高音質に蘇った。かかる高音質化によって、トスカニーニの至芸のベールを脱ぐに至った功績は大なるものがあると言わざるを得ないところであり、このようなトスカニーニの至高の名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 9 people agree with this review
     2011/08/06

    クラシック音楽界が長期的な不況下にあり、ネット配信が隆盛期を迎える中において、新譜の点数が大幅に激減している。とりわけ、膨大な費用と労力を有するオペラ録音については殆ど新譜が登場しないという嘆かわしい状況にある。そのような中で、パッパーノが、一昨年のプッチーニの歌劇「蝶々夫人」に引き続いて、本盤のロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」を録音するなど、オペラ録音の新譜が細々とではあるが発売されるというのは、実に素晴らしい快挙であると言える。これは、パッケージ・メディアが普遍であることを名実ともに知らしめるものとして、かかるメーカーの努力にこの場を借りて敬意を表しておきたい。さて、本盤であるが、そもそもロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」はの録音自体が極めて珍しいと言えるが、その数少ない録音の中で最も優れた名演は、パヴァロッティやフレーニなどの豪華歌手陣を起用したシャイー&ナショナル・フィル盤(1978〜1979年)とザンカナロ、ステューダーなどの歌手陣を起用したムーティ&スカラ座管盤(1988年)であると言える。同曲は、ロッシーニが作曲した最後のオペラであり、その後のイタリア・オペラにも多大な影響を与えた傑作であるにもかかわらず、歌劇「セビリアの理髪師」などの人気に押されて、今一つ人気がなく、序曲だけがやたらと有名な同作品であるが、ジュリーニやアバド、シノーポリなどと言った名だたるイタリア人指揮者が録音していないのは実に不思議な気がする。したがって、現時点ではシャイー盤とムーティ盤のみが双璧の名演であると言えるだろう。そのような長年の渇きを癒すべく登場したパッパーノによる本演奏の登場は先ずは大いに歓迎したい。そして、演奏も非常に素晴らしいものであり、前述のシャイー盤やムーティ盤に肉薄する名演と高く評価してもいいのではないかと考える。パッパーノのオペラ録音については、イタリア・オペラにとどまらず、ワーグナーやR・シュトラウス、モーツァルトなど多岐に渡っているが、本演奏ではそうした経験に裏打ちされた見事な演出巧者ぶりが光っていると言える。とにかく、本演奏は、演奏会形式上演のライヴということも多分にあるとは思うが、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さには、圧倒的な生命力が漲っていると言えるところであり、同曲を演奏するのに約3時間半を要するという長大なオペラ(パッパーノは一部カットを行っているが、演奏全体にメリハリを付加するという意味においては正解と言えるのかもしれない。)であるにもかかわらず、いささかも飽きを感じさせず、一気呵成に全曲を聴かせてしまうという手腕には熟達したものがあると言えるところである。これには、俊英パッパーノの類稀なる才能と、その前途洋々たる将来性を大いに感じた次第だ。歌手陣も、さすがにシャイー盤のように豪華ではないが優秀であると言えるところであり、とりわけウィリアム・テル役のジェラルド・フィンリーと、パッパーノが特に抜擢したアルノルド・メルクタール役のジョン・オズボーンによる素晴らしい歌唱は、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団や同合唱団も、パッパーノの指揮の下最高のパフォーマンスを示していると評価したい。音質はHQCDによる良好なものであり、輸入盤に対するアドバンテージとして、かかる高音質化の取組は大いに歓迎したいと考える。

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     2011/08/06

    セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったと言えるが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていたと言える。ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。本シューマンの交響曲全集における各交響曲や「マンフレッド」序曲の演奏においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものであると言える。もっとも、第1番はクレンペラー&フィルハーモニア管による演奏(1966年)、第2番はシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管による演奏(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる演奏(1980年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)、「マンフレッド」序曲はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1949年)がそれぞれベストの名演であり、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。録音は今から50年以上も前のものであり、本従来盤は必ずしも良好な音質とは言い難いと言えるが、シングルレイヤーによるSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。数年前にBlu-spec-CD盤も発売され、それもなかなかの高音質ではあるが、SACD盤には到底敵し得ないところだ。SACD盤は現在では入手難であるが、セルによる素晴らしい名演でもあり、是非とも再発売をしていただくことをこの場を借りて強く望んでおきたい。

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     2011/08/06

    セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったと言えるが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていたと言える。ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。本盤におさめられたシューマンの交響曲第2番や第4番、そしてウェーバーの「オベロン」序曲においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものであると言える。もっとも、第2番はシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)がベストの名演であり、「オベロン」序曲は、セルの死の年の来日時のコンサートライヴ(1970年)の方がより優れた名演であることから、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。録音は今から50年以上も前のものであり、従来盤では良好とは言い難い音質であったが、シングルレイヤーによるSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。数年前にBlu-spec-CD盤も発売され、それもなかなかの高音質ではあるが、SACD盤には到底敵し得ないところだ。SACD盤は現在では入手難であるが、セルによる素晴らしい名演でもあり、是非とも再発売をしていただくことをこの場を借りて強く望んでおきたい。

