--- 本日は宜しくお願いします。
ドン・レッツ OK、宜しく。
--- ドン・レッツさんは、現在、ダブ・カーテル・サウンド・システムという名義で活動しているのですが、この活動のコンセプトは、DJを含めたこれまでの活動のものとは、何か一線を画するものがあるのでしょうか?
ドン・レッツ これは、自分自身の文化的なネットワークの方法なんだ。
まぁ、みんな知ってると思うけど、1977年ぐらいに、オレは、ロキシーでDJをやっていたんだ。その時にパンクが出てきて、オレは、パンクのドキュメンタリー映画を撮ったんだ。本当に一番最初にやりたかったのは、映画作りだったんだよね。
でも、6年ぐらい前に、コンピのCDを編集してほしいって言われてね。『Dread Meets Punk Rockers Uptown』っていうものなんだけど。で、みんなに「ドン、またDJやってくれよ!」って言われるようになってさ。だから、ここ5、6年ぐらいでまたDJを始めたってわけなんだ。
DJはすごく楽しいよ。当時のパンク時代っていうのは、コンピレーションのカセット・テープをよく作っていたんだ。セックス・ピストルズや、クラッシュ、パティ・スミス、スリッツとか。彼らのああいったスピリットを、音楽を通して人に伝えて、相互にコミュニケーションをとるっていうのが好きだったんだ。
文化的に、そういうカタチで多くの人とネットワークをつなげていくってことは、本当に素晴らしいことなんだよ。
--- 今、お話に出た『Dread Meets Punk Rockers Uptown』でセレクトされている曲というのは、80年代のオールドスクール・ヒップホップなんかともリンクしてきそうな気もするのですが、いかがでしょうか?
ドン・レッツ ヒップホップの歴史・・・ヒップホップのルーツが、ジャマイカから来てるっていうのは、知ってるだろ?ヒップホップの黎明期において、DJ クールハークは、ニューヨークのストリートにサウンド・システムを持ち出した最初の人間なんだ。しかも、初期のラップ・スタイルっていうのは、ジャマイカのMCとさほど違いはなかったんだ。
でも、あまり人に知られていない事実がひとつあるから、教えてあげるよ。ジャマイカのMCっていうのは、60年代のアメリカのラジオのディスク・ジョッキーを真似して、ああいうスタイルになったんだ。ジャイヴ・トークなんかのね。これは、ジャマイカの本当にごく初期のMCの2人、カウント・マチューキ、それからキング・スティット、彼らがオレに教えてくれたことなんだ。音楽というのは、そういう風に色々な人を介して、ぐるぐる回っていくものなんだよ。
ダブのテクニックは、今じゃほとんどのダンス・ミュージックで使われているけど、ジャマイカで生まれた本当に素晴らしいアイデアのひとつだよね。ドラムとベースを強調して、全面に押し出すってことが、まずはひとつ目の功績。それから、ミキシングの卓を使う・・・つまり、ミキサー自体を楽器にしてしまったっていうのが、もうひとつの大きな功績なんだ。例えば、リー・ペリー。ミキシング・デスク自体が、彼の楽器になっているんだ。
--- そのリー・ペリーといったレゲエ・アーティストに実際出会うことになる、初めてのジャマイカ渡航は、ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)に連れて行ってもらったものだったそうですね。
ドン・レッツ たしか、78年か79年ぐらいだったと思う。ちょうどその頃、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンが、パパラッチやマスコミなんかの目から逃れるために、リチャード・ブランソン(ヴァージン・グループの創設者/会長)と一緒にジャマイカにエスケイプしたんだ。そこで、レゲエの専門レーベル「Front Line」をスタートさせたんだよ。その時、ロットンは、「おい、ドン、お前は黒人なんだし、ジャマイカに絶対行くべきだよ」って。まぁ、自分もそれまでジャマイカに行ったことがなかったし、ジャマイカについて知ってることっていったら、映画の『The Harder They Come』だけだったしね。
--- 『The Harder They Come』から、色々と映像表現のインスピレーションを受けたそうですが、その当時のジャマイカン・ムービーというのは、やはり、視覚的にも強烈な印象を残すものでしたか?
ドン・レッツ 『The Harder They Come』を観たのは、70年代前半だったんだけど、映画の力っていうのをまざまざと見せ付けられたんだよ。エンターテインメントとしての影響力の強さ、情報源としての魅力、両方でね。君が言ったとおり、あれを観て映画作りをやりたいって思ったんだよ。
でも、その当時は、映画なんてどういう風に作っていいか全く分からなかったんだよ。そこに、パンクが出てきて、「Do It Yourself」、所謂、DIY精神が生まれたんだ。セックス・ピストルズ、クラッシュがああいった感じで現れて、オレも同じようなことがやりたいって思ったんだよ。何かをピックアップしてね。そこで選んだのが、スーパー8mmカメラだったというわけなんだ。言ってしまえば、ドン・レッツっていう人間自体を、映画作りをやる人間として生まれ変わらせたんだ。
そのパンク・ロックというものが出てきた時に、多くの人間が自分自身を変えていたんだよ。だから、あの頃の連中っていうのは、少しバカげた名前を自らに付けてることが多いんだ(笑)。
--- 例えば、スリッツのような・・・(笑)? ※Slits=俗語で女陰の意等。
ドン・レッツ いやいや(笑)、彼女たちは大好きだよ。その昔、オレは、彼女達のマネージメントをしようとしてたんだよ。とてつもなくクレイジーな連中だよ。
--- 彼女たちは、セックス・ピストルズや、クラッシュなどと較べると、少し異なった存在のように思えるのですが、どのようなパンク・アティテュードを持っていたのでしょうか?
