「片山杜秀の本」

2007年9月22日 (土)

連載 許光俊の言いたい放題 第122回

「片山杜秀の本」

 今さら私ごときが言うまでもないのだが、年々異常気象が激しくなっている。8月の暑さにも閉口したが、その次は台風や大雨。なんとうちの近所のお気に入り道路、西湘バイパスも無惨にも崩壊してしまった。空気が澄む秋の夕方、海沿いのこの道からは最高に美しい風景が楽しめただけに残念至極である。
 さて、多少気温が下がったらたちまち、オーケストラや大編成曲を聴いてもくたびれなくなったのが不思議だ。この前、違うステレオで聴くと、演奏の印象が全然違ってくるということを書いたが、そのときと同じくヴァントが指揮したモーツァルト「聖体変化のためのリタニア」K.243も念のためチェックしたら同様だった。機械が変わると、めちゃくちゃきれいに聞こえるのだ。特に3つめの楽章での不気味な音の重なり合いなど、若年の筆とは思えぬ凄惨さで戦慄的。仕事部屋だと特に合唱がだぶついていて、ヴァントに期待するキッチリカッチリ感が薄いと感じられたのだが・・・。
 逆のパターンが、クルト・ザンデルリンク指揮のハイドン集。ヴァントをきれいに聴かせてくれる装置で聴くと、いかにも生彩がないのだ。あげくには、ハイドンてやつはモーツァルトに比べるとなんと退屈なのだろうと飽き飽きしてくる始末。ところが、仕事部屋の装置だと、すばらしくエレガントである。むろん、モーツァルトみたいに微妙で変わり身がはやい音楽ではない。が、これはこれでバランスが取れていると納得がいくのである。特に3枚目。

 ところで、私はときたま「先生の専門は何ですか」と学生などから尋ねられることがある。近頃はめんどうなこともあって「自分でもわからない」と答えることにしている。別に特定のジャンルに愛着や思い入れがあるわけではないし、ジャンル分けにこだわる気持ちが全然ないのである。おもしろいから文学を読み、クラシックを聴き、変な絵を描いたりしているだけだ。
 こういう点では、片山杜秀氏もまったく同様だろう。現代音楽についての知識と経験では日本有数の音楽評論家。その一方で昔の日本映画にもきわめて詳しい。大学、大学院では政治学を専攻。てんでばらばらのように見える。
 氏は本を出すことについてはきわめて慎重だった。さまざまな出版社から依頼があったらしいが、何年たっても出ない。氏の博識あふれる文章はもちろん雑誌などで読めるが、単行本の形でまとめて読んでみたいという声は圧倒的に強かったのに。
 ところが、ようやくこの秋、講談社選書メチエという形でまさに待望久しい著書が発表されたのだ。『近代日本の右翼思想』、そう、音楽書ではない。とはいえ、ナショナリズム流行りの昨今、時宜を得たと思われるだけにあえて紹介しておこう。この本、題名からすると、右翼の政治思想が説明されているものと想像されるはず。だが、単なる政治思想の本では終わらないのが、さすがは片山氏なのである。扱われているトピックは幅広く、何しろ夢野久作の『ドグラ・マグラ』が登場するかと思うと、手をかざして治療する方法だの、肉体性だのという話も出てくる。ただの政治思想、社会思想の本ではないのである。たぶんこれに「日本音楽における右翼思想」や「日本映画と右翼思想」みたいな章が加わると、いっそう多彩な片山ワールド全開になるのだろうが、そちらのテーマはまた別の本が出るのかもしれない。まあ、いずれにしても私が知らないことばかり書いてあるので、秋の夜長にゆっくり楽しみたいと思っているところだ。とりあえず「おわりに」以後のページをめくってみれば、この本のおもしろさは見当がつくと思う。
ちなみに、私が執筆中のしつこい聴き比べの本も同じメチエ選書シリーズの企画である。当然、私のほうが先に完成すると思っていたら、なんと負けてしまった。

 本と言えば、来月早々、青弓社から『クラシック・スナイパー』というシリーズが出る。「スナイパー」というと、もちろんかの名高い「○○スナイパー」誌を連想する人もいるだろう。そう、『クラシック・スナイパー』もまた、普通を逸脱したクラシックの快楽のための本なのである。
 今回の第1号の特集は、およそクラシック本とは思えない「失恋の美学」。大作曲家の失恋についての考察、大失恋漫画、大失恋小説などが目白押しだ。そして、特集以外にもいろいろな内容が盛りだくさんなので、ぜひとも手に取ってご覧ください。ただし、おそらく融通がきかないクラシック崇拝者なら激怒すること間違いないので、自分は冗談が通じない人間だと思う人はご遠慮ください。ハードなマニア向けの内容(たとえば平林直哉氏によるフルトヴェングラーの第9のネチネチ詳細解説)だけでなく、頭がおかしいんじゃないかというページもたっぷり含まれているからだ。片山杜秀氏による超怪しい抱腹絶倒のオペラ台本。鈴木淳史氏による、いかに節約してクラシックを楽しむかという秘法。私が描いた、未来のクラシック愛好家の想像図。世界広しといえども、ここまで好き放題をやったクラシック本は空前だろう。私としては、読者が脱力して思わずヘラヘラと笑ってしまうような本を作りたかった。こまっしゃくれた高校生が指さして「何だよ、これー」と楽しめるページを作りたかった。いつまでたってもクラシック本のほとんどは入門書と名盤案内で占められている。これでは貧しすぎる。「やっぱり、この曲の名演は○○○だよな」、そんなレベルを突き抜けた自由奔放な鑑賞のヒントになれば幸いである。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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近代日本の右翼思想 講談社選書メチエ

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