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TOP > My page > Review List of 一人のクラシックオールドファン
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1 people agree with this review 2012/08/15
以前書き込んだ者ですがデータ中心に追加させて下さい。ワルター/コロムビアSOの田園(ステレオ、タイム@9’52A11’56B5’42C3’42D9’45)は基本的にVPO演奏等からそう懸け離れたものではないと思います。そう、1936年VPO盤(モノラル、同@9’21A12’06B5’27C3’25D8’40)とスタイルは変わっておりませんが最終楽章が一分程度長いコロムビアSOの1958年収録のこの演奏は少し軽やかさとワルター(録音当時82歳)のとろけそうな甘さが加わったようにも感じています。実に丁寧に楽章を進めて行き彼の田園を聴き終わりますと何かホッとした安堵感を自然と抱く次第です。手の内は自明であり全体の演奏アプローチスケールはそう大層なものではなく響きもこのオーケストラの独特な明るさがこの曲への感慨を助長する様です。第4楽章から第5楽章への移ろい、第5楽章の最後の感謝平安のエンディングには他演奏家に更に上手さを発見するのも事実ですが全体として演奏自体については躊躇せず「最高」盤ランクにします。なお、ワルター指揮の田園交響曲には他に1946年フィラデルフィアO(モノラル、同@9’07A11’51B5’10C3’22D9’09)等があり・・・この頃の彼のベートーヴェン全集はオーケストラがNYPOなのが普通なのに田園だけがフィラデルフィアOなのですね・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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1 people agree with this review 2012/08/14
永い冬を経て春が訪れて来る自然の兆候と太古からの人間の営みそして部族入り乱れての祭典で老祭司が大地に祈りを奉げて乙女の生贄を通して大地と結びつく・・・原始的なサウンドにより異教徒の祭祀を描いた「春の祭典」のカラヤン演奏盤はBPOとの磐石体制が整いつつあった本盤1963〜1964年録音分(タイム@8曲トータル15’35A6曲トータル19’03)の他に詳細は略しますがオーケストラは無論BPOで1972年ロンドンライブ収録、1975〜1977年セッション録音(同@同16’07A同18’30)、1978年ザルツブルグライブ録音、同年ルツェルンライプ録音等があります。カラヤンが珍しくバレエ音楽であっても不協和音の入った現代音楽を取り扱ったのですから当時1960年代何でも取り組んで行くカラヤンの前向きな姿勢と一方でフルトヴェングラーからの脱却を目指してそれを可能とさせるカラヤン/BPOの体制確立を意図していたのかも知れません。この「春の祭典」にはいろいろバージョンがあるらしく本盤演奏は1947年版という事らしいですがとにかく演奏は不協和音でも何でも美しく響かせこの曲がもつ冒頭に触れた原始的なエネルギー,野蛮さといったものからは距離感が感じられるものとなっております。ストラヴィンスキーがカラヤンのこの演奏について批判を加えたとかなんとかで後年の演奏はバージョンの違いもあるかも知れませんがカラヤンは指揮者「こだわり」を見せ付けたものとなっている様ですが1978年ライブ以降余りこの曲を振っておらず彼の気持ちではもうこの曲は「卒業」だったのでしょう。なお、1965年収録のバルトーク「管弦楽の為の協奏曲」(トータルタイム38’57)は聴いておりません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2012/08/13
ガーディナー/VPOによるメンデルスゾーンの交響曲選集で先ず第4番「イタリア」は1997年ガーディナー本盤録音演奏時推定54歳頃の以降いろんなジャンルに乗り出して行く意欲的な感じがする演奏です。演奏タイムとしては@10’13A5’38B6’20C5’28と全体配置からは普通なイメージですが奏法が我々聴いていたのとは異なる昨今のトレンディ?なもの。第1楽章、意外とイタリア的明るさは抑制されているのではないかと感じました。第2楽章は元々メロディ中心の楽章なのが余計無機的にもなっています。第3楽章は大変美しく様々な弦の色合いがVPOらしくそしてガーディナーの穏やかな面がプラスされております。第4楽章も弦の音色合いが多様性を帯びています。全体としては端正な演奏ということでしょう。私の聴いている盤では1998年多分世界初演?