ドン・レッツ とても分かり易いと思うんだけどね。スリッツとか、X-レイ・スペックスとか、スージー・アンド・ザ・バンシーズが登場する前、ロック界の女性アクトっていうのは、ただ単に見た目だけだったり、男を歓ばせるだけの存在っていうのがほとんどだったんだけど・・・もちろん、ジャニス・ジョプリンや、グレース・スリック(ジェファーソン・エアプレイン)のような素晴らしいアーティストは、少ないながらもいたけどね。
スリッツは、バックでコーラス付けて踊ってるなんて、まっぴら!もっと前に出たい!って。この事自体が、もうパンク・ロックであり、多くの若い女性にとっては、すごく大きなインスピレーションになったんだ。
--- そういった意味では、パンク・ロック・ムーヴメントというのは、女性の独立心・自立心を促したり助長していったと言えそうですね。
ドン・レッツ パンク・ロックっていうのは、女性も助けたし、オレの様な黒人や、ゲイの人たちなんかも救ったんだ。所謂、抑圧されているっていう感覚を持った人間にとっては、ものすごい助けになったんだと思う。パンクっていうのは、まずは自分を信じるっていうのが、信条の1つにあるんだ。それから、その人個人の個性。つまりは、独立心を重要視したってこと。そういった精神性が、当時の若い人たちにパワーを与えてくれたんだ。
あの当時もそうだったけど、こうした精神性が、最近はもっと大切になってきているって感じるんだ。でも、欧米文化において、個人主義や独立性っていうのは、今までは持て囃されていたけど、最近はそういった風潮じゃないんだよ。みんな同じようになりたいっていう気持ちが強いんだよね。
例えば、ヒップホップを見てみれば分かるんだけど、以前は、ヒップホップ・アクトと言えば、チャックDや、KRSワンみたいなストロングな人間を指していた。でも、最近は、スヌープ・ドッグだったり、パフ・ダディだったりってさ・・・いつも、パーティーしていたいんだったら、ああいったキャラでもいいと思うよ。でも、みんな勘違いしてるんだよ。人生をずっと、ダンス・フロアで過ごすわけじゃないんだってことだ。最終的には、ダンス・フロアから離れて、本当の人生をやっていかなきゃいけないんだよ。
ヒップホップでも何でも、常にリアルである必要はないかもしれないけど、やっぱり、人々にいつもパワーをもたらすものでなきゃいけないって思うんだ。そこが、最も難しいところだとは思うんだけどね。昨今のミュージック・ビジネスの市場っていうのは、アンダーグラウンドで流行っているものがあると、それをすぐ買おうとするよね?で、それを型に押し込めて商品化して、売り込むんだよ。だから、ある意味、誰もが自分たちを常に生まれ変わらせて、元々あったものをまた作り直して、っていうサイクルが重要になってきているんだ。
最近、音楽業界全般が、ロックンロールという媒体を使って何でも売り込もうとしているんだ。その全てに、スポンサーがバックに付いて、何かしらのビジネスとして成り立ってしまうんだよね。
オレが子供の頃に聴いていた音楽には、自分の精神性や考え方を変えてしまうほど大きな影響力があったんだ。でも、今の音楽は、スニーカーを取り替えるとか、上っ面のファッション的なものになってしまったって言わざるを得ないよね。
--- そういったアティテュードが根底にあり、さらには、パンク・ロックというものが今まさにそこで燃え上がっている現実を伝えたくて、『The Punk Rock Movie』を記録映画として残されたと思うのですが、それこそドン・レッツさんの初期衝動の塊と言える作品ですよね。
ドン・レッツ 1977年のパンク・ムーヴメントから得たエナジーっていうのを、無性に人に伝えたかったんだよ。伝えることによって、世界を常にエキサイティングな状態にすることができるんだ。
パンク・スピリットっていうのは、例えば、70年代後半だけに存在していたとよく思われがちなんだけど、そうじゃないんだってことなんだ。パンクっていうのは、今も生きているし、パンク自体が生き物なんだよ。もしも、若いコたちが、いいアイデアを持っていて、すごく勇気があったら、それだけで、パンクの一部になれるんだよ。パンクっていうと、変なモヒカン頭とか、レザー・ジャケットとか、ギターがどうこうって一般的には語られてしまいがちだけど、そういうことじゃないんだよね。アティテュードのことを言ってるんだよ。だから、パンクな医者にもなれるし、パンクな政治家だって、パンクな教師にだってなれるんだ。単純に音楽だけの話じゃないんだ。
--- それはまさに、ジョー・ストラマーが体現していたことでもありますよね。
ドン・レッツ 全くそのとおりだよ!もしかしたら、もう世の中にミュージシャンなんていらないのかもね(笑)。ミュージシャンが多すぎるよ(笑)。本当に勇気のある政治家や、教師の方が必要なのかもしれないね。
--- 映画『Punk:Attitude』の中でも顕著ですが、このあたりの真のパンク・アティテュードに対しての本来的な在り方などについては、色々とお考えのところがあるかと思います。
ドン・レッツ 『Punk:Attitude』は、一番好きな映画なんだよ。あの映画の中で伝えようとしていたのは、パンク・ロックは生きているんだってこと。ノスタルジックな観点でパンクを見ているんじゃないんだ。パンク・ロックっていうのは、毎日自分の中にあって、毎日使っているものなんだよ。まぁ、お金がないからね(笑)・・・いやいや、本当だよ。
--- でも、そういったお金のないところから、色々なアイデアが生まれたり、刺激を求める行動力などが生まれてきますよね。
ドン・レッツ この先、本当に面白いアイデアっていうのは、絶対にアマチュアだったり、または、ナイーヴな人間や、お金や富を全く持ってない人間から出てくるって、そう信じているんだ。