『蝶々夫人』全曲 パッパーノ&聖チェチーリア国立音楽院管、ゲオルギュー、カウフマン、他(2008 ステレオ)(2CD)
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蟹缶 | 東京都 | 不明 | 2011年01月02日
パッパーノの「ボエーム」「トスカ」「三部作」は聴いたが、それほど感心しなかったので「蝶々夫人」もさほど期待してなかったが聴いてみると予想外に素晴らしかった。オーケストラは第一級のアンサンブルとは言いがたいが、非常にドラマッティックかつ熱気の漲った演奏で粗さも気にならない。ゲオルギュウがさほど好きではない歌手だが、ここでは珍しく迫真の歌唱を繰り広げており見直した。カウフマンは他のレビューでもあるように、明らかにピンカートン向けの声ではないし歌い方も荒っぽい。ただそれは彼なりの解釈である。ピンカートンという男は日本の現地妻を捨てて母国に帰る薄情な男なのだ。決して善人ではない。カウフマンはピンカートンを酷薄なエゴイストとして表現している。ただそれはクレバーで興味深いアプローチではあるのの、過去の優れたテノール達の解釈と同列に並べられるものではないのも確かだ。その点で☆一つ減点とした。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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つよしくん | 東京都 | 不明 | 2010年04月17日
プッチーニの「蝶々夫人」は、私としてはどうしてもカラヤン&ウィーン・フィルの超名演のイメージが強烈であり、なかなかその呪縛から抜けられなかったが、本盤で、イタリア人指揮者とイタリアのオーケストラによる演奏に接して、久々に新鮮な気持ちで「蝶々夫人」に接することができた。先ずは、パッパーノの指揮であるが、大変健闘していると思われる。もちろん、カラヤンと比較してどうという評価を行うことは容易であるが、このオペラの随所にちりばめられた日本風の旋律を情感溢れる指揮で抒情的に描いており、それでいて、ここぞという時の重量感溢れる迫力にもいささかの不足はなく、プッチーニの魅力的な音楽をゆったりとした気持ちで満喫できたのは、やはりパッパーノの指揮が優れていることの証左ではないかと思う。サンタ・チェチーリア国立音楽院管も好演であり、パッパーノともども最高のパフォーマンスを示していると言える。歌手陣も、ゲオルギューが蝶々夫人を可憐に演じており、その可憐さが、終結部の悲劇性を大いに高めていると言えるだろう。ピンカートンのカウフマンにはやや疑問を感じるが、ゴローのボンファッティやシャーブレスのカピタヌッチ、スズキのシュコサには十分に合格点を与えることができるだろう。HQCD化によって、音質にやや奥行きが出ている点も決して見逃すことができない。2人の方が、このレビューに「共感」しています。
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村井 翔 | 愛知県 | 不明 | 2009年05月31日
指揮はやや速めのテンポで元気がいい。CDではカラヤン、マゼール、シノーポリと重めのバタフライが続いたので、久しぶりのイタリアのオケと合わせて新鮮だった。ゲオルギューも純情可憐と言うよりはむしろ利発で気丈なヒロインで、フェミニズムの時代にふさわしい。すべてをぶち壊したのは、もちろんカウフマン。この男の「軽はずみ」からすべての悲劇が始まったのに、声もキャラも重すぎて、全体のコンセプトに合わない。例のスカラ座降板事件以来、アラーニャはあまり調子が良くないようだが、彼が出られない時点でこの企画は再考すべきだった。1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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pie | 名古屋市 | 不明 | 2009年03月30日
ゲオルギューは可憐でストイックな蝶々さんを見事に演じている。絶唱型でない清純な蝶々さん。パッパーノの指揮はバルビローリ、カラヤンに比べると随分軽いが、ゲオルギューの表現とは完全に一致。ハミングコーラスもセンスがいい(合唱指揮がバラッチュ!)。これに対しカウフマンはいまどき珍しいロブストな声で鈍重、第1幕の二重唱も盛り上がらない。ミスキャストだ。折角のスタジオ録音なのに、オケを美しく採っていない。オペラを採れるプロデューサーもいなくなったのか。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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