でのこの交響曲のオリジナル版の第2楽章以下が収録(タイムA6’29B7’44C6’31)されており珍しさに興味が沸きました。何となくアクセント、フレージングの異なりが各楽章に見られ第3楽章は時として普段聴いている改訂版よりベターと思ったりもしました。第4楽章は「雑」な感じです。何故第1楽章を録らなかったのか・・・全く改訂版と寸分不変だつたのでしょうか。いずれにしてもVPOのメンバーも慎重にスリリングを味わったと解説には書いてあります。第5番「宗教改革」は1996年のライブ録音でこの時ブルックナーも演奏されたらしいです。メンデルスゾーンがバッハのマタイ受難曲を百年ぶりに再演しまた宗教改革300年記念した前後に作曲されたこの曲はあのルッターテーマが独特の雰囲気を醸しだす曲なのですがガーディナーの演奏はそれ程その独特な「どぎつさ」は前面に出していない感じがしました。演奏タイムは@10’52A4’56B3’42C8’34でじっくり取り組んだ演奏、第1楽章神秘的なスタートから厳粛な力強いテーマが支配する楽章はティンパニーの扱いが結構活きて来ます。第2楽章はVPOの小気味よさが素晴らしく第3楽章の憂愁さを孕んだメロディがVPOの上手さを強調します。続けてフルートでルッターテーマを導く最終楽章は宗教法人の曲みたいなのが私は余り好きになれない処ですが演奏自体はかっ達でフーガをふくんだこの楽章の頑なさを軽減しているようです。フィナーレは管楽器、ティンパニーの堂々さが素晴らしいです。出来上がり品としては全体ガーディナーの前向き姿勢とフォーマット改善も勘案して素晴らしいランクとさせていただきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2012/08/12
ドロルツSQは1950年(〜1973年)BPOのメンバーだったドロルツを中心に結成されたQでフルトヴェングラー、カラヤン時代のBPOを支えたメンバーだけにウィーンや東欧のQとは異なってBPOの特色というかがっしり緻密なアンサンブルを土台にした演奏で多くのレパートリーを誇っておりました。本盤のモーツァルト管楽主体の室内楽三曲で内私はH.ゴイザー(BRSOの首席演奏者)がクラリネットを受け持ったクラリネット五重奏曲を聴いていますので感じた事をメモいたします。本盤は1957年?に収録された演奏でゴイザーがまだ40歳半ばの演奏ですが私の聴いているのは1962年録音物(ステレオ)で演奏タイムは@6’40A7’53B5’23C9’37であります。タイム的には第1楽章、第3楽章が短め、第2楽章は長めなのですが反復の関係もあるのでしょう。この曲はモーツァルトの死の2年前の作品でクラリネット協奏曲やレクイエムと共にモーツァルト晩年の心境を伝える珠玉の名品であり長調ながら何か屈託のある感じの曲にその辺りが現れており、それは第1楽章弦スタートに引き続いてやがて主役クラリネットが参入して展開されて行き時折テーマを強調し又、たびたび掠める短調の影もゴイザーは豊かな音量でしっかり進めます。第2楽章は優雅な運び弱音器をつけた弦楽器をバックに存分に歌います。最終楽章での様々な変奏を経て少しイレギュラーな反復を経て後段はテーマを回想して明るく〆ます。ドイツ演奏らしいきっちりした印象の中にふと見せる色気?が余裕を感じさせます。基本的にはモノラルながら本盤演奏も同傾向と思われます。1957年演奏録音のフルート四重奏曲第4番(当時ニコレ31歳)、とオーボエ四重奏曲(シュタインス38歳)の方は未聴でありますが3人の管楽器奏者とのこのSQの貴重な共演演奏復刻(3曲トータルタイム56’50)であります。当面OK以上としておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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0 people agree with this review 2012/08/11
ロシア物はお手の物のフェドセーエフによるチャイコフスキー交響曲第5番の一回目?収録・・・1981年MRSOを振っての演奏でタイムは@14’49A14’01B5’41C11’53と印象としてはどちらかと言えばやや速めななかで第2楽章がゆるり目な感じがしました。第1楽章慎重な面持ちでスタートしますが展開部は割りとスゥッーと進みロシア臭さは微塵です。しかし本性は隠せず語り上手な面というかメロディの乗せ方が面白いですね。この点は続く楽章以降ではっきり聴け、特に各管楽器の扱いを明確にし他の演奏では捉えきれないトーンを表現しておりその辺りで特徴が出ている様に思いました。やや大人しい第3楽章を経てお馴染みのマーチ風の最終楽章でも楽器の鳴らし方に意外性がありそれが弦楽器にまで及んでおり結構説得感もありました。