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ヤノフスキー/ヘンツェ交響曲全集

2015年7月16日 (木)

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WERGOの宝、
ヘンツェの交響曲が全集ボックスで登場!
すべてヤノフスキ&ベルリン放送交響楽団


ハンス・ヴェルナー・ヘンツェの交響曲が全曲ボックスで登場。指揮はすべてヤノフスキ。これまでにヴェルゴがリリースしてきた高水準のヘンツェの交響曲録音です!
 単売だった5枚をスリップケースに入れた仕様となっております。スリムボックスではございません。

【Disc1について】
交響曲第8番の作曲に際しヘンツェは「私は交響曲を書くことをやめられない。私はここで、個人的なものを越えたメッセージのために特別に作られた音楽を多数の聴衆にむけて発信する権利がある。誰も私からこの権利を奪うことはできない、現代の文化的哲学がこの形式がもはや形骸化したと宣告しても・・・そしておそらくはそう宣告されている」(ヘンツェの言葉)。一方で第7番に関しては「古典的な交響曲のモデルにもっとも近づいているもののひとつ」としており、同時にフリードリヒ・ヘルダーリンの人生と苦悩にも通じるものがあるといいます。第8番はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」に基づいており、「軽やかな拍子と豊かなメロディ」が特徴です。

【Disc2について】
ヘンツェが1996 年から97年にかけて取り組んだ交響曲第9番は、アンナ・ゼーゲルスの小説「七番目の十字架」に基づくテキストに作曲された、ほぼ休みなく歌い続ける合唱を伴う大規模な交響曲。ゼーゲルスの本の内容は、7人の囚人が強制収容所から逃げ出そうとして失敗。士官たちは他の囚人たちへの見せしめとして、収容所の7本の木を切り倒し、十字架を作り、7人をはりつけにしようとします。しかし、7本目の十字架に乗るはずだった囚人は、脱走に成功。誰もいない7本目の十字架が、抵抗の象徴、独裁者への勝利のしるしとして描かれる物語です。しかしながら、終わり方はきわめて不安げなまま。独裁による人道の危機が終わることはない、というヘンツェのメッセージがこめられているようです。

【Disc3について】
交響曲第3番は、19世紀末を思わせるような爛熟の官能的な響きと大規模な作風が印象的。交響曲第4番は、静かな弦の響きの中から様々なモティーフが生まれては消え、発展しながら進み、最後は壮大な音の重なり合いとなる、演奏時間20分超の単一楽章で非常に高い集中を保った曲。もともとはヘンツェのオペラ『鹿の王』第2幕の幕切れの音楽として書かれたものです。第5番は一言で表すならば「ドラマティック」な作品。バーンスタイン&ニューヨーク・フィルの委託を受け作曲されたもので、ヘンツェいわく「ローマの風景、人々のイメージに触発されて作曲した」もの。激しいリズムや熱いクレッシェンドの連続など、ヤノフスキの指揮も冴えわたります。

【Disc4 について】
ヘンツェ20歳の時の第1交響曲とキューバ縁のシンフォニア第6番を収録。第1番は、ヘンツェ20歳の時の作品。後にヘンツェはこの1947年版を「完全に間違っている」とし、1964年にベルリンで演奏された折に改訂を施しています。1969年、ヘンツェは2度にわたってキューバへと旅をします。キューバでは音楽シーンの重要人物と多くの出会いがあり、自身さとうきび畑で作業の手伝いをしたりもしたといいます。初めてキューバを訪ねるにあたり、ヘンツェは交響曲の依頼を受けました。リズムが印象的なこのシンフォニア第6番は、ハバナで11月26日、ヘンツェ自身の指揮によって初演されました。

【Disc5について】
ヘンツェの初期の交響曲と、最後の交響曲を収録。第2番はヘンツェが12音技法を用いた最初の大きな作品で、当時の現代音楽の最高の解釈者のひとりであった指揮者ヘルマン・シェルヘンに献呈されています。第10番をヘンツェに発注したのはラトルでした。その発注時にラトルは「自分自身(ラトル自身)を反映させたポートレイトのような作品を」と述べたとヘンツェは回想しています。第10番は2000年に完成し、1999年に亡くなったヘンツェのパトロンの一人、パウル・ザッヒャーの「思い出に」ささげられています。第1楽章は2000年3月にラトルによって初演されました。(キングインターナショナル)

