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「乙女はクラシックの夢を見るか?」

Tuesday, May 31st 2011

連載 許光俊の言いたい放題 第193回

「乙女はクラシックの夢を見るか?」

国際フォーラム 地震と原発のせいで日本中のクラシック・コンサートが大打撃を受けたが、東京ではゴールデンウィークの風物詩となっているラ・フォル・ジュルネも例外ではない。
 この音楽祭、当初は私なども「何、これ?」と怪しんだ。出演する演奏家は名前も知らない人が大半。しかも、45分程度の短いコンサートがたくさん。会場は音響面で不評の東京国際フォーラム。どう見たって浅薄な企画先行の中身のない音楽祭に違いないと推測した。贅沢慣れしている東京のクラシック・ファンが行くわけはないと踏んだのだ。
 だが、私の推測は間違っていた。その音楽的クオリティが最高レベルかは別にして、結果的には想像以上に多くの人が押し寄せる(まさに、押し寄せる、である)一大イベントとしてあっという間に定着したのである。初めて会場に出かけたとき、まるでターミナル駅かという人混みに、目を疑った。いくら時間がある連休中とはいえ、これだけ多くの人々がクラシックを聴こうとしているのかと驚きを覚えた。実際のところ毎年大半のコンサートがあっという間に売り切れるのだ。
 そして、客層も、ふだん私がサントリーホールなどで見ている人々とは違う。ひとことで言えば、マニアっぽいのはあまりいなくて、素朴そうな人が多い。しかし、みなちゃんと興味を持って聴きに来ており、マナーよく音楽に耳を傾けているのだ。私が馴染んでいる世界とはいったい何だったんだろう。稼ぎのほとんどはクラシックのために消え、独身者が異常に多く、結婚していても子供はいないのが当然。年回百回のコンサートに行く、数百枚のCDを買うなど普通で、CDを置くためにアパートをもうひとつ借りる人までおり、あげく度を超して家庭崩壊に至る人もいる。・・・それはあまりに特殊な世界だったのか。
 この音楽祭を最初にフランスで企画し、成功させたのがルネ・マルタンという人である。ことあるごとに登場するので、「どうして、影の存在のはずのプロデューサーがのこのこ出てくるわけ?」とあまり好感を持っていなかったが、彼の本が発売されたので読んでみた。『フランス的クラシック生活』(PHP新書)である。
 彼はもともとバンド少年だったが、たまたまバルトークを聴いて衝撃を受けたのだという。そして、本来ならもっと多くの人々がクラシックを聴いて熱狂できるはずだと考えた。そして、企画されたのがラ・フォル・ジュルネというわけだ。
 なるほど一理ある。ヘンデルだって、ハイドンだって、それにベートーヴェンにしたって、当時の人々にとってはショーみたいなものであり、おもしろければ単純に熱狂すればよい娯楽だったことは歴史的事実である。現代人が同様にふるまっても不思議はなかろう。
 だが、私は「クラシックを身近に!」と言う人々が嫌いなのだ。「へえ、身近なことがそんなにいいんですか?」とからみたくなる。人間は身近なものだけが好きなのではなかろう。遠いからこそ知りたいと思い、理解したいと思い、近づこうとすることだってあろう。難しくて結構。勉強が必要で結構。あなた、そんなに勉強が嫌い? 勉強するって、すばらしいことではない? 人生って、勉強抜きではあり得ないと思わない? 高尚なものに憧れるって気持、あなたにはない? それがなくなったら、人間としては堕落ではない?  ベートーヴェンの作品を「実は簡単なんです」と引きずり下ろすより、自分がよりよく味わえるようになるのがスジというものではない? それに、難しいことがわかるようになるって、とても気持よくない?
 それはともかく、今や世界中でラ・フォル・ジュルネを成功させているマルタン師の書物とはいかなる内容だったのか? なんと「掃除するときは」「晴れた朝には」「恋人と過ごすときは」という50の状況にふさわしい曲を教えてくれるという代物だったのだ。なんだ、オレの本に似ているじゃん(『痛快! クラシックの新常識』リットーミュージック)。
 意外な状況設定、選曲がなされている場合もあって(たとえば昨夜プロポーズされたときには、ポンキエッリ「時の踊り」!)、人の感覚はさまざまだなと思わされるが、ぎょっとしたのは、「静かな寝正月」のページだ。「寒い冬の日には焼餅に鶏南蛮、渋い茶もいいが・・・」 え、あなた、鶏南蛮なんて知っているの? マルデニホンジンミタイネ。それともゴーストライターが馬脚を現した瞬間?
 だが、そんなことよりも本書のおもしろさは、「クラシックと乙女」の道を驀進する高野麻衣嬢のコラムにある。女性は(と言ってはいけないか、人間は)しばしば自己陶酔に耽溺するが、これほどまでに自己陶酔を貫徹し、ゴーイング・マイ・ウェイを徹底する人も珍しい。これはもう立派に妄想の域に達している。特に「バレエ・リュスがダークで刺激的な前衛暗黒乙女美学の極み・・・」という一節にはニヤリとさせられた。「前衛暗黒乙女美学」、この大げささがたまらない。何かの折りに私も使いたいフレーズである。かつての「マリ・クレール」全盛期1980年代の残り香が強く感じられるのも懐かしい。マリー・アントワネットを崇拝するという高野嬢、どこまでいくのか楽しみである。