マァ例えばティンパニー類の響きがセーブされてはいるもののしかしちゃんと堂々さは維持しております。本収録時フェドセーエフはまだ49歳意欲満々、ロシア的な色彩と、彼自身の洗練されたフレージングセンスの巧妙なブレンド感にまでは及んでおりませんが実に個性的な・・・決して異端的ではありません・・・演奏が楽しめます。なお、フェドセーエフには後年の1998年演奏盤(オーケストラはMRSO)がありそのタイムは@14’15A13’13B5’34C11’30と更に全体テンポは速くなっているようです。1995年発売のカタログ番号VICC2173への本レビュー書き込みは1981年の収録演奏について行っておりますがひょっとしたらHMVのレビューコンバーションの関係でその1998年収録盤の方にも同じレビューが載るかもしれませんので悪しからず。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2012/08/10
ロッシーニはオペラ曲作曲を卒業?後、ピアノ曲、歌曲、宗教曲等へとシフト移行したらしく本「小荘厳ミサ曲」もその一環の作品で私は本盤M.コルボ指揮分で初めて聴きました。1987年コルボが53歳の時に手兵ローザンヌ声楽アンサンブルやその他独唱者、伴奏独奏者を率いての演奏で「小・・・」と題する割には演奏タイムは14楽章トータルで72’08と中々の大曲ぶりであります。曲自体は伴奏が二台ピアノ(演奏はL.スグリッチ(録音当時77歳)とJ.F.アントニオリ(同28歳)の親子以上に年の差ある二人です)とハルモニウム(演奏はM.コルボの宗教曲によく参加しているP.コルボ(同44歳))という一種のオルガンだけの小編成な点が「小・・・」にもつながるのでしょう。なお、この曲の版としては後年オーケストラ伴奏ものも出ているらしいです。独唱陣はC.ガスディア(S、同27歳)、B.フィンク(A、同32歳)、V.L.スコラ(T、同29歳)、F.E.ダルテーニャ(B、同39歳)と詳細は知りませんが主にスカラ座の名歌手達なのかこの作品の宗教臭さの薄さなのか特に第4〜6楽章ではロッシーニ・オペラチックな処が堪能出来ました。指揮のコルボはピアノ連弾伴奏での合唱の方にその腕前を発揮し他の宗教曲同様透き通る様な精緻な世界へと導いてくれます。演奏は兎も角、こうした雰囲気の曲で純清澄な処もあるもののこの曲への入り込みが私の能力では足らず始末でありました。同じロッシーニの「スターバト・マーテル」のロッシーニらしいドラマチック性とは別の世界なのでしょう・・・。なお、本盤は現在販売されておりませんがコルボの宗教曲揃えにはかけがえない素晴らしい演奏かとは思っております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2012/08/09
先の長野県の方のレビューに語り尽くされておりますね。M.コルボは宗教曲中心に収録活動を行っていますが本盤はデュリュフレというオルガニスト兼作曲家による1947年作の「レクイエム」(因みに初演はP.バレー指揮)を1984年演奏したライブ録音盤(当時コルボ50歳)でもうこの曲の名盤のポジションを得ているのではないのでしょうか。僅か約六十年ほど前の作品ながらマァ保守的というか導入部その他でのグレゴリオ聖歌旋律の引用と共に私たちにとってはあの先陣フォーレの「レクイエム」経験をたどりつつ、デュリュフレの洗練された技法により実に慈愛・優しさに満ちたものに仕上がっており更にコルボの他の宗教曲同様心の襞に染み込んでくるようなアプローチが「癒し」へと導いてくれます。演奏タイムは9楽章ほぼ切れ目なく進めてトータル40’15となっておりこの曲に特に伴奏面で三種類あると言われる版の内、勿論伴奏がオーケストラ版で当該オーケストラはコロンヌO、オルガンはP.コルボ(41歳)、合唱はコロンヌCOそして独唱者はT.ベルガンサ(MS,48歳)とJv.ダム(B,44歳)といった概要であります。この曲は通常「レクイエム」と異なって「ディエス・イレ・・・怒りの日」が曲付けされていないだけ全体として安らぎ、敬虔な祈りカラー色に満ちたものでスタート「イントロイトゥス・・・入祭唱」から清澄な合唱とオルガンの世界を展開してくれますがそれでも「オッフェルトリウム・・・ 奉献唱主イエス・キリスト」 での管打楽器サポートによる力強い合唱後のしっかりしたバリトン独唱は印象的であります。ややライブ故の残響気味でも「ピエ・イエス・・・主イエスよ」での僅かな出番のメゾソプラノも素晴らしいですね。そして最終コーナー「イン・パラディスム・・・楽園」での落ち着いた運びは正にコルボの真骨頂・・・洗練された緻密さでこの曲を閉じます。現代曲でも一聴の価値ある作品であり演奏でもありましょう。併録のグレゴリオ聖歌モテット(1985年録音、J.スーリッス/パリ・アウディテ・ノヴァ声楽アンサンブル、4曲トータルタイム7’10)は聴いておりませんので★一つ保留しておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2012/08/08