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     2011/08/06

    セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったと言えるが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていたと言える。ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。本盤におさめられたシューマンの交響曲第1番や第3番、「マンフレッド」序曲においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものであると言える。もっとも、第1番はクレンペラー&フィルハーモニア管による演奏(1966年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管による演奏(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる演奏(1980年)、「マンフレッド」序曲はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1949年)がそれぞれベストの名演であり、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。録音は今から50年以上も前のものであり、従来盤では良好とは言い難い音質であったが、シングルレイヤーによるSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。数年前にBlu-spec-CD盤も発売され、それもなかなかの高音質ではあるが、SACD盤には到底敵し得ないところだ。SACD盤は現在では入手難であるが、セルによる素晴らしい名演でもあり、是非とも再発売をしていただくことをこの場を借りて強く望んでおきたい。

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     2011/08/06

    セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったと言えるが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていたと言える。ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。本盤におさめられたシューマンの交響曲第1番や第3番、「マンフレッド」序曲においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものであると言える。もっとも、第1番はクレンペラー&フィルハーモニア管による演奏(1966年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管による演奏(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる演奏(1980年)、「マンフレッド」序曲はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1949年)がそれぞれベストの名演であり、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。録音は今から50年以上も前のものであり、従来盤では良好とは言い難い音質であったが、シングルレイヤーによるSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。数年前にBlu-spec-CD盤も発売され、それもなかなかの高音質ではあるが、SACD盤には到底敵し得ないところだ。SACD盤は現在では入手難であるが、セルによる素晴らしい名演でもあり、是非とも再発売をしていただくことをこの場を借りて強く望んでおきたい。

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     2011/08/03

    イタリアの俊英の指揮者パッパーノは、既にアンスネスと組んでラフマニノフのピアノ協奏曲全集を録音したが、いずれも素晴らしい名演に仕上がっており、とりわけ第3番及び第4番については昨年のレコード・アカデミー賞(協奏曲部門)を受賞するほどの至高の名演であった。そのようなパッパーノが、ついにラフマニノフの交響曲第2番を録音したというので大いに期待をして聴いたのであるが、かかる期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。ラフマニノフの交響曲第2番は、今や様々な指揮者によって相次いで演奏・録音が行われている一大人気交響曲であると言える。そのような人気の上昇に伴って、同曲の演奏様式も、ロシア風の民族色を強調したアクの強い演奏よりも、むしろより洗練された演奏が主流になりつつあるように思われる。パッパーノによる本演奏も、こうした近年の洗練されたアプローチが下敷きにあると言える。もっとも、パッパーノの場合は必ずしも洗練一辺倒には陥らず、単にスコアの音符のうわべだけをなぞった薄味の演奏に陥っていない点に留意する必要がある。むしろ、全体としては洗練な装いの中で、各旋律を徹底して優美に歌わせていると言えるところであり、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているとさえ言える。かかる歌謡性の豊かさは、パッパーノがイタリア人であるとともに、イタリア・オペラを得意のレパートリーとしていることの表れとも言えるのではないかと思われるところだ。もう少し強靭な重厚さが欲しいと言えなくもないが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えないのではないかと考えられる。いずれにしても、本演奏は歌心に満ち溢れた情感豊かな素晴らしい名演に仕上がっていると言えるところであり、本演奏を聴いて、パッパーノに対して、引き続いてラフマニノフの交響曲第1番や第3番、交響的舞曲などの録音を望む聴き手は私だけではあるまい。また、併録に、リャードフの交響詩「魔法にかけられた湖」を採り上げたのは実に意外性のあるカプリングであると言えるが、これまたラフマニノフの交響曲と同様のアプローチによる優美にして情感豊かな名演と評価したい。音質はHQCD化による極めて良好なものと言えるところであるが、輸入盤に対するアドバンテージとしても、かかる高音質化の取組は大いに歓迎したいと考える。

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     2011/08/02

    これは素晴らしい名演だ。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェンが作曲した最も美しい作品との評価がなされており、いわゆる4大ヴァイオリン協奏曲の中でもその格調の高い優美さが際立った作品であると言える。本演奏は、かかる同曲の作風と見事に符号したものと言えるだろう。オイストラフのヴァイオリンは、本演奏でもその持ち前の卓越した技量を聴き取ることは可能であるが、技量一辺倒にはいささかも陥っておらず、どこをとっても情感豊かで気品に満ち溢れているのが素晴らしい。とりわけ、第2楽章における豊麗で歌謡性豊かな歌い方は、抗し難い美しさに満たされていると言える。この気高い美しさを誇るオイストラフのヴァイオリンを見事に引き立てているのが、クリュイタンス&フランス国立放送局管弦楽団による美演ということになる。クリュイタンスは、もちろんフランス音楽が主要なレパートリーと言えるが、ベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全集を録音するなど、ベートーヴェンを得意のレパートリーとしていた。本演奏でも、クリュイタンスのベートーヴェンに対する深い理解と愛着に根差した円熟の指揮ぶりが見事であり、重厚なドイツ風の演奏の中にも、独特の洒落た味わいが感じられるのが魅力的であると言える。クリュイタンスの統率の下、フランス風の瀟洒な味わいの音色が魅力のフランス国立放送局管弦楽団も、要所においてはドイツ風の重厚な演奏を展開しているのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、同曲演奏史上でも最も気高い優美さに満ち溢れた名演と高く評価したい。音質は今から50年前のスタジオ録音であり、従来盤ではやや冴えない音質であったと言える。しかしながら、数年前にHQCD化されたことによってかなり満足できる音質に改善されるとともに、若干ではあるが音場が幅広くなったように思われる。オイストラフ&クリュイタンスによる名演を、HQCD盤による高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/08/01

