【インタビュー】DOOM

2015年12月19日 (土) 02:15

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ローチケHMV - ヘヴィーメタル , ローチケHMV - 邦楽・K-POP

 長らく廃盤であったデビュー・アルバム『No More Pain』がついに再発される!藤田タカシ氏(ヴォーカル・ギター)と、当時のドラマー広川氏に話を聞いてみた。
川嶋未来(以下、川嶋)--- 本日は1stアルバム『No More Pain』が再発されるという事で、初期の頃や『No More Pain』を中心にお話を伺いたいと思います。80年代にDOOMというバンドを始められた時は、神楽坂Explosionを中心にシーンが盛り上がっていたスラッシュ・メタルの括りの中で語られる事が多かった訳ですが、当時自分たちのやっている音楽がスラッシュ・メタルだという意識はありましたか?

藤田タカシ(以下、藤田):まるで意識はないですよ(笑)。まあ、ライヴハウス(神楽坂Explosion)自体がスラッシュ・メタルをやっている連中というか、元々はヘヴィ・メタルを中心にやっているところだったんで、世の流れというかスピード・メタルからスラッシュ・メタルとか、ダークな方向に行く連中とかがいた中で僕らはまるで意識をしていない状態で、たまたまその枠の中にいただけだね。

川嶋---DOOMを始められた頃はスラッシュ・メタルという言葉はありましたか?

藤田:そう呼んでいた人たちもいたから、言葉として出始めた時期ですよね。1983年〜84年ぐらいの時は。

川嶋---その中でそういうカテゴライズされる事に対する反発などはありませんでしたか?

広川錠一(以下、広川):対バンがスラッシュだったからね。

藤田:どうしてもExplosionというハコでやるにあたって自分たちが作った音に重ね合わせると、スラッシュ系の中でのブッキングになっていたんです。でも言ってしまえば何でも良かったんですけどね。だからズルい言い方をすれば利用していたのかもしれない。僕らはExplosionの中でニュー・ウェーヴの企画とかもやっていて、そっちに出ても良かったんですよね。でも出なかったという事は、こっちでやっていこうと思っていたのかもしれないね。

川嶋---ニュー・ウェーヴであるとか、非常に幅広い音楽性をDOOMは取り入れていたと思うのですが、実際にスラッシュ・メタルという音楽は好んで聴かれていたのですか?

藤田:好んでいたというか、モロさん(諸田コウ)がいたから MOTORHEAD、VENOMとか、その反面ジャズだったり、ジャコパスだったり、クラシックもやっていたし、錠クンの場合は KISSだったり、POLICEだったりとか、DOOMの前に参加していたのもUNITEDのサポート的なメンバーだったりとかしていたので特にスラッシュメタルであることを意識して聴いていた訳ではないし、やり始めた訳でもないですね。


川嶋---諸田さんが参加されていたZADKIELはトリオ編成だった訳ですが、DOOMもトリオ編成で始められました。トリオへの拘りがあったのでしょうか?初期のMOTORHEADやVENOMの様にトリオのカッコ良さを意識されていたのでしょうか?

藤田:トリオという部分に関しては凄く意識していた。諸田コウがやっていたZADKIELもトリオで、バンドは本当にMOTORHEAD(みたい)だった。僕が元々やっていたのはもうちょっとニュー・ウェーヴやプログレッシヴな感じでUNIT-IIIというバンドをやっていたんですけど、それもトリオでずっと拘ってやっていた。錠クンはトリオバンド初めてだったんだっけ?

広川:アマチュアではやってた。POLICEのコピーバンドとか当然やっていたし、モロさんがよく言っていたのは、トリオというのは「最低限のメンバーだ」と。「全員均等に出しきらないとアンサンブルも何も出来ない。そういうところが好きだ」と。

藤田:一番やっていて駆け引きが出来るのがトリオバンドだし、それが面白くてやってた。

川嶋---MOTORHEADが4人になった時はがっかりしましたか?

藤田:そうだね。

広川:一人いらねえよな!ってね(笑)

川嶋---いろんなスタイルからの影響を受けていたと思うのですが、具体的にバンド名を挙げるとどの辺のバンドでしょうか?

