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ソウル・フラワー・ユニオン 中川敬 インタビュー【2】

2009年3月12日 (木)

中川敬インタビュー







アーリー・ソウル・フラワー・シングルズ
4 Newest Model / Mescaline Drive
    『Early Soul Flower Singles』
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ソウル・フラワー・ユニオンの前身、ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴがキング・レコード在籍時(1989年〜1993年)に発表した全シングルを時系列に集大成した、CD2枚組シングルズ・コレクション。長年入手困難であったアルバム未収録のカップリング・ナンバーや、各シングル・ミックス、代表曲の別ミックス、ライヴ音源、未発表曲『英雄と凱旋』等々、14曲のボーナス・トラックも嬉しい、2枚組全39曲のヴェリー・ベスト・コンピレーション!初回生産分のみ紙ジャケ仕様。








   



--- メジャー・デビュー当時、所謂“バンド・バブル”と言われていた88、89年頃の音楽シーンと、現在の音楽シーンで、中川さんの中で違いを感じるところというのはありますか?


中川  いやぁ・・・あんまり変わらないんとちゃう? 大きく見たら。俺は、どうしても“演り手側”のことを考えてしまうから。“演り手側”と業界の関係においては、同じようなもんちゃうかなと。ただやっぱり、ニューエスト・モデル、メスカリン・ドライヴ、ソウル・フラワー・ユニオンという素晴らしいバンドが、日本の音楽産業史にいてくれたおかげで、少しは音楽業界も成長してるとは思うけどね(笑)。「あの頃はよかった」なんて別にね・・・今も楽しいし。


 まぁ、何といってもバブルやったけどね。それは大きかったな。ニューエスト、メスカリンとか、じゃがたらとかね。そういうバンドがメジャーから出たというのは、やっぱりあの時代やったからやと思うし。


--- 今お話に出た、当時じゃがたらのヤヒロトモヒロさんや、ボ・ガンボスのどんとさん、KYONさんだったりとの交流も大きかったのではないでしょうか?


中川  ボ・ガンボスは、最初単純にファンでね、俺が。ノックアウトされたっていうか。特に、『Pretty Radiation』を作るか作らへんかとかの頃に、大阪のライヴ・ハウスでボ・ガンボスを観て・・・もう衝撃的でね。自分らのやってる音楽が一気にイヤになった(笑)。「こういう風にやればいいのか!」みたいな。俺が、元々、ソウル・ミュージックやローリング・ストーンズ、ビートルズで始まった人やから。でも、メンバーはパンク好きで、ベーシストいうたらルート弾きしかできへんし(笑)。そういうヤツらと一緒に音楽をやっていく中で、すり合わせたところの着地点が、『Senseless Chatter』(87年)であったり、『Pretty Radiation』やった。そういう時に、バンッとボ・ガンボスのライヴを観てしまってね。ボ・ガンボスは初めから完成してたよ。あの1stアルバム(『Bo & Gumbo』)の世界が、その2年ぐらい前からあってんね、ライヴ会場で。それを見せ付けられちゃってね。「あちゃ〜」って。「さあ、奥野、ピアノや!」みたいな(笑)。で、特訓が始まるわけね、そこから(笑)。地獄のキャンプが始まるわけ(笑)。


--- その特訓の成果が、後に、『Soul Survivor』の「Hey Pocky A-Way」のカヴァーなどで花開いたりと。


中川  (笑)『Soul Survivor』は、明らかに「ボ・ガンボス以降」やね。だから、もっと自分のルーツに回帰した、「本当に自分のやりたいものをやろう」っていうことでちゃんと出来たのは、『Soul Survivor』が最初やね、俺にとって。ただ、他のメンバーからしたら、「何て難しいことをさすんや・・・」っていう時代に入っていくんやね、あそこから(笑)。「俺、単にパンクをやりたかっただけやのに・・・」みたいな(笑)。特に、ドラムのベンとかね。ニューエストに誘う時、一番最初の段階でも、「オレ、ARBとアナーキーのコピー・バンドがやりたいだけで、プロとかになりたいとかも思わへんし・・・辞退させてもらいます」みたいなヤツやってん。でも、「そう言わずに、ヘルパーでええから叩いてや」とか言うて、騙して巻き込んだのがベンやった(笑)。それでもまぁ、最初の2枚ぐらいの頃は、ヤツも70年代のオリジナル・パンクとか好きになっていって。ところが段々、オレが色々言い始めるからね。「ニューオリンズや!」とか、「Pファンクも聴け!」、「スライや!」とか(笑)。だから、大変やったと思うけどね、彼らは(笑)。


