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HMVインタビュー:Daniel Merriweather

Friday, May 29th 2009

interview

Daniel Merriweather

最近の音楽は色んな意味でADD(=注意欠陥障害)を患っているだろう? 精神分裂気味で、どのアルバムを聴いても曲ごとに全然違う観点から作られていたりして、全く一貫性に欠けている。そういうアルバムにはしたくなかった。

--- その一方で、少年時代はあれこれトラブルに巻き込まれてハードな時期を過ごしたそうですね。具体的にはどんな事件が起きたんですか?

う〜ん、まあそれは色々あって、17歳の時に高校を中退しちゃって……うん、ようするに付き合っちゃいけない類の人たちとつるんでいたってことなのかもしれない。当時僕の家族はメルボルンといっても都市部からは遠い、山のそばの森の中に住んでいて、何か面白いことが起きている場所からあまりにも距離があった。だから僕はいつも電車やバスを乗り継いで、その“何か面白いことが起きている場所”まで独りで出かけていたんだよ。そこで色んな種類の人たちとつるんでいて、しかもお金は全然持っていなかったし、そういう状況がなんとなく僕をトラブルに誘いこんだってことなんだろうね。だから当時起きたことに関してはすごく後悔しているよ。あまりにも頻繁に警察の厄介になったし、音楽からも遠ざかったしまった。僕が夢見ていたのはミュージシャンになるってことだけだったにもかかわらず、その夢から関心がそれてしまっていたんだ。音楽のことを忘れちゃっていたみたいだね。でも10代の頃ってみんな、何らかの闘いに巻き込まれているものだろう?(笑)人生にはそういう時期が一度くらいあるはず。相手が警察なのか誰なのか、それは人によって違うんだろうけどね。そんなわけであの頃の僕もちょっと道を外れて迷子になっていたのさ。ただその後、幸運にも19歳の時に地元のレコード会社と契約を交わすことができて、本当に救われたよ。初めてレコーディング・スタジオに足を踏み入れて、実際に曲を書いて録音して音楽を作るという経験をしたのは、僕にとってとてつもなく大きなレッスンになった。あの経験が僕を正しい道に連れ戻して、自分の情熱が本来向かっていた場所、つまり音楽へと僕の関心を引き戻して、改めて意識を集中できるよう促してくれたんだよ。

--- それから約7年を経て、ようやくここにデビュー・アルバムが完成しました。当初は昨年春にリリースされる予定でしたが、あれから作り直したんですか?

ああ。ゼロからやり直したよ。だから、アルバムに随分長い間かかりっきりになっているような気がするんだけど、実際のところは、どの曲も過去6ヵ月間に書いたものなんだ。ごく最近生まれた曲だよ。この7〜8年の間に多分僕は数百曲の曲を書いてきたと思う。でもアルバムに関してはゼロから始めて、これまでにやってきたことを一旦全てぬぐいさって、白紙の状態に戻したかった。そして、20年後に聴いてもいいと思える、同じ愛情を持って聴ける作品を作りたかったんだ。そのためにも、ジャンルっていう概念を捨てて、いい曲を書くことに専念し、それらを素晴らしいミュージシャンたちに演奏してもらおうっていう基本的な目標を定めた。あとはもう、いたってランダムな作業だったよ。僕は“アクシデント”が好きなんだ。具体的な計画を持たずに、ただその時の心の状態に任せて曲を書いてゆくのさ。とにかく余分なものを一切はぎとった、シンプルでピュアなアルバムを完成させたかったんだ。

--- 着手当時は複数のプロデューサーとコラボしていましたよね。それが最終的には全編をマーク・ロンソンが手掛けることになったのは、アルバムとして一貫性のある作品を作りたかったから? 一人のプロデューサーに任せるなんて、最近では非常に珍しいことですよね。

うん。極めて珍しいケースだよね。最初から最後まで一人のプロデューサーがアルバム1枚を手掛けるなんて。しかもソロ・アーティストとなると、さらに稀だよ。バンドならごく普通のことなのにね。そして君が言う通り、当初は色んなプロデューサーからトラックやビートを提供してもらったんだ。ネプチューンズのチャド・ヒューゴーやサラーム・レミとか、様々な人たちと試してみた。でもそうやって作業を続けているうちに、ある時点で少々不満を感じ始めたんだよ。なんだかもう、いろんな飾りを全部取っ払ってしまいたくなった。そしてベーシックでシンプルなアルバムにしたくなった。そう、トラディショナルにギターで曲を書いて、全部マークにプロデュースしてもらいたくなった。それでマークに打診してみたのさ。当初彼は2〜3曲だけをプロデュースする予定だったんだけど、“ねえ、どうせなら全部ふたりで一緒にやろうよ。ちゃんと必要なだけ時間をとって、いいアルバムを作ろうじゃないか”って提案したら、彼も乗り気になってくれて、じっくりふたりで向き合って作り上げたんだよ。今思うと、これ以外のアプローチは考えられないね。なんたって最近の音楽は色んな意味でADD(=注意欠陥障害)を患っているだろう? 精神分裂気味で、どのアルバムを聴いても曲ごとに全然違う観点から作られていたりして、全く一貫性に欠けている。そういうアルバムにはしたくなかった。それに、親しい友人とじっくりアルバムを1枚作るっていうこと自体が素晴らしいよね。究極的には友達と一緒にやるほうが絶対に楽しいわけだから(笑)。

--- マークの「STOP ME」が大ヒットしたあとですし、彼は長年あなたを絶賛して「絶対ビッグになる」と言ってきたわけですから、それなりに「実力を証明しなければ」というプレッシャーもあったのでは?

どうかな。正直言って、僕が感じていた最大のプレッシャーは自分自身から来るものだった。常にミュージシャンとしての自分の表現を向上させたいと思っているから、努力は惜しまないし、プレッシャーに苦しむというよりも、ようやくアルバムを発表できるってことに心からエキサイトしていたよ。そして自分の名前を冠したアルバムを作るチャンスを与えられたことに、感謝している。とにかく音楽が大好きなんだよ。歌うことも、ステージでパフォーマンスをすることも、曲を書くことも全て。だからアルバム制作の全プロセスをめいっぱい楽しんだ。……ほら、もしも僕の名前が少しでも世の中に浸透しているのだとしたら、それはまさしくマークとのコラボ曲がヒットしたからであって、ソングライターでもある僕にとっては、別のアーティストのアルバムで歌ったザ・スミスのカバー曲でしか知られていないという事実に、少なからぬフラストレーションを感じていた。僕は自分の言葉と声で自己表現する、真のアーティストだと思っているからね。でもそれと同時に、マークとのコラボは僕の人生の重要な一部であり、すごく誇りに感じているし、すごく楽しんだし、そもそもあの曲がイギリスであんなに大ヒットするとはマークも僕も全く予想していなかった。ささっとリリースして、次はすぐに僕のアルバムに取り掛かれるものだと思っていたから(笑)。

profile

1982 年生まれ、オーストラリア出身の26 歳。マーク・ロンソンの秘蔵っ子としてAllido Records/J Records からデビューする新人シンガーソングライター。ダニエル・ポール・メリウェザーはメルボルンの田舎町で教師の両親のもと、決して裕福とはいえない控えめなライフスタイルを送る家庭で育った。4 歳の時にバイオリンを習い始めるが楽譜を読むことが苦手で、 13 歳まで耳の記憶力だけで全ての楽曲を演奏し、遂にはヴィヴァルディのコンチェルトまで弾いていたという。とにかく歌うことが好きで

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