【収録情報】
Disc1(WER6721)
ヘンツェ
● 交響曲第7番
(第1楽章:ダンス/第2楽章:静かに、動いて/第3楽章:絶え間なく動いて/第4楽章:静かに、控えめに)
● 交響曲第8番(第1楽章:アレグロ/第2楽章:アレグラメンテ・コン・コモド・テネレッツァ・エ・バッラビリタ/第3楽章:アダージョ)

 録音時期:2006年11月15-17日(第7番)、2007年2月7-9日(第8番)

Disc2(WER6722)
● 交響曲第9番〜混声合唱とオーケストラのための(アンナ・ゼーゲルスの小説『七番目の十字架』に基づく)

 ベルリン放送合唱団
 ミヒャエル・グレーザー(合唱指揮)
 録音時期:2008年11月21-23日

Disc3(WER6723)
● 交響曲第3番〜大オーケストラのための
● 交響曲第4番〜大オーケストラのための
● 交響曲第5番〜大オーケストラのための


 録音時期:2010年1月(第3番、第4番)、9月(第5番)

Disc4(WER6724)
● 交響曲第1番〜室内オーケストラのための (1947, rev.1963,1991)
● 交響曲第6番〜2つのオーケストラのための (1969, rev.1994)


 録音時期:2012年

Disc5(WER6725)
● 交響曲第2番〜大オーケストラのための (1949)
● 交響曲第10番〜大オーケストラのための (1997-2000)


 録音時期:2012年8月28-29日(第2番)、2013年6月12-14日(第10番)

 ベルリン放送交響楽団
 マレク・ヤノフスキ(指揮)

 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

【ヘンツェ・プロフィール】
戦前
現代作曲界の重鎮ハンス・ヴェルナー・ヘンツェは、1926年7月1日、ドイツ北西部、ノルトライン=ヴェストファーレン州のギュータースローに生まれています。幼少から音楽とアートに強い関心を示していたヘンツェは、1942年、16歳からブラウンシュヴァイクの音楽学校で、ピアノと打楽器、音楽理論を学びますが、翌年、兵役のため東部戦線に送られ、その後、通信兵としてイギリス軍の捕虜となり終戦を迎えています。

戦後
終戦後、ビーレフェルトの劇場でコレペティトゥーアの職を得たヘンツェは、ハイデルベルクの教会音楽学校で音楽理論の研究もおこなっています。その師は、かつてヘンツェが所属していたヒトラー・ユーゲントのオーケストラの指揮者でもあった作曲家のヴォルフガング・フォルトナーでした。
 戦前にはフォルトナーの講義は「文化ボルシェヴィズム」と攻撃された種類のものでもありましたが、戦時中は徴兵されて衛生兵として軍務に就き、戦後は本来のスタンスで活動を再開、ダルムシュタットでも活躍、数多くの作曲家に影響を与えており、ヘンツェのほか、ヴォルフガング・リーム、ハンス・ツェンダー、ベルント・アロイス・ツィンマーマンといった錚々たる面々を育てています。
 ヘンツェはこのフォルトナーのほか、パリでルネ・レイボヴィッツに十二音技法を師事するなどしており、この時期の作品としては、1947年に初演された交響曲第1番とヴァイオリン協奏曲第1番、弦楽四重奏曲第1番、1948年のオペラ『不思議な劇場』、1949年の交響曲第2番とバレエ変奏曲、1950年の交響曲第3番とピアノ協奏曲第1番がありました。
 同年、ヘンツェは、ヴィースバーデンのヘッセン国立劇場バレー団の指揮者兼音楽監督に就任、1951年にオペラ『孤独大通り』とバレー『ラビリントス』、1952年にバレエ『愚か者』などを発表していました。
 さらにヘンツェは、ダルムシュタットでも新進作曲家として脚光を浴び、ケルン音楽大学で音楽劇を教えるなどしましたが、やがて左翼思想の影響を受けて実際に政治的な作品なども手がけ、さらに同性愛者であったこともあり、当時、連合軍支配下にあったドイツでは活動がしにくくなってきます。