以前書き込みした者でデータ的なものを追加させていただきます。本盤はコロンビアレーベルにおいて代表曲をワルターが晩年再録音すべく1950年代前半に仕立てられた録音専用オーケストラ・・・第一期コロンビアSOモノラル演奏分中心でありまして1950年代後半ステレオ再録用に仕立てられた楽団・・・第二期コロンビアSOを指揮してのワルター最晩年の一連の録音演奏分とは同じ曲比較では微妙に違い、詳細は私は知りませんが第一期と第二期オーケストラは同じ「コロンビアSO」でも構成母体に違いがあった様です。ただ私などはモノラル、ステレオの違い位は判断出来てもワルター指揮の本質にはさほどもうこの晩年期演奏には差を敢えて文章化して捉える事は出来ません(タイム上の差は例えば序曲集で私の2012/8/4カタログ番号SRCR2305レビューメモを参照していただければ幸甚です)。こうした状況で本盤唯一NYPOを振った1954年録音分のハイドン交響曲第96番「奇蹟」は曲自体よくワルターが取り上げていた様で本盤演奏以外にも1937年VPO、1954年NYPOライブ、1955年FSO等の演奏盤が残されている様です。本演奏はタイム@5’30A6’11B5’35C3’26で到って愉悦に富んだ充実した響きがモノラルながら伝わって来ます。次に多分これも大半が1954年録音のモーツァルトの序曲集(ワルター78歳の時です・・・歌劇 「劇場支配人」 序曲(3’34)、 「コシ・ファン・トゥッテ」 序曲(4’24)、歌劇 「フィガロの結婚」 序曲 (4’21)、歌劇 「魔笛」 序曲(6’54))、フリーメイソンの葬送音楽(6’40)、メヌエットK599No5(2’35)、メヌエットK568No12(2’38)そして三つのドイツ舞曲K605(1’37+1’32+2’40)の録音であります。モノラルだけに第二期ほどオーケストラがハリウッド映画音楽的なサウンドは顕著ではなくそれぞれの曲、しっかりした運び具合と微笑に例えられるワルターの特徴がよく出た演奏に仕上がっております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2012/08/07
1982年テンシュテットが癌発病前の56歳の時にLPOを振って収録したマーラー交響曲第4番について他盤で書き込んだレビューを転記させていただきます。第4番本演奏タイムは@15’40A8’48B21’04C9’00とコンパクトな・・・特に前半にそれを感じました。マーラーの交響曲第4番は何となく魑魅魍魎的なイメージの強い彼の交響曲集の中で比較的明るく私にとっても一番親しみ易い交響曲です。第4楽章で第2及び3交響曲でも使われた「子供の不思議な角笛」からの歌詞で天上の喜びを歌っているソプラノのL..ポップ(録音当時43歳とややお年をめしてはいます・・・)も少し声は遠めながら落ち着いた雰囲気がいい感じです。この楽章は変化激しい前の楽章に対する如く(時折第1楽章の鈴が入ったシャンシャンリズムが入りはしますが)比較的平穏な運びで〆のい次第に穏やかに遠のいて行く有様がポイントでもありますね。戻って第1楽章から比較的テンシュテットは緩急をつけ鈴のシャンシャンの鳴らし方もこの曲のこれから展開する裏にある悲劇性を予感させる如く語る様であります。真面目なテンシュテットが部分々で感情的に畳み掛ける処も見せますがとにかく神経の行き届いた進め方です。詰めの高弦の美しさも特筆ものかと思います。第2楽章は一音上のヴァイオリンがソロで活躍する楽章は比較的穏やかに進めており時折諧謔に満ちたマーラー世界の暗部表現にも怠りありません。第3楽章も穏やかなスタート共に大変美しい世界を大きな変奏方式でウェットさを加えて行きます。この辺り亡命後特にマーラーを積極的に取り上げていたテンシュテットの特質もありましょうがLPOというイギリスのオーケストラの中庸さも影響しております。冒頭触れた様に発病直前のテンシュテットのある主張が感じられる素晴らしい演奏と思いました。テンシュテットの指揮するマーラー交響曲第4番には別に南西ドイツRSOを振って1976年ライブ収録した演奏盤(ソプラノ・・・E.チャポー、タイム@15’45A9’00B19’50C8’20)もあるそうです。