藤田:どうだろう、各自全然違う。ジャンルも違えば聴くバンドも違うんですよね。僕はKING CRIMSON聴いたり、YES、PINK FLOYD聴いたりとか、ATOLLやイタリアのプログレ聴いたりとか、もっと深いところ行ってたりとか、もちろんGONGも聴いていたし、GONG聴いていたらMOTORHEADに繋がって。諸田クンはGONG知らなかったから聴かせたりして、そういうフェイバリット・アーティストのレコードやCD、テープを貸し借りしてた時代だからね。

広川:俺は大体いつもラジオでよく聞いていたから、それこそKISS狙ってても前後のプログラムで他のバンドが流れたりとかね。友達のサークルに呼ばれて入れば、先輩たちがMANHATTAN TRANSFARのコピーバンドやって、その後に自分たちがMOTORHEADのコピーバンドをやって、俺たちの後にDURAN DURANのコピーバンドが出るとか、そういうのを普通に楽しく手伝いながら見てたからジャンルというのがなかったし、楽器やっている時はハードロックとかヘヴィメタルとかそういう目で見たりしない、どんな顔がどんな音を出しているかで選ばない。ラジオと周りの人たちがやっている音楽で『これコピーだよ』って言われたら何だろうとか、そんな風に聴いていた。MOTORHEADは普通にラジオで流れていたけど、METALLICAとかラーズ(ウルリッヒ)の小さい白黒写真見てもドラマーなのか何なのか分からなかった。それでツバキとかでかかると『これがメタリカだ』とか、後から分かってああいいなって思ったり、『Kill'em All』とかだったら周りのギターの連中がやりたがったりするからドラムはそれをやらなくちゃいけない。RAINBOWやオジーが好きなギタリストがいたら、自分がドラム叩くためにはそいつのバンドに入らなくてはいけないとかあったから、聴いてるうちに好きになってしまったとか、聴いたものが好きになったとかね。沢山なかったし、今みたいに自分が選ぶじゃなくてね。入ってくるものが少ししかなかったから。

藤田:今と違って情報源が凄く小さい間口の中で必死になって自分の好きな音楽探したりとか、錠クンが言ったとおりラジオ世代というか、外国の音楽をいち早く聞きたかったからFENをラジオで選択して、それを必死になってカセットテープに落としたり、そういう時代でしょう。

広川:『今のは○Xという曲でした』とかFENの早口英語でやられるともう一度回ってくるまで待たなくちゃいけない。

藤田:そうそうイイとこで喋りやがって!ってね。

川嶋---DOOMの特徴のひとつだったのがディミニッシュを主体にしたリフと思うのですが、先程名前が出ましたがKING CRIMSONから影響なのでしょうか。

藤田:CRIMSONしかり、当時のニュー・ウェーヴ系のBAUHAUS、PUBLIC IMAGE LIMITEDとかの不協和音系、あと個人的には KILLING JOKEが大好きだったからね。他の人が使っていないコード・ワークを使い始めたのはその辺を聴いていたからかもしれない。

川嶋---その辺りのバンドのギターの弾き方は凄く特徴があって、その前のモノとは全く違いましたね。

藤田:ギターのあり方をまるで度外視しているというか、環境音楽というか不思議なトーン。チューニングがちょっと狂ってても分からないくらいの。錠クンがグーのコードってよく言っていたけど、そのコードって言うのがKILLING JOKEやPLAY DEADとか出していた。

広川:作っているというかジャムっている最中ちょっとおかしくなりたくなった時に『藤田君、ハイポジションのところでこうやってグーみたいに持ってるのあるじゃん!こういう感じ!』って言って弾いた音にモロさんが合わせていくみたいな。持ち方とかの話してたよね。楽典的ではなくて。

川嶋---ギター特有の、キーボードではないやり方ですよね。

広川:藤田君は耳から始まったギタリストだから、聴いたものを楽典的にどう押さえるといった学び方をしていないところが凄くユニークで、こんな感じでってジェスチャー入れて言ったら普通みんな出来ないけど、でも藤田君はコード鳴らせちゃう。

藤田:どうしてもウワモノなので、印象とかフィーリングというか大事にしたかったのはその辺ですね。

川嶋---同様の指摘をされた事があると思うのですが、カナダのVOIVODとの聴覚的に類似性があるということについてはどう思われますか。

藤田:彼らもKILLING JOKEが凄く好きです(笑)。

川嶋---ルーツが同じだったということですね。特にVOIVODから影響を受けてディミニッシュを主体にした訳ではないんですね。

藤田:そうですね。VOIVODを聴いたのは凄く後だし。たまたま当時付き合いのあった人間がVOIVOIDと手紙のやりとりをしていて『やっぱりKILLING JOKEが好きなんだって』と。

川嶋---日本のバンドであるにも拘らず英詞に拘っていましたね。これには理由がありましたか?

