暑くなっても東欧音楽
2021年07月12日 (月) 12:30 - HMV&BOOKS online - Classical
連載 許光俊の言いたい放題 第291回

コロナのせいで、いろいろなことが思いがけず変わってしまったけれど、指揮者とオーケストラの世界に関して言うならば、やはりラトルがロンドン交響楽団を去って、バイエルン放送響のシェフになるという発表があったのが驚きだった。以前ここで、バイエルンとの「ワルキューレ」のすばらしいCDについて書いたが、それにしてもである。
コロナが世界を支配するまでラトルとロンドン響との演奏は冴えに冴えていた。もはや棒の動きは単純なテンポやリズムを指示するなどということはなく、音楽の起伏や表情を示すと言う、完全に巨匠風の指揮。テンポも自由に揺らす。その結果、特に弦楽合奏のニュアンスがすさまじく細やかかつ音色豊富になった。幻想交響曲の第3楽章、マーラー第5番のアダージェットなど、かつて聴いたことがない類の異常な美しさだった。そのロンドンを去るとは、あまりにも惜しい。だが、このような常人とは桁外れの決断力があるところが、昔からラトルのすごさだ。実に大胆に現状を見切り、新たな未来を向くのである。サーの称号までもらっているのに、ドイツ国籍まで取得してしまったというから、情け容赦ない。イギリス人が腹を立てているという記事もどこかで読んだが、それも当然かもしれない。だけど、本当に偉い人は、過去なんて簡単に捨てるもの。
確かにロンドンは、おそらく一般に想像されるよりも、クラシック音楽の状況が厳しい町ではある。愛好家の数が少ないわけではないのだが、ドイツのように同じプログラムを何度も演奏するほどではない。せいぜい2回だ。すいているコンサートも少なくない。チケットは安く、オーケストラの経営は楽ではない。金がかかる企画は難しかろう。新しいホールの計画も順調に進んでいないという。
というわけで、今となって貴重感が増したラトルとロンドン響の録音だが、ラフマニノフの交響曲第2番はたいへんすばらしい。これも私がロンドンまで聴きに行ったコンサートのライヴ録音なのだが、きっと限界までねっとりと陶酔的にやってくれるのだろうと、悪ノリタイプの演奏を予想していたら、全然違った。響きの混ぜ合わせ方が実に巧みで、印象派的な美しさで聴かせるというきわめてユニークな解釈だったのだ。ラフマニノフがこうもやれるのかという新鮮な驚きに満たされた。こういう心地よく期待を裏切る演奏家がやはりおもしろい。
弦楽器は柔らかくふわっとした感じ。弱音で奏される個所のしみじみぶり。第1楽章の終わりのほうなど、濃いのに澄んでいるという感じがよく伝わるのではないか。オーケストラがラトルの棒、テンポの変化にぴたりとついてくるのもたいしたもの。何十回も練習、本番をやったわけではないからね。
第3楽章でも漂うやわらかな大気のような響きにうっとりできる。しっとりしているのにすっきりした後味。これまた終わりのほうの透明感や陰影が実にいい。いかにも浄化という感じがする。ロンドン響の弦セクションって、こんなにすごかったのかと驚ける。
録音にすると、微妙な音色混ぜ合わせはどうしても伝わりにくくなるが、それでもこれがたいした演奏だったことは十分以上にわかるはずだ。ラフマニノフの交響曲に関しては、かねてよりクルト・ザンデルリンクが圧倒的にすばらしい録音を複数作っているが、私にとってはそれ以来のお気に入りになった。そうそう、かつてラトルはザンデルリンクも研究したらしいが、全然違う音楽である。

さて、暑くなると、何となく眠たくて、どうにも涼し気な音楽のほうを向きがち。
なのだけれど、スメターチェク指揮プラハ交響楽団のドヴォルザークの交響曲集、6番から始まるが、いきなり昔懐かしいざらっとした素朴な音がするのに、はっとして目が冴えた。特にその前にカラヤンの「パルジファル」をちょこっと聴いていたので。
