Peter Green | プロフィール | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!
彼らは結成と同年の1967年8月に、クリームやチキン・シャックらとともにナシュナル・ジャズ&ブルース・フェスティヴァルに参加。彼らのプレイは好評を得るが、翌9月には早くもボブが脱退し、ブルース・ブレイカーズ時代の同僚、ジョン・マクヴィー(b)が加入するというメンバーチェンジが行われている。フリートウッド・マックは11月にシングル“アイ・ビリーヴ・マイ・タイム・エイント・ロング”でデビュー。また翌1968年2月にはファーストの Peter Green’s Fleetwood Mac でアルバム・デビューを果たした。同作は全英4位を獲得し、また同時期にシングルの“ブラック・マジック・ウーマン”(後のサンタナのカヴァーが有名)もヒットさせている。
1969年にそれまで在籍していたブルー・ホライゾン・レーベルからリプリーズに移籍。と同時にそれまでの音楽スタイルをより幅広いものにしていく。移籍後1969年に発表されたアルバム ゼン・プレイ・オン(Then Play On) 。同作で彼らは新しいサウンドに挑戦。結果は吉と出てこの中からのシングル“オウ・ウェル”が全英ナンバーワンになり、彼らは人気を持続したが、根っからのブルース好きであるピーター・グリーンはグループの方向性と反りがあわず結局1970年5月に脱退してしまうという重大な出来事も起こってしまった。
話をピーター・グリーンに戻すと、彼はフリートウッド・マック脱退直後に初のソロ・アルバム The End Of The Games を発表。しかしこの当時の彼は、バンド在籍当時から続けていたドラッグに深刻に蝕まれており、精神不安定の状態に陥っていた。事実、ピーターはその後の長期間を沈黙。前述のソロ作と1971年前半にジェレミー・スペンサーが突如脱退したためツアーを中断せざるを得なかったフリートウッド・マックに助っ人として駆り出された以外、ピーター・グリーンの70年代はほとんど世捨て人のような生活だったと言われている。一説によると、彼は華々しいショウビズの世界とは無縁の仕事に就き、虚ろな表情でロンドンの街を彷徨っているところを目撃されていたそうだ。そしてそんなピーターは、とうとう1977年には精神病院に入院せざるを得なくなったのだった。