藤田:日本語は恥ずかしいじゃない(笑)

川嶋---分かります(笑)

藤田:「愛してる」って言葉より「I Love You」の方がカッコイイじゃないですか(笑)。伝わり辛いのかもしれないけど、自分ではロックという外国文化に触れている以上は英語で歌いたいって拘りがあったりしたのかな(笑)。

川嶋---日本語だと伝わり過ぎる恥ずかしさがありますよね。

藤田:当時に日本語で歌ってたら再発断っていたかもしれない(爆笑)。聴けないでしょう、多分。

川嶋---スラッシュ・メタルのムーヴメントが出てくる以前のジャパニーズ・メタル、所謂ジャパメタと呼ばれたバンドたちをどのように捉えていましたか?

藤田:当時のバンドは皆個性があったし、上手かったですよ。僕はライヴハウスの中でPAをやっていたんですけど、どのバンドも音にも機材にも拘っていたしテクニックもあって、今みたいに一辺倒ではなかったですよ。

川嶋---当時は現在の様にインターネットなどから情報が取れない分、誤解から新しいモノが生まれていたと思います。今はそれが無くなってしまいました。

藤田:情報があり過ぎるというのもミュージシャンを殺してしまうというか、想像を奪ってしまう。確かに今の人たちは凄く上手い、でも教則本通りという気がしてしまうね。

川嶋---インターネットを見ていると「デス声の出し方」といったサイトがいっぱいあるんですよね。調べる事か?と思うんですけど。

藤田:ギターとドラムに関してもそうだけど、シミュレーターという物が出ちゃったでしょう。シミュレーターで作った誰々さん風な音っていうのがそこにある訳だけど、僕らの時代はそうじゃなくて自分の耳で聞いて自分の主観で作ったり、アンプやギターを買ったりとかして音を探したんですよ。

川嶋---プリセットが無かったですからね。

藤田:そう。だからある意味凄い可哀想だとは思うんだけどね。でもその音は機材的にはあるんだから、音探しはした方がいいと思う。技術的には上手くなっているとは思うけど、個性というものがまるで無いし、フィーリングも感じない。上手いだけじゃね。

川嶋---当時はDOOMだけではなくてJurassic Jadeを始めとして白塗りメイクをされているバンドが日本では珍しくなかったと思うのですが、これはやはりKISS等の影響を受けての感じだったのでしょうか?それともニュー・ウェーヴからですか?

広川:モロさんから電話がかかってきて、リハーサルしてライヴやるからって言うんで俺を入れてくれるのって聞いたら「そうだよ、だから白塗りね。」って(爆笑)。

藤田:それが条件(笑)。

広川:ええっ!?ってね。

藤田:勿論ポジパンやニュー・ウェーヴからの影響もあったし、KISSのメイクは勿論参考になってたけど、それよりも寺山修二さんとか、シュールレアリズムの舞踏派、山海塾とかね。

広川:モロさんと山海塾観に行った事なかったけ?

藤田:ビデオ貸したりとかね。

広川:彼のワガママだったのかもしれない(笑)

川嶋---あのメイクは各自で考えたのですか?

藤田:それぞれお任せでね。モロさんが何であんなパンダになったのかは分からないけど(笑)

広川:映画だったと思う。何だったっけ?ジャケ持ってたじゃん。

川嶋---『ノスフェラトゥ』でしょうか?

広川:それか(笑)。俺はアレは嫌だと思った。

藤田:俺は何だったか分からないな。ひとりだけ宝塚系ですよね(笑)

川嶋---当時のライヴで火を吹いていたそうですが、当時私の友人がライヴを観に行って火が幕に燃え移って燃えてたと言っていたのですが本当ですか?

