Fleetwood Mac
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Fleetwood Mac (フリートウッド・マック) プロフィール

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Fleetwood Mac

サヴォイ・ブラウンスタンウェブズ・チキン・シャックとともに、三大英ブルース・ロック・バンドとして知られた初期のフリートウッド・マックは、後にアメリカ人メンバーを加えるなどして徐々に音楽性を変えていき、ついには全米ナンバーワンを獲得する人気ポップ・バンドへとなった。そうした彼らの活動の軌跡は他にはないユニークなものである。

フリートウッド・マックが結成されたのはブリティッシュ・ブルース・ブーム全盛の頃のことだった。ロッド・スチュアートが在籍したことでも知られるショットガン・エキスプレス、ジョン・メイオール率いるブルースブレイカーズで一緒に活動していたミック・フリートウッド(ds)、ピーター・グリーン(g,vo)らを中心にして1967年にロンドンで結成。他のメンバーは、元レヴィ・セット・ブルース・バンドのジェレミー・スペンサー(g,vo)と元音楽教師という経歴を持つボブ・ブランニング(b)だった。

彼らは結成と同年の1967年8月に、クリームチキン・シャックらとともにナシュナル・ジャズ&ブルース・フェスティヴァルに参加。彼らのプレイは好評を得るが、翌9月には早くもボブが脱退し、ブルースブレイカーズ時代の同僚、ジョン・マクヴィー(b)が加入するというメンバーチェンジが行われている。フリートウッド・マックは11月にシングル“アイ・ビリーヴ・マイ・タイム・エイント・ロング”でデビュー。また翌1968年2月にはファーストの Peter Green’s Fleetwood Mac でアルバム・デビューを果たした。同作は全英4位を獲得し、また同時期にシングルの“ブラック・マジック・ウーマン”(後のサンタナのカヴァーが有名)もヒットさせている。

チキン・シャックサヴォイ・ブラウンと並ぶ英ホワイト・ブルース・シーンの注目株として注目を集めるようになった彼らは、1968年にはセカンド・アルバム ミスター・ワンダフル(Mr. Wonderful) を発表。また同時期に元ボイラーハウスのダニー・カーワンが三人目のギタリストとして加入している。そして、この後フリートウッド・マックは全英1位を獲得したシングル“アルバトロス”で大出世を果たし、米国編集盤 英吉利の薔薇(English Rose) 聖なる鳥(The Pious Bird Of Good Fortune) の二枚を1969年中にリリース。またこの前後にアメリカ・ツアーを廻った彼らは、マディ・ウォーターズバディ・ガイなど本場シカゴのブルースメンと共演を果たしたが、そのツアー中のセッションで録られた音はセッション・アルバム Blues Jam At Chess (Fleetwood Mac In Chicago) としてリリースされたりもした。

1969年にそれまで在籍していたブルー・ホライゾン・レーベルからリプリーズに移籍。と同時にそれまでの音楽スタイルをより幅広いものにしていく。移籍後1969年に発表されたアルバム ゼン・プレイ・オン(Then Play On) 。同作で彼らは新しいサウンドに挑戦。結果は吉と出てこの中からのシングル“オウ・ウェル”が全英ナンバーワンになり、彼らは人気を持続したが、根っからのブルース好きであるピーター・グリーンはグループの方向性と反りがあわず結局1970年5月に脱退してしまうという重大な出来事も起こってしまった。

ピーター・グリーンの脱退はフリートウッド・マックの音楽性を根底的に変える要因となった。1970年発表の キルン・ハウス(Kiln House) 。ここで彼らは音楽性をよりコンテンポラリーなものへと進めていったが、それは従来からのファンを戸惑わせるほどだった。1971年2月にはジェレミー・スペンサーも脱退(新興宗教に入るためという理由だった)。そこで新たに迎えられたメンバーが、チキン・シャックの元メンバーで70年春からマックのツアー・メンバーを務めていたクリスティン・パーフェクト(key,vo / 後にジャスティン・マクヴィーと結婚。クリスティン・マクヴィーとなる)、そしてアメリカ西海岸出身のボブ・ウェルチ(g,vo / 元ヘッド・ウエスト)だった。新たな編成となった彼らは同1971年9月にアルバム フューチャー・ゲーム(Future Game) を発表。この時期からアメリカに進出し、全米での成功に照準を合わせはじめる。

フリートウッド・マックは1972年3月にアルバム 枯れ木(Bare Trees) を発表。またその後ダニー・カーワンに代わって、スティーヴ・ナイ(Key)、ボブ・ウェストン(g)、元サヴォイ・ブラウンのデイヴ・ウォーカー(vo)が加入したマックは、1973年3月に ペンギン(Penguin) を、デイヴ、スティーヴが脱退した後10月に 神秘の扉(Mystery To Me) 、そしてボブ・ウィストン脱退後の1974年9月には クリスタルの謎(Heroes Are Hard to Find) といったアルバムを発表していった。これらは全米制覇といった成果には届かなかったものの、マックはメンバー・チェンジを繰り返していく中で、徐々にサウンド・スタイルの地盤固めをしていった。

