塙耕記さんに訊く「和ジャズ」【2】
2009年9月8日 (火)
塙耕記さんインタビューのつづき
- --- 海外コレクターの「和ジャズ」熱というものは、現在いかがなものなのでしょうか?
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例えば、ニコラ・コンテだったりが、白木さんの作品なんかを気に入っていて、地元(イタリア)のクラブでDJでよくかけているらしいんですよね。それを聴いて気に入ったファンだったりDJ仲間だったりが、それを欲しがると。でも、欲しがったところで簡単にあるようなものではないですからね。「欲しいのに何とかならないのかな」とは思ってるはずなんですよね。そういう意味でも、海外のコレクターなり、ジャズ・ファンからもどんどん注目されてきているとは思います。
海外に買い付けなどに行くと、「キング盤持ってないのか?」とか、やっぱり訊かれるんですよ。そう言ってくるような人のコレクションを見せてもらうと、日本人のモダン・ジャズのいいところをしっかりおさえていたりするんですよね。 - --- 基本、そういった人というのは、ヨーロッパのコレクターに多いのですか?
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先ほどのDJ云々の流れで「和ジャズ」に注目している若者なんかは、ヨーロッパに多いと思うんですが、各国のジャズのいいところをきちんと集めようとしている人は、ヨーロッパもアメリカもあまり関係ないのかなと思いますね。以前、remixの「和ジャズ特集」の序文にも似たようなことを書いたと思うんですが、アメリカのジャズもヨーロッパのジャズも掘りつくして、「次は日本のジャズでも買ってみるか」っていうような本当のジャズ・ファンもいるので。そういう意味合いでは、日本での「和ジャズ・ブーム」が直接的に飛び火したと言えそうなのは、ヨーロッパなのかなと思いますけどね。
- --- 逆に言えば、60年代当時から日本はすでに、世界に誇れる「ジャズ大国」だったんじゃないかという言い方もできそうですよね。
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「盛んさ」という部分ではすごいですよ。で、本当にジャズが好きですよね。
- --- ちなみに、「和ジャズ」の「ヴォーカル作品」の海外での人気というのは?
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ヴォーカルは、海外ではあまり人気はないですね。おそらく、そういう市場もないんじゃないかと思いますよ。ただ、今回はかなりヴォーカル作品も載せたので、この本が海外のそうした人たちに行き渡ると、またちょっと話が変わってくるかもしれませんけどね。
ヴォーカルと「和モノ」に関しては、僕もかなり力を入れて書いたので、面白いものをチョイスしたつもりではいます。例えば、フランキー堺さんの『この素晴らしい世界』だったり、ジャズ・ファンだけじゃなくて、所謂「和モノ」ファンの人たちにも楽しんでもらえるような本にしたいなと思っていたので。逆に、「和モノ」ファンの人も、限られたところだけではなくて、ちょっと間口を広げてもらいつつ、日本のジャズにも多少興味があるだろうなということは感じていたので、そういった部分をカヴァーしたいなと思って選んではいますね。 - --- 参加サイドメンのクレジットを見て買うこともよくあるのですか?