藤田:大阪だった。エライ事になってしまって。僕が見た時はマーシャルの3段積みより高く上がってました(苦笑)。これはもうやっちゃったんだと思って。

広川:丁度インプロに入った時で皆演出だと思ったんだよね。

藤田:僕は前を向いていたんだけど、お客さんが『おーっ!』っと声を上げていて。

広川:俺の真横で燃えていたんだよ。両手両足塞がっている状態で燃えてるんだもん(笑)。

藤田:次の出番で待っていたJurassic Jadeがステージドリンクで消してくれたんですよ。それで助かったようなモンですよ。

川嶋---それは凄い体験でしたね。

藤田:本当は始まる前に『火は禁止だからね』って言われていたんだけどね。

広川:吹くの知ってるけどダメだからねって(笑)。

藤田:『モロさん、ダメだからね』って言ったのにステージが始まったら火を吹いて、火を用意していた棒を後ろに投げたら暗幕に火が移ってしまった。

広川:ローディーが消し損なったんだよね。

藤田:終わったらお客さんが帰る中、正座ですよ(笑)

広川:楽屋で煽ってた連中も『ゴメンね。煽っちゃって』って言いながら半笑いだったよね(笑)。

川嶋---もう火はやりませんか。

藤田:俺自身火を吹く担当じゃないからね(笑)

広川:咳き込むといけないしね(笑)。当時、Explosionが終わった後に皆で練習したんだよね。で、誰がいいかってモロさんになっちゃった。

藤田:火を吹く練習を(Explosionの)近所で練習してたんですよ。

川嶋---燃料は灯油?

藤田:あれはね。エタノール。

広川:辛いんだよね。赤い火が出る。

藤田:エタノール買い過ぎて怪しまれちゃってね(笑)。

川嶋---今も話が出ましたが、神楽坂のExplosionといえばスラッシュ・メタルの聖地という感じだったのでしょうか?

藤田:聖地みたいなモノになってしまったんですよね。

川嶋---今となってはスラッシュ・メタルは確立されたジャンルですけれど、当時はまだ生まれたばかりでした。その中心地であるという興奮や雰囲気はありましたか?

藤田:ヘヴィ・メタルにパンキッシュな部分やスピード系のモノを足していったモノがスラッシュ・メタルだったんですよね。それでライヴハウスの人間としてはこれでシーンを作ろうと思ったんですよ。

川嶋---明確に意識があったと?

藤田:はい。お客さんも呼べる状況であったし、DOOMのメンバーとしてではなくライヴハウスの一従業員として「Skull Smash」という企画をやり始めて、それを基にシーンを作ろうとは思っていました。

広川:ブッキングしてるのは藤田君とモロさんだから勝手に出来ちゃうんだもんね。あと何しても怒られないところだったよね(笑)椅子曲げても怒られないし、注意とかも無かったもんね。

藤田:過剰に暴れる客だけは、俺がPA席から降りていってつまみ出していたけれど(笑)。


川嶋---その後アメリカに行ってライヴをやられるわけですけど、当時日本のエクストリーム系でアメリカでライヴをやったのはDOOMが初めてだったと思うのですが、実際のところどのような感じでしたか?日本との違いとか。

広川:お客さんがMOTLEY CRUEみたいなカッコいい連中ばかりだったな(笑)デカいし。ダイナマイト・キッドのようなハードコアの人もいるし、ADAM AND THE ANTSのアイツみたいな奴もいるし、ニッキー・シックスみたいな奴もいて。

藤田:CBGBでライヴ決まってリハーサルやろうと思って、向こうのバンドってリハーサルしないんですよ。それで僕らはリハーサルをやらせてくれって、ちょっと早くCBGBに行って借りた機材を車から下してたら、フロアタムが無くなっているとか、タムが一個無いとか、当時はそういう状況だったんですよ。

広川:ニューヨークだから。

藤田:物を道路に置いていたら落ちているものと見なされて持ってかれちゃうよって。持って行かれてからそれを言われたんですけど(笑)。

広川:注意はしてた。してないといけない緊張感はあった。

川嶋---ニューヨークの治安の悪さは今とは比べ物にならないでしょうからね。

広川:あの後確かクリーン作戦が行われたんだよね。

藤田:治安が悪いと思ってコーディネーターの人にニューヨークは危ないんですよねって聞いたら『お前らが一番アブナイ』って言われたな(笑)。

広川:それの一部になってしまったっていうね。髪の長い黒っぽい格好をした東洋人が夜中フラフラ歩いてね(笑)。

川嶋---80年代のアメリカのスラッシュ・メタルのライヴは非常に暴力的だったという伝説を聞くんですけど、実際のところは如何だったんでしょうか?