本盤LPOを振っての他の収録曲・・・交響曲第1番(1977年録音、タイム@15’52A7’45B10’48C19’18)、交響曲第2番(1981年録音、タイム@24’45A11’18B10’27C7’11D34’56)、交響曲第3番(1979年録音、タイム@33’16A10’41B18’56C9’53D4’17E20’58)はまだ充分に聴いておりませんがマーラー指揮者としてのテンシュテットの作品そのものに求心的に迫って行くテンションの高さは凄いものが感じられます・・・そして、夫々の交響曲についてテンシュテット指揮のものは壮烈なライブ盤(交響曲第1番・・・オーケストラNDRO,1981年録音,タイム@15’54A7’38B10’12C18’35、オーケストラCSO,1990年録音,タイム(合間含む)@18’13A8’26B11’33C22’40、交響曲第2番・・・同LPO,1989年録音,タイム@24’59A12’10B11’24C6’14D38’00、交響曲第3番・・・同LPO,1986年録音,タイム@32’15A10’15B17’07C9’36D4’05E22’40)が残されており、やはりある「予感」から追い込まれた生命燃焼ぶりが聴き処になるのではないでしょうか。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2012/08/06
1982年テンシュテットが癌発病前の56歳の時にLPOを振って収録したマーラー交響曲第4番で演奏タイムは@15’40A8’48B21’04C9’00とコンパクトな・・・特に前半にそれを感じました。マーラーの交響曲第4番は何となく魑魅魍魎的なイメージの強い彼の交響曲集の中で比較的明るく私にとっても一番親しみ易い交響曲です。第4楽章で第2及び3交響曲でも使われた「子供の不思議な角笛」からの歌詞で天上の喜びを歌っているソプラノのL..ポップ(録音当時43歳とややお年をめしてはいます・・・)も少し声は遠めながら落ち着いた雰囲気がいい感じです。この楽章は変化激しい前の楽章に対する如く(時折第1楽章の鈴が入ったシャンシャンリズムが入りはしますが)比較的平穏な運びで〆のい次第に穏やかに遠のいて行く有様がポイントでもありますね。戻って第1楽章から比較的テンシュテットは緩急をつけ鈴のシャンシャンの鳴らし方もこの曲のこれから展開する裏にある悲劇性を予感させる如く語る様であります。真面目なテンシュテットが部分々で感情的に畳み掛ける処も見せますがとにかく神経の行き届いた進め方です。詰めの高弦の美しさも特筆ものかと思います。第2楽章は一音上のヴァイオリンがソロで活躍する楽章は比較的穏やかに進めており時折諧謔に満ちたマーラー世界の暗部表現にも怠りありません。第3楽章も穏やかなスタート共に大変美しい世界を大きな変奏方式でウェットさを加えて行きます。この辺り亡命後特にマーラーを積極的に取り上げていたテンシュテットの特質もありましょうがLPOというイギリスのオーケストラの中庸さも影響しております。冒頭触れた様に発病直前のテンシュテットのある主張が感じられる素晴らしい演奏と思いました。テンシュテットの指揮するマーラー交響曲第4番には別に南西ドイツRSOを振って1976年ライブ収録した演奏盤(ソプラノ・・・E.チャポー、タイム@15’45A9’00B19’50C8’20)もあるそうです。本盤のもう一つの大曲交響曲第3番(1979年収録、サウスエンドBC、LPC、O.ヴェンケル(A)、タイム@33’16A10’41B18’56C9’53D4’17E20’58)はまだ充分に聴いておりませんがマーラー指揮者としてのテンシュテットの作品そのものに求心的に迫って行くテンションの高さは凄いものが感じられます・・・やはりある「予感」から追い込まれた生命燃焼ぶりが聴き処になるのではないでしょうか(なお、1986年LPO、LPC、W.マイヤー(MS)との収録盤はタイム@32’15A10’15B17’07C9’36D4’05E22’40)。本盤は廃盤ですが各曲演奏は別盤で聴けるのでは?(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2012/08/05
ジュリアードSQは周知の通り1946年ジュリアード音楽院教授らによって結成され以降メンバーを交代させつつ継続活動を行っている現代屈指のアメリカの弦楽四重奏団で私などはメンバー交代に伴うその音色、演奏の微妙な変化は判らないのですが完璧なアンサンブルと緻密で明快たる音楽解釈のアイデンティティは首尾一貫している様であります。本盤はモーツァルトの所謂「ハイドン・セット」と呼ばれる弦楽四重奏曲六曲で「春」「狩」「不協和音」とか言った愛称曲を含む傑作群の演奏で1977年収録の本演奏はジュリアードSQにとっては1962年録音演奏から15年ぶりの二回目となっております。例によってこの二回の演奏タイムを各曲併記して参考に供しましょう。