--- メジャー・デビュー当時、所謂“バンド・バブル”と言われていた88、89年頃の音楽シーンと、現在の音楽シーンで、中川さんの中で違いを感じるところというのはありますか?
中川 いやぁ・・・あんまり変わらないんとちゃう? 大きく見たら。俺は、どうしても“演り手側”のことを考えてしまうから。“演り手側”と業界の関係においては、同じようなもんちゃうかなと。ただやっぱり、ニューエスト・モデル、メスカリン・ドライヴ、ソウル・フラワー・ユニオンという素晴らしいバンドが、日本の音楽産業史にいてくれたおかげで、少しは音楽業界も成長してるとは思うけどね(笑)。「あの頃はよかった」なんて別にね・・・今も楽しいし。
まぁ、何といってもバブルやったけどね。それは大きかったな。ニューエスト、メスカリンとか、じゃがたらとかね。そういうバンドがメジャーから出たというのは、やっぱりあの時代やったからやと思うし。
--- 今お話に出た、当時じゃがたらのヤヒロトモヒロさんや、ボ・ガンボスのどんとさん、KYONさんだったりとの交流も大きかったのではないでしょうか?
中川 ボ・ガンボスは、最初単純にファンでね、俺が。ノックアウトされたっていうか。特に、『Pretty Radiation』を作るか作らへんかとかの頃に、大阪のライヴ・ハウスでボ・ガンボスを観て・・・もう衝撃的でね。自分らのやってる音楽が一気にイヤになった(笑)。「こういう風にやればいいのか!」みたいな。俺が、元々、ソウル・ミュージックやローリング・ストーンズ、ビートルズで始まった人やから。でも、メンバーはパンク好きで、ベーシストいうたらルート弾きしかできへんし(笑)。そういうヤツらと一緒に音楽をやっていく中で、すり合わせたところの着地点が、『Senseless Chatter』(87年)であったり、『Pretty Radiation』やった。そういう時に、バンッとボ・ガンボスのライヴを観てしまってね。ボ・ガンボスは初めから完成してたよ。あの1stアルバム(『Bo & Gumbo』)の世界が、その2年ぐらい前からあってんね、ライヴ会場で。それを見せ付けられちゃってね。「あちゃ〜」って。「さあ、奥野、ピアノや!」みたいな(笑)。で、特訓が始まるわけね、そこから(笑)。地獄のキャンプが始まるわけ(笑)。
--- その特訓の成果が、後に、『Soul Survivor』の「Hey Pocky A-Way」のカヴァーなどで花開いたりと。
中川 (笑)『Soul Survivor』は、明らかに「ボ・ガンボス以降」やね。だから、もっと自分のルーツに回帰した、「本当に自分のやりたいものをやろう」っていうことでちゃんと出来たのは、『Soul Survivor』が最初やね、俺にとって。ただ、他のメンバーからしたら、「何て難しいことをさすんや・・・」っていう時代に入っていくんやね、あそこから(笑)。「俺、単にパンクをやりたかっただけやのに・・・」みたいな(笑)。特に、ドラムのベンとかね。ニューエストに誘う時、一番最初の段階でも、「オレ、ARBとアナーキーのコピー・バンドがやりたいだけで、プロとかになりたいとかも思わへんし・・・辞退させてもらいます」みたいなヤツやってん。でも、「そう言わずに、ヘルパーでええから叩いてや」とか言うて、騙して巻き込んだのがベンやった(笑)。それでもまぁ、最初の2枚ぐらいの頃は、ヤツも70年代のオリジナル・パンクとか好きになっていって。ところが段々、オレが色々言い始めるからね。「ニューオリンズや!」とか、「Pファンクも聴け!」、「スライや!」とか(笑)。だから、大変やったと思うけどね、彼らは(笑)。
--- その中でも、奥野さんは、中川さんと一緒に、音楽的な面で色々なものを吸収してきた感じもするのですが。
中川 奥野は、今もそういうところあるけど・・・元々、DJ気質っていうか、何でも好きやねんな。
--- 雑食というか・・・
中川 うん。本当に何でも好きやね。ブルースからテクノまで(笑)。
--- 『Crossbreed Park』の頃になると、さらに、音楽性が幅広くなっていきましたよね。
中川 そういうやり方がバンドに定着してきて、尚且つ、ライヴの本数も多かったよね、89年は。相当バンドが固まった時期ちゃうかな。『Crossbreed Park』がピークちゃうかな? ニューエストの。
--- 『Universal Invader』にいってしまうと・・・
中川 『Universal Invader』は、またメンバーがついて来れなくなってるね、俺の変化に。「一個コレ済ましたら、次はもうコレに行かなあかんねや」みたいな感じでね、俺が。当時はすごいそういう志向でね。「もう、お前25やぞ! ジョン・レノンでいったら、そろそろ『Rubber Soul』やん!」みたいな(笑)。「こんなことしててええんか、俺らは!」みたいな感じやったね。「はい、次行くぞ、次!」、「次、ファンク!」、「はい次、ラテン!」みたいな(笑)。たまらんね、メンバーは。昨日まで、Pファンクやったのに、「ディランや、ディラン!」(笑)、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴け!」とか(笑)。メンバーからしたら訳わからんよな。バラバラやもん、確かに(笑)。
でも、俺の「大きなイメージ」の中では、“同じもの”やってんけどね。それを、言語化するのは難しいけど。まぁ、“熱のある音楽”っていうことやね、簡単に言うと。「熱のある音楽をどんどん聴いて吸収しようやないか」ということやねんけどね。あの頃は、本当にそんな感じやったね。
--- ソウル・フラワー・ユニオンでもそうですが、当時も、ニューエスト、メスカリンは、カヴァー曲を積極的に取り上げて、選曲、日本語訳アレンジ含め、かなり独自のこだわりを見せていましたよね。
中川 やっぱり、ある種の「習作」が必要やってんね。パッとはできないから。一応、カヴァーしたりする中で、“学ぶ”ということをしてたんちゃうかな? 「実際、やってみたら、オリジナルよりもかっこええし俺ら」みたいな(笑)。
特に、メスカリン・ドライヴは、伊丹英子が「日本語で歌詞を書く」ってなった時に、洋子ちゃん(内海洋子)は12、3歳までアメリカ育ちやから、日本語で歌うのが無いわけよ、彼女の体の中に。そういう中で、洋子ちゃんが活き活きとできるという意味では、ライヴで英語詞のカヴァーが多いバンドやったね、メスカリンは。で、それを「シングルのカップリング曲で出していこうやないか」ということやったんやけどね。
--- メスカリンでも、ニューエストでも、ボブ・ディランのカヴァーを取り上げる割合が、比較的多い印象があるのですが。
中川 そう、あの頃、ディランを良く聴いてたよね。俺よりヒデ坊かもしれへんけど。
--- ディランがロン・ウッドに提供した<Seven Days>なんていう渋いところも、ライヴでカヴァーしていましたよね?