--- その中でも、奥野さんは、中川さんと一緒に、音楽的な面で色々なものを吸収してきた感じもするのですが。


中川  奥野は、今もそういうところあるけど・・・元々、DJ気質っていうか、何でも好きやねんな。


--- 雑食というか・・・


中川  うん。本当に何でも好きやね。ブルースからテクノまで(笑)。


--- 『Crossbreed Park』の頃になると、さらに、音楽性が幅広くなっていきましたよね。


中川  そういうやり方がバンドに定着してきて、尚且つ、ライヴの本数も多かったよね、89年は。相当バンドが固まった時期ちゃうかな。『Crossbreed Park』がピークちゃうかな? ニューエストの。


--- 『Universal Invader』にいってしまうと・・・


中川  『Universal Invader』は、またメンバーがついて来れなくなってるね、俺の変化に。「一個コレ済ましたら、次はもうコレに行かなあかんねや」みたいな感じでね、俺が。当時はすごいそういう志向でね。「もう、お前25やぞ! ジョン・レノンでいったら、そろそろ『Rubber Soul』やん!」みたいな(笑)。「こんなことしててええんか、俺らは!」みたいな感じやったね。「はい、次行くぞ、次!」、「次、ファンク!」、「はい次、ラテン!」みたいな(笑)。たまらんね、メンバーは。昨日まで、Pファンクやったのに、「ディランや、ディラン!」(笑)、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴け!」とか(笑)。メンバーからしたら訳わからんよな。バラバラやもん、確かに(笑)。


 でも、俺の「大きなイメージ」の中では、“同じもの”やってんけどね。それを、言語化するのは難しいけど。まぁ、“熱のある音楽”っていうことやね、簡単に言うと。「熱のある音楽をどんどん聴いて吸収しようやないか」ということやねんけどね。あの頃は、本当にそんな感じやったね。



中川敬


 




--- ソウル・フラワー・ユニオンでもそうですが、当時も、ニューエスト、メスカリンは、カヴァー曲を積極的に取り上げて、選曲、日本語訳アレンジ含め、かなり独自のこだわりを見せていましたよね。


中川  やっぱり、ある種の「習作」が必要やってんね。パッとはできないから。一応、カヴァーしたりする中で、“学ぶ”ということをしてたんちゃうかな? 「実際、やってみたら、オリジナルよりもかっこええし俺ら」みたいな(笑)。


 特に、メスカリン・ドライヴは、伊丹英子が「日本語で歌詞を書く」ってなった時に、洋子ちゃん(内海洋子)は12、3歳までアメリカ育ちやから、日本語で歌うのが無いわけよ、彼女の体の中に。そういう中で、洋子ちゃんが活き活きとできるという意味では、ライヴで英語詞のカヴァーが多いバンドやったね、メスカリンは。で、それを「シングルのカップリング曲で出していこうやないか」ということやったんやけどね。


--- メスカリンでも、ニューエストでも、ボブ・ディランのカヴァーを取り上げる割合が、比較的多い印象があるのですが。


中川  そう、あの頃、ディランを良く聴いてたよね。俺よりヒデ坊かもしれへんけど。


--- ディランがロン・ウッドに提供した<Seven Days>なんていう渋いところも、ライヴでカヴァーしていましたよね?


中川  あぁ、やってたね、メスカリン。よう覚えてるなぁ・・・<Seven Days>演ってたなぁ。そんなん全く忘れてるわ。

--- ニューエストでも、「嵐からの隠れ家」をやっていたりと、やはり、ローリング・サンダー・レヴュー期ぐらいのボブ・ディランが、中川さんにとっては最もグッとくるのでしょうか?


中川  まぁ、単純に、演奏が好きやってんけどね。ローリング・サンダー・レヴューの頃のディランの。あるいは、60年代中頃のザ・バンドをバックにやってる頃の。『Royal Albert Hall』とかの演奏が好きやったということなんやけどね、俺は。なんか・・・人間としては、「飲んでもおもろないヤツやろな、コイツ」っていう感じやったよ、当時(笑)。


--- では、ディランの日本語訳詩とにらめっこするようなこともなく・・・


中川  うん。だから、ディランに「憧れている」というのは全然なくて、極端に言えば、「利用してる」って感じやったね。そういうとこがあったよ。まあ、今にして思えば、彼らからまさに演奏法を学んでたんじゃないかなぁ。


--- ローリング・ストーンズの場合ですと、中川さんの熱の入り方ももう少し違ってきそうですよね。


中川  ストーンズは、もう本当に、子供の時のアイドルみたいなもんなんやね、俺にとって。中学生・高校生ぐらいの時に、ビートルズとローリング・ストーンズばっかり聴くガキやったから。海賊盤の海に浸かってた(笑)。抜き難くある。自分の血みたいなもんやね。


--- 以前、ヒートウェイヴの山口洋さんとの対談の中で、「ツアー前に絶対ストーンズのDVDを観る」と中川さんがおっしゃっていたのですが、現在でも、その“儀式”は行なっているのですか?


