食う寝る坐る永平寺修行記 新潮文庫

野々村馨

基本情報

ジャンル
ISBN/カタログNo
ISBN 13 : 9784101231310
ISBN 10 : 4101231311
フォーマット
出版社
発行年月
2001年07月
日本
追加情報
:
16cm,411p

内容詳細

その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて―。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか?雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。

目次 : 第1章 終わり、そして始まり/ 第2章 作法すなわち禅/ 第3章 暗闇に凍える孤独/ 第4章 流れる時のことわり/ 第5章 生きる温もりのありか/ 第6章 峯の色、谷の響き

【著者紹介】
野々村馨 : 1959(昭和34)年、神奈川県生れ。在学中から中国、チベットなどアジア各国を旅した。卒業後、デザイン事務所に勤務するが、30歳の時、突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として1年の修行生活をおくる。その後、再びデザイン事務所に勤務し、その通勤の行き帰り、電車の中で修行記を執筆し始める…(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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厳しいご様子は、色々な方が記されています...

投稿日:2015/02/03 (火)

厳しいご様子は、色々な方が記されています。果たして、得たものは何か?変わったことは?しっかりと記されています。体にまった蚊をたたき殺す直前に一瞬、躊躇するようになった。必要以上多く食べることをしなくなった。必要以上に深く考えることもしなくなった。泣ける男になった。随分軽いことかなとも、思いましたが、そうかもしれません。現代、不況の真っ只中にある場合、それ、仕事することがもう修行かもしれません。永平寺の門をたたいた筆者が体験された、究極の食事。究極の掃除。究極の睡眠。それが現代社会もそうなりつつあるに違いありません。その意味で、現代に生きられる特に若い世代には必読書であることでしょう。派遣社会を生きる上において、いつ首になるのかわからない社会。それは、もう、体をたたかれる以上に厳しいかもしれません。現代社会に生きる道元禅師の言葉。特に私は、私の家にも色紙になっている言葉。柄杓の底に残ったわずかな水にも法を説き、谷川へ戻した。との意味の、「杓底の一残水、流れを汲む千億人」を最後に記します。

desu1223 さん | 岐阜県 | 不明

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読書メーターレビュー

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  • キジネコ さん

    その門前先ず、訪う者の拒絶が待ち受けます。通過儀礼であっても修行者の総身を包む不吉を祓う、決心を叫ばせます。道元700年のメソッドが嘲笑う古刹に身を投じた男の一年の記。永平寺は強烈なシステムでした。矛盾難題、理不尽が新到を呑み込んでいきます。罵詈が吹き荒れ打擲が容赦なく飛ぶ日々に彼らから感じること、考えること、そして「何故」が奪われていく。只管走り、耐え、坐る。飢え、痛み、苦行に追い詰められて歯を食いしばり東司で泣く日常そのものが行であり、仏に出会う悟道も己の内にあると知る時、森羅万象の輝きに気が付く。

  • kinkin さん

    永平寺に行ったことがある。入ったときホテルのロビーのような場所で通訳もいてエレベーターもあった。しかしその陰では本書に書かれているような厳しい修行があることを知った。スタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』という映画を思い出した。前半は海兵隊に入隊した新兵に対しての上官のすさまじいしごき。入門するということは、日常から全て切り離しゼロからスタートすること。そして修行が終わり寺を去るときもゼロから日常に立ち向かう。物欲にまみれた現代を気づかされた気がした。

  • James Hayashi さん

    図書館の人に薦められて。あまり興味をなく読み始めたが、なかなか興味深く面白かった。 30歳で脱サラし出家。記事にする為に体験したのでなく、理由なく思い立ち永平寺へ。 体罰に苦しみながら、ひもじい食事。タンパク質はなく脚気になる者も。出家でなく戸塚ヨットスクールへ入門した感じ。わずか1年の修行とは短い感じが強いが、本人には変え難い経験になったことだろう。徴兵制のない日本に、選択肢の一つとして仏道を修行させるというのはいかがだろう。

  • kawa さん

    曹洞禅の総本山・永平寺での著者1年間の修行を綴る。「食う寝る座る」のタイトルにそぐわない凄まじい修行生活。「こんなひどい世界を生まれてはじめて見た。自分の無能さをいやというほど思い知らされ、人間の醜さをいやというほど見せつけられた 〜しかし〜 自分が人間として、人間とともに生きていくことの、とてつもない感動を与えてくれた」。難しい寺の専門用語にはやや苦戦だが、著者の何万分の一かの小さな感動を胸に本を閉じることが出来た。これは読書の幸せ。さらに長いという臨済禅の修行にも興味あり。(砂川・いわた書店で購入)

  • UK さん

    驚嘆した。一見、非人間的とも見える過酷な修行と徹底した日常の作法の順守により、たった1年で人がここまでの見識を得るとは。もう、書き抜きしたい1行の目白押しである。困ったなあ。書き抜きしたって自分の身につかないことは明白だし。といってこんな修行に身を投じることはできないしね。この本の持つ事実に裏付けられたメッセージの重さは時間をかけて 考えてみたい。よくぞ書いてくれました。ご馳走様でした(-人-)

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野々村馨

1959(昭和34)年、神奈川県生れ。在学中から中国、チベットなどアジア各国を旅した。卒業後、デザイン事務所に勤務するが、30歳の時、突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として1年の修行生活をおくる。その後、再びデザイン事務所に勤務し、その通勤の行き帰り、電車の中で修行記を執筆し始める…(本

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