第14番(1977年@7’28A8’50B7’33C5’35、1962年@7’15A8’57B7’29C5’07)、第15番(1977年@10’46A6’24B4’05C9’41、1962年@6’53A8’01B4’11C6’39)、第16番(1977年@6’49A8’33B6’06C5’11、1962年@6’25A6’23B5’55C4’54)、第17番(1977年@8’25A4’23B7’18C6’11、1962年@7’49A4’20B7’11C5’40)、第18番(1977年@7’24A6’02B12’33C5’56、1962年@6’59A6’00B10’26C5’36)、第19番(1977年@10’54A7’59B5’15C7’13、1962年@10’14A7’53B4’57C5’06)と夫々なっております。私は1962年の方は聴いていないので何とも言えないのですがタイムに比較的差のある第15番について多分解釈上の演奏変化なのでしょうか、別に冗漫さなど微塵も私は感じませんでした。そう言えばメンバーについてチェックしますとこの二つの演奏で替わっていないのは第1VのR.マンだけで1946年当SQスタート時からこのポジションを務めており本盤演奏時は57歳とまだ若い頃でありました。「ハイドン・セット」はモーツァルトが弦楽四重奏曲の偉大な先輩ハイドンの同作品ジャンルを 大いに意識しつつより深化させ完成後ハイドンに献呈したもので私自身それ程他の演奏盤と多く聴き比べをしたわけではありませんが曲自体が弦楽四重奏の割には管弦楽の様に旋律線に富んで追い易い事とこのSQ演奏は前述した精緻なアンサンブルの技術と音楽的内容の豊かさを両立させた演奏として六曲一気に聴き通しました。確かにウィーン味とは趣きは異なりますがメリハリと言うのでしょうか特に大見得切らず様式美を保ち現代的な安定感ある感じで退屈させませんでした。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2012/08/04
以前書き込んだ者ですがデータ中心に追加させていただきます。本盤はワルターのステレオ再録用に仕立てられた楽団・・・コロンビアSOを指揮してのワルター最晩年の一連の録音演奏の内モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1958年、同@4’33A5’27B2’18C3’16)そして序曲集(1961年、何とワルター85歳の時です・・・歌劇 「劇場支配人」 序曲(4’03)、 「コシ・ファン・トゥッテ」 序曲(4’55)、歌劇 「フィガロの結婚」 序曲 (4’46)、歌劇 「魔笛」 序曲(7’35)、フリーメイソンの葬送音楽(7’43))の録音であります(正直な処、やや収録曲がボリュウム的には少なめ?と思います)。オーケストラがハリウッド映画音楽的なサウンドでやや不自然な各パートの分離も気にならない向きも無いわけではありませんがそれぞれの曲、微笑に例えられるワルターの特徴がよく出た演奏に仕上がっております。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はしっかりした構成を見せつつワルター独特のビロード感触は抜かりなく、全体にコロンビアSOの響きの前述の限界はあるものヽ「しっかり演奏する」旨のワルターの方向性が貫かれております。ワルター指揮の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の他の演奏盤をサンプリングメモしておきますね・・・。1931年ブリティシュSO(タイム@3’56A4’55B2’26C3’48)、1936年VPO(同@4’06A4’34B2’06C3’58)、1950年NYPO(タイム未確認)、1952年VPO(同@4’02A4’29B2’01C3’14)、1954年サンフランシスコSO(トータルタイム13’40)、1954年コロンビアSO(同@4’19A5’09B2’05C3’06)といった具合です。ただ、これらの演奏で全てがワルターの微笑・慈愛の特徴に満たされたものとは限らないのは当然で何かに憑かれたような熾烈な演奏をしている事例も多くトスカニーニばりのものやフルトヴェングラーばりのものもありそれはワルター自身、自伝で自分の中には自分の中に「アポロとデュオニソスが両立している」と残していることにもよるのでしょう。本盤他の曲目の序曲集は何とワルターの人柄の溢れた演奏なのでしょう。録音技術も手伝ってそのソフトというか当りの柔らかなそれでいて全体に流れのポイントを抑えとかく陥りやすい安易な抒情的にならずとにかくモーツアルトの序曲を提示しております、ワルター第一線を退いた後の総決算録音の為の臨時編成の前述のコロンビアSOもよく健闘しています(現代感覚では分厚い音色なのですが)。フリーメイソン葬送曲は哀しみの中に官能にまで聴く者を導きます・・・ワルターの手腕最高と言えます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2012/08/03