中川  (笑)忘れそうになんねん、何か、自分の職業を(笑)。まぁ、ギャグみたいなもんやけど、アレは。ちょっと誇張されてるね。「絶対に」なんてことはないけど、別に(笑)。「じゃあ、ちょっと気合入れよか!」みたいな時に、みんなウチに泊まりにくるから、ツアー前って。で、DVD色々かけたりもするやん? 「明日からツアーやから、まずストーンズを観よう」って(笑)。だらだら飲みながらやで。正座して観てるわけちゃうよ(笑)。「ちょっと気合入れまひょか」みたいな。数年前ぐらいの話やけど。


--- ちなみに、ブライアン・ジョーンズ、ミック・テイラー、ロン・ウッドの在籍期では、どの時代が最も・・・


中川  そうやなぁ、イアン・ギランがいた第2期かなぁ・・・。


--- (笑)ディープ・パープルじゃないですか・・・


中川  (笑)俺、ヘヴィ・メタルとかハード・ロックとかがめちゃめちゃ嫌いやったわけよ。で、昔、ロック喫茶でバイトしてた頃、当時(80年代前半)関西はヘヴィ・メタル・ブームでね。ラウドネスとかが売れて。客がリクエストするわけよ、俺に。「あのぉ、すいませんけどぉ・・・ディープ・パープルの2期をお願いします」って、「何やねん、それ!?」みたいな(笑)。


 まあやっぱり、『Beggars Banquet』から『メインストリートのならず者』の頃のストーンズが、「レコード制作」っていう意味においては、絶頂期やと思うけどね。俺、『Their Satanic Majesties Request』がすごい好きで、『Their Satanic Majesties Request』を含めた『メインストリート』までの5枚か・・・絶頂期やと思うけど。その辺は今聴いても素晴らしいよ。バンド・アンサンブルという意味では、70年代後半から『Tatto You』の頃の感じもいい。<Summer Romance>とか、<Where The Boys Go>、<Hang Fire>とか。壊れたロックンロールの最高峰やね。


(つづきます)







 






Solid Foundation -Early Days1986-1987
4 Newest Model 『Solid Foundation -Early Days86-87』

 アナログ・リリースの『Senseless Chatter Senseless Fists』、『Standing On The New Foundation』、『オモチャの兵隊』等からの初期(1986-87)の貴重な音源をまとめたコンピレーション・アルバム。以前、バルコニーより再発されていたものに、「オモチャの兵隊」のフォノシート・ヴァージョンなど3曲を追加した新装丁盤。




Soul Survivor
4 Newest Model 『Soul Survivor』

 1989年にキング・レコードからリリースされたメジャー初アルバム。持ち前の質実剛健ソウル・パンク・サウンドに、ニューオリンズ、ファンキー・ブラス等のファクターを投下。モノトーンから一気にカラフルなサウンドを手繰り寄せ、同時代バンドの中でも、圧倒的な存在感を見せつけた傑作。抵抗を繰り返すも切実すぎる、青春のひとコマ。




Crossbreed Park
4 Newest Model 『Crossbreed Park』

 1990年リリースのメジャー2ndアルバム。冒頭「ひかりの怪物」から、雑多感を多分に含むブラス・ファンク・アジテーションの尋常ではない”うねり”が右往左往。”重心の低さ”をはじめ、前作『Soul Surviver』からの進化の速度感が否応なしに伺える。「杓子定木」を聴けば、現在の中川氏及び、ソウル・フラワー・ユニオンの活動にまで直結する原点なるものを見出すことは容易の筈。「雑種天国」、「乳母車と棺桶」といった名曲を含む、中川氏本人も「ニューエストのピーク」と振り返る1枚。「特別って思ってても 狭い海で皆泳ぐ」・・・のである。




Universal Invader
4 Newest Model 『Universal Invader』

 1992年発表のニューエスト最後のフル・オリジナル・アルバム。前2作の余韻を躊躇なく払い落とし、さらにラディカルに進化を遂げようとするソウル・フラワー劇場の舞台裏は、Pファンク、カーティス・メイフィールド、パブリック・エネミー等から抽出されたエキスで充満。イラク戦争(当時)における一部マスコミの報道に対する痛烈な皮肉「報道機関が優しく君を包む」、ライヴでは長尺のインプロヴィゼーションが展開された「知識を得て、心を開き、自転車に乗れ!」など、振り返れば、その後のソウル・フラワー・ユニオンへの統合を十分に予感させる楽曲が並ぶ。

  