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あまりないんですが・・・例えば、今回の本に載っていないものというのは、つまり、まだ研究がされていない、東芝やビクターなんかの10インチ盤で、ムード音楽なのかジャズなのか何だか分からないようなものがいっぱいあるんですよ。そういう中にも、「これはもしかして・・・」なんて見ると、さらりと宮沢昭さんの名前が入っていたりするんですよ。それほど高くなければ、「1曲ぐらいはいいのが入っているかも」っていう期待も込めて買う場合はあります。本当にただのムード音楽だったりする場合もありますけど(笑)。
宮沢昭さんって、ものすごく巧くて何でも吹けちゃう人だったんですよね。だから、モダン・ジャズはもちろん、そういったムード音楽の仕事もたくさんやっているんですよ。ムード音楽や歌謡曲に近いようなものにクレジットがある人っていうのは、大体限られているんですよね。宮沢さんだったり、沢田駿吾さんだったり。 - --- その当時のジャズ・ミュージシャンというのは、あまり分け隔てなく、仕事として何でもやったという感じなのでしょうね。
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そうでしょうね。この本の松本浩さんのインタビューにも載っているんですけど、『メガロポリス』のような革新的な作品を出した同時期においても、並行してムード音楽作品みたいなものもかなり手掛けているんですよ。下世話な話になってしまうかもしれませんが、それはやっぱり生活のためでもあるわけで。同じく稲垣次郎さんのインタビューでもおっしゃっていたんですが、逆にそのムード音楽の方が何万枚も売れて、そのご褒美に「じゃあ、ちょっと好きなことやっていいよ」って言われて、ジャズの録音をしたなんてこともあったらしいですからね。
- --- そうだったんですね。本業はあくまでスタジオ・ミュージシャンであったり、ハウス・バンドのひとりであったりと。
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だから、「好きなことやっていいよ」なんて言われたら、とことんやってしまうみたいな。『ヘッド・ロック』にしても『メガロポリス』にしてもそうですよね。
- --- その当時のジャズ・ミュージシャンの人物像に迫る上で、アーティスト・ポートレイトも重要な役割を果たすかと思われるのですが、そもそもこういった写真というのは残っているものなんでしょうか?
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写真家の方によると思いますが、内藤忠行さんはしっかり保管されていたんですよね。今回掲載しているものに関しては、内藤さんのお宅に行ってお借りしたものなんですが、内藤さんに見つけていただいただけでも、かなりの数があったんですよ。「もっといっぱいあるけど、整理しきれてなくて・・・」とおっしゃられていて。それはもう膨大にありました(笑)。それで、お借りしたものの中から、構図なんかも配慮しながら厳選して掲載させていただきました。
内藤忠行・・・1941年浅草生まれ。内藤忠行は、佐藤允彦『明日に架ける橋』など数多くの日本のジャズ・レコード・ジャケットの撮影でも知られる、日本におけるジャズ写真家の第一人者。1958年にマイルス・デイヴィスの「枯葉」を耳にしたことを機にジャズに傾倒し、マイルスの世界観の映像化を志す。64年からは、国内外のジャズ・ミュージシャンを撮影し続け、1980年代以降は、アフリカ、桜、日本庭園などにテーマを移行させ、幅広いモチーフを個性的な世界観で表現し続けている。
- --- 例えば、白木秀雄さんが実際にドラムを叩いている写真というのは、どのぐらい残っているものなのでしょうか?宣材写真やブロマイドのようなものは、たまに見かけたりもするのですが。
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白木さんに関しては、かなり少ないと思いますね。最近、白木さんが出演している「刑事物語 ジャズは狂っちゃいねえ」っていう映画が、阿佐ヶ谷のラピュタでやっていたらしくて、そこで演奏している白木さんが観れたそうなんですよね。そういったところから写真を抜き出したりとか、ジャケットの写真から転用したものが多いと思うんですけどね。
- --- こちらに掲載されているTryard(トライアード)『It Was Silly Of Me』も、今回THINK!さんから復刻されるのですが、こうした自主制作盤の類もまだまだあるんでしょうね?