もうコルボの名刺代わりの感もあるフォーレ「レクイエム」はCD盤としても本盤1972年演奏分の他に1992年(ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル)、2005年(ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル・・・東京ライブ)そして2006年(ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソブィア)がHMVカタログにも載っております。多くの方がそうである様に私もこのレクイエムはやや分厚いイメージのクリュイタンス盤(1962年録音の名演奏でこれはこれでLP発売当時以来納得出来ている演奏であります)から入った者ですが1972年録音のこのコルボ盤(コルボ38歳の頃)に接してその透明感にも感激しクラシック音楽の聴く楽しみに今更の如く感じ入った覚えがあります。フォーレ「レクイエム」には何版かあり本盤演奏はフルオーケストラ版で演奏タイムとしては@7’44A8’00B3’53C3’15D6’13E6’16F4’15と例えば2005年東京ライブ盤の室内楽版@7’10A6’52B3’45C3’26D5’57E6’01F3’38との微妙な差はありますが多分それより響きの違いが大きな要素かと思います。それと本盤はオーケストラがBSOでコーラスが少年中心のサン・ピエール・オ・リアン・ド・ビュル聖歌隊(亡きコルボの叔父が指導してきた小さな町ビュルの聖歌隊で、これから音楽として一層の飛躍がかかるこのレクイエム一回目の録音に、それをするところに彼の人間性の一端がうかがえます)、ソプラノにもこの聖歌隊メンバーのボーイ・ソプラノを起用していわば女声陣が参加していない事が特筆されます(このソプラノを担当した少年はこの録音後間もなく変声して先述のローザンヌ声楽アンサンブルのバリトンメンバーになったとか・・・)。特に声楽陣がこういう具合なのでその安らぎと清澄さは異常な程で性的魅力も感じます。ソプラノが登場する第4楽章ではその繊細さが発揮されますね。最初の楽章でのゆったりとした静かな佇まいの内のスタートと分厚くないコーラスからその透明さが直感され宗教曲の厳かさというより清らかさを訴えます。第2楽章、第6楽章でのバリトンのフッテンロッハー(当時30歳)の静けさも印象的です。本盤は高音質盤でもありこの辺りの音色が更に期待されます。ただ正直な処、私は女声陣の方がスケール感というか普遍性からも好きであり★一つ保留します。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2012/08/02
以前書き込んだ者ですがデータ中心に追加させていただきます。本盤はワルターのステレオ再録用に仕立てられた楽団・・・コロンビアSOを指揮してのワルター最晩年の一連の録音演奏の内モーツァルトの交響曲第40番(1959年、タイム@6’35A8’45B5’05C4’55)、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1958年、同@4’33A5’27B2’18C3’16)そして序曲集(1961年、何とワルター85歳の時です・・・歌劇 「劇場支配人」 序曲(4’03)、 「コシ・ファン・トゥッテ」 序曲(4’55)、歌劇 「フィガロの結婚」 序曲 (4’46)、歌劇 「魔笛」 序曲(7’35)、フリーメイソンの葬送音楽(7’43))の録音であります。これら収録曲の中で何と言ってもワルター十八番の交響曲第40番が聴きものでしょう。あのVPOとの引きずり上げるポルタメントこそ影を薄めていますがワルター自身仕上げの第40番と意識している事?がかけがえなく思われます。オーケストラがハリウッド映画音楽的なサウンドでやや不自然な各パートの分離も気にならない向きも無いわけではありませんが微笑に例えられるワルターの特徴がよく出た演奏に仕上がっております。さて、この第40番、ワルターのライブも含めての録音歴の数の多さは語り尽くされたもので私の手元資料で分っているデータをメモしておきましょう。1929年ベルリン国立歌劇場O(タイム@6’07A8’12B4’02C4’03)、1939年NBCSO(同@6’14A8’27B4’24C4’46)、1949年LAPO(タイム未確認)、1950年BPO(同@6’15A8’02B4’28C4’36)、1951年RCO(同@6’22A8’28B4’29C4’39)、1952年RAISO(同@6’23A8’12B4’24C4’49)、1952年VPO(同@6’05A7’59B4’17C4’26)、1952年VPO(同@6’35A8’46B4’34C4’59)、1953年NYPO(同@6’18A8’31B4’25C4’58)、1956年NYPO(タイム未確認)、1956年VPO(同@6’08A7’59B4’19C4’59)等でありマァタイムは正直似たり寄ったりでひょっとしたらデータテレコがあるかもしれません。