 さて、高野嬢は、「クラシック・スナイパー」に毎回執筆している唯一の女性だが、その「スナイパー」もいよいよ今年秋発売の第8号で終焉を迎える。今、断末魔の声をどうあげたらいいか、企画を練っているところだ。前号の「吉田秀和は本当に偉いのか?」という特集は、今までで一番反響があった。となれば、それ以上にものを考えつかねばならないのだが、大地震と原発のあとで、そうそうインパクトのある特集を思いつけるものではないのである。
 超高齢でいまだ現役の物書きである吉田秀和は、今となってはマルタン的、ラ・フォル・ジュルネ的クラシックのほぼ正反対に位置するだろう。その物書きとしての巧みさはまさしく舌を巻くほどだが、意外に若者には読まれていない。評論がひとつの時代の枠を飛び越えることはなかなか難しいようだ。一時は楽壇で権勢を誇ったと言われる山根銀二の音楽評論を読む人など、今ではほとんどいないだろう。吉田の評論は忘れ去られるにはもったいない気がするが、同時に、早く過去のものにすべきだとも思われ・・・痛し痒しである。私としては、老人に酷い仕打ちと思いながら、大ナタをふるった文章を書いたつもりだ。

マタチッチ ところで、音が良くなったという触れ込みでいろいろなタイトルが発売されているXRCD、今度はマタチッチ指揮NHK交響楽団のライヴが製品化される。これまではかつて名盤と言われたものが多かったので、どんなものだろうと思ってブルックナーの交響曲第8番のサンプルを聴いてみたのだが、これが著しく改善されているのだ。
 今から約20年前、マタチッチ最後の来日公演は、私もいそいそとナマを聴きに行ったクチだが、のちに発売されたCDを聴いて、あまりの音の貧相さに驚いたものだ。いくら何でもここまでダサくはなかったろうといぶかった。ところが、今回のXRCDは明らかにブルックナーらしい音がしている。だから、聴いていて抵抗感がない。当たり前に音楽に集中できる。音質を気にさせない音質なのだ。
 もっとも勘ぐれば、これはXRCDなので音が良いと言うより、このような音色に仕上げたのが巧かったということなのかもしれない。実際、かつてNHKホールで聴いた響きがこのように暗みと重みがある音だったとは思われない。
 だが、これは以前アルトゥスで発売されたヨッフムとバンベルク響のブルックナー第8番を聴いたときにも思ったのだが、昔のライヴが美化された形で発売されるのは、それはそれでいいのではないか。いずれにせよ、過去は記憶の中で美化されるものだから。
 肝心の演奏は、第3楽章など悠然とした足取りで進んでいく、実に落ち着いた味わい深い音楽で、日本のオーケストラには厳しい私でも、ここにはすばらしい瞬間がいくつもあることは認めるし、当日の聴衆が感激したのも無理はない。
 ただ、ブルックナーの交響曲第8番はいろいろなCDが発売されている。ある世代から上が思い出として聴くのは一向かまわないが、そうでなければ、まず他に聴くべきものはいくつもある。たとえば、マタチッチとほぼ同時期のライヴ録音なら、ジュリーニ指揮ベルリン・フィルがある。音質には不満が残るが、後半楽章でのオーケストラのすばらしさは圧巻だ。その一体感たるやまさに恐るべしで、これこそがオーケストラ芸術なのだと納得させられる。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 

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