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そうですね。自主制作盤の中でCDにしてみたいなっていうものも、現在、頭の中で5タイトルぐらいは出てきますけどね。ただ、自主制作っていう部分で、実際お金を出して作った人がアーティスト本人なのか誰なのかっていうところまでいくと、やっぱり30年、40年が経っていますんで、なかなか行き着けるところまで行き着けなかったりするんですよね。この『It Was Silly Of Me』の場合は、結構スムーズに話がつきましたが。
- --- 海外コレクター向けでもあるという点も含めて、このディスク・ガイドはかなり間口や受け皿が広くとられていますよね。
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この本を含めて、「和ジャズ」というものに関しては、様々な感じ方や入り口があると思うんですよ。ノスタルジックで「昭和」な雰囲気のものがいいなと思う人、例えばそういった人が、ジョージ川口さんの『ビッグ・フォア・プラス・ワン登場!』だったり、白木さんの古い作品にそうしたテイストを感じるんじゃないかと。もうひとつは、「和モノ」の視点から来る人。そういった人は、日本のロックや歌謡曲と融合しているものだとか、ヴォーカル作品であったりだとかを好むんじゃないかと思うんですよ。さらに、レアグル−ヴ系の人は、ディープなジャズ・ロックだったりに行き着きますし。あと、一番大きな柱というのが、渡辺貞夫さんだったり日野皓正さんだったりの昔からのファンの人たちであって、そういった人にも他の日本人のジャズ作品に目を向けてもらいたいなというのがありますね。
色々な趣味趣向の方がお読みになると思いますので、「アレがないコレがない」だとか、「何でコレが載ってるんだ?」みたいなことは出てきてしまうかとは思うんですが・・・掲載枚数の制約なんかがある中で、僕と尾川さんのセンスで選ばせて頂きまして、何とか期待に添えられるようなものを載せることができたとは思っているんですけどね。 - --- テキスト、写真、インタビュー等掲載コンテンツの充実ぶりを見ると、これ1冊で「和ジャズ」の基本的な部分は大体見えてくるんじゃないかと思いますよ。
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昔は、こういった日本人のジャズ作品は「100枚も買えば十分」なんていうことは言われてましたけど、意外にそうでもなかったりして、現在ここまで行き着いてるわけなんですけど。入門編でもあり、勿論マニアックな方が読んでも楽しめる内容になったかなと思っています。
特に、資料としてきちんと成り立つように、当時のオリジナルLPの規格番号から、曲名、サイドメンまで、できるかぎりのデータは載せているので、ひとりでも多くの人に重宝していただければ、僕らはかなり幸せです(笑)。 -
佐藤允彦さんの『パラジウム』は、ピアノトリオ作品なんですが、フリー・ジャズっぽいタッチで弾いているところもあります。ビートルズの「ミッシェル」のカヴァーがものすごくいいんですよ。「ビートルズをジャズで」なんていったら、たかが知れているって感じてしまうかもしれませんけど、これは素晴らしいです。佐藤さんって、おそらく相当ビートルズが好きなんだと、僕は思っています。ヘレン・メリルの『シングス・ビートルズ』も佐藤さんが携わっているもので、アレンジに数ヶ月をかけて作り上げているんですよ。ビートルズの作品に関しては、力の入れようが本当に尋常ではないんですよね。
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宮沢昭さん、松本英彦さん、白木秀雄さん、この3人については、とことんまで追求していきたいなと思っていますね。
- --- 60年代の日本のジャズ・シーンには、ドラマーにスターが多かったんですね。
結局、「ジャズはドラムだ」みたいな流れが当時あったんですよね。だから、白木秀雄さん、ジョージ川口さん、少し後のジョージ大塚さんだったり、スターはドラマーから生まれているんですよね。