ただ、これらの演奏で全てがワルターの微笑・慈愛の特徴に満たされたものとは限らないのは当然で何かに憑かれたような熾烈な演奏をしている事例も多くトスカニーニばりのものやフルトヴェングラーばりのものもありそれはワルター自身、自伝で自分の中には自分の中に「アポロとデュオニソスが両立している」と残していることにもよるのでしょう。マァ、本盤他の曲目で「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」もしっかりした構成を見せつつワルター独特のビロード感触は抜かりないのですが、全体にコロンビアSOの響きの前述の限界はあるものヽ「しっかり演奏する」旨のワルターの方向性が貫かれております。序曲集は何とワルターの人柄の溢れた演奏なのでしょう。録音技術も手伝ってそのソフトというか当りの柔らかなそれでいて全体に流れのポイントを抑えとかく陥りやすい安易な抒情的にならずとにかくモーツアルトの序曲を提示しております、ワルター第一線を退いた後の総決算録音の為の臨時編成の前述のコロンビアSOもよく健闘しています(現代感覚では分厚い音色なのですが)。フリーメイソン葬送曲は哀しみの中に官能にまで聴く者を導きます・・・ワルターの手腕最高と言えます(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2012/08/01
以前書き込んだ者ですがデータ中心に追加させていただきます。本盤はワルターのステレオ再録用に仕立てられた楽団・・・コロンビアSOを指揮してのワルター最晩年の一連の録音演奏の内モーツァルトの交響曲第40番(1959年、タイム@6’35A8’45B5’05C4’55)、第41番(1960年ワルター84歳、同@8’50A9’07B5’10C7’16)そして「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1958年、同@4’33A5’27B2’18C3’16)であります。これら収録曲の中で何と言ってもワルター十八番の交響曲第40番が聴きものでしょう。あのVPOとの引きずり上げるポルタメントこそ影を薄めていますがワルター自身仕上げの第40番と意識している事?がかけがえなく思われます。オーケストラがハリウッド映画音楽的なサウンドでやや不自然な各パートの分離も気にならない向きも無いわけではありませんが微笑に例えられるワルターの特徴がよく出た演奏に仕上がっております。さて、この第40番、ワルターのライブも含めての録音歴の数の多さは語り尽くされたもので私の手元資料で分っているデータをメモしておきましょう。1929年ベルリン国立歌劇場O(タイム@6’07A8’12B4’02C4’03)、1939年NBCSO(同@6’14A8’27B4’24C4’46)、1949年LAPO(タイム未確認)、1950年BPO(同@6’15A8’02B4’28C4’36)、1951年RCO(同@6’22A8’28B4’29C4’39)、1952年RAISO(同@6’23A8’12B4’24C4’49)、1952年VPO(同@6’05A7’59B4’17C4’26)、1952年VPO(同@6’35A8’46B4’34C4’59)、1953年NYPO(同@6’18A8’31B4’25C4’58)、1956年NYPO(タイム未確認)、1956年VPO(同@6’08A7’59B4’19C4’59)等でありマァタイムは正直似たり寄ったりでひょっとしたらデータテレコがあるかもしれません。ただ、これらの演奏で全てがワルターの微笑・慈愛の特徴に満たされたものとは限らないのは当然で何かに憑かれたような熾烈な演奏をしている事例も多くトスカニーニばりのものやフルトヴェングラーばりのものもありそれはワルター自身、自伝で自分の中には自分の中に「アポロとデュオニソスが両立している」と残していることにもよるのでしょう。マァ、本盤他の曲目で「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」もしっかりした構成を見せつつワルター独特のビロード感触は抜かりないのですが、「ジュピター交響曲」はテンポの遅さが逆に働いてしまい少し残念な感じがします。全体にコロンビアSOの響きの前述の限界はあるものヽ「しっかり演奏する」旨のワルターの方向性が貫かれており最高盤とします。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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