Mahler (1860-1911)

SACD Sym, 6, : Abbado / Bpo

Sym, 6, : Abbado / Bpo

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  • ★☆☆☆☆ 

    おむちゃん  |  京都府  |  不明  |  21/June/2011

    学生時代の6番の愛聴盤はアバド/CSOでした。セルも持っていたのに音質が悪いと言う理由であまり聴きませんでした。あの頃はオーディオ的カタルシスに興味があったのでしょう。あれから30年、私も本当の苦悩を味わいました。でもアバドは変わっていなかったようです。彼はエンターテイナーだったようです。ブーレーズのレビューでは反論もした「ゆーさん」さんのおっしゃる通り表題があろうがなかろうがこの曲は悲劇をテーマとしているのは明らかです。ベートーヴェンの「苦悩から歓喜へ」の痛烈なアンチテーゼでしょう。自作の第5番までのアンチテーゼかもしれません。「楽章の入替え」は音楽上の極めて重要な事柄であるのだから「金子健志的な聞き手」さんの意見にはアバドに限らず首肯しかねます。また「数年後が楽しみ」さんのおっしゃる「楽章を入れ替えても影響がないよう、各楽章を組曲状に処理して関連を持たせてある」というのも交響曲はひとつの有機体なのだから意味が変わってしまいます。そんなことを言えば1楽章と終楽章を入替えても対応できることになってしまいますよ。マーラー協会が言うことに追従することが「音楽」になるでしょうか?私には「文献学」でしかないように思えます。

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  • ★☆☆☆☆ 

    時代の殉教者  |  不明  |  06/May/2008

    あらゆる《悲劇的》のCDのうちでも、最も“悲劇的”な一枚だろう。なぜなら、天下のベルリン・フィルが、この程度の演奏しか出来なくなってしまったのだから。終楽章に振り落とされる二度のハンマーは、このオケの因縁―カラヤンの独裁政治とアバドの破壊行為―を象徴しているようだ。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ∫(furtwangler)dx=感動  |  石川県  |  不明  |  18/January/2008

    例によって例のごとくアバドならではの悲劇的でない悲劇的。ゆーさんに同感です。2,3楽章の順番やスコアの違いも大事か知らないが,それはもっと中身を伴ってからでないと意味をなさない。この曲は「悲劇的」という題を持っています。この悲劇的という言葉にとらわれすぎる必要はないが,しかしこのアバドの悲劇的は非常に冷静でこの曲の持っている熱い感情が全く伝わってこない。ましてや死への恐怖など伝わってくるだろうか。い〜や,絶対伝わってこない。BPOも勿論芳しくない。あのカラヤンの頃の輝きはもう戻ってこないのだろうか。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ∫(furtwangler)dx=感動  |  石川県  |  不明  |  16/January/2008

    ゆーさんに同感です。2,3楽章の順番やスコアの違いも大事か知らないが,それはもっと中身を伴ってからでないと意味をなさない。この曲は「悲劇的」という題を持っています。この悲劇的という言葉にとらわれすぎる必要はないが,しかしこのアバドの悲劇的は非常に冷静でこの曲の持っている熱い感情が全く伝わってこない。ましてや死への恐怖など伝わってくるだろうか。い〜や,絶対伝わってこない。BPOも勿論芳しくない。あのカラヤンの頃の輝きはもう戻ってこないのだろうか。

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  • ★☆☆☆☆ 

    ゆーさん  |  埼玉某所  |  不明  |  06/October/2007

    《悲劇的》というタイトルがスコアにあろうがなかろうが、この曲のテーマが悲劇そのものであることは誰の目にも明らかである。マーラーの交響曲と言えば、19世紀末の混沌の生き写しのような複雑難解さをもって知られる。何しろ、当時の心理学界をリードするフロイトが興味を抱く程の異常心理を持っているのだ。また、若き日に経験した身内の相次ぐ死の恐怖から、一生逃れられなかったことでも知られる。この交響曲が作曲された頃、マーラーはアルマとの間に子供を授かっていたが、そうした幸福の影に死への恐れがあったのは言うまでもない。従って、この曲は彼の心情吐露と言えるのである。だからこそ、荒れ狂う程の情念が渦巻くくらいの演奏でなくてはならないはずである。しかしここに聴くアバドの演奏は余りに馬鹿丁寧で、冷静過ぎる。かつてインバルでこの演奏を聴いた時、余りの無神経さ、他人行儀な有様に嫌気がさしたが、アバドもそれに迫る無機質ぶりだ。おおよそオケの技だけで勝負している。精緻なのはいいが、もっと感情の切り込みがあっても良いはずだ。また、演奏順序やらスコアの違いやらが問題視されているようだが、肝心なのは「それで何を伝えるのか」に尽きる。「音楽の中にある最上のものは、音符の中からは見つからないよ」とは、マーラーその人の発言である。またフルトヴェングラーは「書かれた楽譜の裏にあるもの」を表現することこそ、演奏の本質であるとしている。理論理屈や技巧を越えた、真の音楽を聴きたいものだ。

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  • ★☆☆☆☆ 

    サラダ  |  愛知県  |  不明  |  08/May/2005

    この演奏を好しとするならば、どう考えても「悲劇的」という表題ははずさなければならないような気がする。単なるマーラーの第6交響曲にすぎない。

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