チャールズ・マッケラス[1925-2010]のモーツァルトといえばまず、1980年代後半「TELARC」レーベルにプラハ室内管弦楽団と録音した交響曲全集が、偉業として挙げられます。しかしその後、彼が桂冠指揮者の地位にあったスコットランド室内管弦楽団と共にレヴィン版の『レクィエム』を録音して大きな話題となったのを皮切りに、2007年録音の後期交響曲集が「2009 BBC Music Magazine Awards」年間最優秀賞ほかの高い評価を得るなど、続く交響曲第2集ともども、一連の「LINN」への録音もまた忘れがたいものです。
ジュスマイヤー版を尊重しながらも不自然さを極力そぎ落としてモーツァルトのスタイルを追求したレヴィン版『レクィエム』は、作曲家が残したスケッチを1分半という程よい規模に膨らませた『アーメン・フーガ』が最大の特徴。モーツァルト作品に強いこだわりを持ったマッケラスが、初めて録音した『レクィエム』としても注目されました。そしてモダン楽器の小編成オーケストラにより、ピリオド解釈を取り入れつつも新しい表現を改めて追い求めた後期交響曲集(ディスク3,4)と、最晩年のリリースとなった交響曲第2集(ディスク1,2)で聴かせる力強さと表情の温かさは目を見張るものがあり、どの作品もその素晴らしさに改めて気づかされる快演です。交響曲第31番の第2楽章は、オリジナルと発注者ル・グロの依頼により差し替えた版の2種を収録。演奏の特色を余すところなく記録した「LINN」によるレンジの広いクリアな録音も特筆ものです。
図らずも巨匠によるモーツァルトの集大成となった一連の録音が、通常CDにより安価にまとめられた歓迎すべきボックスといえるでしょう。なお付属ブックレット(英文)は『レクィエム』の歌詞を含め18ページと簡素化されていますが、スコットランド室内管弦楽団総裁ドナルド・マクドナルドによる、マッケラスとの絆についての最新の文章が寄稿されています。(輸入元情報)
良い演奏は冒頭を聞けばわかる。29番第一楽章を聞いたら「マッケラスってこんなに凄かったのか」と本当に瞠目した。マッケラスと言えば、今でも”ウィーンフィルとのヤナーチェクだよね”と私も思っていたし、ブレンデルがマッケラスをパートナーに選び、再録音したモーツァルトの協奏曲がリリースされた時に購入したが、「なんでマッケラスだったんだろう」と言うことが私には当時全くわからなかった。ところがマッケラスは1992年から始まったECOとの関係の中で、早くからこのモダンオケにピリオド奏法とナチュラルホルン、トランペット、ティンパニを導入、新しい表現を目指していた(これはライナーに書いてあったから事実だろう)。その終着点とも言えるのが2007年と9年に録音されたこのディスクである(レクイエムは2002年)。特に最晩年の29、31、32番とハフナーとリンツは物凄い名演。29番は優しい響きの中にも立体的な響きと、細かいニュアンスの両立が奇跡に近い。これを聞いてしまうと、勢いが良い29番の冒頭とかもう聞きたくなくなる。また、ハフナーはピリオド奏法でありながら推進力と暖かみが両立し、また各声部の音量調整が見事。第一楽章の終結部とかたまらない。特に第二楽章がここまで心に染みる演奏は他では聞けない。三楽章はリズム処理が見事だし、終楽章もしっかり鳴らしてくれる。リンツに至ってはこの美点にスケール感が加わるのだから鬼に金棒とはこう言うことを言うのだろう。従来のピリオド演奏では曲の構成感とインテンポのためにモーツァルトの持つ慈愛が失われていたんだなぁと改めて気付くことになった。38−41も悪かろうはずがない。プラハは演奏の難しい曲だが、対位法の良さを引き出しながら、細かいニュアンスに心がこもる。それがジュビターになるともう一つギアを上げて曲にふさわしくボリュームアップする。やはりこの曲は別格なんだなと思わせる。このディスクの素晴らしさについてはいくらでも書けるが、従来のSACDから通常CDになったがボックス化して求めやすくなったし、これを機に多くの方にマッケラスの至芸を聞いて欲しいと願わずにいられない。なお、ブックレットに記載されたSCOのドナルド・マクドナルド総裁(なんちゅうお名前じゃー)の「Some reflections and reminiscences」と言う寄稿は、2020年の8月に書かれたもので、没後10年経ってもなお、マッケラスへの敬愛をはじめ、ブレンデルやラトルとのエピソードやこのディスクに対する誇りが記載されており、心に残る。