ショスタコーヴィチ(1906-1975)

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CD 輸入盤

24の前奏曲とフーガ ニコラーエワ(1987)(3CD)

ショスタコーヴィチ(1906-1975)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
RRC3005
組み枚数
:
1
レーベル
:
フォーマット
:
CD

商品説明

ショスタコーヴィチ『24の前奏曲とフーガ』作品87
初演者ニコラーエワ2度目の録音

大作『24の前奏曲とフーガ』について、ショスタコーヴィチは以下のように語っています。「最初は対位法音楽の技術的な習作のつもりだった。しかしその後構想を拡大し、バッハの平均率クラヴィア曲集に倣って、一定の形象的内容を持つ小品の対位法様式による一大曲集にすることにした」。
 1950年7月、ショスタコーヴィチは、バッハ没後200年記念祭に参加するためにライプツィヒに向かいますが、この曲集はもともとその旅行のさなかに練習曲として着想されたものでした。
 その後、ソ連代表団の団長として、また、同時に開催されたコンクールの審査員として、さらに閉会式で弾かれた3台のピアノのための協奏曲の独奏者のひとりとして記念祭に参加・滞在するうちに、バッハの音楽から深い影響を受けて作品の構想が拡大したという経緯が上の言葉にも表れています。
 ちなみに、このとき開催された第1回バッハ国際コンクールの優勝者は、ソ連から参加した当時26歳のニコラーエワ(ニコライエワ、ニコラーエヴァとも)で、彼女の演奏に多大な感銘を受けたショスタコーヴィチは、『24の前奏曲とフーガ』の公開初演を彼女に依頼しているほどです。

 作品は、平均律における24のすべての調性を用いて書かれており、バッハと同じく「前奏曲&フーガ」というスタイルを踏襲しながらも、楽想にはロシア的な要素も濃厚に反映されているのがポイント。
 そこにはロシアの古い英雄叙事詩である“ブィリーナ(語り歌)”からの影響や、ムソルグスキーから自作の『森の歌』に至るまでのロシア・ソヴィエト音楽を俯瞰するような引用なども幅広く含まれており、当初の「技術的な習作」という作曲意図とは遠くかけ離れた壮大な意図をみてとることが可能です。
 バッハの『平均律』への賛意をあらわすためか、全体の雰囲気は基本的には明快なものとなっていますが、各曲の性格は多彩であり、ときに深い瞑想性・哲学性を感じさせる音楽から、いかにもショスタコらしい凶暴さを窺わせるものまで、見事なまでの対位法的統一感のもとに雄弁な楽想を展開していてさすがと思わせます。
 この作品がショスタコーヴィチ最高のピアノ作品であることはまず間違いのないところで、作曲家同盟の過酷な批判(いつもながらの他愛のない理由ですが...)にも関わらず、ニコラーエワやユージナ、リヒテル、グリンベルグなどによって熱心に演奏されていたのも十分に頷けるところです。
 なお、作曲は1950年10月から1951年2月の4ヶ月間でおこなわれ、約2ヵ月後の1951年4月5日に開かれた作曲家同盟の会議での席上、ショスタコーヴィチ自身により抜粋試演されて、「理想主義的」「形式主義的」と批判を受けます。全曲の初演は、それから約20ヶ月が経過した1952年12月23日、および12月28日に2日間かけておこなわれました。

 初演者であるニコラーエワには3度のスタジオ全曲レコーディングが存在します。
 第1回は、1962年にソ連メロディアにおこなわれたステレオ・レコーディングで、演奏時間は約152分。以前ビクターからCDがリリースされていましたが現在は廃盤です。
 第2回はこのCDに収められた録音。第1回録音の四半世紀後、1987年にソ連メロディアにおこなわれたステレオ・レコーディングで、演奏時間は約168分。
 初演以来、35年間に及ぶキャリアの蓄積、音楽的な解釈の深化が、トータルで16分、つまりほぼ一割もテンポを遅くすることにより、激した部分から沈潜した部分に至るまで徹底して表現し尽くされているのが感動的。
 第3回は、第2回録音の3年後、1990年に英国のハイペリオンにおこなわれたデジタル・レコーディングで、演奏時間は約165分です。

・ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ op.87
 タチアーナ・ニコラーエワ(ピアノ)

 録音:1987年(ステレオ)

タチアーナ・ニコラーエワ[1924〜1993 ロシア]
1924年5月4日、ロシア東部のブリャンスクに誕生。最初、母親からピアノの手ほどきを受け、13歳でモスクワ音楽院ピアノ科に入学し、アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事、卒業後も同音楽院教授のエフゲニー・ゴルブレフから作曲を学びます。
 1950年、ライプツィヒでおこなわれた第1回バッハ国際コンクールで優勝し、世界各国で本格的な演奏活動を開始。1955年にはソヴィエト連邦国家賞を受賞。
 1959年からモスクワ音楽院で教鞭をとり、1965年には教授に就任し、後にはロシア共和国功労芸術家の称号を授与されます。
 幾度かの来日でもお馴染みになった彼女の演奏スタイルは、ロマン的でありながらも端正でスケールの大きなものであり、世界各地で絶賛を浴びていましたが、1993年、サン・フランシスコでのリサイタル中に脳動脈瘤破裂により倒れ、収容された病院で亡くなります。享年69歳でした。

収録曲   

  • 01. Faun
  • 02. Solemn Polonaise
  • 03. Symphonic Poem
  • 04. Russian Winter
  • 05. Steppe All Around
  • 06. Green Grass
  • 07. Semenovna
  • 08. Ditty
  • 09. Variations on the Russian Folk Song "The Moon Is Shining"
  • 10. Fantasia on the Russian Folk Song Evening Bells
  • 11. Polyanka (The Russian Dance "The Meadow")
  • 12. Smolensk Gusachok
  • 13. Yesterday to Me, Young Maiden
  • 14. Gnats Are Plenty in the Woods
  • 15. Fantasia on the Russian Folk Air Kamarinskaya
  • 16. Variations on the Theme of the Russian Folk Song "Pedlars"
  • 17. Joky Overture

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ショスタコーヴィッチが苦手でも、現代音楽...

投稿日:2010/03/02 (火)

ショスタコーヴィッチが苦手でも、現代音楽はちょっと敬遠する人でも、この24の前奏曲とフーガは、なんらの抵抗もなく受け入れられるだろう。バッハへの深い崇敬が、バロックからジャズまでのソノリティと、ロシアの大地に根ざす旋律との統合を果たした。二コラエワは、悠然たるテンポを採りながらも、全曲に亘って弛緩することがない。

蓮華人 さん | 千葉県 | 不明

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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

「わたしの交響曲は墓碑である」という“証言”の中の言葉によって象徴されるショスタコーヴィチの音楽と生涯への価値観の変質は、今もって盛んな議論と研究、演奏解釈によって再認識過程の最中にあるとも言えますが、作品によってはすでに演奏年数も75年に及び、伝統と新たな解釈の対照がごく自然におこなわれてきているとも言えそうです。 圧政と戦争の象徴でもあったソビエト共産主義社会の中に生き、そして逝ったショスタコ

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