Electric Light Orchestra (E.L.O.)

Electric Light Orchestra (E.L.O.) (エレクトリック・ライト・オーケストラ) プロフィール

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ELOことエレクトリック・ライト・オーケストラのメンバーとなるジェフ・リンは1947年12月30日に英バーミンガムに生まれた。ビートルズに憧れを抱き、特にリヴォルヴァーを愛聴していたというジェフ・リンは、1966年にザ・ムーヴ結成のために脱退したロイ・ウッドの代わりにナイト・ライダーズに加入。後にアイドル・レースと改名したこのグループにジェフ・リンは1969年初頭まで在籍し、その後ザ・ムーヴに加入した。

ムーヴは元ナイトライダーズのロイ・ウッド、元ディプロマッツのベブ・ベヴァン、元ヴァイキングスのカール・ウェインという三人に、トレバー・バートン、クリス・ケフォードという二人を加えた5人組として1965年に結成された。1966年12月にシングル・デビューを果たしたムーヴは、その後1968年にバートンとケフォードに代わり元サイト&サウンズのリック・プライスが加入する、というメンバー・チェンジを行った後、ムーヴ(1968年発表)、シャザム(1970年発表)を発表。その後アイドル・レースを脱退したジェフ・リンが1970年のルッキング・オンから参加している。しかし翌1971年にメッセージ・フロム・ザ・カントリーを発表した頃には ムーヴはグループを解消。それと前後する形でELOは既に存在していたのだった。

ロイ・ウッド(vo,g)、ジェフ・リン(vo,g)、ベブ・ベヴァン(ds)という三人に、ビル・ハント(horn)、スティーヴ・ウールマン(vln)というロック・バンドとしてはユニークな楽器を加えELOは活動を開始した。グループのコンセプトは、ポップスとクラシック音楽の融合。1971年12月にELOはファースト・アルバム 踊るヴァイオリン群とエレクトリック・ロック、そしてヴォーカルは如何に(No Answer) でデビュー。しかしグループのリーダー格だったロイ・ウッドが翌1972年7月に早くも脱退。ロイは自身のグループ、ウィザードを結成するために脱退したのだった。しかしロイ・ウッドの抜けたELOは、逆にこれを機に変貌を遂げ、ポピュラリティを獲得していく。ジェフ・リンのアイデアに基づき、リチャード・タンディ(key)、マイケル・デ・アルバカーキ(b)、ウィルフ・ギブソン(vln)、マイク・エドワーズ(cello)、コリン・ウォーカー(Cello)を加えたELOは、ユニークな編成を持つ大所帯のグループとなった。

大編成となったELOは1973年初頭にイギリスを含むヨーロッパ・ツアーを敢行した後、同年3月にセカンド・アルバム ELO2(Electric Light orchestra II)を発表。同作からのシングルはチャック・ベリーの名曲をカヴァーした“ロール・オーヴァー・ベートーヴェン”で、これが全英6位、全米42位のヒットとなり、一躍ELOは注目を集めることとなった。1973年5月に初の全米ツアーに出たELOは、その後ウィルフ・ギブソンの脱退―入れ代わりにマイク・カミンスキー(vln)、テッド・ブライト(cello)が加入、という交替劇を経て、二度目の全米ツアーを経た後、1973年末にサード・アルバム 第三世界の曙(On The Third Day) を発表。同作からはシングル“ショウ・ダウン”が全英12位のヒットとなった一方で、ツアーの甲斐もあってアルバム自体が全米52位にランクされるなど、まだまだ完全なヒットとはいえなかったが、チャートにランクされるような地点まで至った。これを足がかりにELOは全米マーケットへの進出に、より確実に標的を定めることになる。

1974年秋に発表された通算4作目のアルバム  エルドラド(Eldorado) は全米チャートでトップ20入りを果たすヒット作となり、この後ELOはアメリカでの成功を着実にものにしていくことになる。しかしその裏では、同年10月にマイク・エドワーズ、マイケル・デ・アルバカーキ、コリン・ウォーカー、テッド・ブライトが相次いで脱退。代わりにケリー・グルーカット(b)、ヒュー・マクドウェル(Cello)、メルヴィン・ケール(Cello)を加えるという大幅なメンバー・チェンジも行われている。新たなメンバーで出発したELOは1975年11月に通算5作目となるアルバム フェイス・ザ・ミュージック(Face The Music) を発表。全米/英10位となった“イーヴル・ウーマン”、全米14位となった“不思議な魔術(Strange Magic)”というシングル・ヒットを生んだ同作は、全米8位となる大ヒットとなった。

