これは、カラヤンの最高傑作ではないか?
カラヤンにはピークが3回あった。1回目のピークは、恩師ウォルター・レッグと出逢い、EMIに続々とレコーディングを成したフィルハーモニア時代、2回目はベルリン・フィルの常任指揮者となりDGGと新たな契約を締結し、レッグとともに確立したレパートリーを再録音していった時代(この時期はウィーン国立歌劇場の音楽監督も兼任し、DECCAにも歴史的名盤を残している)、そして3回目は、最愛のウィーン国立歌劇場と訣別し、それでも理想のオペラ上演を目指して故郷のザルツブルグで復活祭音楽祭を創設した1967年から椎間板の手術を受ける75年までの10年間だ。
カラヤンが凄いのは1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と、ピークの山が加速度的に高まっていくところ。70年代に入り、カラヤンはEMIと新たな契約を結びミッシェル・グロッツとともに4CHの録音方式に挑戦するが、それらの諸作品は、カラヤンの長い盤歴の中でもひときわ異彩を放つ名作が並び立つ。
カラヤンは、共演する相手やプロデューサー、或いは、録音の会場や方式に応じて制作にあたってのコンセプトを変える。よくカラヤンのことを『商業的で、売れると思えば何度でも同じ演目を繰り返し収録するが、録音技術の進歩以外には何の変わり映えもしない作品ばかりだ』と批判する声を耳にするが、これは大きな間違いだ。もしそうなら、何故カラヤンは64年から77年までの僅か10年足らずの間にチャイコフスキーの後期交響曲集を3回も録音したのか? 他のものをリリースした方が余程セールスも期待できたであろうに、敢えてチャイコフスキーを取り上げている理由は如何に?
そのことは、これらの三作品を聴けばたちどころに分かる。60年代のものがベルリン・フィル常任指揮者としての「規範」を示さんという内容であったのに対して、71年のEMI盤は4CHという新たな可能性に挑んだ「挑戦的」なもの、そして、75年から77年にかけてのDGG盤は彫塑に彫塑を重ねた、この作品に対する「最終対」な結論ども言うべき演奏である。その違いは、レコードを実際に聴いた者なら誰でもハッキリと識別できる。カラヤンには、そうしなければならない明確な理由があったのだ。
71年盤の特徴は何といってもクォドラフォニックという録音方式にある。ここでのコンセプトは、この作品の立体的な再現にあって、収録にあたってのポリシーとして、@個々の楽器の音を拾うよりもオーケストラのサウンドをホール全体に鳴り響かせ、その空間の中に各楽器の音像を立体的に位置付けることを目指している。DGGの一連の録音が「ミクロ的」とすればEMIの方は「マクロ的」である。またA演奏のスタイルも、縦の線(アインザッツ)を揃えて譜面上の音符を正確に音化するよりも、音楽の流れや勢いを優先し、緩急やダイナミックスの巾を広くとって、ライヴ演奏のような臨場感を出そうとしている。カラヤンがDecca時代に体験したカルショウが開発した【ソニック・ステージ】を超える3次元的な空間再現の可能性を追求した画期的な取り組みだった。
75年から77年にかけてのDGG盤はまったく方向性が違って、個々の楽器の音をミクロ的に積み上げ、楽曲の各フレーズを克明に描き、彫塑に彫塑を重ねている。EMI盤がコンサートの実演のような臨場感を狙っているとすれば、DGG盤はレコード芸術としての究極の姿を模索したもの。それこそがカラヤンが再録音に踏み切った理由である。その結果は一聴瞭然、どう見ても(聴いても)録音の違いだけではない。
カラヤンはDGGに対しブルックナーの交響曲のセッションを要望していた。しかし、会社はヨッフムの全集を企画制作中だった為、それに応えることはなかった。ところが、カラヤンがEMIからブルックナーをリリースし、それを契機にブームが到来すると、今度は一度も演奏したこともない初期の交響曲までも録音させた。おそらく、カラヤンが演りたかったのは、後期の三曲とロマンティックくらいだっだろうに・・・。
商業的なのは(当たり前だが)会社側であって、カラヤンは純粋に芸術的な観点からレコーディングを考える。だから、たとえマーラー・ブームが起こったからといって、《復活》も《千人の交響曲》も録音しようとはならないし、逆に、会社がセールスに自信がないから新ウィーン楽派の管弦楽曲の企画に躊躇しているのに業を煮やし、セッションの費用を自身で負担してでもやり遂げたのだ。儲け主義の人間が、売れるかどうか分からないプロジェクトに自費を投入するだろうか? そして《ドン・ジョヴァンニ》も《ボリス・ゴドノフ》も《サロメ》も、主役となる歌手が見つかるまで、じっと時を待った。カラヤンはそうした誠実で忍耐強いアーティストだった。
そんなカラヤンが夢見たのは、ステレオの先を行くクォドラフォニックの世界を切り開くことだった。そして、その可能性に全身全霊を傾けたのである。その題材として取り上げたのがブルックナーであり,チャイコフスキー、R.シュトラウスだった。結局、クォドラフォニックは立ち消えになった。しかし、その試みは、カラヤンとベルリン・フィルにしか成し得ない、とてつもないスケール感と臨場感をともなった作品として結実した。本来は4CHで聴いて初めて真価が発揮されるということなのだろうが、ステレオ再生でもカラヤンが意図した世界は垣間見ることが出来る。
このチャイコフスキーは、全盛期のカラヤンが企てた革命的な挑戦の産物であり、その前人未到の世界に到達せんとするエネルギーが乗り移った、奇跡的な演奏なのである。