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横田年昭さんの『フルート・アドヴェンチュアー』と『原始共同体』は、ものすごくディープでグルーヴ感があって、とてつもない作品ですね。日本人の作品には思えないです。本当に問題作!レコードは、ほぼ出回るようなものじゃないんですけどね。
アストラッド・ジルベルト
「ゴールデン・ジャパニーズ・アルバム」
('69)
泉田エミイ+渡辺貞夫セクステット
「ストリート・サンバ」
('68)
江利チエミ
「チエミのスタンダード・アルバム」
('59)
クリス・コナー&ジョージ大塚『ソフトリー・アンド・スウィンギン』の1曲目、「Softly、As In A Morning Sunrise」がすごくいいんですよ。ここでの市川秀男さんのピアノが素晴らしいんです。
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塙耕記さんの「和ジャズ」嗜好盤
最後に、塙さんが特に愛聴し愛蔵しているという「和ジャズ」の嗜好盤を40枚ほど選んでいただきました。塙耕記(はなわ こうき)
(株)ディスクユニオン勤務。ディスクユニオン新宿ジャズ館の店長、THINK! RECORDSのディレクターという二足の草鞋をはく。店舗では多数のジャズ・コレクターとの太いパイプを活かし、おもに貴重盤の売買取引などで活躍。一方、制作業務においては、自身が監修する”昭和ジャズ復刻シリーズ”で和ジャズ旋風を巻き起こすなど、業界に一石を投じた。また、同レーベル内のシリーズ、”VAMOS!和ボッサ””THINK!+JAZZ”やDIWレーベルなどからもリリース作品を提案している。最近ではオリジナル盤を忠実に再現したサヒブ・シハブ『サヒブズ・ジャズ・パーティー』、ウォルター・ビショップ・ジュニア『スピーク・ロウ』のアナログ盤復刻が”職人の域に達した”と話題に。
本文中に登場の主な和ジャズ作品
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本文中に登場の主なジャズ・ジャイアンツ
宮沢昭(みやざわ あきら)
1927年、長野県生まれ。戦後米軍クラブ等での活動を経て、守安祥太郎、秋吉敏子らと共演し、日本ジャズの黎明期を担った最重要テナー・サックス奏者。54年、横浜・伊勢佐木町にあるジャズ・クラブで行なわれた日本ジャズ史に残るジャム・セッション「モカンボ・ジャム・セッション」(深夜から翌日正午まで繰り広げられた!)で守安、秋吉らと演奏。62年、日本ジャズ史上に燦然と輝く名作と言われる初リーダー・アルバム『山女魚』を発表。その後も、当時慶応大学の学生だった佐藤允彦をスカウトし、レコーディングに参加させた69年の『いわな』、和ジャズ・スピリチュアルの最高峰として現在人気の高い、70年録音の『木曽』といった重要作を続けざまに発表している。アルバム・タイトルから察しがつく通りかなりの釣り名人だったという。2000年死去。
沢田駿吾(さわだ しゅんご)
1930年、愛媛県生まれ。60年に自己グループ、ダブルビーツを結成。また、ニュークインテット、前田憲男とウインドブレイカーズ等での活動で日本のジャズ・ギターの第一人者として活躍。職人タイプの伴奏は、特にヴォーカル、ボサノヴァ、ラウンジ、ムードといったスタイルで重宝されていたと言える。伊集加代子と組んだ『ゴー・ゴー・スキャット〜恋のフーガ』、沢田とモダンジャズ・オールスターズによるボサノヴァ・カヴァー集『結婚記念 愛する二人のために』はまさに沢田のギタリズムの真骨頂。75年に後進の指導・育成に力を注ぐために「ルーツ音楽院」を代々木に設立。2006年死去。
稲垣次郎(いながき じろう)
1933年、東京生まれ。ジョージ川口、白木秀雄、フランキー堺、八木正夫、沢田駿吾らとの活動を経て、1960年代後半に自己グループ、ソウル・メディアを結成。稲垣のテナー・サックスが纏わりつくアグレッシヴなジャズ・ロック・サウンドに身悶えする70年発表の『ヘッド・ロック』は、昨今のレアグルーヴ・リスナーのハートのド真ん中を貫いた。今田勝(org)、川崎燎(g)、田畑貞一(ds)らを従えた強靭なビートと未知のサイケデリアは、間違いなく当時の日本最高レベルの”ジャズ・ファンク指数”を計測していたと言えよう。ソウル・メディア(ビッグ・ソウル・メディア)名義で多くのアルバムを制作する傍らスタジオ・ミュージシャンとしても活躍している。