1976年春に初のベスト盤 Ole ELOをリリース。また同年11月には6作目となるアルバム オーロラの救世主(A New World Record) (全米5位/全英6位)を発表し、さらに翌1977年10月に二枚組の大作 アウト・オブ・ザ・ブルー(Out Of The Blue) (全米/英4位)を発表。ともに全米トップ5入りする大ヒット作となった。また翌1978年2月には初来日公演を行っている。

ジェフ・リン色を強める形でトップ・クラスのセールスを誇るようになったELOは、この頃にはジェフ・リンのワンマン・バンド的な色彩をも帯びてきた。そんな中、1979年になるとマイク・エドワーズ、ヒュー・マクドウェル、メルヴィン・ケールが脱退(マイクだけは後もツアー・メンバーとして参加)。このときの脱退劇では交代要員も補充せず、結果的にグループはスリム化した形となった。新生ELOは、1979年5月に8作目のアルバムとなる ディスカヴァリー(Discovery) (全米5位/全英1位)を発表。またも成功作となった同作発表の後、同年暮れには二枚目のベスト盤 グレイテスト・ヒッツ(ELO's Greatest Hits)をリリース。また翌1980年夏にはオリヴィア・ニュートン・ジョンとジーン・ケリーの共演で話題となった映画 ザナドゥ のサウンドトラック・アルバムに5曲を提供。中でもオリヴィアとのジョイントが実現した表題曲”ザナドゥ”は全米8位、全英1位となるヒットを記録した。

1981年7月、9作目のアルバム タイム〜時へのパスポート(Time) (全米16位/全英1位)を発表。またも作品は成功を収め、アルバム発表直後からELOはツアーに出掛けていたが、このツアー終了後にはジェフ・リンがELOのツアー活動停止を表明する、という出来事もあった。1983年に10作目の シークレット・メッセージ(Secret Message) (全米56位/全英4位)を発表。その後ELOは、翌1984年暮れにはケリー・グルーカット脱退で3人編成となり、1986年3月に11作目のアルバムとなる バランス・オブ・パワー(Balance Of Power) を発表するが、同作発表後まもなくしてグループとしては消滅してしまった。

1990年になるとジェフ・リン不参加のまま、べヴ・ベヴァンが中心となって、マイク・カミンスキー、ケリー・グルーカット、ヒュー・マクドウェル、エリック・トロイヤー、ニール・ロックウッド、ルイス・クラーク、元クライマックス・ブルース・バンドのピート・ヘイコックによる8人編成のELO Part IIが始動。彼らは、1991年に 銀河の探索者(ELO Part II)を、またその後若干のメンバー交替を経て1994年に モーメント・オブ・トゥルース(Moment Of Truth) を発表している。

一方、80年代初頭からデイヴ・エドモンズの作品をはじめプロデュース業に着手し始めていたジェフ・リンは、1987年のジョージ・ハリスン クラウド・ナイン を全面サポートしたほか、ロイ・オービソンボブ・ディランジョージ・ハリスントム・ペティらとともにトラヴェリング・ウィルベリーズというプロジェクトを立ち上げ活動する傍ら、ブライアン・ウィルソンランディ・ニューマントム・ペティロイ・オービソン、といったアーティスト達のプロデュースを幾つも手掛けていくようになる。またその後自身のソロ作 アームチェアー・シアターを1990年6月に発表。さらにジョー・コッカーリンゴ・スタートム・ジョーンズなどのプロデュースを手掛け、着実にキャリアを築いていった。

信頼あるプロデューサーとなったジェフ・リンにとって、最も大きなプロデュース作業となったに違いないのが、あの憧れのビートルズのプロデュースだったということは言うまでもない。ジョージ・ハリスンなどの勧めもあり、彼は1995年に、ビートルズ25年ぶりの新曲と話題となった”フリー・アズ・ア・バード” ビートルズ アンソロジーIに収録)、続く”リアル・ラヴ” アンソロジーIIに収録)のプロデュースを行っている。また、この手腕が認められた彼はさらに、1997年にポール・マッカートニーのアルバム、フレイミング・パイ のプロデュースも手掛けている。

2000年11月にリリースされたELOの集大成ボックス・セット フラッシュバック(Flashback) の話題から半年を経た2001年6月、ジェフ・リンはELO名義で15年ぶりとなるアルバム、ズームを発表。これと前後してリチャード・タンディ含む8人組のバンド編成で5月末に17年ぶりのパフォーマンスとなるスペシャル・ライヴを行っている。

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