中川 あぁ、やってたね、メスカリン。よう覚えてるなぁ・・・<Seven Days>演ってたなぁ。そんなん全く忘れてるわ。
--- ニューエストでも、「嵐からの隠れ家」をやっていたりと、やはり、ローリング・サンダー・レヴュー期ぐらいのボブ・ディランが、中川さんにとっては最もグッとくるのでしょうか?
中川 まぁ、単純に、演奏が好きやってんけどね。ローリング・サンダー・レヴューの頃のディランの。あるいは、60年代中頃のザ・バンドをバックにやってる頃の。『Royal Albert Hall』とかの演奏が好きやったということなんやけどね、俺は。なんか・・・人間としては、「飲んでもおもろないヤツやろな、コイツ」っていう感じやったよ、当時(笑)。
--- では、ディランの日本語訳詩とにらめっこするようなこともなく・・・
中川 うん。だから、ディランに「憧れている」というのは全然なくて、極端に言えば、「利用してる」って感じやったね。そういうとこがあったよ。まあ、今にして思えば、彼らからまさに演奏法を学んでたんじゃないかなぁ。
--- ローリング・ストーンズの場合ですと、中川さんの熱の入り方ももう少し違ってきそうですよね。
中川 ストーンズは、もう本当に、子供の時のアイドルみたいなもんなんやね、俺にとって。中学生・高校生ぐらいの時に、ビートルズとローリング・ストーンズばっかり聴くガキやったから。海賊盤の海に浸かってた(笑)。抜き難くある。自分の血みたいなもんやね。
--- 以前、ヒートウェイヴの山口洋さんとの対談の中で、「ツアー前に絶対ストーンズのDVDを観る」と中川さんがおっしゃっていたのですが、現在でも、その“儀式”は行なっているのですか?
中川 (笑)忘れそうになんねん、何か、自分の職業を(笑)。まぁ、ギャグみたいなもんやけど、アレは。ちょっと誇張されてるね。「絶対に」なんてことはないけど、別に(笑)。「じゃあ、ちょっと気合入れよか!」みたいな時に、みんなウチに泊まりにくるから、ツアー前って。で、DVD色々かけたりもするやん? 「明日からツアーやから、まずストーンズを観よう」って(笑)。だらだら飲みながらやで。正座して観てるわけちゃうよ(笑)。「ちょっと気合入れまひょか」みたいな。数年前ぐらいの話やけど。
--- ちなみに、ブライアン・ジョーンズ、ミック・テイラー、ロン・ウッドの在籍期では、どの時代が最も・・・
中川 そうやなぁ、イアン・ギランがいた第2期かなぁ・・・。
--- (笑)ディープ・パープルじゃないですか・・・
中川 (笑)俺、ヘヴィ・メタルとかハード・ロックとかがめちゃめちゃ嫌いやったわけよ。で、昔、ロック喫茶でバイトしてた頃、当時(80年代前半)関西はヘヴィ・メタル・ブームでね。ラウドネスとかが売れて。客がリクエストするわけよ、俺に。「あのぉ、すいませんけどぉ・・・ディープ・パープルの2期をお願いします」って、「何やねん、それ!?」みたいな(笑)。
まあやっぱり、『Beggars Banquet』から『メインストリートのならず者』の頃のストーンズが、「レコード制作」っていう意味においては、絶頂期やと思うけどね。俺、『Their Satanic Majesties Request』がすごい好きで、『Their Satanic Majesties Request』を含めた『メインストリート』までの5枚か・・・絶頂期やと思うけど。その辺は今聴いても素晴らしいよ。バンド・アンサンブルという意味では、70年代後半から『Tatto You』の頃の感じもいい。<Summer Romance>とか、<Where The Boys Go>、<Hang Fire>とか。壊れたロックンロールの最高峰やね。
(つづきます)