藤田:初めて渡米した時の3日くらい前にBAD BRAINSが暴動を起こしちゃって、スキンヘッドとパンクスとの争いが結構あったな。

川嶋---ニューヨーク・ハードコアは本当に危なかったみたいですね。

藤田:ワシントンスクエアで路上ライブをやっている頭ツンツンのハードコアの連中が結構いたんだけど、そいつらが演奏しているとスキンヘッドの連中がやって来て結構いろいろやってましたね。

広川:あと、向こうの挨拶とか愛情表現みたいなのが、俺たちからするとケンカみたいだったよね。ハグしあったまま車のボンネット凹ますとかね。久し振りだなとか言ってるだけなのにどう見てもケンカとかね。

藤田:個人的には凄く面白い時期だったと思うね。

広川:ステージに出る時のMCって誰だったっけ?PLASMATICSのデカい奴?

藤田:リチャード・スタッツ。PLASMATICSのギターの人がMCをやってくれたんですよ。

川嶋---それは羨ましいですね。

藤田:ライヴのコーディネイトをしてくれた人がPLASMATICSのベースの人だったんですよ。チョウセイ・フナハラさん。日本人の方で。CBGBに行ったらPAがPRONGのギターだったんですよ。ベースが店員でビールを出したりしてましたね。Explosionでの自分たちを見てるみたいでした。同じなんだなって。

広川:観に行ったもんね。

川嶋---当時のPRONGを観られたって凄いですね。

藤田:PRONGとCRO-MAGS。CRO-MAGSはメイン飾ってたね。前座がDEATH ANGELで。

川嶋---CRO-MAGSのライブは暴力的だったらしいですね。

藤田:凄い良かったですよ。あのライヴを見た時にヴォーカルのあり方という物をちょっと考え直しました。

川嶋---革命的なバンドですよね。カリスマ性もあって。

藤田:そうですね。フナハラさんに聞いたら『アイツはニューヨークで一番ケンカ強いよって』。

川嶋---DOOMの音楽は一般的に非常に複雑であると評される事が多いのですが、ご自分たちで複雑な音楽をやっているという意識はありますか?

広川:誰かがやっている音楽を避けながらやっていたら難しくなっちゃった訳じゃないと思うな。やっぱりモロさんのバックグラウンドという物もあったのかな。あの人はあまりにも曲がってたから。それと『No More Pain』みたいな変拍子は、藤田君が4/4だと思って作ってきた物を割ってみたら、4/4じゃなかったとかね(笑)。そうやって譜割りしてみたら違ってて、藤田君は何分の1とか考えないでいいからやってもらって俺とモロさんはキッチリ譜割りしてやったりとかしてた。あとExplosionの空いた時間でジャムセッションしたモノを持ち帰って次の週にまたやろうとしたら、モロさんはもうその時のフレーズじゃない。どんどん変わってっちゃう。

川嶋---自然的に発展していくんですね。複雑でなければDOOMの曲じゃないという意識がある訳でもないと。

藤田:後々、それで悩んだ事はありますけど(笑)。複雑じゃないとダメなのかな?とか。後々ですよ。

川嶋---そこって多くのミュージシャンが悩むところだと思っていて、複雑にする為に複雑にするようになってしまわない、複雑だけど聴いた人がきちんと認識出来るというか、楽しめるバランスを付けるのが実は一番難しいのではないかと思うのですが。

広川:スケジュールもバイトも皆忙しかったから、断片でしか作れなかった。『Go Mad〜』シングル〜『No More Pain』、その後ビクター行ってのあの3〜4年は殆ど先にスケジュールが決まっちゃってる状態。出来たら録音しようじゃなくて、いつ録音するから作ってねという感じだから、その断片をかき集めて1曲にしちゃったりとか。そうすると、繋げた結果無理があったりとか、無理に持っていく為にはどうしたら良いのかとか、いろいろやっている内にああいう形になっちゃった。

藤田:それが起承転結になっちゃったりとかね。

広川:断片しか無い事が良かったのかも。

藤田:何でここからこうなるのみたいな事をよく言われるのだけど、そういう事なんです。

広川:ストックがそれしかないから(笑)。

藤田:結局、音楽って自由なんだからね。

川嶋---正解なんて無いですからね。

藤田:10個音符があったら、5/5で数える人間もいれば、5/3/2で数える人間もいれば、4/4/2で数える人間もいるし、そういう事なんだと思う。

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