イタリア移住
そうした背景もあって、1953年には、その後の人生のほとんどを過ごすこととなるイタリアに移住し、少し前に書いていたカフカ原作のラジオ・オペラ、『村の医者』により、イタリア放送協会のイタリア賞を獲得。
 ヘンツェがまず移り住んだのは、温暖なナポリ湾のイスキア島でした。この地でオペラ『鹿の王』(1955)、バレエ『マラソン』(1956)、バレエ『ウンディーネ』(1957 チェリビダッケ初演)、オペラ『公子ホムブルク』(1958)、バレエ『皇帝のナイチンゲール』(1959)などを作曲、作風を幅広いものに拡大して行きました。
 1961年には、ローマ近郊の小さな町、マリーノに転居、新古典的で自由な作風の『若き恋人たちのエレジー』(1961) のほか、アラン・レネ監督の映画『ミュリエル』のための音楽、オペラ『若き貴族』(1964)、オペラ『バッカスの巫女』(1965)などを作曲しています。

政治と音楽、キューバ滞在
ベトナム戦争の激化にともない、反戦運動が世界的に盛り上がった1960年代後半から1970年代にかけては、戦争や政治に関するメッセージ性を持った作品が多くなり、1969年から1970年にはキューバのハバナに滞在して研究・創作や教育活動に当たるなどしていました。  この頃の作品では、シュレンドルフ監督の反戦映画『テルレスの青春』(1966)のために書いた音楽の中の「弦楽のためのファンタジア」が、大ヒット映画『エクソシスト』のエンド・タイトルに転用されて一躍有名になっており、その他、チェ・ゲバラの思い出に捧げられたオラトリオ『メドゥーサの筏』(1970)、キューバ人奴隷の一生を描いた『エル・シマロン(逃亡奴隷)』(1970)、シュレンドルフ監督の反戦映画『カタリーナ・ブルームの失われた名誉』(1975)、ピアノ協奏曲第2番(1967)、声楽曲『逃亡奴隷』(1976)、交響曲第6番(1971)、刑務所の歌(1971)、ガストン・サルバトーレの詩による『ナターシャ・ウンゲホイエル家への険しい道のり』(1971)などといった話題作が発表されています。

1970年代
1970年代、ライヴ・エレクトロニクスの手法に関心を持ったヘンツェは、ヴァイオリン協奏曲第2番(1971)、ピアノ協奏曲『トリスタン』(1973)などをテープも交えて作曲したほか、オペラ『我々は川に来た』(1976)、弦楽四重奏曲第3〜5番 (1976〜77)、ヴィオラ・ソナタ(1979)、王宮の冬の音楽(1976,79)などを作曲。
 1975年には、英国ロイヤル音楽アカデミー名誉会員となっています。

1980年代
三島由紀夫「午後の曳航」によるオペラ『裏切られた海』(1989)、児童オペラ『おやゆびこぞう』(1980)、オペラ『イギリスの猫』(1983)、バレエ『オルフェウス』(1986)、交響曲第7番(1984)などを作曲したほか、1981年にはモンテヴェルディ『ウリッセの帰還』の編曲もおこなっていました。
 1980年にケルン音楽大学作曲科教授に就任し、1987年には英国ロイヤル音楽アカデミーの作曲科教授にも就任、さらに翌年、ミュンヘン・ビエンナーレを創設して芸術監督となっています。

1990年代
ピアノ五重奏曲(1991)、レクィエム(1993)、交響曲第8番(1993)、オペラ『ヴィーナスとアドニス』(1995)、ヴァイオリン協奏曲第3番(1996)、交響曲第9番(1997)などを作曲。
 1991年、ベルリン・フィルハーモニーのコンポーザー・イン・レジデンスに任命。

晩年
交響曲第10番(2000)、侵略交響曲『マラトンの墓の上で』(2001)、オペラ『ヤツガシラと息子の愛の勝利』(2003)、『夢の中のセバスチャン』(2005)、オペラ『フェードラ』(2007)などを作曲したほか、三島由紀夫の「午後の曳航」によるオペラ『裏切られた海』を、ゲルト・アルブレヒトの提案によりあらためて日本語のオペラとして改作、2003年に読響の定期で初演し、その後、ザルツブルク音楽祭でも演奏会形式で上演されていました。
 2007年、40年以上に渡るパートナーであったファウスト・モローニが癌のため死去。2012年10月27日、ザクセン州ドレスデンの病院で亡くなられました。(HMV)
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