そんな彼らが遂にコンテンポラリーなポップ/ロック・サウンドで全米制覇を成し遂げるヒット作を発表したのは1975年のことだった。脱退したボブ・ウェルチに代わり、元ニックス&バッキンガムの名で活動していた歌姫スティーヴィ・ニックスとギター、ヴォーカルのリンジー・バッキンガムを迎え制作された ファンタスティック・マック(Fleetwood Mac) は1975年7月に発表された。同作は当初は大きな話題とはならなかったものの、“オーヴァー・マイ・ヘッド”、“リアノン”、“セイ・ユー・ラヴ・ミー”といった全米10〜20位に入るヒット・シングルの後押しもあって、アルバム自体も徐々にセールスを伸ばしていき、遂に全米ナンバーワンを獲得。またそれどころか同作は最終的に全米70週連続チャートインという記録を打ち立てるまでになったのだった。

スティーヴィリンジークリスティンが各々リード・ヴォーカルをとる新生マックのファンタジックなポップ感覚は、彼らを世界的なバンドへと押し上げたが、更にだめ押しともいえる一撃が1977年2月発表の次作 噂(Rumours) だった。“ドリームス”、“オウン・ウェイ”、“ドント・ストップ”、“ユー・メイク・ラヴィング・ファン”というトップ10ヒットを生んだ同作は、全米で32週もナンバーワンに輝いたモンスター・ヒット・アルバムとなったのだ。因みにこの作品は発表から2年で1500万枚という売り上げを記録した。

1979年10月に 牙/タスク(Tusk) を発表。相変わらず多くのシングル・ヒットを生んだ同作は、当然の如くヒットしたが、ただLP時代の当時二枚組ということもあり、前二作ほどのセールスには及ばなかった。それでも全米4位を獲得。またこの後1979年末から1980年秋にかけて行われたワールド・ツアーの音源は フリートウッド・マック・ライヴ(Live) としてリリースされた。

その後約2年ほど、各メンバーのソロ作などが続き、グループとしてはばらばらの時期を過ごした彼らは、久々となる1982年6月に ミラージュ(Mirage) を発表。シングル・ヒットを幾つか生んだ同作は、見事に全米ナンバーワンに返り咲くアルバムとなった。相変わらずの人気の高さを証明したマックだったが、しかしながらこの後行われる予定になっていたコンサートがスティーヴィの急病によりキャンセルされたのをきっかけに、その後5年間、活動停止状態となってしまったのだった。

そしてファンの間でも解散ということが半ば公然としかけていた1987年に突然マックはカムバックを果たす。同年4月に タンゴ・イン・ザ・ナイト(Tango In The Night) を発表。シングル・ヒットを幾つか生み、アルバム自体も全米7位、全英ナンバーワンを獲得。しかしこの後、予定されていたワールドツアーの矢先にリンジー・バッキンガムが脱退を表明するという出来事も起こっている。ツアーは結局、ビリー・バーネット(g,vo)、リック・ヴィト (g)の二名を加えて敢行された。

1988年にベスト盤 グレイテスト・ヒッツ(Greatest Hits) を発表。また1990年にはオリジナル・アルバム ビハインド・ザ・マスク(Behind The Mask) を発表している。同作は全英1位、全米18位を記録した。

クリスティン・マクヴィースティーヴィ・ニックスの脱退が囁かれ始めたのはこの頃だった。1992年に結成25周年を記念するボックス・セット 25イヤーズ:ザ・チェイン(25 Years: The Chain) をリリース。しかし間もなくスティーヴィリック・ヴィトとともに脱退、そしてクリスティンもライヴ活動への不参加を表明する、という転機が訪れたのだった。この頃にも解散説が高まったのは言うまでもないが、マックはボニー・ブラムレットの娘で、以前ミックの率いたバンドであるZooにも参加した経験を持つベッカ・ブラムレット(vo)、トラフィックやソロ活動で知られていたデイヴ・メイソン(g,vo)を迎え、新たなグループ編成で何度目かの再スタートを切ることとなった。

1995年10月にアルバム タイム(Time) を発表。ライヴには参加しないといっていたクリスティンもここには参加していた。その後2年を経て1997年8月には ダンス(Dance) を発表。本稿が書かれている時点での近作はこれになる。

70年代を代表するポップ/ロック・アルバム 噂(Rumour) を生んだフリートウッド・マックは、それを生み出すまでにさまざまな紆余曲折を経ながらバンド活動を続けていたし、そして尚現在もその看板を頑くななまでに守り続けながらポップ界に留まり続けている。もはや以前のようなヒットを生み出せるかどうかは不明だが、彼ら独自のユニークな感触をたたえた楽曲群、特に70年代中期の名作群はこれからもロック・クラシックとして輝き続けるに違いない。

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