このCDで演奏しているプラハ交響楽団、プラハ放送交響楽団に限ったことではないが、チェコは昔はハプスブルク帝国の一部だったけれど、音楽の感覚はウィーンあたりとはだいぶ違う。フレージングがくっきりと明快で、ことさら余韻を漂わせたりはしない。だから、濃いようでいて案外あっさりという感じになる。で、フレージングがくっきりと言っても、ドイツのそれとも違うのだ。そういえば、チェコもドイツもビールがおいしいと有名だし、オーストリアだって日常的に飲むのはワイン以上にビールかもしれないのだが、どこも味が違う。プラハのビールはホップが効いていていて、風味はあるのにきりっとした感じ。マイナス10度の真冬でもコンサートのあとに飲むとおいしい。オーケストラのフレージングもそういう感覚と言えるかもしれない。ウィーンのビールは、それに比べるとのんびりというか軟弱というかだらしないというか、そういう味がする。
それはともかく、6番よりいっそう力がこもっているのが「新世界」。なよなよしたところがなくて、毎日仕事帰りにジムで運動している筋肉質な男みたいな雰囲気。びっくりするような筋肉のお化けではなく、ほどよい感じの。燃え盛ってはいないが、熱さも十分。高揚していくところの温度の上がり方など、実に自然。
リズムのそこかしこ、木管のソロに、ほかのどこでもない微妙なチェコっぽさがある。特に第2楽章はローカル色満点で、エキゾチックだ。木管、金管の音色もだし、うんとヴィブラートを効かせた弦楽器も。
第3楽章のリズムの取り方も、目からうろこだ。フィナーレになると、いよいよ解放感が溢れる。濃厚に歌っても速めのテンポは維持され、もたれない。インチキくさくない高揚の果て、渾身の力で壮大に主題が回帰する。ともかくも曲のあちこちまで血が通っているという感じがする。当たり前にいい演奏。その当たり前が退屈とか凡庸ではなくて、よさとして認識できる。
私は、自分が生で聴いたことがない演奏家にはあまり強い関心を抱けないタチなのだが、このスメターチェクはたいへん楽しくて、続けて三度聴いた。
評論家エッセイ情報
ラトル
スメターチェク

コロナのせいで、いろいろなことが思いがけず変わってしまったけれど、指揮者とオーケストラの世界に関して言うならば、やはりラトルがロンドン交響楽団を去って、バイエルン放送響のシェフになるという発表があったのが驚きだった。以前ここで、バイエルンとの「ワルキューレ」のすばらしいCDについて書いたが、それにしてもである。
コロナが世界を支配するまでラトルとロンドン響との演奏は冴えに冴えていた。もはや棒の動きは単純なテンポやリズムを指示するなどということはなく、音楽の起伏や表情を示すと言う、完全に巨匠風の指揮。テンポも自由に揺らす。その結果、特に弦楽合奏のニュアンスがすさまじく細やかかつ音色豊富になった。幻想交響曲の第3楽章、マーラー第5番のアダージェットなど、かつて聴いたことがない類の異常な美しさだった。そのロンドンを去るとは、あまりにも惜しい。だが、このような常人とは桁外れの決断力があるところが、昔からラトルのすごさだ。実に大胆に現状を見切り、新たな未来を向くのである。サーの称号までもらっているのに、ドイツ国籍まで取得してしまったというから、情け容赦ない。イギリス人が腹を立てているという記事もどこかで読んだが、それも当然かもしれない。だけど、本当に偉い人は、過去なんて簡単に捨てるもの。
確かにロンドンは、おそらく一般に想像されるよりも、クラシック音楽の状況が厳しい町ではある。愛好家の数が少ないわけではないのだが、ドイツのように同じプログラムを何度も演奏するほどではない。せいぜい2回だ。すいているコンサートも少なくない。チケットは安く、オーケストラの経営は楽ではない。金がかかる企画は難しかろう。新しいホールの計画も順調に進んでいないという。