Soul Flower Clique 1988-1992
4 Newest Model 『Soul Flower Clique 1988-1992』

 1992年に発表された、ニューエスト・モデルのビデオ・クリップ集。「Hey Pocky A-Way」、「こたつ内紛争」、「Soul Dynamite」はライヴ映像。ボーナス・トラックとして、メスカリン・ドライヴのヴィデオ・クリップ2曲「迷宮新喜劇」、「お花見列車」を追加収録してDVD化。



 



カムイ・イピリマ
4 Soul Flower Union 『カムイ イピリマ』

 元々は、中川、奥野両氏の全面参加の下、メスカリン・ドライヴのニュー・アルバムとして制作されていたものの、その制作過程において、”ソウル・フラワー・ユニオン”という名の統合行為を果たすべくして果たした、1993年記念すべきSFU名義での1stアルバム。タイトルは、アイヌ語で「神・自然の耳打ち」を意味し、「お前の村の踊りを踊れ」をはじめ、「日本列島先住民史」をテーマに掲げ制作された1枚。「寝首かかれた酋長」の出典は、トラフィック「Forty Thousand Headmen」。




ワタツミ ヤマツミ
4 Soul Flower Union 『ワタツミ ヤマツミ』

 1994年、別名「もののけ解放セッション」。実質的なソウル・フラワー・ユニオンの1stアルバムとも呼べる本作には、レス・ポール×マーシャル・アンプの歪み、お囃子と和太鼓、フリーキーなサックス・・・全てが奇跡的な融合を果たした「もののけと遊ぶ庭」、北海道南西沖地震による奥尻島への津波来襲を唄った「レプン・カムイ(沖の神様)」、喜納昌吉&チャンプルーズのカヴァー「アイヌ・プリ」など、トラッド、民謡、アイヌのキーワードをより具体的・効果的に流し込んだ傑なる曲が連なる。「リベラリストに踏絵を」におけるPファンクから沖縄民謡までの目まぐるしい出し入れも驚異的。アルバム・リリース前、横浜寿町フリーコンサートで初めて聴いた「陽炎のくに、鉛のうた」の衝撃が今でも忘れられない。




Ghost Hits 1993-96
4 Soul Flower Union 『Ghost Hits 1993-96』

 1996年リリースのソウル・フラワー・ユニオン初期楽曲を纏めたベスト。6曲の別ミックスに加えて、「やまんばの里」、「騒乱節(ソーラン節)」、「杓子定木('96 モノノケサミット・ヴァージョン)」、さらには、1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災の惨状、復興への厳しい現実、それらに向き合おうとする人々の姿を描いた「満月の夕」(中川敬、ヒートウェイヴの山口洋両氏による共作。95年10月1日にシングルとしてリリース)を収録。「満月の夕」は、のちに、ドーナル・ラニー・バンドとのアイリッシュ・トラッド共演盤『マージナル・ムーン』、中川敬ソロ・プロジェクト=ソウルシャリスト・エスケイプ『ロスト・ホームランド』、ソウル・フラワー・ユニオンのライヴ・アルバム『High Tide And Moonlight Bash』などにも収められることとなる。




アジール チンドン
4 Soul Flower Mononoke Summit 『アジール チンドン』

 95年阪神・淡路大震災の被災地における「出前慰問ライヴ活動」に端を発した、ソウル・フラワー・モノノケサミットは、アコースティックな”ちんどん”スタイルで、被災地のみならず、障がい者イベント、寄せ場(ドヤ街)、市民運動、反戦運動の現場など日本全国の様々な祭り、また、北朝鮮・平壌、中国返還直後の香港、ベトナム・ダナン、フィリピン・スモーキー・マウンテン、東ティモール独立祝賀祭、フランス・ツアー、台湾、ヨルダン・パレスチナ難民キャンプ等々、国内にとどまらず、唄と踊りが熱望される”ヤチマタ”で祭りを創出し続けている。




エレクトロ・アジール・バップ
4 Soul Flower Union 『エレクトロ・アジール・バップ』

 上述「出前慰問ライヴ活動」〜ソウル・フラワー・モノノケサミットでの成果とアイデアの先を、深化させ、電化させた3rdアルバム。日本・沖縄・アイヌ・朝鮮の民謡、壮士演歌、労働歌、革命歌、はやり唄・・・所謂”日本のロック・バンド”が、ここまで”ローカル発グローバル行き”な打ち出しを見せるとは・・・と慌てふためくも、それが純粋な意味で、真の意味での”万国共通のロック”であることを知らしめた重要作。「エエジャナイカ」に含まれたダンス・ミュージックの要素は、もはや凡百テクノ/ハウス・ミュージックのそれを遥かに凌駕する決定的なトランス感を誇っている。