    本盤におさめられたチャイコフスキーの交響曲第6番は、録音から長年の間のお蔵入りを経て発売されたベルリン放送交響楽団とのスタジオ録音(1959年)の1年後のライヴ録音である。1959年盤はフリッチャイによる心を込め抜いた渾身の超名演であり、間近に迫る死を予見しているかのようなただならぬ不気味さや慟哭を感じさせる演奏に仕上がっていたが、本演奏はさらに凄まじい演奏であると言える。1959年盤はスタジオ録音ということもあって、渾身の熱演ではあるものの、どこかに自我を抑制した安定感が存在していたが、本演奏においてはもはやフリッチャイは自我の抑制などはいささかも行っていない。自らの感情の赴くままに演奏しているとも言えるところであり、死を目前に控えたフリッチャイの絶望的な心情の吐露とさえ言えるのではないだろうか。第1楽章冒頭の序奏は、1959年盤以上に恐れおののいているし、その後のテンポの変化も1959年盤以上に凄まじいものがあり、ドラマティックで壮絶の極みとも言うべき演奏であると言える。展開部の強靭さは我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っているし、第2主題の切々とした歌わせ方には、フリッチャイの生への妄執と憧憬さえ感じさせるほどだ。第2楽章も他のどの演奏よりも心を込め抜いて歌い上げているが、中間部などの尋常ならざる暗さは死と隣り合わせのフリッチャイの心境が反映されていると言っても過言ではあるまい。第3楽章の壮絶さは我々聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、終楽章の思い入れたっぷりの慟哭の調べには、もはや涙なしでは聴けないほどの感動を覚えるところだ。いずれにしても、本演奏はもはや名演と言った単純な表現では言い表せない豪演であり、魂の音楽と言ってもいいのではないかと考えられる。これほどの入魂の音楽に対しては、もはや批評自体が成り立たないのではないかとさえ考えられるところであり、1959年盤との比較などある意味ではナンセンスと言えるのかもしれない。併録のバルトークのピアノ協奏曲第3番は、フリッチャイの十八番とも言える楽曲だけに、本演奏も彫の深い超名演に仕上がっていると高く評価したい。アニー・フィッシャーも、フリッチャイの命がけの指揮に触発されたせいか、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を展開しているのが素晴らしい。録音はモノラル録音ではあるが、1960年のライヴ録音としては比較的良好な音質であると評価したい。

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     2011/07/31

    本盤にはチョン・ミュンフンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第3番及び第7番がおさめられている。このうち、第3番についてはチョン・ミュンフンについてはじめての録音ということになるが、他方、第7番については、エーテボリ交響楽団を指揮した演奏(1987年)に次いで2度目の録音ということになる。いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。最近では、その芸風に円熟味が加わると同時に、いささか影が薄い存在になりつつあるチョン・ミュンフンであるが、1980年代後半から1990年代にかけてのチョン・ミュンフンの演奏は実に魅力的であった。本演奏でもそれが顕著にあらわれているが、この当時のチョン・ミュンフンの演奏に共通していたのは、ひたすら曲想を前に進めていこうとする気迫と、切れば血が噴き出てくるような生命力溢れる力強さであったと言える。それ故に、テンポは若干早めであると言えるが、それでいていわゆる上滑りをしたり、薄味の演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしいと言える。また、一聴すると、音楽がやや早めのテンポでごく自然に滔々と流れていくように聴こえるところであるが、随所にテンポの微妙な変化を加えたり、はたまた格調の高さをいささかも失うことなく個性的な表情づけを付加するなど、実に内容の濃い演奏を行っているのがわかるところである。そして、このようなチョン・ミュンフンの音楽性豊かな指揮の下、ウィーン・フィルが極上の美演を展開しており、演奏全体に適度の潤いとあたたかみを付加しているのを忘れてはならない。チョン・ミュンフンは、本演奏の後、ウィーン・フィルとともにドヴォルザークの交響曲第6番及び第8番の録音(1999年)を行うが、それ以後は録音が途絶えているところである。本演奏の素晴らしい出来具合などに鑑みれば、チョン・ミュンフンには是非ともウィーン・フィルとともに、ドヴォルザークの交響曲全集を完成させて欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあるが、チョン・ミュンフンによる素晴らしい名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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