というわけで、今となって貴重感が増したラトルとロンドン響の録音だが、ラフマニノフの交響曲第2番はたいへんすばらしい。これも私がロンドンまで聴きに行ったコンサートのライヴ録音なのだが、きっと限界までねっとりと陶酔的にやってくれるのだろうと、悪ノリタイプの演奏を予想していたら、全然違った。響きの混ぜ合わせ方が実に巧みで、印象派的な美しさで聴かせるというきわめてユニークな解釈だったのだ。ラフマニノフがこうもやれるのかという新鮮な驚きに満たされた。こういう心地よく期待を裏切る演奏家がやはりおもしろい。
弦楽器は柔らかくふわっとした感じ。弱音で奏される個所のしみじみぶり。第1楽章の終わりのほうなど、濃いのに澄んでいるという感じがよく伝わるのではないか。オーケストラがラトルの棒、テンポの変化にぴたりとついてくるのもたいしたもの。何十回も練習、本番をやったわけではないからね。
第3楽章でも漂うやわらかな大気のような響きにうっとりできる。しっとりしているのにすっきりした後味。これまた終わりのほうの透明感や陰影が実にいい。いかにも浄化という感じがする。ロンドン響の弦セクションって、こんなにすごかったのかと驚ける。
録音にすると、微妙な音色混ぜ合わせはどうしても伝わりにくくなるが、それでもこれがたいした演奏だったことは十分以上にわかるはずだ。ラフマニノフの交響曲に関しては、かねてよりクルト・ザンデルリンクが圧倒的にすばらしい録音を複数作っているが、私にとってはそれ以来のお気に入りになった。そうそう、かつてラトルはザンデルリンクも研究したらしいが、全然違う音楽である。

さて、暑くなると、何となく眠たくて、どうにも涼し気な音楽のほうを向きがち。
なのだけれど、スメターチェク指揮プラハ交響楽団のドヴォルザークの交響曲集、6番から始まるが、いきなり昔懐かしいざらっとした素朴な音がするのに、はっとして目が冴えた。特にその前にカラヤンの「パルジファル」をちょこっと聴いていたので。
このCDで演奏しているプラハ交響楽団、プラハ放送交響楽団に限ったことではないが、チェコは昔はハプスブルク帝国の一部だったけれど、音楽の感覚はウィーンあたりとはだいぶ違う。フレージングがくっきりと明快で、ことさら余韻を漂わせたりはしない。だから、濃いようでいて案外あっさりという感じになる。で、フレージングがくっきりと言っても、ドイツのそれとも違うのだ。そういえば、チェコもドイツもビールがおいしいと有名だし、オーストリアだって日常的に飲むのはワイン以上にビールかもしれないのだが、どこも味が違う。プラハのビールはホップが効いていていて、風味はあるのにきりっとした感じ。マイナス10度の真冬でもコンサートのあとに飲むとおいしい。オーケストラのフレージングもそういう感覚と言えるかもしれない。ウィーンのビールは、それに比べるとのんびりというか軟弱というかだらしないというか、そういう味がする。
それはともかく、6番よりいっそう力がこもっているのが「新世界」。なよなよしたところがなくて、毎日仕事帰りにジムで運動している筋肉質な男みたいな雰囲気。びっくりするような筋肉のお化けではなく、ほどよい感じの。燃え盛ってはいないが、熱さも十分。高揚していくところの温度の上がり方など、実に自然。
リズムのそこかしこ、木管のソロに、ほかのどこでもない微妙なチェコっぽさがある。特に第2楽章はローカル色満点で、エキゾチックだ。木管、金管の音色もだし、うんとヴィブラートを効かせた弦楽器も。
第3楽章のリズムの取り方も、目からうろこだ。フィナーレになると、いよいよ解放感が溢れる。濃厚に歌っても速めのテンポは維持され、もたれない。インチキくさくない高揚の果て、渾身の力で壮大に主題が回帰する。ともかくも曲のあちこちまで血が通っているという感じがする。当たり前にいい演奏。その当たり前が退屈とか凡庸ではなくて、よさとして認識できる。
私は、自分が生で聴いたことがない演奏家にはあまり強い関心を抱けないタチなのだが、このスメターチェクはたいへん楽しくて、続けて三度聴いた。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
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