松本浩(まつもと ひろし)
1931年、兵庫県生まれ。浜口庫之助に見出され、48年にプロ・デビューを果たしたヴィブラフォン奏者の松本は、ハワイアン・バンドの村上一徳とサーフ・ライダーズに平岡精二の後釜として参加したことをきっかけにキャリアを波に乗せた。裏方の作曲仕事をメインとしていた職人ヴァイブ奏者が、市川秀男のカルテットらと吹き込んだ69年発表の『メガロポリス』は、当時では珍しいコンセプト・アルバムということもあり、近年再評価著しい。
ジョージ川口(じょーじ かわぐち)
1927年、京都生まれ。ツーバス・ドラム・セットによるダイナミックなサウンドをトレードマークに活躍した、白木秀雄と並ぶ昭和の名ドラマー。53年に松本英彦、中村八大、小野満と共に「ビッグ4」を結成し、50年代にトップスターとして絶大な人気を誇っただけでなく、戦後の日本に初めて大衆的なジャズ・ブームを巻き起こした。また、渡辺貞夫、山下洋輔、日野皓正ら多くの日本ジャズ界の俊英を発掘し育成。これらの功績が買われ、88年にジャズ界では初となる紫綬褒章を受章した。2003年死去。
佐藤允彦(さとう まさひこ)
1941年、東京生まれ。バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)への留学を経て、69年の帰国後に発表したリーダー作『パラジウム』で知られる日本が生んだ天才ピアニスト。モダン・ジャズのみならず、ジャズ・ロック、フリー的性格の強い楽曲までを多彩に弾きこなす。昨今も、日本武道館に1000人の僧侶を集めて開催した声明コンサート(93年)など、作・編曲に加えて音楽監督も担当するなど、多方面で活躍している。
松本英彦(まつもと ひでひこ)
1926年、岡山県生まれ。高校生の時、米軍キャンプでテナー・サックスの演奏のアルバイトをしている際に、愛称の”スリーピー”をもらう。渡辺晋とシックス・ジョーズを経て、ジョージ川口、中村八大、小野満とビック・フォーを結成。第一次ジャズ・ブームを巻き起こす。59年には、白木秀雄クインテットに参加し、63年のモントレー・ジャズ・フェスティバルで日本人として初めてとなる単独出演を果たす。2000年死去。
ジョージ大塚(じょーじ おおつか)
1937年、東京生まれ。50年代末に渡辺貞夫率いるコージー・カルテットで本格的にプロ活動を開始。61〜64年までは、松本英彦のカルテットに参加。先鋭的なビート感で、その後もサイドマンとして引っ張りだことなる。65年には、市川秀男らと自己トリオを結成。『ページ』シリーズは、ジャズ・ディスク大賞に輝くなど各方面から高い評価を得た。また、後進の指導にも熱心で、市川をはじめ、大野俊三(tp)、植松孝夫(sax)、本多俊之(sax)、水橋孝(b)、辛島文雄(p)らジョージの下から巣立ったミュージシャンは多い。
横田年昭(よこた としあき)
1944年、東京生まれ。猪俣猛とサウンド・リミテッドのフルート奏者として活動するなど、日本のジャズ・フルーティストの草分け的存在。60年代後半には、自己のグループ、ビート・ジェネレーションや原始共同体を結成し、独創的なジャズ・サウンドを展開した。現在も日本太鼓との共演や、琴、三味線、尺八を駆使するなど幅広い活動を続けている。
市川秀男(いちかわ ひでお)
1945年、静岡県生まれ。66年にジョージ大塚トリオに参加。メロディアスなピアノ・プレイで人気を博した。『インヴィテーション』や松本浩との『メガロポリス』などの傑作リーダー・アルバムを残しながら、サイドマンとしても日野皓正やジョージ川口のグループに参加し、先鋭的なサウンドの屋台骨を支えた。90年代以降も、音楽配信のための新作作りなど、常に新しい分野への挑戦を続けている。
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