彼らは結成と同年の1967年8月に、クリームやチキン・シャックらとともにナシュナル・ジャズ&ブルース・フェスティヴァルに参加。彼らのプレイは好評を得るが、翌9月には早くもボブが脱退し、ブルースブレイカーズ時代の同僚、ジョン・マクヴィー(b)が加入するというメンバーチェンジが行われている。フリートウッド・マックは11月にシングル“アイ・ビリーヴ・マイ・タイム・エイント・ロング”でデビュー。また翌1968年2月にはファーストの Peter Green’s Fleetwood Mac でアルバム・デビューを果たした。同作は全英4位を獲得し、また同時期にシングルの“ブラック・マジック・ウーマン”(後のサンタナのカヴァーが有名)もヒットさせている。
1969年にそれまで在籍していたブルー・ホライゾン・レーベルからリプリーズに移籍。と同時にそれまでの音楽スタイルをより幅広いものにしていく。移籍後1969年に発表されたアルバム ゼン・プレイ・オン(Then Play On) 。同作で彼らは新しいサウンドに挑戦。結果は吉と出てこの中からのシングル“オウ・ウェル”が全英ナンバーワンになり、彼らは人気を持続したが、根っからのブルース好きであるピーター・グリーンはグループの方向性と反りがあわず結局1970年5月に脱退してしまうという重大な出来事も起こってしまった。
そしてファンの間でも解散ということが半ば公然としかけていた1987年に突然マックはカムバックを果たす。同年4月に タンゴ・イン・ザ・ナイト(Tango In The Night) を発表。シングル・ヒットを幾つか生み、アルバム自体も全米7位、全英ナンバーワンを獲得。しかしこの後、予定されていたワールドツアーの矢先にリンジー・バッキンガムが脱退を表明するという出来事も起こっている。ツアーは結局、ビリー・バーネット(g,vo)、リック・ヴィト (g)の二名を加えて敢行された。